「顔」の話(中①)
2
私にとって、学校とは唯一心安らぐ場所である。
何せ家には、あの気持ちの悪い両親が居る。
他に安心できる場所を求めるのは至極当然の心理であり、私は学校をその場所だと定めた訳だ。
まぁ美少女であるが故のサガなのか、それとも私のとある身体的特徴のせいなのか。昔はイジメだなんだと面倒くさいのが起きた時期もあったが……あの家に居る事と比べれば、何だってマシだった。
このクラスも基本的には落ち着ける場所と見ている。
珍獣のようにジロジロ見られるのは変わらないけど、イジメは無く、雰囲気は適度にユルく、皆そこそこ仲が良い。いい感じに気が抜ける場所だった。
……んだけど、なぁ。
「――うわ、また来てるよ、あいつ……」
昼休みの教室。クラスメイト達の喧騒に紛れ、誰かの呟きが耳に届く。
廊下側の窓を見てみれば、教室の外に立つ少年の姿が見える。
――足フェチ曰く、髭擦くん。
デカい図体に似合うゴツイ苗字の彼は、何故か休み時間の度にあの場所に立ち、私に白目を剥いているのだ。
「すっげータマちゃん見るじゃん……見てるよね? あれ」
「まぁいつも美少女だっつってイキり倒してっからな、ストーカーの一人くらい作るだろ」
「ぐぬぬ……」
最初こそ『無関係でーす』と知らんぷりをしていたが、何度も来られてはそれも難しい。
ヒソヒソ話と共に好奇の視線を向けて来るクラスメイト共を睨んでいると、足フェチがこっそりと顔を近づけて来た。身を引いた。
「ねぇ、ちょっとアタシ行ってこよっか? こう、ガツンと」
「え? ……ん~……」
その申し出に言い淀む。
これで髭擦くんに好色な雰囲気があれば私自ら蹴っ飛ばしに行っていたのだが、そんな浮ついた様子では無いように見えた。そういった目を散々向けられてきた私が思うのだから、間違いない。
かといって怒ってるとかでも無いようで、何がしたいのかさっぱり分からん。
「……や、いい。めんどいからもう私が直接聞いてくる」
「へ、あ、待って待って、念の為にハサミとか……」
何や物騒な事を言って机を漁る足フェチを置き、のっしのっしと髭擦くんの下へ近づいて行く。
そして彼が話しかけてくるのを待たず、そのシャツを掴んで教室の前から引きずった。
「なっ……おい、何を」
「こんな悪目立ちしてる中で話なんて出来ないだろ!」
周りから集まってる視線が分からんのか、こいつは。
朝とは逆に私が手を引き、ひとまず人気の無い階段裏まで連行。そこで改めて彼と向き合った。
「……髭擦くんだっけ、私に何か用でもあんの? 休み時間に毎回来られるの、いい加減ウザいんだけど」
「ウザ……き、気付いていたのか、俺に」
「当たり前だろが図体も存在感も顔もデカいんだよあんた」
「……顔も、なのか……」
素っ頓狂な慄き方に思わずそう返せば、髭擦くんは変な所でショックを受けたようだった。
しかしすぐに気を取り直すと、私の瞳を静かに見返した。
「……?」
……いや、違う。僅かに目線がズレているような気がする。
白目なのに目線って何だよと思わんでもないが、そもそも顔が心もち下を向いているのだ。
ほんとに見えてんだよなその白目。
怪訝に思い首を傾げたが、それを問いかけるより先に髭擦くんの口が開いた。
「その……不快に思ったのなら、すまない。気を害するつもりは無かったんだ」
「じゃあ何でずっと見てたのさ。まぁ私みたいな超絶美少女に見惚れるのはわかるけど」
「……美少女なのか?」
「お? 喧嘩か? 買うぞ? ん?」
やっぱ何も見えてねぇわこの男。
拳を構え闘気を漲らせていると、髭擦くんは全く動じることなく話を続ける。図太てぇな。
「お前は……あー、なんだ、オバケとかそういうの信じられるタイプ……か?」
「は?」
思わずそう返せば、髭擦くんはしまったという風に眉を歪め、首を振った。
「あ、いや。何でも無い、忘れてくれ。これからは俺も出来るだけ気を付ける、重ね重ね悪かった。それじゃ」
「えっ、ちょ――」
そして早口で並べ立てたかと思うと、答えも聞かず立ち去って行った。
一人残された私はぽかんと立ち尽くし、遠ざかるその背をただ見送った。
「……いや、オバケならしょっちゅう見てるけど」
ぽつりと呟いたけど、今更届く訳も無い。
問い詰めるどころか更に膨らんでしまった疑問と不穏に、私は重たい溜息を吐き出した。
*
「……やっぱ何か視えてたよな、アイツ」
で、それからずっと髭擦くんの事をアレコレと考え続けた結果、そんな結論に至った。
というか、よりにもよって私にオバケだなんだの言ってきたって事は、むしろそれ以外にあるまい。
オカルト的なあれやこれやを視認できる人間は少ないが、貴重という訳では無いのだ。
きっと彼もその一人で、私よりもよく視える人なのだろう。
そして私には視えていなかった何かを視てしまい、それを伝えようとしてくれていたと。多分そんな感じで……だとすれば、だ。
「これ、ちゃんと聞き出してやんないとまずいやつ……?」
まぁそうなる。
彼が何を視たのかは知らないが、きっとあまり良いものではない筈だ。
放っておいて、また足の皮を剥がされるような事態になるのはゴメンである。早急にその正体を把握しておくべきだろう。
そう決めた私は放課後を迎えた途端に教室を飛び出し、髭擦くんのクラスへと向かった。
……が。
「いねーし……」
どのクラスなのかは足フェチから聞いていたのだが、帰りのホームルームが少し長引いたのが良くなかった。
髭擦くんのクラスへ辿り着いた時には、彼の姿は教室の中には見当たらず。どうやら既に下校してしまったらしく、私はガックリと肩を落とした。
流石に彼の家の場所までは聞いていない。
つまりこの不穏な気持ちを抱えたまま明日を待たねばならない訳で、不安がむくむく加速する。
「……インク瓶……いや」
また彼に連絡すべきか迷い、やめた。
何かあったら連絡しろとは言われているが、連絡しまくって過剰に怖がっていると取られるのも癪である。
奴に頼るには、せめてもう一押しが欲しかった。
しかしそうなると、今の私に出来る事は無い。
置きっぱなしの荷物を取りに教室へ戻ったものの、足フェチは既に陸上部へと行ったようで姿は無く、結局私は一人とぼとぼ帰路についた。
……ここで足フェチ以外を誘おうとしない辺り、普段の交友関係が窺えるというものである。
過ぎたる美少女は浮きがちなんだよ文句あっか。
「…………」
街中を流れる幾つもの川が、少しだけ赤みがかった日差しを反射する。
キラキラしていて綺麗と言えば綺麗なのだが、川の数が多すぎて眩しすぎるのが玉に瑕だ。
もっとも、この街で生まれ育った以上は慣れ切った事柄である。
私はいつものように少しだけ顔を上げ、光から目を逸らした――けれど。
「……あれ」
変わらず光が目に入る。
角度が足りなかったかな。首を傾げつつ更に顔を上げたが、視界は何も変わらない。
そのまま真上にまで首を曲げても、川の光はずっと目に入りっぱなしで、
「……ん?」
……あれ、ちょっと何かがおかしくないか?
私は今、ちゃんと真上を見上げてる。だけど目に映るのは真正面の景色だ。
どんなに首を反らしても、瞳に空が映らない。
そうだ、上方が見られない。
空を見上げるなんて簡単な事が、どれだけ頑張っても出来ていない――。
「ぁ……え……?」
はじめは小さかった違和感が、どんどん大きくなっていく。
ぐらぐらする。ぐらぐらする。
同時に大きな眩暈を感じ、私は堪らず傍にあった街路樹に縋りついた。
……いや、これは眩暈とかじゃない。
なんというか、まるで……視界そのものが、大きく下にズレてしまったかのような――。
「――何をしている」
違和感が像を結びかけたその直前、突然声をかけられ我に返った。
咄嗟に背後を振り向けば、そこに居たのは鷲鼻の目立つ太った女性。すぐに『親』の一人であると気付き、舌打ちを鳴らす。
――チッ。
……いや、それより先に、また誰かの舌打ちが耳元で響いた。
すぐにそちらを見たが、やはり誰も居ない。
私は走る怖気を押し殺し、再び『親』の方へと目を戻した。
「……何って、見りゃ分かんでしょ。気分悪くて休んでんの」
「そうか」
彼女はそう一言だけ返すと口を閉じ、じっと私を見つめ続ける。こっちもこっちで不気味だな、ほんと。
「つか、そっちこそ何なの。街中で話しかけてくるなんて、前はしなかったじゃん」
「我々は『親』だ。そうあれと望んだのはお前だろう。ならば様子がおかしければ声をかけ、可能であればこの身の犠牲も厭わない」
「……今の状況、関与しないって言ったくせに」
「そういう約束だったろう。だがこれは、『親』としてやるべき事だ」
『親』はそう言って、私の背中を擦る。冷たいけれど、硬くは無い掌だ。
親であれば娘の異常を心配する――その常識に則って行動したという事らしい。
その無機質な答えにまた舌打ちが出そうになったが、あまり連発するのも行儀が悪い。
弾きかけた舌先をゆっくり戻し、代わりに大きな溜息を吐いた。
「……いいから、別に。吐きそうって訳でも無い……つーか、もう収まったし」
「動けるのか?」
「ん」
街路樹から離れ、軽くジャンプを繰り返す。
今の会話(或いは怒り)で気が紛れたのか、気付けば眩暈は消えていた。
若干視界に違和感は残っている気がするが……先程よりはだいぶマシに思えた。
「とにかく、もういいでしょ。元気になったんだから離れてよ」
しっしっ、と野良犬を追い払うように手を振れば、『親』は特に文句も言わず距離を取る。
私はそんな様子にまた苛立ちつつ、彼女から目を背けて歩き出す。
どうせ家に帰れば居るのだから、外では出来る限り離れていたかった。
「まっすぐ帰りなさい。分かっているとは思うが」
「ふんっ」
鼻を鳴らして返事とし、のっしのっしと大股で行く。
よく分からないけど、私の身に何かしらのオカルト的なのが発生している事くらい察している。こいつに言われずとも、寄り道なんてするもんか。
私はそれきり振り返らずに――と、思ったが。最後に一度、振り返り。
「ねぇ。私の顔、どう見えてる?」
聞いた。
『親』はその問いかけに、一拍ほどの間を置いて、
「――いつもと大して変わらない、気持ちの悪い顔をしているよ」
こいつほんとに私の肉親か?
「…………」
帰宅し、鏡に映る私の姿をじっと見る。
まず目立つのは、蜘蛛糸のようにキラキラ光るまっさらな髪、次に同じくくすみ一つ無い白い肌。
そんで上から順に小ぶりな鼻、ぷっくりとした唇、鋭い赤目、その他いっぱいチャーミング。
うむ、やっぱりパーツの一個一個が超絶ウルトラ美少女だ。
これを気持ち悪いって、やっぱイカレてやがんな私の『親』は。
「あと、髭擦くんもだな……」
といっても、軽く話した感じだと突飛な顔と行動に反してそこそこにマトモっぽかった。『親』のようなイカレ扱いは可哀そうだろう。
たぶん、見た目よりは普通の男の子な筈で……じゃあ、どうしてあいつは私を美少女と認識できなかったのか。
「…………」
また鏡を睨み、ぺたぺたと顔を触る。
異常はない。違和感もない。変な所なんて、ない。
……ない、んだよね?
「……髭擦くん、やっぱ白目剥いてて見えなかっただけだったりしないかな」
そうだったら気は楽になるのに。
私はそんな非常に失礼な事を考えながら、何とも言えない気持ちの悪さを溜息と共に吐き出した。
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