第150話 姉と更科くんと救済ダンジョンへ行ってみる 前編
「きゃわっ」
「え?」
ゲートを潜った瞬間、足元に誰かとぶつかった感覚と声がして、慌てて視界を下にやる。
柔らかそうな芝生の上をコテンと転がっていたのは、小学生低学年くらいの年頃の男の子だった。
「え、大丈夫!? 俺がぶつかったんだよね。ごめん、痛くない?」
慌ててしゃがみ込んで手を差し伸べるが、その子は俺の手を取らずに、ただ手足をパタパタ動かしている。
「ごめんなさいー! おれがぶつかったの! うまく歩けなくて」
「申し訳ありません! うちの子は生まれつき、殆ど体を動かせない子でして……っ」
すぐ傍にいた母親らしき女性が、慌てて頭を下げてくる。彼女は空の車椅子を押していた。その車椅子に乗っていたこの子が急に車椅子から飛び出して、俺にぶつかったという経緯だったらしい。
「このダンジョンの中でなら自由に動けるという触れ込みを聞いて、試しに来てみたんです。実際に、外よりも体を動かす事ができるようで、ゲートを潜ってすぐに、止める間もなく車椅子から飛び出してしまって、私もびっくりしました。ですが、まだどう体を動かしたらいいか、本人もわからないようです」
頭を下げながら、母親が慌てて事情を説明する。ゲートを潜った直後、外では動けない子供が自力で車椅子から立ち上がれば、驚いて対応も遅れそうだ。そうなるかもしれないと予想していたとしても、長年染みついた感覚が認識を阻害する。
「そうだったんですか」
この子の場合は、生まれつき不自由な状態でここまで育ってきたせいで、体が動けるようになっても、その動かし方がまだよくわからないようだ。
後天的に障害を負った人は動けた頃の感覚を思い出すのが早そうだけど、生まれつきの障害となれば、どうすれば歩けるのかの感覚そのものがわからなくても仕方ない。
(それで救済ダンジョンの中でも、うまく体を動かせない子がいるのか)
……俺が今いるここは、去年の5月の終わり頃に新しく出現した「救済ダンジョン」の内部だ。
日本では、山梨県の大月市に出現し、特殊ダンジョンに分類されている。世界には他にも通常ダンジョン仕様のものや、初級から最上級までの様々な強さに対応した救済ダンジョンが同時期に出現した。
このダンジョンの中においては、事故や病気で体が不自由になった障害者の人でも、自由に動けるという触れ込みだ。だからそのダンジョンの中にいる今は、誰だって体の不自由を感じず、自由に動く事ができる、はずなのだ。
ただ、本来ならばそのはずなのだが、うまく適応しきれていない人もいるらしい。
ダンジョンシステムもその辺りを徐々にアップデートして、更に使いやすくしていってくれればいいんだけど、すぐには難しいのだろうか。
俺は今日、初めて救済ダンジョンへやってきたところだ。
ここに来るにあたってネットで調べたところ、このダンジョンの1層はどこでもモンスターが出現しない事。モンスターだけでなく、普通の動物でも、熊やライオンのような人に危険のある獣も存在しない仕様である事がわかった。
また、唯一の街である「街1」がまだ建設中で、建物の工事があちこちで行われているとも記載されていた。
ここ、中央公園は広々としており、アスレチックジムと子供用の遊具が多数設置してあり、屋台も沢山でているらしい。
(1層は完全に、体を動かすのに慣れる為の場所として、安全に配慮されてるんだな)
救済ダンジョンは最初からそいいった目的の為に作られた場所だ。だから俺も、外では体が不自由な人が来てるのは想定していた。
だけど、ダンジョンの中でさえ歩けない人がいるとは、予想できていなかった。すぐ後から姉が来るからとはいえ、ゲート移動直後に歩き出すんじゃなくて、もっと慎重に周囲を見てから、ゆっくり移動すれば良かった。
「俺も不注意でした。大丈夫? 痛くない?」
「へいきー!」
俺が屈みこんだ姿勢のままで声を掛けると、その子は笑顔で返事してくれた。
この子は元気いっぱいに手足をパタパタと動かしているから、救済ダンジョンにいる事で、一時的に体を動かせるようになっているんだろう。それが嬉しくて、つい車椅子から飛び出してしまうのもわかる気がする。
「あら、何転がってるの?」
俺の後からゲートを潜ってきた姉が、転がっている男の子と、その近くで屈みこんでいる俺を見て、怪訝そうに眉を顰めて問うてきた。
「姉さん、その言い方はどうかと思う……」
「なによ、ちょっと間違えちゃっただけじゃない」
俺が苦言を入れると、姉はちょっと膨れて、ぷいっとそっぽを向いた。昔に比べれば対応が柔らかくなったとはいえ、素直になれないところは相変わらずらしい。
「あのね、おれね、ここでなら動けるの! でも、うまく歩けないの!」
男の子が元気いっぱいに自己申告してくれる。人見知りしない性格の子みたいだな。
「そうなの。なら鴇矢が人形達にでも支えさせればいいじゃない。歩く補助があれば、転びにくいでしょ」
姉は名案を思い付いたとばかりに、自信満々に提案してくる。
「そ、そうだね。あの、人形をここで出しても大丈夫ですか? 怖がったりしないといいけど」
俺は母親に質問した。いきなりインベントリから大きな人形を出したりしたら、驚かせてしまうかもしれない。
「え? あの、そんな、人様にご迷惑をお掛けする訳には」
母親が見るからにオロオロしている。なんとか自力で子供を抱え上げて車椅子に戻したいようだけど、普段と違って活発に手足を動かして興奮状態になっているからか、かなり手間取っている。このままゲートのすぐ入口の場所で話し込むよりは、少し場所を移動した方が良さそうだ。
「ここで人と待ち合わせの予定だったんですが、待ち合わせの相手から遅れるって連絡があって。その、よければ待ち時間の間、遊び相手になってくれないかな?」
俺がおずおずと申し出ると、母親よりも先に男の子が元気に両手を上げて歓迎してくれた。
「遊ぶの? いいよー!」
「この子達も一緒で平気?」
「おおー、おっきいにんぎょう!」
俺が様子を見ながらインベントリから人形達を取り出すと、男の子は更に興奮して顔を赤くさせて、手足を激しく動かした。
良かった。少なくとも人形を怖がってる感じはしないな。顔がないのとか体が大きいのとかで怖がられるのを危惧していたから、受け入れてもらえて安堵する。
「とりあえず、いつまでもゲートの出入り口間近で話し込んでいるのも危ないですから、あそこの木陰まで、人形達にこの子をおんぶで移動してもらっても構いませんか?」
いきなり抱き上げたりしたら、下手したら誘拐犯になりかねない。俺は先に母親に許可を求めた。
「その、それじゃお願いします。すみません」
母親の方はすっかり恐縮し通しだ。まあ、初対面の人にいきなり時間を使わせてしまうなんて、って俺も逆の立場なら恐縮していたかもしれない。でも今は本当に待ち時間で時間が空いているので、気にしないで欲しい。
「はい、それじゃ、人形達におんぶして遊んでもらおうか」
「おんぶー?」
俺は青藍に指示を出して、男の子を慎重におんぶしてもらう。うまく掴まれないのか、男の子はしばらく青藍の背でぐらぐらしていたが、左右に紅と紫苑が付き添って、背後で山吹が男の子の背中に手を添えている万全の態勢なので、ずり落ちたりはしなかった。
「きゃわー! 高いー!」
全長が2メートルもある青藍の背中におんぶされて、男の子は興奮して嬉しそうな悲鳴を上げた。
……子供って、嬉しくても悲鳴上げる時あるよな。
できるだけ振動を与えないように慎重に移動して、近くの木陰の上に腰を下ろす。ここも下は柔らかい芝生だった。
「じゃ、あたしは飲み物買ってくるわ! 何がいい?」
姉がゲートのある公園内にある飲み物の屋台を指さして、リクエストを聞いてくる。あそこの飲み物屋以外にも、ここの公園内にはいくつもの屋台が出ていた。お祭りみたいな賑やかな雰囲気が漂っている。
「じゃあ俺はオレンジジュースで」
「おれ、りんごー!」
俺と男の子は遠慮なくリクエストする。
「あの、私も一緒に……」
一方、母親は遠慮して、買い物に同行しようか迷っている。
「一人で平気ですよ。初対面の学生に子供を預けておくのも不安でしょうし、子供についててあげてください。お母さんもリンゴジュースでいいですか?」
姉はにっこり笑って、母親の申し出を退けた。確かに、母親が子供を知り合ったばかりの相手に任せて、買い物に移動するのは良くないよな。かといって子供を連れて行くのも、やっと腰を落ち着けたばかりなのでちょっと憚られる。
彼女も気持ちは同じだったのか、姉にそう言われて素直に座り直した。
「すみません。それでは私も息子と同じものでお願いします。あと、せめてお代だけでも」
「気にしないでください、それじゃ行ってくるわ」
バッグから財布を取り出そうとした母親の動きを手で制して、姉は身軽に立ち上がった。
「うん、行ってらっしゃい。あ、黒檀にはついていって貰って。ジュース持ちにもなるし」
俺は黒檀に姉についていくように指示を出す。黒檀もそれに頷いて素早く立ち上がった。
「了解ー」
姉が黒檀を連れて、四人分のジュースを買いに行く。屋台まではすぐそこだし、モンスターが一切出てこない仕様なのだからここは安全だと思うけど、万が一ナンパされても困るだろうし、念の為に黒檀をジュース持ちという名の護衛につけておいたのだ。
「おにーちゃん達、ヒマなのー?」
座った状態になっても相変わらず両足をパタパタさせながら、男の子が問いかけてくる。自由に動けるのが嬉しくて、つい手足を動かしてしまうようだ。
「うん、今はね。そこのゲートで友達と待ち合わせの約束をしてたんだけど、出先でトラブルがあったらしくて、30分くらい遅れそうなんだって。帰ったっていう連絡が来てから、改めて待ち合わせ場所に向かえばいいかと思ってたら、姉さんが……さっきジュースを買いにいった姉さんが、救済ダンジョンに行くのは初めてだから、先に行って様子を見ておきたいって言いだして」
俺は男の子の質問に答えて、ここに来るまでの経緯を話す。
ちなみに、待ち合わせ相手は更科くんだ。そもそも今日は彼に付き合って、救済ダンジョンの様子を見に来る予定を立てていたのだ。
そして姉は当初はその予定に入っていなかったのだが、パーティメンバーが親戚の結婚式に出席するとかでダンジョンに潜れないので暇になったらしく、俺が友達の用事に付き合う予定だと知ると、一緒に行くと宣言してついてきたのだ。
(まあ、姉さんがついてきても問題ないって更科くんも言ってくれたし、別にいいけど……)
「ここ、はじめて? おれもはじめてきたんだよ!」
にっこにこの笑顔でお話してくれる男の子の笑顔が眩しい。こんな無邪気な良い子が、この救済ダンジョン以外では満足に動けないという厳しい現実に、ちょっと切なくなる程だ。
「うん、俺もここに来るのは初めてだよ。他のダンジョンには行ってるけど」
「ほか?」
「そう、初心者ダンジョンとか、魔物素材ダンジョンとか」
これまで行ったダンジョンの名前を上げると、男の子は盛大に声を上げた。
「ええー! そっちはモンスターがでるんでしょ? こわくないの?」
目をまん丸に見開いて驚かれた。
(ここだって、1層はモンスターが出ない仕様になってるけど、2層以降はモンスターが出るらしいけどね……)
そう思ったけど、いたずらに怖がらせてもいけないので、思っても口には出さない。
「うーん、どうかな? 少なくとも1層は、こんなちっちゃなスライムが出るだけだから、そんなに怖くないと思うけど」
俺が両手を使って最弱スライムの大きさを表してみせると、男の子は呆然と、「……ちっちゃい」と呟いて、俺の手を見つめた。モンスターが思ったよりもずっと小さいのに意表を突かれたようだ。
「それに、このスライムはすごく弱いから、ちょっと木の棒で叩くだけで、べちゃっと潰れて死んじゃうんだ。だから子供でも倒せるって言われてるんだよ」
幼児でも倒せるという触れ込みでおなじみの最弱スライムは、初心者の経験値稼ぎにもってこいの存在だ。あのスライムのおかげで、極度の運動音痴だった俺でも初期の頃に、ダンジョンで無事にレベル上げが出来たのだ。
「じゃあ、おれでもたおせるー?」
パッと顔を輝かせて無邪気に質問されて、ちょっと面食らった。さっきまで怖がっていたのに、いきなりモンスターを倒せるかどうか気になるところまで興味を持つとは思わなかったのだ。
「うーん、どうかな? 流石に、体を動かすのにもうちょっと慣れてからじゃないと、難しいかな? 慣れてからなら……お母さんは一緒にダンジョンに行ったりはしないんですか?」
あるいは母親が一緒なら、体を動かすのに慣れてからなら行けるのではないかと思ってそちらに訊ねてみると、母親は怯えた表情になって、勢いよく首を振った。
「そんな、モンスターと戦うなんて、私にはとても、恐ろしくて」
「そうなんですか……」
その様子に、ちょっとだけモヤっとする。
ダンジョンの攻略をしないなら、どうやってこの子の体を治すつもりなんだろうか。……そんな余計な考えが頭を過ったのだ。
そもそもお金に困ってなければ、体の障害だってポーションで治せるはず。それが未だに治ってないって事は、ポーションを買うお金がないんだろう。それならダンジョンを攻略してお金を貯めた方がいいんでは……。
そこまで思ってから、俺は頭を振ってその思考を振り払った。
そんなふうに簡単に思ってしまうのは、俺がダンジョンもモンスターも怖がっていないからこそなのだろう。それは傲慢な考えだ。人には人のやり方があるのだし。
(俺だって4層でニワトリに怪我させられた時は、かなり長い事3層に留まったりしたんだし。怖いって感情ばかりは、どうしようもないよな)
「お待たせ」
姉が黒檀と一緒に、屋台でジュースを買って戻ってきた。
「ありがとう、姉さん」
「はい、リンゴジュースね」
「ありがとー!」
姉が真っ先に、男の子にジュースを渡す。男の子は満面の笑顔で受け取った。
「お母さんもどうぞ」
「ありがとうございます」
次いで、母親に同じ物を渡した。俺は黒檀からオレンジジュースを受け取る。四人でジュースを飲んで一息つく。
ポカポカと暖かな日差しが零れ落ちる木陰に綺麗な青空、柔らかな芝生。遠くで楽し気に遊具で遊んでいる人の姿も見えて、なんだかのんびりしたくなるような雰囲気だ。
公園の外の街並みはまだ工事中で、建設中の場所が多いってネットで見かけたけど、流石に正面に見える街役場や、その他の中心的な建物の建設はもう終わっているようだ。
(リハビリに来る人向けだからなのか、日差しもちょうどいい温かさで柔らかい感じがするし、全体的に落ち着いて、のんびりした雰囲気の公園だな)
中央公園を見回して、その穏やかな風景にそんな事を思う。
救済ダンジョンに来る人は大抵が、どこかに障害を抱えている人なのだと思う。だからだろう。そういった人達がすこしでも安らげるように、バリアフリーに気を遣った地形や建物が多いようだと、景色を眺めていて気が付いた。
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