サイノメデリバリー

鯵坂もっちょ

第1話

 スペース京都の配達員は大変だ。

 宇宙進出時代になって京都は縦に伸びた。つまり、碁盤の目が立方体になって空に浮かび、街はになった。反重力工学の賜である──。

 ということらしいが、俺にとっての「京都」とは地球から遠く離れたこのスペース京都のことであり、もともとの地球京都は見たことがないのだからどうもピンとこない。生まれてこの方この「賽の目」状の都市で暮らしてきたから、碁盤の目よりもそっちが普通だと思っている。

 俺には地球京都の血も流れているらしいが、歴史の授業で習ったその性質が自分にも受け継がれている気も特にしなかった。

 街区の隙間を埋める「通り」は線でなく面になった。立方体や直方体型の街区を分断する通りの、面上をに自由に動いて荷物を届ける。小さなアリにでもなった気分だったが俺はこの仕事が嫌いではなかった。アリも好きだし。

「なんかかったり〜っすねえ、真ん中突っ切っていければ効率的なのに」

「おまえこれから配達員としてやってこうっていうのに何てこと言うんだよ」

「えーでもそうじゃないすか〜目的地点が端から端だったら何回も曲がらなきゃいけないし、どこで曲がっても等距離なんてかったりいっすよ」

「ウブカタ、おまえ出はどこだっけ?」

「群馬っす(注:スペース群馬のこと)」

「じゃあ賽の目都市は新鮮かもな。まあそのうち慣れるさ。スペースマンハッタンでもやり方は変わらないって話だ」

「じゃあ致し方ないっすねえ」

 昨日から入った新人のウブカタはかなり頭はアレなようだったが、悪い奴ではないと思われた。

「続きやっていくぞ。ここが西274北178上399だから、つぎはそこの角を右に曲がったところのタナカ精肉店からだな」

 ヒュィィィン、とホバイクルの起動音が二台分鳴り響く。やはり反重力工学の賜物だがこの名前だけはどうにかしてほしい。ウブカタだったら「くそだせ〜名前っすね!」と言ってしまえるのだろうか。俺はウブカタを少し羨ましく思う。

 

「で、そこの並びがテライシ、ソデオカ、アヤベ、で19区は終わりな。テライシさんは独居老人、足が悪いからインターホン鳴らしたあとなかなか出ないけど大体いるから。ソデオカさんは基本日中いないから再配達多い。アヤベは犬が外飼いだから気をつけて」

「うわ! スペースレトリーバーじゃん! かわい〜」

「あとさっきも言ったけどマツバラ工業の集荷だけは忘れんなよ、15時までな」

「アイッス」

「不安だなぁ本当にわかってんのか?」

大丈夫ダァ〜大丈夫ダァ〜す、まかせてください」

 なるほど大事な仕事は任せられなそうだ、と俺は思った。


 ◆


 新人はまず配達区域の順路を覚えなくては何も始まらない。だから最初の何回かの配達は俺のような中堅が付いて回らなくてはならない。

「ま、こんなもんでいいだろ。順路は覚えたか?」

「完璧っすね」

「絶対ダメじゃねえか」

「大丈夫すって、何回かやればなんとかなるでしょ」

 それはその通りだが、ウブカタの口からその言葉が出ると不安しかない。

「じゃミセ(注:集配センターのこと)帰るか」

 ホバイクルの電源を入れようとした瞬間、別のもう一台の推進音が近づいてきた。

「おーい! ナカボウ! 新人ちゃん!」

同じ集配センターの同僚だった。

「お前ら今19区やってるよな? これさあ、そっちの荷物? 文字読めなくて」

 俺はまたか……とうんざりしていた。自分で言うのも何だが、他の配達員より多少賢い……と思う。だから「これ住所読めないんだけど」「これどういう意味?」など余計な仕事が無駄に舞い込む舞い込む。今日もこの仕事のおかげで退社時間が数分遅れるではないか。

「あ〜……これは漢字だな。『椹木サワラギ』だよ。サワラギ」

 同僚はニヤニヤした顔を隠さなかった。

「あ〜やっぱりか! サワラギってそっちにあるよな? 158区こっちの親戚がそこ住んでんだって。だからそっちに届けてくれって。ちっと悪いんだけどこれ頼めないかな?」

 まただ。俺はうんざりした気分が顔に出ないように務める。しかし、いつもほど億劫ではなかった。それどころか、いい新人研修だと思った。

 すなわち、ウブカタに任せればいいのだ。

「ウブカタ、もう順路覚えたって言ったよな? 完璧だって?」

「え〜〜〜! 一人でっすか! うわマジだりぃ〜〜〜」

「お前は脳と口が直結してんのか? いいからこれホラ、サワラギさんとこだよ。端っこの」

「え! サワラギって西0北0上0じゃないすか! こっから真逆! まじかよ〜」

「いいじゃないか、新人研修の最終テストだよ、これ一人で持っていって。俺は先に店帰ってるから」

「まじかよ〜も〜」

 そうは言いつつも承諾してくれるのはこいつのいいところなのかもな、と思った。

「いいことを教えといてやる。俺たちが今いるここが配達区域の最終地点、西400北400上400だ。ここから西0北0上0まで行かなければならない。サイコロの端から端だな。これを最短で通るにはどこを通ればいい?」

「え? そりゃ〜街区沿いに行けば400+400+400で1200じゃないすか」

「違うんだ。もっと短い経路がある。まずナナメにまっすぐ西400北0上200まで行くんだ。そしてそこから西0北0上0まで行く。そうするとだいたい800くらいまで(注:400×√5)短縮することができる。サイコロの対角線をヒモで結んで引っ張ったときの距離になるんだな」

「細かいことはよくわかんないっすけど、とりあえず400,0,200まで真っすぐ行ったらいいんすね。いいこと聞いたっす。助かるっす」

 横で聞いていた同僚が口を挟む。

「俺も知らなかったわそれ。今度からやろ。じゃ新人ちゃんよろしくね!」

「俺らは先帰ってウブカタに一人で行かせたって部長に言っとくから」

「へ〜い」

 俺と同僚は街区に対してナナメに走り出していく新人を見送った。


 ◆


「ただいまっす! 届けてきたっす!」

 ウブカタの早すぎる帰着に、俺は少なからず驚いていた。

「まてウブカタ、ずいぶん早かったな? 俺の想定より5%も早いんだが」

「ナカボウさんずいぶん細かいんすねえ、なんか偶然早かったんすよ」

 そんな弁明で納得するわけがない。ホバイクルは決まった速度しか出ない上に、交通工学の進歩により渋滞は俺が子どもの頃には完全に解消していた。

「たった5%じゃないすか、そんなん誤差っすよ誤差」

 俺の頭の中で、いくつかの情報がはっきりとした像になろうとしていた。

 

 ◆


「なるほどな、そういうことだったのか」

 ウブカタは、目線をそらしていた。

 つまりはそう。このスペース京都には更に短い最短経路が存在する……。

 よくよく考えてみれば確かにそうだ。真ん中を突っ切るわけじゃない。まず西200北400上200まで斜めに降りる。その後、西はそのままに、北200上0まで斜めに降りてくる。その後0,0,0まで行けば、往復で考えても5%(注:400×3√1/2)の短縮になる。

 よく考えついたな、と思った。つまりウブカタは「俺と同じ」だったのだ。いや、俺よりうまくやっている、というべきか。

 職場で賢いことがバレると余計な仕事がいくらでも舞い込む。だから「バカのフリ」をしていた……。純然たる「バカ」から「効率的」「等距離」「致し方ない」などの言葉が出てこようものか。

 さて、角を立てぬようにどう指摘したものか、と思ったが、血が騒いでいた。こう言うしかない気がしていた。

「ホンマ、運転が上手でいらはるんやねえ」

 

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