第3話:ほうれん草の和風ジェノベーゼもどき
2023年3月5日
「おはようございまーす……」
日曜日がまたやってくる。そして今日もいつものように彼女が来た。ただ、いつもよりも少し声が静かだ。
「おはよう。どうした、元気ないな」
「私、最近ちょっと貧血気味なんですよねぇ。夜更かしとかしてたからかなぁ」
そういえば、新学期までに仕上げる課題があるという話で忙しそうだった。
「それなら、今日はぴったりのやつがあるぞ、ほうれん草は好きか?」
「うーん、あんまり気にしたことは無いですけど、まあ嫌いではないですね」
「それなら大丈夫かな。今日は鉄分たっぷりのほうれん草のパスタでどうだ?」
先週と先々週はありあわせだったが、今日はちょっと準備をしてある。
昨日のうちに仕込んだほうれん草を冷蔵庫から取り出した。
「あ、これをパスタにするんですね!」
「そう。少なく見えるかも知れないけど、これでも4束分もあるぞ」
いつものように、お湯を沸かしながら説明をする。
「これは元々、一種のリサイクル料理でな。ほうれん草のおひたしを使うんだ」
「へえ。結構くたくたに煮てありますね」
「ああ。5分くらいかな、かなり長めに茹でたと思うぞ」
ほうれん草はシャキシャキした食感が好きという人もいるが、俺というか我が家はくたくた派である。ほうれん草にはシュウ酸という毒が含まれるため、アクは念入りに抜くべきだ。そうやって母から仕込まれているので、普通のレシピよりもだいぶ長めに茹でる癖がついてしまった。
「これは昨夜のうちに作って、鰹節と醤油をかけて冷蔵庫で寝かせておいたんだ。茹でたてのやつを使うより美味しくできるぞ」
「ちょっと一口もらいますね。……うん、とろとろですね。こういうのもありかも」
彼女は俺の許可も待たず、手づかみで柔らかい葉っぱの部分をつまみ食いした。この図々しさは嫌いではない。それに、いつもの調子が戻ってきた感じがして嬉しい。
*
「さてと、お湯が沸いたからパスタを入れて、と」
だいたい230グラムを目分量で測る。彼女と食べるときはこのくらいがちょうどいいとわかってきた。
「あ、これって早ゆでのやつですね」
「ああ、安かったから買っておいた」
切れ込みが入った早ゆでスパゲッティは素晴らしい発明だ。割高なのであまり使うことはないが、ガス代を考えると結局お得かもしれない。
「すぐ茹だるからこっちも準備しないとな」
俺はもう一つのコンロでフライパンを火にかけ、オリーブオイルを注ぐ。
「ごま油で作っても美味しいんだけど、今はこれしかないからな」
そしてほうれん草を入れ、ほぐしながら炒めていく。既にとろとろになったほうれん草は、炒められながら次第に細かくなっていく。
「そろそろ茹で上がるころかな」
俺は気持ち早めでパスタをザルにあける。そして湯切りもそこそこにフライパンに投入し、ほうれん草とよく混ぜ込んでいく。
「あ、なんかジェノベーゼみたいですね」
細かくなったほうれん草がスパゲッティに絡み、全体が緑色になる。言われてみればその通りだ。
「確かにそうかもな、バジルとは全然風味が違うけどな」
俺はそこに味の素を数回振りかけ、鍋肌から醤油を垂らす。
「鍋肌で醤油を焦がすんですね、チャーハンでよくやるやつ!」
「そうそう。これをやると香ばしくなるんだ。おひたしの時点で醤油はかけてあるけど、それだけじゃ足りないからな」
そう、今回もパスタを茹でるときに塩は入れていないのである。
「よし、もういいだろう。完成だ!」
俺はいつもどおり、2つの皿に均等に取り分けた。そして調味料を並べる。
「ジェノベーゼっぽくするなら粉チーズは必須だな。あとはいつものタバスコと、追い鰹もあるぞ」
鰹節はおひたしを作った時点でも振りかけたが、ちょうど1パックの半分ほど残している。
「他にはレモン汁もおすすめだな。まあ例によって食いながら好きなように味変してくれ」
「ありがとうございます!それじゃ、いただきまーす!」
*
「こうやって食べてみるとわかるんですけど、ほうれん草って甘いんですね」
食べながら彼女がつぶやく。
「だな。アクを徹底的に抜いているってのもあるだろうが、冬から春にかけてはほうれん草の旬だし、タバスコの辛味やレモンの酸味が甘味を引き立てているというのもあると思う」
「チーズと鰹節も合いますねえ」
「乾き物のおつまみなんかでは定番の組み合わせだからな。合わないはずがない」
イタリアと日本の旨味の共演である。
「あと先輩は味の素使ってましたけど、私なら和風だしの素を使うかなって」
「それでもいいだろうな。俺の場合は出汁系は味の素に集約しているからなぁ」
一人暮らしだと調味料の種類を揃えづらいので、なるべく汎用性の高いもので「圧縮」するようにしている。味の素は特定の風味を再現していないだけあって、あらゆる料理に合わせることができる。その反面、物足りなくなる場合もあるので、今回のように鰹節と合わせるなどの工夫が必要だ。
なお、俺は普段味噌汁を作るときは、お椀に入れた小さじ山盛り1杯の味噌と鰹節半パック(及び味の素と、乾燥わかめや刻みネギなど)にお湯を注ぎ込むという、沖縄の「かちゅーゆー(鰹湯)」スタイルである。
「他にもアレンジの幅はあるぞ。例えばにんにくや唐辛子を入れてもいいな」
「松の実やピーナッツとかのナッツ類はどうですかね?」
「お、いいな。本物のジェノベーゼに近づけるってわけか」
料理談義が続く。シンプルな料理は工夫のし甲斐があるから好きだ。
*
「このレシピ、先輩のオリジナルなんですか?」
「ああ、こうやってパスタに和えるのはオリジナルだが、おひたしを炒めるという発想は母親譲りだな」
俺は小さい頃、ほうれん草が苦手だった。そんな俺になんとか食べさせようと、おひたしをごま油で香ばしく炒めてくれたのが始まりだ。茹でてから炒めたほうれん草を食べるうちに、普通のおひたしも好きになってきた。
「今回はパスタにしたけど、卵と一緒に炒めたりするのも美味いんだよな」
「あ、わかります。うちだとベーコンも入れたりしますね」
「ベーコンかぁ。それも悪くないだろうけど、鰹節との相性を考えるとちょっと微妙かもな」
「なるほど。うちだとおひたしに鰹節は使わないんですよね」
ほうれん草のおひたしというシンプルな料理でも、いやシンプルだからこそ、家庭によって差があるものなのだなぁと改めて気づく。そういえば夫婦のすれ違いもそういうところから生まれるという話を思い出し、俺はこの後輩との将来に思いを馳せた。まだ付き合ってすらいないのに、おかしな話だけれど。
***
今回のレシピ詳細
https://kakuyomu.jp/works/16817330655574974244/episodes/16817330655575084334
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます