日曜の昼は後輩女子にパスタを作る
矢木羽研(やきうけん)
第1話:あなた好みのペペロンチーノ
2023年2月19日
日曜日、時計は午前11時を回った。
俺は寝床から出てきて顔を洗ったばかり。朝飯も食べずに、寝巻き代わりのスウェットで怠惰に過ごす。
そろそろあいつが来る頃かな、なんて思いながら……。
ピンポーン♪とチャイムが鳴る。
「おはようございまーす!」
インターホンに出る前から声が聞こえる。まったく、近所迷惑だと言っているのに。
「おー、よく来たな。まあ上がれよ」
俺もドアホンは無視して直接ドアを開ける。
「おはようございます!今日も起きたばかりですか?先輩!」
嬉しそうに靴を脱いで玄関に上がる、この身長160センチ弱、ちょっとぽっちゃり体型の女性は、俺の大学の後輩である。
講義で知り合い、一緒に勉強などをしているうちに、お互いの下宿先が近いことが発覚。
最近は毎週日曜の昼前になるといつもやってくる。目当ては俺の漫画と、ゲームと、そして料理だ。
「今日は何を作ってくれるんですか?」
彼女は期待した目でキッチンに目をやる。
「あー、今日は全然材料も無いからなぁ。ペペロンチーノくらいしか作れないぞ」
「ペペロンチーノ!大好きです!」
そう言って、彼女は目を輝かせた。
「にんにく使うけど大丈夫だよな?」
「はい、今日は他の人と会ったりする予定もないので」
当たり前だが、彼女には普通に友達がいるので午後から遊びに行くということも多い。
俺の相手ばかりをしているわけではないのである。
*
さっそく支度にかかる。まずは鍋に水を張って火にかけることからだ。
「ペペロンチーノってどういう意味か知ってるか?」
お湯が沸くまで時間がかかるので、部屋に転がって漫画を読んでいる後輩に話しかけた。
「んー、にんにく、かな?」
「惜しいな。正解は唐辛子だが、まずペペロンチーノ自体の正式名称はアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノと言う」
「ずいぶん長いんですね。覚えられないかも」
「順番に説明するとな。アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ、これは日本語にすると、にんにく・油・唐辛子という意味なんだ」
「なんかラーメン屋さんのトッピングみたいですね」
「まあな。俺も同じことを思った。とにかく、にんにくも意味に含まれてるから、さっきの答えはある意味で正解でもある」
「ふむふむ」
「油ってのは、ここでは当然オリーブオイルのことだな。にんにくと唐辛子とオリーブオイル。これはイタリア人なら必ず家に常備してあるものなんだ。多分な」
「へぇー」
彼女は感心して相槌を打つ。
「あとはパスタと塩さえあれば作れる。イタリアでは貧者のパスタと呼ばれ、わざわざ店で食うようなことはほとんど無いそうだ」
「日本人だと普通に頼んじゃいそうですよね。むしろ料理人の実力を測るためとかで」
「漫画とかだとありそうだな。中華料理屋で卵だけのチャーハンを頼んだりとか」
「そう、それそれ!」
彼女は、自分がわかるネタなので嬉しそうに反応する。確か先週あたりその漫画を読んでいたかな。
*
「さてと、そろそろ沸いたかな」
俺はキッチンに戻る。鍋は沸騰の少し前といったところだ。
「パスタは100グラムくらいでいいかな?」
「あ、はい。それでお願いします」
俺は自分の分と合わせて、目分量で230グラムくらいのスパゲッティを袋から取り出し、2つに折って鍋に入れた。
「あ、折っちゃうんですね」
「鍋が小さいからな。イタリア人はこれをやると怒るらしいが、まあ俺たちは日本人だから別にいいだろ」
「まあ私は全然いいんですけど、食感が変わるって言う人もいますよね」
うーむ、俺は気にしていなかったが、せっかくなのでもう少し大きい鍋を用意したほうがいいだろうか?
お湯が湧いたのでパスタを放り込み、ソースの準備をする。
フライパンにオリーブオイルを大さじ2杯弱入れて、弱火にかける。
その間に唐辛子とにんにくを用意する。
「辛いのは大丈夫なほうだっけ?」
「うーん、辛口と激辛の中間くらいがベストって感じですね」
「そうか、唐辛子は2本くらいでいいかな。足りなければタバスコもあるから」
唐辛子というのは、品種や個体によって辛さがかなり変わる。土壌の影響も大きいらしい。
実家から送られてきた自家製の乾燥唐辛子は辛さにかなりムラがあるので、様子を見ながら少しずつ使っている。
唐辛子2本とにんにく2かけをみじん切りにし、熱したオリーブオイルに入れて、弱火でじっくり加熱する。
「そういえば先輩、炒めたところに水とパスタを入れて、1つの鍋で作るやり方もありますよね?」
「だな。俺も普段一人で作るときはそうしている。でも二人分の場合は加減が難しいからな」
ワンパン調理は水加減が難しい。2人分だからといって、1人分の倍の水を入れればいいというわけではない。
なぜなら、パスタが吸水する量は2倍になっても、蒸発する水分は2倍になるわけではないのである。
下手に失敗して格好悪いところを見せるのは嫌だったので、今回はパスタを個別に茹でることにした。
*
「ところで、アルデンテって好きか?」
「うーん、どっちかと言えばしっかり茹でたほうが好きですね」
「よかった、俺もだ。時間通りに茹でるからな」
ペペロンチーノがそうであるように、茹でた後にもう一度加熱するプロセスがあるロングパスタは、表示時間より1分短く茹でてアルデンテの食感を残すというのが王道らしいが、俺は嫌いである。芯の残ったパスタのどこがいいのだろうか。
「私思うんですけど、アルデンテって回転率を上げたい店の都合で広めたんじゃないですか?」
「ははは、かも知れないな!」
本場のイタリア人が聞いたら怒りそうなことで笑い合う俺たち。
*
「そろそろ茹で上がるな。国産だから時間通り。海外産だとさらに1~2分ほど茹でたほうがよかったりするぞ」
「やっぱり国民性ってあるんですかねぇ?日本人は柔らかめが好き?」
「そうかもな。イタリアなんかだとパスタは前菜だけど、日本人は主食としてがっつり食べるってのも関係してるかも知れない」
正確には、前菜とメインディッシュの間に食べるんだったか?いずれにしてもパスタのみで食事を済ませることはあまりないとは聞いている。
「さて、湯切りする前にお玉半分ほどの茹で汁をキープな」
「あ、私知ってます。油に混ぜて乳化させるってやつでしょ?」
「ま、そんなに難しく考えなくても、ほぐれて絡みやすくなるってだけで十分だと思うぞ」
ペペロンチーノは所詮貧者のパスタである。難しいことを考えずにありあわせの材料で適当に作るものだ。
再びソースに火を入れて、茹で上がったパスタを放り込み、よくかき混ぜながら茹で汁を加え、小さじ半分の塩をまんべんなくふりかけて、さらに和える。
「そういえば茹でるときに塩を入れてませんでしたよね?」
「ああ、俺は後から味付けするほうが好きだな。ロスもないし調整もしやすい」
小さじ半分で3グラム弱。2人分で200グラム強のペペロンチーノとしては、かなり薄味だ。こいつは気づいてるかな?
「よし、できた」
あらかじめ用意していた皿に盛り付ける。
「このくらいでいいかな?」
「あ、もうちょっと下さい……はい、このくらいで」
最初は100グラムでいいと言っていた彼女だが、結局は230グラムほどのパスタを半分ずつ分ける形になってしまった。
「ちょっと薄味だからな。食べながら味変することをおすすめするぞ」
そう言いながら俺は、粉チーズとタバスコ、そして醤油と味の素を目の前に並べた。
自炊の強みは、敢えて未完成の状態で作ってアレンジの余地を残せることだと考えている。
既製品は味が完成されすぎていて、アレンジするとどうしてもクドくなってしまうのだ。
「へえ、醤油と味の素ですか。なんか意外な感じ。そういうのは邪道って言うほうかなって」
「にんにく唐辛子オリーブオイルがイタリア料理の基本だとしたら、日本料理の基本は醤油とうま味だからな」
彼女は俺を真似るようにして、醤油と味の素を皿の上のパスタにふりかける。
「あ、確かに一気に親しみのある味になりましたね。なんか懐かしい感じというか」
「だろ?これでイタリアの味から日本の、もっと言えばアジアの味になるんだ」
うま味調味料がアジアで爆発的に普及したのは、遺伝子がグルタミン酸の味を求めているからだと思う。
トマトにも豊富にグルタミン酸が含まれているように、ヨーロッパ人でも好むのは間違いないのだろうが、アジア人の比ではないだろう。
*
「ごちそうさまでした!」
彼女は、テーブルに並べた4種類の調味料をフル活用してペペロンチーノを完食した。
「最初はちょっと物足りない感じがしたんですけど、自分で好きな味にできるっていいですね」
「ペペロンチーノはシンプルな分だけ、食べてるうちに飽きやすいからな。食べながら自分好みに味付けするのが楽しいんだ」
「ふふ、先輩も私のことを自分好みに染めたいとか思うんですか?なんてね」
こいつは、たまに漫画のようなセリフを平気で口にする。
「バカなこと言ってないで、片付けるのくらい手伝ってくれよ」
「はーい♪」
こうして、今週も穏やかに休日が過ぎていく。
***
今回のレシピ詳細
https://kakuyomu.jp/works/16817330655574974244/episodes/16817330655575023228
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