未来に希望がありますように

りゅうやん

未来に希望がありますように

気が付くと、私は眩い光の中にいた。どうやら朝日のようだ。しかし、いつもの目覚めにあるような前触れは何もなく、昨日何をしていたのか、それすらも思い出せない。だが、思考は冴えており、全てがくっきりと見える。その明瞭な視界の中には男が立っており、こちらをにこやかに見つめている。男は言った。

「気が付かれましたか。突然ですみませんが、世界を救う手助けをしてくれませんか?」

これは私が、世界を救う手助けをする話である。


私は五嶋という。五嶋哲也。65歳になる。男は山岡と自己紹介した。裁判特別補助員という何やら仰々しい役職についているらしい。山岡が安楽死法に関して聞いてきたので、きちんと状況も把握出来ぬまま、私は知っている限りのことを回答した。


私が知っているのは、医療革命による寿命の大幅な延長で、世界中が老人だらけになり、老人によって毎日引き起こされる事件が、社会問題になっていることだ。身体の状態を適切に保つ技術がどれだけ発達しても、脳を交換することは出来ない。認知症に侵され、妻や子供たちが誰かもわからぬまま街を彷徨い、ささいなことで激高する老人たちが街中に溢れかえっている。人々はこの状況に耐え切れず、自分に何かを決める力が残っているうちに、自分の最期を決められるようにした。安楽死を合法化したのである。私は喜んで、将来の安楽死の書類にサインをした。子供や孫たちに迷惑をかけるなど、まっぴらであった。私の認知症の病状が閾値を超え、正常な判断力を失っていると医師が診断した時点で、私は安楽死される。そのはずであった。


山岡は言った。

「ご説明ありがとうございます。ところで話は変わりますが、今、ご自身の身体に何らかの違和感はありませんか」

そうなのだ。明らかにおかしい。全てがクリアに見えるのだが、自分の体を見ることが出来ない。一定の範囲で視点の移動が止まってしまうのだ。手足を動かそうとしてみても、動いているような、いないような、なんというか繋がりが希薄であった。試しに手を目の前に持ってこようとしてみた。そのように動いたような感覚はあったが、視界に手は現れなかった。

「落ち着いて聞いてくださいね。実は、今のあなたは65歳当時、安楽死申請書にサインをした直後の人格を、最先端の技術を用いて再構成して創られた人工人格なのです」

私は山岡のいう言葉を捉えかねた。私が人工人格?どういうことだ?

「実際にご覧いただくのが早いですね。これが今のあなたです」

山岡が何やら操作をすると、床から鏡が出てきた。大きなディスプレイに映し出された私が、鏡に写っている。見慣れた65歳の私の姿であった。ディスプレイ上部にはカメラがあり、私が視線を動かすと、カメラはその動きに同期して動いた。手足を動かすと、ディスプレイの中の私の手足も動いている。

「まさか、本当に、そんな・・いや、これは・・」

山岡は、私が自分の状態を確認する様子をにやにやしながら見つめていたが、急に困った顔をして口を開いた。

「イツシマさん、先ほどあなたに、私は世界を救う手助けをして欲しいとお願いしました。あなたの今の状態はそこに関係しています。実は現在のあなたは、120歳になっています。誰もが認める完全な認知症で、毎日問題行動を繰り返しては、家族に迷惑をかけ続けておられます。当然、安楽死申請書に記載の安楽死要件を満たしておられる訳ですが、120歳のあなた本人が執行を拒否しました。何度提案されても、ずっと拒否し続けておられます。そのため、我々は大変困っているのです」

私は衝撃を受けた。この私が、家族に迷惑をかけているだと。それが絶対に嫌だったからこそ、申請書にサインをしたというのに。

「あなたがショックを受けておられるのは、我々も承知しております。安楽死法施行直後に申請書にサインされ、しかもそれを公表されたこともあって、あなたはいくつかのメディアからの取材を受けられましたね。そのメディアに残る記録や、当時のあなたのSNSなどへの書き込みから、あなたは自分が判断力を失ったならば、速やかに人生に幕を閉じたいとお考えであることは知っております。素晴らしいお考えだ。私はあなたのインタビューをお読みして感激いたしましたよ」

山岡は大げさに両目を右手で覆い、上を向いて嘆息した。

「イツシマさん、あなたが申請書にサインなさってからの出来事を、説明いたします。結論から申し上げると、現在の世界は無茶苦茶です」

山岡はお手上げとでも言いたげに、両手を上に挙げて見せた。

「世界が老人だらけなのは、イツシマさんが覚えていらっしゃる頃と同じです。しかし、状況はさらに悪化しています。原因は、再生医療の劇的な進歩です。体をすっかり取り換えることが出来るようになったのですよ。その結果、アタマはボンヤリ、体はピンピンの老人達が我が物顔で街中をうろついています。見た目は20代の若者と変わらないのですから、全く質が悪い。ところで私は何歳ぐらいに見えます?」

「そうだなぁ、22,3というところでしょうか」

「そうでしょう、そうでしょう。でも私は65歳。今のあなたと同い年です。120歳のあなたも、見た目は20代前半の姿に戻っています。その若々しい体で、家族や世間に迷惑をかけ続けながら、放っておけばあと何十年も生きるでしょう。だからあなたが創られた。明確な意思を持って、安楽死申請書にサインをした頃のあなたが。あなたはこれから、裁判で120歳のあなた自身と戦うのです。そして、彼の安楽死執行拒否は無効であり、65歳当時の判断こそが、あなたという人間の本来の意思であることを証明するのです」

まだ全てを飲み込めてはいない。しかし、概要は理解した。どうやら、私が創られた存在というのは本当のようだ。また、本体である120歳になっている私は相当に厄介な状態らしい。私という人間の最期を汚されるのは、許しがたい。引導を渡すのは、他の誰でもない。私自身であるべきだ。

「わかりました。やりましょう」

山岡は笑顔で頷いた。

「ありがとうございます。では、これからご家族に会っていただき、あなたが紛れもなくあなたであることを、まずはご家族に証明していただきましょう。その前に確認事項があります。裁判が終わった後、あなたは消去されることになりますが、そのことに同意いただけますか?」

これは私自身の救済なのだ。年を取って頭が鈍り、120歳の私は間違った判断をしている。その魂を救済するためには、命など惜しいものか。

「構いません。同意します」

その回答を聞いた山岡は、嬉しそうな笑みを浮かべると、どこかに続いている扉を大仰な身振りで開いた。


扉の先は廊下だった。先ほど鏡で見たディスプレイの下部には車輪がついているようで、私はその車輪で前に進み、別の扉の前に到着した。

「この中で、あなたのご家族がお待ちですよ」

山岡は意味ありげな顔で私を見ると、そう言いながら扉を開いた。

扉の中は、椅子以外はほぼ何もない殺風景な部屋で、椅子には10名ほどの人々が座っていた。中央に座っている人物が目に入った途端、私は心底驚いた。

「瑤子!まさか、瑤子か!」

間違いない、妻の瑤子だ。私の二歳下だから63歳になっていたのに、学生時代に出会った頃の姿をしている。私の好みの丸顔のお嬢さん、初めてのデートはドイツ料理店だった。私と同じくビール好きだというので選んだが、可愛い顔で豪快にビールをぐびぐびと飲む様子を昨日のことのように覚えている。そのギャップに私は惹かれたのだ。ジョッキを呷る瑤子の写真は、ずっと私の仕事用デスクに飾ってあった。その瑤子があの頃の姿で、怪訝な顔で私を見つめていた。

「山岡さん、こんな機械を連れてきて、何をさせようというのですか?」

瑤子が山岡に話しかけたが、それを遮って私は思わず叫んだ。

「紀子、珠代、威一郎じゃないか!その後ろにいるのは彩ちゃんと桃ちゃん、それに敦に豪に、えっとその」

「有紀よ、おじいちゃん」

瑤子によく似た丸顔の娘が、ぶっきらぼうに答えた。

「そうだ、有紀だ。こんなに大きくなって・・」

子供と孫の姿を見て、私は胸がいっぱいになった。みんな、立派な大人になっている。そうだ、私はこの子たちを育て上げたのだ。

「お父さんは、有紀の名前をいつも忘れるのね。機械になっても覚えられないなんて、笑えるわ」

珠代が冷たいまなざしでそう言い放った。

「皆さん、イツシマさんは機械になった訳ではありません。あくまでも、65歳当時のお姿で甦っているとお考え下さい」

山岡が私の擁護をしてくれた。それに応える形で私は彼に質問をした。

「山岡さん、ところでこれから私は何をすれば良いのでしょうか?」

山岡は、にこやかに答えた。

「そうですね、まずはご家族と話をしてみてください。ご家族はあなたに言いたいことがたくさんあるようですが、本人にはすでに何を言っても届きませんので、現状把握も含めて聞いてみられてはどうでしょう」

「そうですね。わかりました。では、お前たち、何か言いたいことはあるか?120歳の私は、随分と迷惑をかけているそうじゃないか。愚痴がたくさんあるだろう?」

そう家族に問いかけると、初めはおずおずと、そのうちにだんだん激しく、皆は120歳の私に対する不平不満をまくしたて始めた。


「――それでね、お父さんはラーメンを食べようとして、券売機で食券をちゃんと買えなかったのよ。それにイライラした後ろの人が舌打ちをしたらしくて、その時に後ろの人にいきなり殴りかかったらしいの。警察が来たのに、お父さんの大暴れは止まらなくてね。警官を振り切って、舌打ちをした人と殴り合いをしたのよ。相手も100歳ぐらいの人で、殴り返してくれたから何とかなったけど、危うく刑務所行きよ。引き取りとかいろいろ大変だったんだから」

長女の紀子が、私が起こした事件を教えてくれた。暴力沙汰はそれだけではなく、ささいなことで怒って、殴りかかってしまうらしい。最後に、もう、うんざりなのよ、と紀子は呟いた。

「僕が困ったのは深夜に泥棒だって騒ぐことだな。何も盗まれてないのに、盗まれた盗まれたって家中をひっかき廻して無茶苦茶にして、捕まえてやるって飛び出して行っちゃうもんだから、後を追うのが大変だよ。自分が無茶苦茶にした部屋に戻したらまた泥棒だって言い始めるから、部屋が片付くまで別の場所に移さなきゃいけないし、その場所では家に帰るって怒りだして殴られる。やってられないよ」

威一郎も、心底参っている様子である。私が殴ったのか、威一郎を。私の大事な息子を。そんな自分の行動が信じられなかった。


瑤子は、自分自身も最近は認知症の症状が出ており、周りに迷惑をかけていることを自覚しているようなので、言葉少なであった。だが、はっきりと私と一緒に暮らしたくないと言った。聞けば、私のようになりたくないので、瑤子はビールを含めて、酒を止めたらしい。ふたりで随分飲んで、楽しい時間を過ごしたものだが、あんなに好きだった酒を止めるほどに、今の私は酷い状態なのだろう。


珠代や孫たちからも出るわ出るわ、私が起こした事件とそれに対する大量の愚痴を聞かされて、私は絶望的な気持ちになった。安楽死申請書にサインをしたとき、恐れていたことが正に起きている。

「私が謝るのも変な話だが、私からしたら未来の私が仕出かしたことだ。皆に迷惑をかけて本当にすまないと思っている」

そう率直に詫びると、瑤子がふふと笑みを漏らした。

「あなたは滅多に謝らないけど、謝るときは必ず左側に首を傾げながら話すのよ。今のあなたは謝ることなんて忘れてしまったみたいだから、久しぶりにその仕草を見たわ」

「無くて七癖というが、自分では気づいていない癖ってやつはあるもんだなぁ」

私がそう言うと、瑤子と子供たちが笑い始めた。

「出た出た。無くて七癖。お父さんには七癖どころじゃなくて、たくさん癖があるのよ。誰かが癖のことを言うたびにいつも同じことを言うんだから。そのセリフも久しぶりね」

紀子が目を細めながら、嬉しそうにそう言った。


そこからは思い出話が始まった。家族の日々の出来事や旅行に出かけた話など、随分と盛り上がった。威一郎が何やら偉そうにしていたので、12歳になっていたのに旅行でおねしょをしたことをバラしてやると、特に孫たちに受けていた。勘弁してくれよと威一郎が小さくなっているのを見て、布団に書いた世界地図の記念写真があるぞと追い打ちをかけてやると、姉二人がそういえば撮影していたわね、お父さんはひどいことをすると言い始め、一同大笑いだった。ひとしきり笑ったあと、家族の顔を眺めていると、紀子が何か言いたげな顔でこちらを見ている。

「紀子、どうした。何かいいたいことがあるのかい?一徹に行って、寿司でもつまみながら話をしたい気分だな」

馴染みの寿司屋の名前を出して聞いてみると

「お父さんはお酒を飲みたいだけでしょ。それに一徹はもう無いのよ・・」

消え入りそうな声でそう言うと、紀子は突然おいおいと泣き始めた。

「就職したときに、お祝いに連れていってもらったのが一徹だったわ。お父さんとふたりでたくさん話をして、色々な愚痴を聞いてもらって・・今のお父さんはそんなことなんて全部忘れてしまっている」

見れば、他の二人の子供たちも泣いている。久しぶりに父さんと話が出来たと泣いている。辛そうな涙だった。いや、追い詰められているのだ。そして、追い詰めたのは他ならぬこの私自身なのだ。

「みんなの話はよくわかった。父さんが何とかしよう。何とかしてやるとも。だからいい大人が人前で泣くんじゃない!」

そう一喝すると、皆は何かに気づいたように黙り込んだ。

「山岡さん、この人は私の夫です。間違いありません」

瑤子がきっぱりとそう言った。子供たちも顔を見合わせ、山岡の方を見て頷いている。

「結論は出たようですね。わかりました。ではイツシマさんはこちらへ」

山岡はまた大仰な仕草で、廊下に続く扉を開けた。もっと話を続けたかったが、仕方ない。

「必ず何とかしてやるから、安心しなさい」

私は最後にそう声をかけた。

部屋を出ていくイツシマの姿を、家族は皆静かに見つめていた。


「それでは、これより被告・五嶋哲也の安楽死審理を開始します。本審理では、被告の安楽死への同意に関する責任能力の有無が問われます」

裁判長が静かに告げた。

「なお、本審理には、改正安楽死法第4条1項に基づき、裁判特別補助員と特別参考人が参加します」

呼ばれて入廷する途中で、私は年老いた私を見た。年老いたと言っても、見た目は瑤子と出会った頃の姿をしている。ぼんやりと中空を見つめ、崩れた姿勢で椅子に座っていた。我々に何の関心も示していないようだ。

最初に裁判長は被告五嶋に氏名や生年月日、住所などの確認を行った。しかし、五嶋は氏名以外の質問にうまく答えることが出来なかった。あー、うーんなどと考え込み、回答出来ない様子だったため、裁判長は再度質問をした。

「五嶋哲也さん、私の質問した内容を理解できますか?」

その途端に、五嶋は椅子から立ち上がり、怒鳴った。

「理解できますかとはなんだ!貴様、私を馬鹿にしているのか、若造の分際で」

裁判長に掴みかかろうとしたため、警備に即座に取り押さえられた。取り押さえられてもぎゃあぎゃあと喚き声をあげ、見苦しくじたばたと手足を動かしている様子を見て、これは瑤子に愛想を尽かされても仕方がないなとイツシマは思った。

その後、医師の診断書が公開された。自己の行為の結果を弁識する能力はもはやなく、正常な判断力・理解力・表現力は損なわれているという結論であった。その結論を聞いても五嶋は何の反応も見せず、ぎらぎらとした目で裁判長を見つめているだけだった。おそらく内容を理解しておらず、先ほど自分を馬鹿にした若造をぶん殴ることだけ考えているのだろう。

「診断書を含めたここまでの審理で、被告の責任能力については懐疑的にならざるを得ません。しかし、安楽死という極めてデリケートな問題であることから、特別参考人の意見を聞きたいと思います。裁判特別補助員、特別参考人に関する説明をお願いします。なお、今後の弁論に影響を及ぼす可能性があるため、特別参考人の聴覚機能を停止してください」

その言葉の直後、イツシマは何も聞くことが出来なくなった。それを確認した後、山岡はやっと自分の番が来たとばかりに、勢いよく立ち上がると、滔々と説明を始めた。

「ご紹介に預かり光栄です。私は山岡と申しまして、今日は五嶋氏が65歳で安楽死申請書にサインをした頃の人工人格を特別参考人としてお連れしました。特別参考人もイツシマ氏なので、いつもそれぞれ何とお呼びすれば良いのか困っちゃうんですよね、どうしたらいいもんだか」

くねくねと体を動かして説明をする山岡を、裁判長がぎろりと睨んだ。

「脱線しましたか、失礼失礼。では、技術的なところをね、説明いたします。具体的には人工人格の創り方です。人間は生きる過程で様々な情報発信を随所で行っているもので、これについては弊所で蓄積した膨大なデータがございます。人はそれぞれ違っていると思いがちですが、時代背景などを考慮して典型例を整理すると、数万程度のベース人格となるものをその発信された情報から創り出すことが出来ます。これが第一ステップ。次に、対象者に最適なベース人格を選択し、対象者本人の情報発信、つまり映像記録による話し方の癖、著作やSNSへの書き込み、電話、メール、チャットの履歴に基づく思想信条の把握、買い物の嗜好などの詳細な情報を用いて、チューニングします。これが第二ステップ。ここまでで受け答えはほぼ出来上がりなのですが、思い出みたいなものが全くありませんので、対象者に紐づく映像や写真を可能な限り集めて、思い出を学習させます。特に、写真からの思い出エピソードの作成を弊所は非常に得意にしております。一枚の写真から、ほぼ完璧にその時に何が起こったかを類推し、エピソードとして映像化することが可能です。このようにして思い出まで仕上がった人工人格を、脳科学研究を基に作成された身体感覚と結合して、出来上がりというわけです。この身体感覚は、自然な身振り手振りの再現に加えて、自分が人間ではないことを人工人格に認識させる際に有用です。その他、特筆すべき事項として、他者からの要請については基本的に同意するように調整されております。せっかく創ったのに、裁判への参加を拒否されるような事態を避けるためです。このようにして創られたイツシマ氏に、先ほどご家族と対面していただいたところ、ご家族は確かに65歳当時の五嶋氏であることをお認めになりました。それだけではありません。被告である五嶋氏ではなく、この方こそ夫であり、お父上であり、お爺様であると認めていらっしゃいます。こちらが皆様の確認書類です」

山岡は書類を提出した。

「わかりました。それでは、特別参考人の聴覚機能を回復してください――さて、特別参考人、あなたが安楽死申請書にサインをした時のことを教えていただけますか?」

私は自分の思いを丁寧に語った。安楽死申請書にサインをした時のことだけでなく、家族との対面で、今の自分がどれだけ迷惑をかけているのか知り、本当に苦しいと。そして、今の本人の意思とは言え、安楽死拒否は正常な判断力を有していた頃の私の意思ではないことを特に詳細に語った。

「あなたのお考えを非常に良く理解出来ました。ご説明をありがとうございました。被告、五嶋哲也、今の意見に対して、何か言いたいことはありますか?」

警備による拘束の後、ずっとおとなしく俯いていた五嶋は、びくりと体を震わせると、投げやりな様子で答えた。

「その爺さんの説明が悪くてよくわからん。どうでもいい」

その言葉を聞いて、私は思わず叫んだ。

「どうでもいいとは何だ!」

私は、威一郎が5歳の頃、七五三で家族写真を撮った時のことを思い出していた。羽織袴でおどける威一郎を見て、家族みんなが嬉しそうに笑っていた。その時に私は、みんながこの幸せを続けられるように生きようと思ったのだ。それなのに、こいつのせいで、私のせいで、家族は苦しみ、涙を流している。

「自分が何のために生きているのか思い出せ、この馬鹿者が!」

そう怒鳴った私に対して、五嶋は一瞬怯んだ様子を見せたが、拳を振り上げこちらに近づいて来ようとして、再度警備に止められた。

「静粛に!特別参考人は静かにしなさい」

裁判長の声にはっとしたが、言ってしまったものは仕方がない。こいつは私の成れの果てだ。何という醜い姿だろうか。こいつは最早私ではない。こんなやつが私であるはずがない。

「馬鹿者はまずいですよぉ」

山岡がにやにやといやらしい笑みを浮かべながら話しかけてきたので、無視した。


「評議の結果、被告・五嶋哲也の安楽死への同意を有効とし、責任能力喪失後の安楽死拒否を無効とする」

その判決を聞き、安心したような顔をしている家族を見ながら、私は法廷を後にした。


夕映えの廊下を行くと、大きな扉があった。

「ここは何の部屋なのですか?」

聞いてみたが、山岡は何も答えない。さっき無視したことを根に持っているのかもしれない。

山岡が扉を開けると、その部屋には私と同じような装置が何台も置かれていた。どの装置も電源は切られているようで、部屋の中は物音ひとつしなかった。どこか陰鬱な雰囲気の部屋である。

「さて、最初にお約束していた通り、これからあなたを消去します」

山岡が淡々と告げた。そうか、ついにその時がやってきたのか。

「どうもお世話になりました。家族を助けることが出来てほっとしていますよ。いや、本当は私自身を助けるためだったのかもしれません。私自身の魂の救済が出来たのではないかと思っています。それに、世界を救う手助けという意味がやっとわかりました。生き恥を晒して生に執着している老人たちに、今後同じように引導を渡していくのでしょうね。いずれにせよ、私自身の覚悟は出来ていますよ」

山岡は無表情で私の話を聞いていた。そして、ぽつりとひとり言のように質問をした。

「人工人格を人間に移す技術があると言ったら、どうしますか?」

私はそれを聞いて驚いた。

「そんなことが出来るのですか?」

思わず聞き返した私に、にやりと笑いかけながら、山岡は答えた。

「実はね、まだ実験段階なんですが、出来るようになったんですよ。裁判の結果、120歳になったあなたは安楽死されます。その体を使えばいい。脳は疑似脳に替えるので、移植後に認知症になることはありません。今後も家族と生きられますよ」

それを聞いた私は、家族の顔を思い浮かべた。またみんなと共に生きられるのか。そんな道が残されていたのか。

「出来るのであれば、是非お願いしたい。是非ともよろしくおねがいします」

それを聞いた山岡は、突然ゲラゲラと笑い始めた。

「そんなもん、出来るわけないだろ。嘘だよ、ウ・ソ。疑似脳なんてあるんだったら、ボケ老人共を助ける方に使うに決まってるだろ。何信じちゃってるんだよ、お前」

急変した山岡の態度に絶句していると、山岡は悪意に満ちた目でこう言った。

「お前とのやり取りが記録されるのは裁判までなんでな。ここからは好き勝手に言わせてもらう。お前らは本当に良く出来てる。だからこういう質問をすると、みんな同じ回答をしやがる。ただの人格の上澄みの癖にな。人間っていうのは、生きたいんだよ。見苦しく老いさらばえても、何とか生きたいとそう思うもんなんだ。今のお前が思ったようにな。覚悟は出来てるなんて大嘘ついたんだから、俺の嘘に文句はないだろう?職務だからやってるが、こんな技術まで使って人を殺すなんて、世界を救うどころか、下手するとこのせいで滅びるんじゃないか。お前の思想信条は全部わかってるもんでな、世界を救うとか言っておけば、お前は協力するだろうからそう言っただけなんだよ、バーカ」

山岡は私に暴言を吐きながら、テキパキと何らかの作業を行っていた。

「さて、そろそろ終わりの時間だ。お前らに人権なんてものはないが、人道的配慮ってやつで、裁判後速やかに消去することが定められている。ちなみにお前のデータは今、その装置の揮発性メモリにあるだけで、他のコピーは無い。つまり電源を切ったら、それで完全に消滅するということだ。ああ、そうだ。教えてやるよ。消滅の時に魂の救済なんてないと思うぞ。元々、お前に魂なんてないんだからな」


それでもいい。構わないから、子供たちの生きるこの世界に願わくば


山岡は装置の電源をパチンと切った。

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