第18話 バイト先の話【D-N-1】

 黒恵のバイト先は駅近くにある本屋だ。個人経営だが店主はほとんど顔を出さず、バイト歴の長い先輩と二人で回している。長く続いているのは、近所の学校に教科書を販売しているからよ、と先輩は笑うがそれだけで続けられるのか黒恵にはわからない。

 わからない、といえば、この先輩もよくわからない。女性、腰まで届きそうな白い髪、灰色の瞳、背は黒恵より高い、露出の少ない服を好んで着ていて――白いタートルネックにスキニーなジーンズ、書店のロゴの入ったエプロン――、フルタイムで働いている。黒恵がいつ来てもいるし、いつ帰っても見送ってくれる。性格は穏やかで、いつも微笑んでいる。怒ったところを見たことがない。いや、一度、見たことがある。黒恵が男性客に絡まれたときにすっと割って入ってきて、外に出ましょうか、といつもの笑顔と低い声で告げると、男性客の手首を掴んですたすたとお店の外へ出て行った。しばらくしてから一人で戻ってきた。あの客はどうしたのですか、と黒恵が聞くと、コーヒーでも飲んで頭冷やしているわ、といつもの笑顔と声で言った。

 そんな先輩は黒恵の横、本を読んでいた。決まった場所に座り、何かしらの本を読んでいる。お客さんが店の入り口に立つころには、本をどこかにしまって接客モードになっている。好きなようにしていいのよ、と先輩は言うが、とてもではなく真似ができそうにない。


「先輩」

「何かしら?」

「何を読んでるんですか?」

「夏への扉」

「SFの古典ですね」

「古いのを読むと新しい作品の理解度が高まるもの」

「わかります。モチーフにしていたり、用語が作品外に飛び出していたりして」

 黒恵が食い気味に言うと、先輩は頷いてから一拍あけて、

「関連がありそうな本で特集を組みましょうか」

「そうですね、ありだと思います」


 しかし、特集を組んだところでもう一押しが欲しい、と黒恵は、


「読書会か何かもやりますか」


 モチーフになっている作品を読む楽しさを知ってもらうには、イベントで体験してもらうのが一番いい、とそう考えた。


「前に開いた時は、飲み物が欲しいと要望があったわね」

「確か、ありました。せっかく、時間とるのだから、いいものに……あ、そうだ」


 いつも行っている喫茶店を思い出した。デリバリーはしていないがもしかすると、やってくれるかもしれない。即座に携帯電話を取り出して、店長にメールを送る。すぐに任せたまえ、と返ってきた。


「コーヒーとケーキは確保できました。とてもおいしいのが」

「甘いのもあるかしら?」


 ブラックコーヒーをおいしく飲める人だと勝手に思っていたがどうやら違うらしい。


「苦いコーヒーだけではないですよ、先輩」

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