第16話 追想の変身譜、それから(2)【Depth 5】
2日目のディスカッションは1日目の振り返りからはじまった。エリスがまとめたものを誠司とシアーの二人が確認する形式だ。内容に漏れや相違はなく、事前に入念なすり合わせが行われたとしか思えないできだった。誠司は思わず顎に手をやり、シアーは感嘆の声をあげながら拍手をした。
「解釈の違いはないと判断していいか?」
6人掛けの会議用テーブルの向かいに立っているエリスはフラットな表情のまま、二人を見る。二人がそれぞれ頷こうとしたところで、
「それは、ぶっきらぼうすぎるよ」
エリスの横に立っていた青い髪の女性が言った。しかもエリスの頭を小突きながら。
「プリステラ、そうなのか?」
エリスは目を閉じて、一拍あけてから、
「すまない。こういう性格なのだ」
プリステラが再び小突く。
「ハリセンか何かいる?」
「気持ちだけもらうね」
シアーとプリステラのフランクなやり取りに誠司は眉間に皺を寄せる。ついていけてないのは自分だけか、とエリスを見ると、彼女はわからない、と首を僅かに横に振った。どうやら、仲間がいるようだ。
「いいアイスブレイクですね」
とりあえず、進めようと誠司は言葉を発する。おそらく、アイスブレイクの意図はない。シアーとプリステラの馬が合いすぎているだけだ。
「同感だ。紹介が遅れてしまったが彼女がプリステラだ」
「はじめまして、遠見さん、シアーさん」
プリステラが浅く礼をすると、水色の長い髪が照明をあびながらさらさらと流れた。きれいな人だ、と見惚れる誠司をシアーが軽く蹴とばす。痛みはないが、次は加減しないだろう、と誠司は姿勢を正す。気づいたのかエリスはふっと笑った。
「では、話を進めていこう」
エリスは全員に席に着くよう促し、一同は椅子に座った。テーブルの中央には空中投影用のディスプレイも埋め込まれているが、それは使わずに各自の端末で資料を開いた。計画の概要と海底のマップだ。
「これ、私ひとりでまわりきれる?」
「あなたの速度なら可能です」
誠司はこの場で丁寧語で話すのが妥当なのか悩んだがそのまま言葉を続ける。
「大事なのはコースとサプライユニット切り離しのタイミングです。障害となる海底山脈や海流を避けて、ユニットを切り離す。切り離されたユニットはポイントに向けて自律航行をはじめる。障害物に時間をとられれば予定時刻をオーバーします。ユニットの切り離しがはやいと動力潜航可能時間の限界にきてしまう」
「自重で沈むには時間がかかりすぎる、ね」
「海中では頼りになるのはソナーだけです。ビーコンもありますが届く範囲に限りがあります」
よどみなく説明する誠司に目を一瞬だけ向けてから、シアーは小声ですごい、プロみたい、といった。お前も俺もプロだぞ、と誠司は小声で返した。
「よってコースの選定と海流や温度の調査が重要になる」
「なら、いつものことだね」
決められた場所にサプライユニットを提供するだけなのに大ごとに聞こえるのはなぜだろうか、と誠司は疑問に思った。事前に海中の状態を把握し、サプライユニットを指定の深度に設置するだけだ。わざわざ、自分たちが呼ばれるほどなのだろうか。プリステラの潜航経験は豊富で、シミュレーターでサプライユニット設置の訓練をすれば十分そうだ。
「サプライを受け取るのは誰なの?」
「"ロミオ"だ」
「コードネーム以外のことが知りたいの」
シアーの言葉にエリスはしばらく沈黙していたが、
「君たちが出会った巨大海洋生物のことだ」
エリスの言葉にシアーは驚きで目を丸くしたあと、微笑みの表情を作って、
「生きてるんだ」
「生きている。問題は彼、コードネーム"ロミオ"に同行しているブルースノーだ」
あの時の巨大イカは今も海中デートを楽しんでいるらしい。そして、この星の政府はサプライを提供することに決めたようだ。人間だとすれば駆除の選択はない、と誠司は考える。
「それなら、回りくどいことをせずに我々に対処法を聞けばよかったではないですか」
「極秘事項なので公にはできないのだ」
人間が別の形に変化してしまう事例など、表に出せないのは誠司もシアーもよく知っている。シアーは身をもって知っている、と言ってもいい。
「"ロミオ"の生存を知った我々はどうなりますか?」
「口外しないと約束してほしい」
「もちろんです。サインが必要ですか?」
「不要だ。私が記憶している」
「わかりました」
横を見ると、プリステラとシアーが巨大イカとの出会いについて熱く、ただし、小さな声で話していた。エリスは肘をついて身を乗り出し、誠司はわずかに身を乗り出して顔の前に両の手を組んだ。
「巨大イカが暴れたときのためのトラブルシューティングだったわけですか」
「そうだ。自律潜水艇プリステラの最高速度で振り切れる。だが、交戦に入った場合は不利だ」
「あの船を分解する攻撃について何かわかったことは?」
「魔法か魔術を使う。それしかわかっていない」
「そうですか。……護衛に人間が必要です」
「向こうに攻撃の意思はない、とブルースノー経由で判明している。しかし、"ロミオ"は不用意な接触は避けようとしている」
「なるほど、デートの邪魔をされたくない、と」
冗談めかして誠司が言うと、エリスは目を伏せて、
「人との付き合い方を知らないのだと、我々は推測している。なぜなら、"ロミオ"は生まれてすぐに海に捨てられている」
「……親はわかっているのですか?」
「母親の目星はついているが、重度の精神疾患を患い治療中だ。詳しい聞き取りは不可能だ」
「父親もですか」
「彼は、"ロミオ"を抱きかかえたまま海に飛び込み、無理心中をはかろうとした」
「"ロミオ"の生い立ちを考えれば、だれかとコミュニケーションをとりたいと思っただけでも大したものですよ、それは」
誠司は手を組むのをやめて、天井を仰ぎ眉間を揉む。これを仕組んだ存在がいるなら一発殴って少しは気も楽になるだろうが、残念ながらそんな都合のいい存在はいない。溜息をつき、誠司は姿勢を戻した。
「最終的に"ロミオ"とコミュニケーションを成立させるのが目的だ。このサプライミッションは準備計画なのだ」
「私も参加させて、欲しい……です」
プリステラとの話を終えたシアーがエリスと一騎の二人を見据えて、そういった。誠司は言外の意味を理解し、制止しようと声をかけた。
「シアー、それは」
「私も彼に近い存在だから――」
シアーは下半身の擬態を解き、本来の姿をあらわにする。彼女の足の色は赤くなり、先端から裂け、そして膨れ上がっていく。表面にいくつかの無数の吸盤が現れる。巨大なタコの足だった。変身が終わると、それは花びらのように開き、ゆっくりと会議室のタイルの上に広がる。足がするりと滑ると潮の香りが部屋に広がっていった。その光景にプリステラは微笑んだ。エリスの表情に変化はなく、現実に存在する、とありのままを受け止めているようだった。
「了解した。コミュニケーションのフェイズにはシアーも参加してもらう」
「それなら、私も参加します。シアー、彼女を守ります」
「承知した。そして、感謝する」
「その時は、私も参加するよね?」
おずおずとプリステラは言った。
「当然だ。なぜなら、存在のバリエーションが必要だからだ」
とエリスは告げる。ナッツクラッカー計画はこうして生まれた。
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