第2巡 茅ヶ谷巡の学食頼り

 学食が低価格で美味しいというのが、自分が通うこの九ノ瀬ここのせ大学だいがくの良い評判の一つだ。確か受験する前に地元で眺めたパンフレットにも、そんな旨が記載されていたような気がする……カリキュラムに専攻学科、交通アクセスに学費なんかと比較すればさほど優先事項じゃなかったから、ついさっきまですっかり忘れていたけれど。


「想像より、ちょっと種類が豊富? みたいね……ほとんどのメニューがワンコインで済むのは、このご時世ありがたいかな?」


 食堂内の看板の前に立って、そう呟く。

 本来ならここに足を踏み入れるつもりすらなかったんだけど。

 講義のあとにお腹が空いて、お弁当を家に忘れたことに気付いて、土地鑑がそこそこ身に付いても外食を極力利用しないなんていう謎のポリシーのせいで、近場で食事が出来そうなところを探し回る気分にもなれなくて、大学の外で顔見知りと鉢合わせることを考えても億劫で、家に帰るにしても講義の疲れが取れていない。


 そんなこんなで行き着いた先が学食。

 入学して三年目で初めて訪れたわけだ。


「……Aセットで、いいか」


 看板に貼り付けられたメニュー表には、各種単品メニューが下半分を細やかな文字で占めていて、上半分にはA、B、Cのセットメニューが三分割され大々的に謳われている。

 それぞれの違いはというと、Aセットが海老フライを主軸にしたフライ盛り。Bセットがブリの照り焼きと温泉卵、Cセットがチキングリルがメイン。そこにご飯と味噌汁、季節や旬によって異なるサラダと漬物が添えられる。これで500円払って少しお釣りが返ってくるなら、それはもうやぶさかではない。学食様々だ。


「どうせ自分一人なら、適当に選んだ感が出るメニューの方が、誰かから寂しく同情なんて、されにくいでしょうし……」


 なんとなく単品を選り好みした一人客になりたくなくて、顔もろくに知らない学生に自分の好みを悟られるのも嫌で、無難なところをチョイス。こういうところ……自分は無駄に秘密主義なのかもしれない。


 ちなみにどうでもいいこだわりだろうけど、各セットメニューの頭文字とアルファベットを組み合わせたフォントを使用している。AセットのAに海老はちょっと強引だし、Bセットはブリじゃないときがあると注意書きがなされてある。Cセットには意味も無くウルトラという単語が装飾されていて、こういうところは大学の学食の緩さが垣間見れた気がする。


「……これで、いいのかな?」


 メニュー表のとなりにある券売機に移り、慣れない手つきで500円硬貨を投入して、Aセットと記載されているパネルを躊躇ちゅうちょしながら押す。すると自分の親指がちょうど収まるくらいのサイズの、やや長方形気味の厚紙の食券が発券される。ついでにお釣りも流れて来た。

 それらを軽く握りしめ、在校生の大半は次の講義が開講されている頃合いのせいか、現在は空席が目立つ食堂を感慨なく眺めつつ、受け取り場に到着する。


「……え、あれ?」


 自分は目を丸くし、念のため辺りを見回してみた。メニュー表をじっくりと読んでいて、なのに券売機に並ぶ必要もなかったことからも推測出来るように、他に待機している人はいないみたいだ。となればこれは必然的に、自分のということになる。

 そこにはもうプラスティックのトレーに、メインディッシュ以外のメニューがお皿と共に乗せられていて、自分がその迅速さに双眸をパチクリさせて間も無く、エプロン姿のお姉さんが片手用のコンパクトサイズの揚げ物皿を持って颯爽と現れ、トレー皿にフライたちが重役出勤でやって来る。


「はーい、Aセット……ね?」

「あ、はい……ありがとう、ございます」


 些細な文明の利器に、少し気圧されている。どうやら券売機と調理場にはなんらかの信号が伝達されるようで、初購入の名残なんて惜しむ暇も無く、自分は食券をそのお姉さんに提出し、トレーに両端に手を掛ける。

 スマホでトレンドでも調べ読みながら時間を潰そうと考えていたのに、なんて更に思案しつつ運び、食堂内の手頃な座席を選び、大長机の一部にトレーを置いて、自分もその前にバッグを下ろしながら座る。


「確かに、これは評判が良いわけだね」


 自分はトレーをシニカルに俯瞰しながら、裏付けられていた評価に相槌を打つ。

 揚げられたばかりで煌びやかに火照ったフライは、焼き過ぎもせず、かといって生焼けでもないきつね色の衣装を纏う。背景のキャベツの千切りとミニトマトともマリアージュして色合いが良い。他にも綺麗な婉曲を描いた山なりの白米、ワカメと四角形の豆腐が覗かせる味噌汁、漬物は若々しさ感じる青菜漬け……まだ実際に食したわけじゃないけど、視覚的に美味しさがひしひしと伝わる。


 これでワンコイン。提供速度によるストレスフリーを鑑みれば、自然と評判にもなるだろうなと思う。同時に、今まで頑なにお弁当にこだわってきた余剰の労力が嘆息となって漏れる。それはわざわざ重い腰を上げてまで、材料を求めスーパーマーケットに向かわされた日々の蓄積によるもの。何をあそこまで無理強むりじいする用途があったんだろうかと、後悔ではないけど、手間は掛かっちゃってたなと自嘲せざるを得なかった。


「……何はともあれ思いのほか、人も空いてるし、落ち着ける環境で食事にありつけるのは、自分にとっても良いこと良いこと」


 大抵が講義後の空室で、人目を気にしながらのぼっちお弁当に比べれば随分と気楽だ。パブリック的に認知された場所というのも、気楽さのゲージなんてものがもしあれば、赤丸急上昇しているんじゃないかな?


 うん。こういうのもたまには悪くない。

 空腹を感じてかなり経つし、早く満たしてあげないと。


「さて、いただきま……——」

「——探したぞっ! こんなところに居たんだなっ、カヤカヤダニっ!」


 それはちょうど自分が手を合わせていたとき。けたたましくテーブルを叩き、自分の目の前で睨みを効かせてくる。年齢は自分とそこそこ近そうで、パンツスタイルのスーツにネクタイだけ外したような真面目に不真面目な服装。整髪塗料で遊ばせたアシンメトリーの黒髪短髪に、どことなく精悍な顔付きをしている男の人っぽい……んだけど、全く誰か分からない。


「えっと、違いますけど?」


 これが俗に言う……台パンというやつなんだろうかと自分は呑気に所感。あと食事中に話し掛けられなくてよかったと、どこか羞恥心にも似た何かと一緒に名称を否定した。

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