第3話 雨井陽歌というヒーロー②

五年後


三嶋幸樹とその幼馴染の雨井陽歌は、教室の前で緊張した面持ちで立っていた。

それもそのはずで、高校の二年の十月という何とも中途半端な時期に転校することになっていた。

それに加え二人は互いを除いて知り合いなど全くいない学校への転入。

状況的にも緊張を和らげる要素など無く、おまけに幸樹はまだしも陽歌は大勢の人の前で話すのが苦手だった。

「ど、どどどうしようこうちゃん!」

「お、落ち着け!俺まで焦る!」

先ほどから陽歌は忙しなく歩き回っては深呼吸してを繰り返している。

当初は微笑ましく眺めていた幸樹も、教室に入る時間が近づくにつれて冷や汗が止まらなくなってきていた。

「じゃあ今から二人の転校生を紹介します」

教室の中にいる教師の声が聞こえ、二人は思わず息を止める。

遂に来てしまったのだ。

二人が固まっている所に教室の扉が開かれ、教師が顔を出す。

「さ、入って」

二人は互いの顔を見合わせると覚悟を決めたかのように頷き、教室に入る。

当然のことだが教室にいる生徒達の視線を一身に受ける。

無論二人にとって初めての体験だ。

表情が硬いだけの幸樹はまだマシで、陽歌に至っては明らかに呼吸が止まったままだ。

「じゃあ早速自己紹介してもらおうかな!まずは~…男の子から!」

教師は幸樹に向かって手を伸ばし存在感をアピールする。

幸樹は一度深呼吸をし、吐き出すように言葉を発した。

「三嶋幸樹です!親の仕事の都合でこんな時期ではありますが転校してきました!趣味は…テレビよく見ます!特撮系とか大好きです!よろしくお願いします!」

想定以上の声量だったように思えるが、幸樹はなんとか勢いで押し切り頭を下げて自己紹介を終えた。

寺から来た、と素直に言えば必要以上に注目を集めてしまうため二人とも事前に打ち合わせをし、親の仕事の都合で転校したということに決めてあった。

自己紹介を終えた直後、教室中に拍手の音が響き教師が満足気に眺めていた。

「はい、よろしく~。じゃあ次は女の子!」

「はひゃい!」

指名されたと同時に返事をするが、見るからに反射的に返事をしてしまっただけで陽歌本人は心の準備ができていなかったことが傍から見て良くわかる。

他の生徒たちもそれを感じ取ったのか、笑いを堪えているような様子の生徒が若干名確認できた。

陽歌は顔を赤くしつつも、事前の打ち合わせ通り自己紹介に臨む。

「あ、雨井陽歌です!えと、私も親の都合で同じく…その、来ました!しゅ、趣味は…お、同じくテレビで……よ、よろしくお願いします!」

陽歌は言い切ると頭を下げるも、教室は静寂に包まれる。

拙く、内容は幸樹のそれと全く一緒。

教師の合図に遅れて拍手が響くも、そこかしこから笑い声が漏れ聞こえてくる。

二人の華々しい高校デビューは見事に失敗し、幸樹と陽歌は同様の後悔を抱いた。

((こうなるなら寺から来ましたって言っておけば良かった!))

どうせ注目を集めるならせめて羞恥心を抱くことのない方を選んでいれば、そんな思いは拍手と歓迎の声と少しの笑い声によって盛大にかき消された。


「…っふ、終わったな」

「もうだめだぁ~!一生に一度の高校生デビューがぁ~…」

幸樹と陽歌はお昼休みの時間に揃って屋上で反省会を開いていた。といってもただ現状を嘆くだけで特に生産性の無い時間である。

「まぁ、なんだ。俺たちは人前が苦手。早速勉強になったな」

「最悪よー!」

泣きじゃくる陽歌を励まそうと幸樹なりの気遣いだったがその程度で持ち直せるほど陽歌の心の傷は浅くはない。

「お~いヨウ~?さっさと弁当食わねーとお昼終わっちまうぞ~?」

「とても喉を通らない…」

「あーん」

「あん」

「食うんかい」

幸樹が自分の弁当からウィンナーを取り出し、それを陽歌は一口で食べる。

多少は陽歌の機嫌が直ったのかいそいそと自分の弁当箱を広げ始める。

「お弁当~♪これから毎日食べられるのね~♪」

「今までずっと食堂でしか飯食ってこなかったからな。新鮮だ」

「ねぇねぇ!何食べたい?」

「は?どういう意味?」

「お返し。私のお弁当から一つ選んでよ。あ、でもリンゴはデザートだからダメね」

「あぁ……じゃあ卵焼き」

「甘い方?しょっぱい方?」

「甘いので」

「食べるがいいわ!」

「何様…」

陽歌は先ほど幸樹がやったように卵焼きを箸で取り出し幸樹へ差し出す。

幸樹も同じように一口で食べ、満足気に咀嚼する。

「うん、やっぱ甘い方が好きだな」

「それはわかるけど、しょっぱいのも美味しいわよ?」

「舌がこっちに慣れちゃってるからな」

「そういうもん?」

「そういうもん」

二人はそのまま自分のお弁当を食べ進め、時にはおかずを食べさせ合っていた。

数分後、お弁当のほとんどを食べ終わり水筒のお茶を飲みながら二人は屋上からの景色を堪能していた。

「学校の屋上って結構たけーな」

「いい眺めよね。これから毎日楽しめるなんて最高!」

「毎日ここに来るつもりかよ…」

「嫌?」

「他の人たちは皆教室で友達と食べてたぜ?毎日屋上に籠ってたらいよいよ残りの高校生活悲惨だろ」

「うっ…で、でも私教室に居づらい…」

「それは俺も同じだ。頑張るしかねぇよ」

「うぅ…何故初日からこんなにも前途多難なの…」

肩を落とししょぼくれる陽歌を横目に、幸樹は立ち上がりつつ声をかける。

「気にしすぎんな。門前様も言ってただろ?俺らは初めてまともに吉祥寺の外で生活すんだ。わからないことも多いけど徐々に慣れていくって」

「……そう、よね。うん、そうだわ!」

陽歌は勢いよく立ち上がりその目に闘志の炎を宿していた。

「私は雨井家の娘!こんな所でしょぼくれてる場合ではない!教室でやらかした分は教室で取り返す!」

「その意気その意気。…うん?どういうことだ?」

「さぁ行くわよこうちゃん!吉祥会の人間として徳の高い行いをするわよ!」

陽歌はぐいぐいと幸樹の腕を引っ張り教室へと向かう。

「お、おい!引っ張んなくていいって!」

暴れる幸樹など気にしないと言わんばかりに引っ張り続け、二人は教室へと向かう。

「ご入室失礼します!」

「あ、おい」

教室の扉の前で大声で入室の許しを請う陽歌。幸樹が急いで止めようとするも既に遅く、陽歌は勢いよく扉を開ける。

「え?何──」

教室にいたクラスメイト達の注目を一斉に集める。僅かな沈黙の後、そこかしこから笑い声や囁き声が聞こえてきた。

「……ここは吉祥寺じゃないから、いちいち言わんでも」


ピシャリッ


陽歌は勢いよく扉を閉め、猛スピードで屋上へと走り去っていった。幸樹は走らず、しかしできる限りの早足で後を追った。

再び屋上に辿り着くと、陽歌がうつ伏せになって呪詛を唱えていた。

「ヨウー?」

「だって師の部屋に入るときはいつもこうしてたもん。僧堂に入って半年も修行してたら誰だって癖つくわよ絶対。クラスの皆も僧堂に一ヶ月もぶち込まれればわかるんじゃない?あの厳しさが。てかさっきの皆の私を見る目見たー?自己紹介の時なんか比じゃないくらいの「え、何あの子?」感。マジヤバいわー。もうここまで来たらいっそのこと剃髪して登校してやろうかしらここまで醜態晒したんだし。あ、これ何気良い考えじゃない?どうせなら袈裟とか着てく?吉祥会の知名度も上がって一石二鳥でしょ。はい勝ち確~✌️」

「荒れてんなー」

長年に亘る吉祥寺での生活の癖が大いに裏目に出てしまい、初日の午前と昼はただ醜態を晒しただけ。特に陽歌は吉祥会の名家の一人娘であったため礼法・作法の類は幼少のころから徹底させられてきた。

勿論一般社会に馴染むために事前に吉祥寺特有の作法を忘れるよう努力はしたが、癖というものはそう簡単に抜けるものではない。

陽歌は転校初日で二度やらかした。

「こうちゃんもなんかやらかして!三回!」

「道連れにしようとすんな。しかも一回増やすな」

「お願い!このままじゃ私学校でただただ浮いた人として生活しなきゃいけなくなっちゃう!それじゃあお役目果たせなくなっちゃうよそれでもいいの!?」

「お役目ねぇ…」

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