ふたりのはなし

ミハル

燦燦と、皓皓と

幽と向日葵

 望月幽もちづきかすかは、ごく普通のどこにでも居るであろう、ただの少年だった。


 しかし、中学三年生──彼が十五歳の時に、余命五年を宣告される。

 すぐに病状は悪化した。それから一年半は入退院を繰り返し、結局、中学の卒業式には出られないまま卒業した。


 彼の両親は、自分達の息子が余命を宣告された時、その事実をすぐには受け止められなかった。

 思い付く限りの手段を模索し、全国の病院を駆けずり回り、そしてそのどうしようもない事実に叩き伏せられてしまった。

 陽気な父も、穏やかな母も、まるで自分よりも体調が悪いのでないかと思うほどに、精神が摩耗しているのが手に取るようにわかった。


 幽は、そんな両親を見ているのが辛くなった。


 ありふれた、幸せな家庭だったのに。自分のせいでやつれていく両親なんて見たくない。どうすればいいのだろうか。

 幽は考えた末に、一つの結論に行き着いた。

 それは、『自分は幸せに死ななきゃいけない』という思考だった。


 笑って、「ここまで育ててくれてありがとう」そう言って死ななきゃ、二人は前を向いていけないんじゃないか。

 たとえ、自分自身がその事実を受け止め切れていなくても、この二人には仲良く幸せに生き続けて欲しい。


「ねぇ、父さん、母さん」


「俺はもう、この一年半で覚悟が出来たよ」


「俺も、二人もさ、結構頑張ったよね?」


「でもさ、やっぱり俺は二人よりも先に死んじゃうんだと思う」


「親不孝でごめん。でも、俺はちゃんと幸せだ」


「残りの人生さ、俺はどうやって生きてこうかちゃんと考えようと思う」


「二人とも、ちょっと休んでてよ。ほら、俺の状態もかなり安定してきたしさ」


「まだ三年半もあるんだよ?なんだってできるよ」


「だから、暫くは見守っててほしい」


 ちゃんと笑って話せただろうか。

 ずっと、どう伝えれば二人に迷惑にならないか、安心してもらえるかを悩んでいた。

 うまく、いっただろうか。

 本当のところ、死ぬのは怖い。覚悟なんか出来ちゃいない。

 この一年半、このまま死ぬんじゃないか、と思う痛みも沢山味わった。でも死ぬ時はもっと苦しいんじゃないのか。そう思うと、身体が震えた。

 やりたいことなんて思いつきもしない。どうせ死ぬんだ、何かを達成したいとも思わない。なんだってできる、そんなのは口だけだ。

 だから、元気なふりをして外に出かけても、向かうのはいつも図書館だった。

 そこで、興味があるわけでもない本に適当に目を通して、時間を潰すのが日課になりつつあった。


 なんて無駄な時間だろう。


 ただ、図書館独特の、時間が切り取られたかのような静寂とした雰囲気は、意外と気に入っていた。

 今日もまた、適当に集めてきた本を積んで読書のフリをする。

 なぜか、今日は海洋生物に関連した本ばかり持って来てしまった。


「ねぇ」


 魚なんて食べる対象としか見たことがない。

 図鑑をパラパラと捲りながら、どれも同じじゃないのか、と口には出さないが悪態をつく。


「もしもーし」


「え?」


「あ、気が付いた」


 女の子が、自分に話しかけていた。

 にこにことした、活発そうな女の子だ。歳は自分と同じくらいだろうか。

 学校にいたら良い意味で目立ちそうな女の子だ。きっと人気があるんだろう。

 偏見だろうが、なんで図書館なんかにこんな子が?と思ってしまう。


「ねぇ、君、魚好きなの!?」


「へ?あ、いや…まぁ、嫌いでは、ない…かな?」


 魚に興味はないが、彼女の勢いに負けて何故か曖昧に答えてしまう。


「こんなに魚の本集めてるんだもん、好きなんだよね!!実はね、私も海の生き物好きなんだぁ!」


 太陽みたいだ。


 彼女の笑う顔を見て、なんとなくそう思ってしまう。

 図書館の窓から差す陽光が、彼女を選んで照らしているのかと錯覚をする。

 余程魚が好きなのか、彼女は早口になって色々と話している。段々、誤解させたままなのが申し訳なくなってきた。


「あのさ、盛り上がってるとこごめん。別に魚が好きだから読んでた訳じゃないよ」


「えっ…そうなの!?」


 この世の終わりかとでも言いそうなくらいに落胆した彼女は、驚く程すぐに立ち直って、質問を投げかけてきた。


「じゃあなんでそんなに魚の本ばっかり持ってきてるの?」


「あ…これは、その…なんとなくだよ」


「何となく…そっかぁ。───あ!」


 彼女はイタズラを思い付いた子供のような、キラキラとした顔をこちらに向けた。


「ね、私、魚とか海の生き物についてちょーっと詳しいんだけどさ」


「はぁ」


「これも何かの縁…ってことで、私が教えてあげる!どう!?」


 彼女は勢いで生きているのだろうか。

 これが初対面の相手にする適切な距離の詰めかたではないということは、いかに近頃同年代の人間と話す機会がない俺でもわかる。


「いや、どうと言われても…」


「あ!私、明希向日葵あきひなた!明るい希望に、ひまわりって書いて明希向日葵。よろしくね?」


「望月、幽…。え、よろしく?」


 明らかに距離の詰めかたを間違っているのはわかっているのに、勢いに釣られてこちらも名乗ってしまう。


「もちづき、かすか…よし、じゃあもっちーだ!」


「もっちー!?」


「ねぇ、せっかくだから近くの水族館で教えてあげる!いつもここにいるし、暇でしょ?」


「え、なんで知って」


「細かいこと気にしない!」


 そう言うと、彼女は俺の持ってきた本を抱え出す。


「私が、連れて行ってあげる!」


 ああ、眩しい。やめてくれ。


 これが俺と、明希さんとの出会いだった。


 ◇


 半年が経った。


 明希さんはあれから、図書館で俺を見つける度に何かと絡んでくる。

 水族館に良く連れて行かれるせいで、興味のなかった筈の海洋生物の知識も身についてしまった。


 身体の方は相変わらずだ。安定はしているが、結果は変わらない。

 ただ最近、父と母の表情が和らいでいる気がする。それだけが、俺にとっての救いだ。


「あ、もっちーいた」


「明希さん」


 不満さを隠そうともしない明希さんが顔を顰しかめる


「ねぇ、いつになったらその他人行儀な呼び方やめてくれるの?お姉さん悲しい」


「歳上は敬うけど、お姉さんぶるのはやめてほしいな」


 明希さんは俺よりも一つ歳上だった。

 それが分かってから、彼女はよく年上ぶる。

 その癖、名前で気軽に呼んでほしいと言うのだ。


 明希さんは学校が終わる時間になるといつも図書館に来る。

 本を読みに、と言うよりは俺に会いに来ているような気がするのは多分、自惚れ過ぎだろう。


「ね、今日は体調平気?」


「大丈夫。そんな気にしなくてもいいのに」


「でも、たまに辛そうな時あるじゃない?」


 明希さんには、自分の病気については何も説明していない。

 きっと彼女が高校を卒業すれば、この不思議な関係は終わる。なら、何も知らない方が変に気を遣わせないで済む。

 少なくとも俺なら、多少仲良くしている程度の人間でも数年後には死ぬ、なんて聞いたら接しにくくなる。

 明希さんにそんなふうには、なって欲しくなかった。


「腹の調子が良くなかっただけ、よくあるんだよ」


「ふぅん、ならいいけどー」


 また、少し不満そうな顔をしている。でも、こればかりは仕方ない。


「今日元気なら良し!さぁて、今日はどこに連れて行こうかなぁ」


 そう言ってすぐに、いつもの眩しい、太陽のような彼女に戻る。


 やっぱり、明希さんには笑っていてほしいな、と思う。

 彼女の笑顔が俺の方へ向いている時だけは、微かでも、光れている気がする。


 たった半年なのに。まぁ俺にとっては、残りの人生の六分の一だけれど。

 それでも、これは特別な感情なんかじゃない。


 ただ、心臓がちょっとはやく動く、それだけなんだ。

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