第十一話 さようなら

 今朝もいつものように家の手伝いを終え、ぼくは学校に向かう。お盆休みが終わって初めての部活動だ。

 麻衣とは夏祭り以来ずっと会っていない。正直、顔をあわせたくなかった。


 麻衣からはメッセージや電話が何度か届いた。でもぼくは一度も返事を送っていないし電話にも出ていない。

 そして今朝は麻衣を避けるため、いつもより早い時間に家を出た。


「ハッちゃん、おはよう。今日はひとりなの?」

 ふりむくといつもの悪ガキ軍団四人が手をふっている。早速痛いところをついてきたな。

「ひとりだよ。いろいろあったからね」

「そっか。やっぱりフラれたんだね。でも人生、山あり谷ありだよ。そのうちもっと素敵な女子に会えるさ」

「な……」


 ませた口を聞くのはやはり昭だ。彼らは彼らなりにぼくを慰めている……と思うんだけど。

 いや、からかわれているのか?

「じゃあ、ハッちゃん、行ってきまーす」

 小学生たちは走って学校に向かった。手をふって見送り、ぼくは中学校に向かう。


 これからは麻衣と一緒に登校しない。麻衣は倉田先輩を自分のヒーローに選んだのだから。

 あの日のように、ヒーローになりたかった。地球のためじゃなくて、たったひとりの女の子のため、それだけで良かった。


 いつもより三十分も早く学校に着いた。さすがに麻衣も来ていないだろう。人気のない昇降口に安心して、ぼくは靴箱の扉を開けた。

「ハヤト。おはよう」

 ぼくの背中を、だれかが軽く叩く。

 ふりむくと麻衣が立っていた。両手を腰にあて、やや不満げに頬を膨らませている。


「やっぱりあたしを避けて、いつもより早く学校に来たのね。先まわりして正解だった。メールも返事くれないし、電話にも出ない。いったいどうしちゃったのよ」

 解っていないな。会いたくないのだから仕方がないだろ。

 ぼくの行動は読めても、気持ちは読めていないのか。

 フラれたのにつきまとうなんて、ストーカーみたいなことはしたくない。


「別にどうもしないよ。家の手伝いとかで忙しかっただけだから」

 ぼくは視線を足元に落としたままそれだけ答えると、部室がわりの理科室に向かった。


 それなのに麻衣は音楽室には行かず、ぼくについてくる。

「でも……今までは忙しくても返事くれてたじゃないの」

 心配そうに顔を覗き込むなんてやめてくれ。気持ちが揺れるじゃないか。


 ふたりで並んで歩くのは多分これで最後だろう。そう思うと胸に鈍い痛みが走る。

「なあ……倉田先輩といつからつきあってたんだい?」

 尋ねるつもりなんてなかったのに、つい言葉が口から出た。

 麻衣は急に頬を赤らめて、握りこぶしを口元に当てる。


「ハヤトに花火大会に誘われる二、三日前に、夏祭りに一緒に行こうって誘われたの。そのとき告白されちゃった。今でも信じられないのよ」

 やや声が裏返る麻衣。幸せオーラがあふれている。


 残念だな。もうちょっと早く誘っておけば、麻衣は今ごろ先輩じゃなくて……いやよそう。そんなことあるわけがない。

 ぼくは両手をギュッと握り、何とか平然を装おうと努力する。


「おめでとう。ずっと好きだったんだろ? 地元のスターであれだけのライバルがいるのに、両思いになれるなんてすごいよ。よかったじゃないか」

「うん。ありがとう」

 麻衣は口元に笑みを浮かべ、こくりと頷いた。

 声が弾んでいる。のろけ話でも始めるつもりか。


「これからは倉田先輩と登校しなよ。ぼくじゃなくてさ」

「それができたらいいのよね。でも家の方向が違うでしょ。ちょっと無理な相談なんだわ」

「遠まわりしてでも誘いに来てもらえばいいじゃないか。先輩も麻衣のことが好きなんだから、それくらいできるはずだよ」

 ぼくだったら距離なんて関係ない。麻衣といられるなら、一時間以上早く起きて迎えに行ってもいい。


 麻衣と両思いになれたのなら。


「だからもう、一緒に登下校するのも、こうやってふたりきりで話すのもやめるよ」

「何言ってんの。あたしたち友達でしょ。今まで通り一緒に……」

「無理言うなよっ。ぼくにできるわけないだろ?」

 ぼくの大声に麻衣は肩をビクッとさせて、歩みを止めた。


「今まで通り友達でいるなんてできない。第一、倉田先輩に悪いよ」

 先輩はおそらくぼくの気持ちに気づいている。だからなおさら、ぼくと麻衣を一緒に登下校させたくないはずだ。

 ぼくは歩みを止めず、そしてふりむきもしない。


「ハヤト、もしかして……ううん、まさかね。そんなことあるわけないか。あたしたち幼馴染だし。自意識過剰だな、あたしって」

 なんだ、自分からプロポーズしておいて、ぼくの気持ちは解っていなかったのか。ていうより、そのことはとっくに忘れているんだろう。


 やっとぼくの気持ちに気づいたのに、そばから否定するんだね。

 あの日の約束をずっと忘れずにいたけれど、結局ぼくのひとり相撲か。


「じゃあぼくは理科室に行くから。麻衣は音楽室に行きなよ。ここでお別れだね」

 ぼくは背を向けたまま、最後の言葉を口にした。


 気まずい空気が麻衣から漂ってくる。どうしたらいいのか解らず、立ち尽くしているのだろう。


 自分の気持ちを抑えたまま、麻衣と今まで通り話せるようなぼくだったらよかった。

 でもそこまで大人になれない。好きという気持ちが友情に変わるまで、しばらく時間がほしいんだ。


 さよなら、ぼくの初恋。さよなら、麻衣。

 ぼくのことなんて気にせずに、倉田先輩のところに行っちまえよ。


 そして、ふたりで幸せな日々を送ることを願っているよ。

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