17-3
それだけ言えば、北原さんに、北原さんの幼馴染みになにが起こったかはすぐに分かった。これ以上は聞きたくなくて止めようとしたが、北原さんは話し続けた。
「幼馴染みは背が小さく、必死に私に喰らいついていたんですね。そのせいで私の肘が右目を直撃。私が後ろへ下がるのと幼馴染みがこちらに向かって走ってくる勢いが合わさりました。……失明は免れましたが、視力はずいぶん低下しました」
「もういいって……」
「事故後の幼馴染みは、ボールを蹴ろうとしても空振り、ボールをキャッチしようとするも触れられやしない。距離感が全然掴めなくなったそうです。スポーツどころか日常生活にも影響が大きかったです。私が……」
「もういいって!」
気がついたらコップを両手で握りしめ、うつむき、ヒステリックに叫んでいた。周りのぎょっとするような雰囲気が伝わってきたが気にしている場合じゃない。淡々と話している北原さんに少しだけ恐怖を覚えた。
「一度でいいから私のことを話したかったんです。だから聞いてください。耳を塞いでてもいいので」
そう言われたからって耳を塞ぐことはできなかった。一番辛いのは北原さんと幼馴染みで、その北原さんが話したいと言っている。あたしには黙って聞く以外の選択肢はない。
「その事故で私と幼馴染みはハンドボール部をやめました。幼馴染みはまともにプレーできなくなったし、私も全力で走れなくなりました。敵味方入り交じるようなスポーツは金輪際プレーできませんね。まあ私の心の傷なんて、幼馴染みに比べればかすり傷です、いや傷ですらありません。……こんなことになりましたが、私と幼馴染みの仲は変わりませんでした。怪我をさせた負い目を感じていましたが、幼馴染みはそんなこと一切関係なく接してくれました。……内心はどうだったのか、それは分かりませんが」
あたしには口を挟む余裕がなかった。なにを言えようか、なにを言ってもきっと薄ら寒くなる。コップを握りしめる手は白くなり、氷水の中にいるように身動きがとれなくなっていった。
「冬休みに入る前くらいに、父が四月から東京勤務になると言いました。私は父だけが東京にいくものだと思っていたのですが母は、二人の生活は心細い、一人じゃまともに生活できないでしょ、などと言って一家で東京へ引っ越すことになりました。両親は仲がいいですね……というよりはあの家から逃げたかったんですよきっと。幼馴染みの家とはどうしてもぎくしゃくしちゃいましたからね」
北原さんは細く息を吐き出し、あと少しです、と言って話を続けた。
「引っ越し前日も幼馴染みとは一緒に過ごしました。高校生になったらセパタクローをやろうかなって弱々しく笑ったのが今でも目に焼きついています。一緒にできれば最高だった、一緒に日本一になりたかった、とも言ってました。高校生になって幼馴染みがセパタクローをやっているのか分かりません。最初はやっていたけど距離感が掴めず、早々に挫折したかもしれません。私には分からないことです。でもいいんです。私はこの道を突き進むと決めました。幼馴染みのためにも、なにより私自身のためにも。日本一、いまはそれしか考えていません」
「連絡は取ってないの? セパタクローをやっているのかどうかくらい分かりそうだけど」
北原さんはため息をつき、肩をすくめた。
「怪我をさせていろいろなものを奪い、逃げるように引っ越した人間が連絡を取れると思いますか? 逆の立場になって考えてみても連絡を取りたくないと思うんじゃないですか」
北原さんと幼馴染みがどんな気持ちなのか、幼馴染みは北原さんをどう思っているのか、人生経験の薄いあたしにはなにも分からなかった。慰めの言葉も簡単なアドバイスを口にするのも憚られた。あたしができることなどなに一つない……。
「日本一になるためにもまずはここでレギュラーにならないといけません。先輩たちだけで勝ってもそれは私が勝ったことにはなりませんからね。明賀先輩も千屋先輩も、今の私じゃどうやっても勝てません。千屋先輩に至っては一生かけても勝てませんね、あれ。でも、阿河先輩なら今から猛練習すればなんとか勝てるかもしれません」
「だからなにかとあたしに張り合ってくるの?」
「そういうことです」
北原さんがあたしを舐めているとか下に見ているとは思っていない。ただ事実を淡々と述べているだけだ。北原さんの意見にはあたしも同意だ。あたしたちの実力は拮抗している。それは明賀先輩も千屋さんも言っていた。
北原さんは空中に張られた一本のロープの上に立っているような危うさをはらんでいるように感じた。北原さんの幼馴染みがセパタクローをやっておらず、北原さんがレギュラーになり日本一になったとして、北原さんはどうなってしまうのだろうか。幼馴染みがいない世界で目標だけを達成し、行く先を見失うってしまうのではないだろうか。そうなったとき北原さんはどこへ行ける? なにかのためになにかを極めた先に、先が見えず虚無感に襲われたりしないだろうか。
そう言うと北原さんはきょとんとし、やがて小さく笑った。
「さあ、どうなるんですかね。なってみないと分からないですよ、そんなこと」
「……あたしは心配なの。北原さんがセパタクローを続ける理由がなくなったときどうなるか」
中学のとき、あたしは陸上の短距離を極めたわけではないが、続ける理由を失った。その後ずっと無為に過ごしていた。気の強いところとか、北原さんはあたしに似たところも多く、つい気にかけてしまう。
「セパタクロー自体が楽しくて続けるかもしれません。ハンドボールに戻ろうと思うかもしれません。本当に分からないんです。でも、みんな一緒じゃないですか? 頂点に立った人もそうでない人も、続けるのも続けないのも人それぞれに理由があると思います。もっと上を目指そうとする人、満足する人、もっとやりたいことや楽しいことに出会った人、普通はこんな感じでしょうか。私はちょっと違うかもしれませんが、本質は一緒だと思いませんか?」
人それぞれに続ける理由、やめてしまう理由がある、結局一言でまとめればそんなところで、身も蓋もない。今年は日本一になる。その後あたしはどうするのか、あたし自身も分かっていない。
「ずいぶん話が長くなりましたね。話も変な方向へ行ってしまいましたし。最初に言いましたが、私の話を聞いて後悔していますか?」
正直に言えば、ものすごくしている。北原さんの過去と重い覚悟を知り、あたしは北原さんとどう向き合えばいいのかが分からない。北原さんとのポジション争いをどうすればいいのかが分からない。
「私には強い覚悟があります。きっと阿河先輩よりです。だからこそ今年は阿河先輩に変わって私がレギュラーになります。そして日本一に」
北原さんはあたしの目をまっすぐ見つめ、力強く宣言した。
あたしは北原さんから目が離せなくなった。
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