5-1

 翌日の放課後、体育館に向かうと明賀先輩も千屋さんもすでにいた。お姉ちゃんに買ってもらったフル装備のジャージと、明賀先輩と選んだシューズのお陰であたしの気合いは満ちている。

 千屋さんは初めて会ったときと同じ格好で、背中の「ALL JAPAN」の文字がちらちらと視界に入ってくる。

「千屋さんって日本代表なの?」

 千屋さんは気に食わない人間だが、わざわざ敵意をむき出しにしたりはしないだけの分別をあたしは持ち合わせているつもりだ。

「違うけど」

「じゃあそのジャージは?」

「私のじゃない」

 この後に、「このジャージはだれそれので、なんで私が着ているかというと……」のように会話が続くことを期待していたが、千屋さんはそれ以上なにも言わず、ボールをつかみ、さっさとコートに入ってリフティングを始めてしまった。

 こいつは絶対に友達がいない。別に友達がいないことや一人でいるのが好きな気持ちを否定する気はないが、普段からこんな態度だとこの先困ることのほうが多いだろうに。千屋さんのことなんかどうでもいいけど。

 一部始終を見ていた明賀先輩はあたしの顔を見て苦笑いした。

 練習が開始されるとあたしは相変わらず一人でリフティングを命じられた。コツを掴んだあたしと、シューズのお陰で順調に回数が伸びていく。シューズに関しては明賀先輩が説明してくれたのだが、側面が平らになっている。それによってボールのコントロールが学校指定のシューズに比べ格段にしやすい。

 リフティングをしながら周りを見る余裕が出てきた。コートでは明賀先輩が千屋さんにトスを上げ、千屋さんが空中で回って派手にアタックを決めている。

「すぐできるようになったわね」

 ひたすらリフティングを繰り返し、気がつくと明賀先輩が近くに来て話しかけてきた。あたしは驚いてボールを変な方向へ蹴ってしまったが、すぐに追いつき、リフティングを続けた。

「それなりに運動は得意なんです。ところで、そろそろ飽きてきたんで別のことしたいです」

「頼もしいわね。……それじゃあ、あれをやりましょう」

「あれ、ってなんですか?」

「千屋さんをぎゃふんと言わせるんでしょ?」

 明賀先輩がにやりと笑い、あたしも顔がほころんだ。だが、どうやって競うのか分からない。今あたしにできるのはリフティングくらいだし、リフティングの回数で勝負とかだろうか。

「昨日いろいろ考えたけど、千屋さんのアタックを一度でもブロックできたら勝ち、っていうのはどう?」

 分かりやすくていい。それに千屋さんのアタックを止めることができたら気持ちよさそうだ。あたしは一も二もなくうなずいた。

「じゃあ決まり。ついでだからセパタクローのブロックに関するルールも説明するわね。と言ってもバレーボールとほとんど一緒で、ネットを触るのとネットを越えて相手ボールに触るのは反則。で、大きな違いは」

 明賀先輩は説明しながら人差し指を立てた。

「ブロックでボールに触るのも一回とカウントするの」

「え!」

 あたしは思わず驚きの声を上げた。バレーボールと違ってブロック後すぐにトスをしてアタックを打たないといけないことになる。せわしないし、大変そうだ。

 実際にやってみましょう、と明賀先輩が言い、一人で黙々とアタックを繰り出していた千屋さんに呼びかけ手招きした。千屋さんはこちらをちらりと見てからゆっくりとやってきた。

「今から阿河さんのブロック練習をするけど、千屋さん付き合ってくれる?」

 千屋さんはあたしを見て露骨に嫌そうな顔をした。

「千屋さんの攻撃練習に阿河さんが勝手に跳んでる、くらいに思ってもらって構わないから」

「それならいいですけど」

 そんなにあたしと関わるのが嫌か、と言いかけたがぐっと吞み込んだ。一回でもアタックを止めて、千屋さんがむきになってくれればこちらとしては万々歳だ。

 ネットを挟んで千屋さんと向き合った。ネット際の右端に明賀先輩、左端に千屋さんが位置した。

「じゃあ、私がトスあげるから千屋さんアタックね。阿河さんは頑張ってね」

 明賀先輩は手に持っていたボールを千屋さんがいる方向へ山なりに蹴り上げた。

 ブロックのやり方なら明賀先輩がやっているのを先週見ていた。

 千屋さんがジャンプするのと同時に両足でジャンプし、空中で右足を持ち上げボールの正面に突き出した……かと思ったが千屋さんのアタックは遥か上から打ち落とされた。

 かすりもしない……。

 遠くからなんとなく見ているのと、近くでじっくり見るのとでは感じ方が全然違う。千屋さんが助走をつけジャンプするだけで怯むし、空中で回転すると風圧すら感じる。

 何回かブロックを繰り返したが、止めるどころか足に当たりすらしなかった。慣れない動きであたし少し息が上がっているのに、千屋さんは息一つ乱していない。

「阿河さん、跳び方がよくないわ。陸上やっていたなら走り高跳びのはさみ跳びの要領、と言えば伝わるかしら」

 あたしの専門ではないし、やったことないがイメージはできる。それに、理にかなっている気がする。

 二、三歩助走をつけるために少し明賀先輩のほうへ寄った。明賀先輩がトスを上げ、千屋さんが走り出したのと同時にあたしも走り出した。ジャンプすると確かに、さっきより楽に足が上がるし、高さもある。今度こそボールの正面に足を突き出した。

 千屋さんが空中で回る空圧とふくらはぎに鋭い痛みを感じるのが同時だった。両足で着地し、ボールが当たったのだとようやく理解した。

「おお、当たったわね。私なんか触れもしないし、大したものよ」

 明賀先輩は素直に感心してくれているが、千屋さんのアタックを止めたわけではない。ボールはあたしの足に当たった後、軌道を変えて視界の端へと消えていったのだけは見えた。

 何十回とブロックに跳んだが一度も止められず、明賀先輩の提案で一度休憩となった。さすがの千屋さんも息を乱し、だいぶ汗を掻いている。今のところ唯一人間らしい反応かもしれない。

 あたしは壁に寄りかって座り込んだ。

「ちょっと厳しかったかしら」

 明賀先輩がペットボトルのお茶を差し出してくれたのでありがたく受け取った。

「いや、いけます。あと少しで止められそうです」

 正直に負けを認めたくなくてとりあえず嘘をついた。負けを認めるならせめて千屋さんがいないときでないとだめだ。

 ブロックでボールが当たり続けている右ふくらはぎに少し違和感がある。タイツをめくりあげるとふくらはぎ全体にうっすらと青痣ができていた。

 明賀先輩はそれを見ると小さく、「うわあ」と呻いた。

「千屋さんのアタックは強烈だからね。初心者だとなおさらそうなるかも」

 練習を再開し、あたしは跳び続けたが一度も止めることができないまま再度休憩に入った。かれこれ一時間以上続けている。あたし以上に千屋さんはキツそうで汗だらけなのに、頑なに座ろうとせず、リフティングをしている。あくまであたしに余裕を見せつけるつもりなのだろう。

「練習時間はあと少しだし、阿河さん頑張って」

 明賀先輩に励まされあたしは立ち上がった。体育館の時計を見ると残り十数分といったところだ。

 気合を入れてブロックに跳ぶも、気合どうこうでなんとかできる相手ではない。ボールはあたしのふくらはぎに当たってどこかへ飛んでいく。足一本でブロックどころか足だけでバレーボールをやろう、と考えた人はどうかしている。あたしはジャンプして伸ばした右足のつま先を見ながらルールにすら文句を言いたくなってしまった。こんな小さな面積でボールが止まるわけがない。もう少しボールが当たる面積があれば……。

 着地すると同時にひらめいた。もしかしたら止められるかもしれない。たぶんチャンスは一回だけだ。

 明賀先輩がトスを上げ、千屋さんが走り出した。あたしもさっきと同じように助走をつけた。このスポーツは足だけを使うバレーボールじゃない。腕以外を使うバレーボールだ。

 千屋さんがジャンプすると同時に両腕を振って真上にジャンプした。両足で。

 千屋さんが空中で回るのを視界の端にとらえながらあたしもネットに背を向けるように空中で回った。背中でネット前に壁を作ると同時に、肩甲骨の間の少し下あたりに衝撃が走り、息が詰まる感覚に襲われた。

 ボールの落ちる音が聞こえたが、行方が追えなかった。着地して振り向くと、ボールが明賀先輩の足元に転がっていた。明賀先輩は小さく拍手をし、千屋さんはあたしを睨んでいる。

 あたしはようやく今起きていることを理解した。……止めた、千屋さんのアタックを!

「背中でブロックなんて、よく気がついたわね。あえてなにも教えなかったのに」

「……教えてくださいよ」

「試合中に考えながらプレーする力を身に着けてほしくて」

 明賀先輩が本当のことを言っているのかはどうでもいい。千屋のアタックを止めた、これだけで今は満足だ。

「どう? 千屋さん。あたしにブロックされた感想は」

 あたしは顔を少しだけ上に向け、千屋さんを見下ろした。自然と顔がほころんでしまう。

 千屋さんはしばらくあたしを睨んでいたが、深呼吸し呆れた表情を浮かべ、

「バカなの?」

とつぶやいた。

「八八対一」

「なに?」

「だから、八八対一。それでよく勝ったって言えるね」

 八八回のアタックを止められなかった、ということを理解するのに少し時間がかかった。終わったらあたしの自尊心をへし折るために律儀に数えていたのだろうか。性格の悪さがうかがえる。

「練習終わりですよね。帰ります」

 千屋さんはそれだけ言うとあたしたちに背を向けて体育館の出口へ向かった。

「勝ちは勝ちだよ!」

 あたしはその背中に高らかに勝利宣言をしたが、千屋さんは振り返ることがなく、どんな表情をしているか分からなかった。

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