第7話 自縛魔

 殺戮領域の中は夜のように暗く、地面は泥だらけになっており、時折気味の悪い石像が散見される。

 ロスト達は自縛魔に見つからないようにする為、石像の後ろに隠れながら二軍のメンバーを探していた。

 歩いていたら、レクが後ろのメンバーに『止まれ』の合図を示す右腕を挙げた。途端、中腰でレクの背中を追っていた三人の足が止まる。

「どうしたの?」

 サツキがレクに聞いた。

「……目玉だ」

「……………うっ」

 レクの背後にいたリボンが、右手で口を抑えながら吐いた。その目はとても見れたものじゃなく、彼女が吐いてしまったのもよく理解できる。一体ここで何が起きたのだろうか。

「大丈夫?」

 彼女の背中をさするサツキ。

 一番後ろにいたロストは、目玉を見る為にレクの元にしゃがみながら移動した。

 目玉を見たロストの背筋がゾッとする。

「……これって」

「あぁ……多分、二軍のものだ」

 地面に根っこのように張り付き潰れかけている誰かの目玉が、ロストを恨んでるみたいに凝視していた。

 ロストは腹に込み上げる恐怖を押し込むみたいに唾を何度か飲んだ。四人の右側に佇む石壁に手をつけながら。


はあ……はあ……。


 ロストとリボンの、小刻みに揺れる激しい呼吸音が辺りに響く。

「いけるか?」

 レクが心配そうに質問した。

「「はい」」

 弱々しい声だったけど、返事を聞いたレクは納得したように頷いて二人の肩を二回、ポンポンと叩いた。それで恐怖が消える訳ではないけれど、ロストもリボンも互いに見つめ合って、励まし合うみたいに首を縦に振る。

 みんながいれば怖くない。

 そう思ったロストは再び剣を握り返した。

 が次の瞬間、それは間違いだったと気づく。


——ヨウコソ


「ーーッ!!」


 声が……耳元で聞こえた。

 左耳に、囁くように小さな声だった。

 誰の……声、何だろ……。

 サツキ? リボン?


 いや、どれも違う。


 ロストは鼻の奥がひん曲がりそうな禍々しい強烈な匂いと、何より腕の鳥肌が全て逆立つような、全身がゾッとして心臓がピタッと止まるような、そんな不気味な雰囲気を自分の左肩からビンビンに感じた。心臓を滅多刺しにされるような鋭利な殺気は、これまでにロストが遭遇したどんな魔人よりも比較にならないくらい強大なもので、ロストは今直ぐにでも右手に握られた魔剣を振り回して戦わないといけないのに、胴体と肩を繋ぐ筋肉群が完全に硬直して剣を翳すことはおろか、持ち上げることすら出来なかったのだ。

 殺される……と直感的に感じた時、


「……逃げろ!!!」

 

 レクの叫び声と共に、彼の腕がグイとロストの肩を掴み、彼を石像の後ろ側へと大きく投げ飛ばした。


「ーーッ!」


 瞬間、ロストの金縛りが解ける。ロストは直ちに魔剣を発動するが……。

 ドドーーーン……ダダーーン……。

 石像が大きなヒビを成して破裂し、その残骸が周囲に飛び散った。

「……みん、な……」

 ロストは必死に塵をかき分け、視界を確保する。

 その時だった、奴と目が合ったのは。

 横楕円型の顔に三角形の頂点のように張り付いた三つの目玉が、ロスト達を凝視したのだ。

 思わずロストは、自縛魔の凄惨なさまに目を奪われた。

 奴の鍛えられた灰色のシックスパックと、バネのように伸縮性のあるシュっと引き締まったふくらはぎに……。

 そして拳に……。

「サツ……キさん?」

 呆気に取られるロスト。



 戦っても絶対に勝てない相手……絶望的ともいえる自縛魔の威圧。

 勿論ロストは自分と奴の力の差を理解していた。行けば死ぬ、と断じて分かっている。

 でも……


 足が勝手に動いていた。


「なっ! ロストォォォォ!!!」

「お前ェェェ! サツキさんに何しやがるんだぁぁぁぁぁぁ!!!」

 突如、彼の魔剣に炎の龍が発動した。水をも一瞬で蒸発させる地獄の炎。

 怒りに燃えたロストの魔力が、魔剣の付与魔法を激しい火花と共に発動させた。

【ナンだ、オマエ】

 すると自縛魔はロストの突進に気づき、面倒くさそうに振り向いた。

 ロストはそれを気にせず無鉄砲な上段切りを繰り出すが………自縛魔の腕が剣先を受け止める。

「なっ!」

 続いてロストは剣の方向を変える。

 腕……駄目だ。

 首……硬すぎる。

 腹、脚、頭……。

 しかしどこを狙っても、自縛魔は片手間で攻撃を避けたり防いだりする。

 皮膚が厚すぎて、魔剣でも切り裂けないのだ。

 これがサツキやレクも恐れる自縛魔の実力なのか。

 ガイルの時と違って、一振り一振りの攻撃に手ごたえを感じない。

 


「せめてサツキさんの腕だけでも……」


 サツキの眼球を貫いている自縛魔の右腕。

 勝てないと踏んだロストは、奴の右腕を狙うが……。


「……硬い」


 キン! と金属音が鳴って刃が肉を切り裂けない。

 自縛魔の身体は強力な魔力で作り出したにコーティングされていて、ロストの一撃ではビクともしないのだ。

 どうする? どうすればいい? 魔剣が効かないなら、どうやって奴を倒せばいいのか。

 ロストがそんな事を考えていると、突然、

 それは金属製の物体が泥に落ちた時に発生する、ベチャッとした潰れた音だった。

 何かが地面に落ちたのだ。

 ロストは視線を下げる。

 瞬間、


「……え?」


 ロストが見たのは、であった。咄嗟に自分の右腕を見ると、確かに手首より先が何もない。



「斬られたのか、僕は」





………………



………


 

「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」」

 ロストの叫び声と重なって、リボン・ラベナイルが自縛魔の右腕を轟音を鳴らしながら切断した。

「リ、リボン?!」

「おい! 勝手に突っ込むな」

 右手を抱えるロストの元へレクが駆けつけた。レクはポケットにしまってあった包帯をロストの手首に巻き付ける。

「で、でも……」

「いいか?! アイツと戦うなら全員だ!」

 ロストの言葉を遮ってレクが怒鳴った。

 その顔は血管が浮き彫りになっていた。焦ったような忙しない手つきで、ロストの右手首に包帯を巻いていく。

「すみません」

 ロストは自分の不甲斐なさを感じながらレクを見つめた。今度は自分が先輩を助けようと思ったのに、倒すことはおろか、自分自身が惨敗してしまった。昨日レクのテイムの話を聞いて、自分の可能性に少しでも期待した自分が愚かだった。軽率だった。

「……レク先輩」

 サツキを背中に抱え戻ってきたリボン。サツキは微かに意識を保っているものの、もはや戦える状況ではなかった。

「……クソ!」

 レクが小さく呟いた。

「とにかく一回ここを出るぞ。サツキの治療が先だ」

「……だ、ダイジョ……ブ。私は……まだ戦え……るから……」

「何言ってる?! そんなんじゃ……」

 とレクが言いかける前に、自縛魔は轟音を鳴らして三人を襲って来た。

「ーーッ!」

 散らばる三人。

 自縛魔を囲むように、三人は武器を構える。ロストは利き手じゃない左手で魔剣を握った。勝てるだろうか——そんな迷いが心を覆い尽くす。でも戦う以外に道はないのだ。どれだけ弱くても、生きるか死ぬかだ。

 自分が囮になるしかない。この中で一番、価値がないのは自分なんだから……。

 ロストはそう強く言い聞かせる。


 覚悟を持って刃を成せ!!


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 まさに特攻隊長。

 ロストは左手に魔剣を握り、自縛魔の命を奪うため突撃した。自縛魔に近づく度に自分の死を実感してやまない。心が、体が前進することを阻害するのだ。死を感覚的に理解してるのだ。だけどロストとって、自分が死ぬ事よりも目の前で大切な人が亡くなるほうが怖かった。絶対に目覚めない亡骸と、この世界のどこにも"それ"が存在していないという空虚な真実が、死よりも恐ろしいものに思えた。


 これで……死ぬんだ……。




「少しは……人の……役に立てたかな?」



 と、その時!




「今だー!!」見知らぬ男の叫び声。刹那、に染まった。スモークである。誰かが周囲にスモークを撒いたのだ。その瞬間、ロストの体を誰かが掴む。

『誰だよ!』とロストが声を出そうとした時、


「死にたくなかったらついて来い」


 真っ黒の眼帯で右目を覆った赤髪ポニーテールの女が、ロストの肩を握って言ったのだ。ロストは突然の出来事に言葉を失ったが、視界が白銀に染まる中、彼女の安定した足取りと気配が何よりも彼の心にゆとりを与え、『この人だったら大丈夫かも』という強い安心感を芽生えさせた。

 そしてロストは直感的に理解した。この人が二軍のメンバーだって。


*   *   *


「こっちだ」

 謎の赤毛女の背中を追いかけながら、ロストは死に物狂いで走り続ける。彼女はとても素早いので、少しでも気を抜けば置いてきぼりにされてしまうのだ。ロストは疾走してる間、三人のことが心配になった。煙が視界を妨害する中で三人と離れてしまったのだ。しかしそんな不安はスモークの先を抜けた、大きな岩石が四方を覆う場所に着いた時、完全になくなった。

「みんな……」

「よかった……ロストもいたんだな」

 そこにはレクもリボンも、そしてサツキも運ばれていた。みんな、生きてる。よかった。

 途端、ロストの力がすぅーと抜ける。

「これで全員か?」

 ロストを引っ張った眼帯の赤毛女が言う。

「あぁ……これで全員だ」

 レクが答える。

「まったく! お前ら何しにきやがったんだ!」

 突然荒々しい声でそう言ったのは、チーズバーガーのように膨らんだお腹を突き出した、大男のロック・ラグナロクだった。太り過ぎているのでズボンと軍服がパンパンになっている。

 先程の攻撃的な言葉を擬人化させたような容姿を彼は纏っている。よく見ると、ロックの背中には巨大なハンマーが付けられている。大きな身体を活かした戦法を用いるみたいだ。

 ロストは、彼の声がさっき合図を出した男の主であることを瞬時に察した。

「もう〜そんな事言っちゃった駄目ですよ! この人達は私達を助けに来てくれたんですよ」

 彼に続いて、今度はフワフワした優しい声がロストの耳に入った。小柄で緑色の髪の毛が特徴的なお淑やかな女の子だった。彼女の名前はミル・シルフィーユ。彼女は濡れたタオルでサツキの額を拭いている。

 二人とも眼帯赤毛女と同様、二軍の一員である。

「重要なのは結果だ。こいつらがここに来た理由なんてどうでも良いんだ。こいつらのせいで頼みの綱だった最後の発煙弾を使っちまったんだ……」

 その声はとても冷徹であり、そして異様に高かった。

 こう言ったのはロスト達を囲む大岩の頂点に座る黒髪少年のジョブだった。彼のずっしりとした黒の前髪が、より一層彼の陰湿さを際立たせている。

 そしてそんなジョブの言葉に拍車をかけるみたいに、蛇の"コブラ"がトゲトゲした声で言った。

「ははは。オレ様もそう思うのじゃ! この雑魚共の手助けなんて必要ないぜ」

「…………へ、ヘビィィィ?!!」

 ロストは思わず大声を出してしまった。

「おいうるせぇーぞ、餓鬼」

 冷たく遇らう大岩に座るジョブ。

「オレ様の名前はコブラじゃ。蛇の魔人だ」

 目を瞑って舌を巻き巻きするコブラは、ロストに自慢するみたいに答えた。

 このコブラと少年と思われるジョブも、二軍のメンバーらしい。

 眼帯女。ハンマーを背負っている太った大男。緑の美少女。生意気な少年。ただの蛇。

 なんだこの構成メンバーは……。

「チャオ、二軍もこれで全員か?」

 レクが眼帯女のチャオに尋ねる。

「ええ……全員よ」

 チャオは自分の眼帯を手で摩りながら答えた。ロスト達が道端で見つけた眼球は彼女のものだったのだ。

 ロストは周囲を一瞥する。

 しかし何度見ても、二軍がイロモノパーティだという感想は拭えない。クセが強すぎるのだ。本当にこの人達が殲滅隊なんだろうか。

 とはいえ命の恩人である事には変わりない。もしあの時、この人達が煙幕を使ってロスト達を助けてくれなかったら、今頃全滅だったに違いない。

 ところがそんな事を考えていたら、まるでそれを揶揄するみたいにロックが声を出した。

「おい、お前ら何でここに来た?」

 クスリ野郎?

 ロストが首を傾げていると

「上からの命令だ。それも緊急だった」

 レクが答えた。

 クスリ野郎とはレクの事らしい。

「チィ…‥余計な真似しやがって。ならず者に助けてもらう義理はねぇーよ」

 ロックはレクと鼻先同士が触れそうな程までに近づいて言った。右目を吊り上げながらレクの顔をニマニマと睨みつける。

 どうやら二人は因縁があるみたいだ。

「そういうお前こそ、無月むげつのお溢れじゃないか?」

「あぁッ! てめー舐めてんだろ?! 俺はいつかあのイきり野郎もぶっ倒して最強になるんだよ! お前みたいな臆病者と同じにすんな!!」

「俺は臆病者じゃない」

「は? 笑わせてくれるぜ! じゃあよ……」

 ロックは一息ついて、嘲笑しながら

「何で、お前だけ生きてたんだよ? どうせ、逃げたんだろ?!」

 瞬間、レクが血相を変えた。

 彼の胸ぐらをグイッと掴む。

 そして鬼のように低い声で言った。


「お前……ここで死ぬ?」


 レクが声を出した時、冷たい夜風のような風が二人の間に吐いた。レクもロックも目が前髪にかかり、沈黙が流れる。誰も声を出さない。これから二人の殺し合いが始まるのではと、ロストも心の中がザワザワした。

 そんな緊張感の中、この絶妙な空気を打ち破ったのは眼帯赤毛女チャオだった。

「二人とも、今は喧嘩する時じゃないだろ?! 全員死ぬぞ」

「「………」」

 チャオが言うと、レクもロックも何か言いたげな口元をギュッと押さえて、それから数回舌打ちをついた後に其々反対側の大岩に背を預け座り込んだ。

 チャオも呆れたようにため息を吐いてその場に胡座をかく。

 そんな彼らを見ていたロストは、ふとサツキの事が気になった。彼女の元へ足を進める。

「……サツキさん大丈夫そうですか?」

「うん。致命傷だけど持ち越したよ。魔力も回復してる」

 彼の質問に答えたのはミルだった。ミルはずっとサツキの付き添いをしてくれている。

「あなたのこと……知ってるよ。ロスト君でしょ?」

「知ってるの?!」

「うん、二軍の子はみんな知ってるよ」

「そう、なんだ」

 下を向くロスト。少し嫌な感じがする。

「ロストくんってマーキュリー博士達に何されたの?」

「それが……よく分からないんだ。覚えてなくて」

 ロストは人体実験を受けると決めたあの日から、目が覚めた時の間にある十年間について何も覚えていないのだ。一体マーキュリー博士は何のためにロストに近づいたのか。ロストの体に何をしたのか。

「この紋章が関わってるのか……」

 ロストは左手に時々現れる黒龍の紋章を見つめた。この紋章はラディオンに収容される前からあったもので、いつどのようにこれが左手に描かれたのかロスト自身も覚えていない。

「パン食べる?」

 突然ミルがロストに言う。

「え……う、うん」

 戸惑いながらも縦に首を振ると、ミルは少し微笑んで地面に転がっていた石ころを一粒取り出し手のひらに乗せた。それから彼女はロストに好きなパンの種類を聞き、ロストが『クロワッサン』と回答すると、その石ころは瞬く間に白い霧を放ちミルの手を覆う。

「私の能力は物体をパンに変えることができるんです」

「物体をパンに?!」

「……うん。勿論ただのパンじゃないよ」

 ミルがそう言うと、白い霧は少しづつ空気中に溶け込んでいき、最終的に残ったのは彼女の手のひらの上にポツンと置かれた熱々のクロワッサンだった。とてもフワフワしていて見てるだけで涎が出そうになる。

「た、食べていいの?」

「うん!」

 クロワッサンを手に取り、恐る恐る食べてみる。口に入れた瞬間、水のように生地が口の中で蕩ける。とても美味しい。

「おい、しい……」

「でしょ! 後、何か気づきませんか?」

 ミルが覗き込むように聞く。

「魔力が回復してる?」

 ロストがボソッと呟いた。

 その言葉を聞いたミルは、パァーと笑顔の花を咲かせて

「そう! 私のパンは魔力を回復させたり怪我を治療したりできるんです」

「すごいね。パン屋さんとかやれば良かったのに。繁盛したと思うよ。だって美味しいもん」

「まぁそうなんですけど。お父さんが借金作っちゃっいまして。殲滅隊ってお給料が良いから……それで」

 ミルは残念そうに顔を下げた。

「そうだったんだ」

 ロストはクロワッサンを頬張りながらミルの話を聞いた。

 折角美味しいパンなのに……。

 するとロストのパンを見つめていたコブラが、ぶっきらぼうにミルの所に近づいて

「なーオレ様にもくれ、ミル氏よ」

「えーさっきいっぱい食べたでしょ」

「オレ様はあいつの追跡をするのに魔力を使うのじゃ。頼むぜよー」

 コブラがつぶらな瞳でミルを見つめると、彼女が押しに弱いせいか、呆気なくコブラにもクロワッサンを作ってしまった。コブラは喜んで泥に落ちたクロワッサンに首を突っ込む。

 その姿がどこか愛らしくて、ロストは思わず笑ってしまう。すると馬鹿にされたと思ったのか、コブラはロストに向かって首を広げて威嚇した。

「ロストくんを驚かせちゃ駄目ですよ。仲間なんですから」

「チィ、オレ様を馬鹿にするな。オレ様がいなければ今頃お前達は死んでおる」

「ど、どういうこと?」

 ロストが質問すると、コブラは『待ってましたと』と言わんばかりに胸を張って(胸なんて無いけど)を答えた。

「オレ様の力は毒だ。それもただの毒じゃない。毒が追跡装置の役割を果たすのじゃ」

 コブラが答えると、ミルは微笑んで彼のエラを指でこちょこちょした。するとコブラは気持ちよさそうに全身をくねらせて大笑いする。

「アハハ。や、やめんるのじゃ。アハ。アハハ」

 ロストはやっぱり、コブラを可愛いヒトだと思った。


 それから何分経ったのだろうか?

 各々が看病や腹ごしらえ、睡眠など休息を取っていた頃、岩の上に座っていたジョブが声を出した。

「そろそろ俺の魔力が切れそうだ。ミル、"アレ"を食わせろ」

「え! もう魔力が切れたんですか?」

 キルがびっくりした様子で答えた。

 何もしてなさそうに見えるジョブ。そんな彼が魔力を消費するなんて一体何があったのだろうか?

 疑問に思ったロストはジョブに尋ねる。

「…………」

 しかし何も発しないジョブ。

 するとパンの生成中だったミルが、代わりに答えてくれた。

「ジョブくんの魔術は【結界術】なんです。結界内の音が外部に一切漏れない特別な結界なので、私達がこうしてお喋り出来るのは全部ジョブくんのお陰なんです」

 話を聞いたロストは、もう一度ジョブの方を直視した。ポーカーフェイスで何を考えてるか分からない少年だったが、こうしてる間にも魔力を消費している。

 体は大丈夫なんだろうか。

 ロストがジョブを心配していると、案の定、眼帯のチャオが結界の発動を止めるよう彼に命じた。

 実はジョブは

 このまま結界を張り巡らしていたら、死んでしまうのは明白だ。

 しかし結界が消滅したら、ロスト達の音が外に流れてしまい、奴が襲ってくる。

 まさに絶対絶命。

 するとチャオは、岩に寄せていた身体を立ち上がらせて、ロスト達に言った。

「……戦うしかない」

「戦うってお前、相手は自縛魔だぞ?」

 大男のロックが右手を横に振り翳して批判した。

「でもそれしか無いでしょう? 出口は北に設置された"光のとびら"だけ。走って辿り着ける場所じゃない。必ず奴と対峙する。だったら戦うしかないよ」

 みんなの心に突き刺さるチャオの言葉。

 殺戮領域は侵入する事は簡単でも、逃げ出す事は、魔法なしで空を飛ぶ事に等しい。

 全方位から入れたのに対して、抜け出すのは一つの場所しかない。

 二つの大きな大岩の隙間から見れる、夜空に輝く星のような小さな光。あれが殺戮領域に設けられた唯一の出口だ。

「俺はこいつらと一緒に戦うなんて無理だ。身代わりにされるぞ」

 それでも尚反対するロック。

「じゃあ他に良い案があるのか、ロック」

 切り裂くようなチャオの台詞。しかしロックはそれを待っていたのか、少しニヤリと口角を上げて

「あぁ勿論あるぜ」

「なに?」

「ロスト・アルベルトギフテッドを囮にし、その間に俺達はここを脱出する! どうだ?!」

 瞬間、レクが彼の顔面を殴った。

「てめぇーなにすんだ?」

「部下の命を守るために殴ったまでだ」

 またもや痺れる二人の関係性。

 それを肌で感じたロストは咄嗟に声を出す。

「わ、わかりました。僕が囮になります」

「ーー!」

 ロストが言った途端、彼らの間に電撃のようなものが流れた。嫌な顔を一つせずに志願したロスト。流石のロックもハの字に口を開けている。

「馬鹿じゃないの?! 死にたいの?」

 リボンは敵を睨みつけるみたいにロストを凝視した。

「でも僕は元々死刑囚だ。本当はここにいて良い人間じゃない。もし……誰か一人を犠牲にして八人の命が助かるなら、そっちを選択すべきだ」

 ロストは肩の力をギュッと入れて答えた。自分で発言してるくせに、胸がキュッと締め付けられるみたいに痛くなった。自分を卑下するのは楽だけど、心臓がポッカリ空いたみたいだ。

「これは命令だ。二度と口を挟むな」

「そうよ。そんな事したらサツキ先輩が悲し」

 反論する二人だったが、それを遮ってロストは話を続ける。

「僕はいっぱい人を殺した。もうこれ以上、僕の前で人が死ぬのは嫌なんだ!! この中で一番"生きる価値"がないのは僕だ。みんなもトロッコ問題って聞いたことあるでしょ? その死刑囚版だよ」

「アハハハハハ、これゃあ傑作だ。こいつ素質ありだぜ」

 ロックは大きく拍手をして大笑いした。沈黙を彼の笑い声が突き刺す。

「俺はどっちでも良いけど、早く決めてくんない? そろそろ結界が消滅する」

 ジェブは冷や汗を掻いてそう言った。寝不足による激しい頭痛と魔力枯渇が彼の身体を蝕んでいるのだ。

 時間がない。選択を迫られるロスト達。

 そんな中、再びロックが口を出す。

「俺はこいつの囮作戦を進めたい。実に合理的かつ"倫理的"だ。だろ? チャオ」

 ロックはそう言ってチャオの肩を叩いた。顔を曇らせるチャオ。二軍のリーダーである彼女の発言が、ロストの行く末を決めるのだ。

「私は——」

 チャオはロックと目を合わせた。

 ロックの目が一瞬どよめく。

 そして次の瞬間。


——バンッ!


 チャオはロックの顔面を、思いっきりぶっ叩いた。


「な、何すんだよ、チャオ」

「確かにこの男を囮にすれば全員が助かるかもしれない。でもさっきこの男は真っ正面から自縛魔と戦っていた。勝てない相手と分かっていながら、自分が死ぬと分かっていながら、敵に刃を向け続けた。そんな彼の勇姿に価値がないと言うのは過言だと思う」


 チャオはロックの囮作戦に断固拒否した。ロックが幾ら説得しようとしても、彼女は応じない。

「俺もこの男を囮にするのは反対だ。何せ、こいつ如きで時間が稼げるとは思えない。せいぜい十秒が限界だろ?」

 ロストの味方とも敵とも言えるジョブの言葉。

 だけどロスト囮化作戦には反対なようで、それはミルも同じであり、なんと意外ではあったが蛇の魔人"コブラ"ですら批判的だった。ただコブラについては長いものに巻かれろ主義なので、単純に人数が多い方にベットしただけかもしれない。

「……クソッ! お前ら全員死ぬぞ」

 遂に観念したロックは捨て台詞を吐いてその場に背を向けた。

 どうやら全員で戦う事が決定したようだ。

「あの……僕ごめ」

「それ以上言うな」

 レクの顔は険しかった。


*   *   *


「準備はいい?」

 チャオが背中の大剣に手を伸ばして言った。

 ロックも背中に装着していたハンマーを取り出し、"戦闘部隊"はそれぞれ武装体制に入る。

 負傷したサツキと魔力枯渇したジョブ、ミルとコブラは大岩の下で休息を取ることになった。コブラも毒の使い過ぎで魔力が枯渇しているのだ。


「気配に気をつけろ」


 ざわっと、胸の違和感がロスト達を襲う。

 先頭に立つチャオが、終始視線をキョロキョロと動かす。

 ロストもそれに影響されてか、水滴が地面に落ちる小さな音ですら敏感に反応するようになった。

 みんな、慎重に足を進めていく。

 しかしそんな事をしていると、一番後ろにいたロックが不満に声を出した。

「なぁ〜大声出して誘き寄せた方がいいんじゃねぇか?」

「確かに一理あるかもしれん」

 チャオが関心した顔で言った。

 自縛魔は視覚聴覚といった五感が異様に優れている。

 だから大声を出すというのは、自縛魔を誘い出すのに有効的な作戦と言えるだろう。

「ははは、やっぱりな。俺はお前ら——特にクスリ野郎より頭が良いから。よし、そうと決まれば誰か大声出せよ? おぉ! ここに適任がいる——」

 得意げに話すロック。

 ふと、彼の背後の暗闇に何かが動く気配がした。

 なんだろ……?

 そうロストが呑気に思っていた時、それは刹那……。


「ロック!!」


 レクが血相を変えて彼の胸ぐらを掴んだ。


「はっ? お前何して……」


 瞬間……。


【シャキーン】


 轟音と共に"斬撃を纏った"風がレクの体を通り過ぎた。


「お前……まさか」


「ーーッ!」


 レクの身体に鮮血が飛び散った。

 右肩から腰辺りまで、彼の身体を斜めに横断するように斬撃が入った。

 攻撃を受けたせいで口から血を吐くレク。

 それを間近に見たロック。

 不覚を取ってしまったロックは、その怒りを存分にぶつけるみたいに自縛魔に飛び込んだ。


「オラォォォォ!」


 大岩の何倍も重さがあるハンマーを振りかざす。悍ましい破壊力を持つ彼の攻撃。

 自縛魔はつかさず右腕でロックの攻撃をカバーする。


「グゥ……」


 激しい轟音と波動がロストを襲う。

 規格外のパワーもパワーのぶつかり合い。

 これが……レクやサツキと同じAランク保持者の実力なのだ。


重鍵ロック


 ロックが詠唱すると、自縛魔は風船みたいに身体が宙に浮いた。

 奴は一瞬だけでロックから意識を外す。

 勿論ロックはそれを見逃さずに……


「オラォォォォッッ!!」


 途端、彼のハンマーに黒いモヤが宿る。

 付与魔法の発動だ。

 重々しいハンマーが自縛魔の身体を遠方へと吹き飛ばした。


「お前らぁぁ! 一気に畳み掛けるぞ!」


 ロックはここぞとばかりに自縛魔に攻撃を仕掛ける。

 狼狽える自縛魔の身体にロックのハンマーが次々と殴りかかってくる。自縛魔は急いで形勢を取り戻そうとするが、奴が構える前にロックは右に左にと攻撃を続ける。

「そこ、どいて!!」

 そして統制を失った奴の身体に、リボンの瞬足の斬撃が入った。

 それは雷のような速さで自縛魔と頭部から足先までを一巡し、


「………アァァ」


 自縛魔が気付く頃には、両手を千切りにされていた。

 流石の自縛魔も身体をハンマーで叩きつけられ、両手を斬られるのはきついらしい。

 大きな咆哮をあげ周囲を威嚇した。

 身体を再生させる為か、全身に湯気のようなものが立っており呼吸が荒くなっている。

 弱っているのだ。

 そしてこんな絶好のチャンスを、二軍リーダーであるチャオが見逃さなかった。


「そこを離れて!!」


 遠くから聞こえるチャオの掛け声。

 彼女は右手の紋章から紅蓮の光を放っており、左手で右手を押さえて"的"が外れないようにしている。

 チャオの周囲に地震のような地割れと暴風が吹き荒れている。圧倒的な魔力量に、周りの地面や空気中の魔素に"ゆらぎ"が発生してるのだ。

 これは……何かとんでもない事を仕出かすに違いない。

 そう思ったロストは急いで自縛魔から離れる。

 そしてその行動は……大正解だった。


【魔術 破天路はてんろ


 チャオが高らかに詠唱すると、強烈な紅の閃光が迸った。

 激しい轟音と地鳴りが周りを一掃し、それは殺戮領域全土に四散する。

 太陽の光があらゆる大自然の根源的要素を司る存在であるように、その赤々とした強烈なエネルギーの集合体は空気や"摩素"といった微小世界から得られたものである。

 ただ眺めているだけで、目の奥が焼けてしまいそうだ。

 圧倒的な力。

 しかしこんなにも莫大なエネルギーの流転が起こるのだから、それなりの代償が存在するのも確かだ。

 まず術者本人は、観察者の想像を絶するような痛みと魔力枯渇を受ける事になる。つまり、連発は出来ない。

 だけどこれでは"代償"と呼べない。

 何せ当たり前の事なんだから。

【魔術 破天路】の最大の欠点は、"他人の魔力も消費してしまう"点だ。


1, 魔術者本人の身体に直接触れた者。

2, 魔術者本人が魔術を行使する時点で、半径三百メートル圏内にいた者。


 この二つを満たす生物の魔力を極限まで吸い取ってしまう。

 これが代償だ。

 勿論吸い取る魔力が多いほど、攻撃力も増す。

 味方ではなく、敵の魔力を吸い取る可能性があるのは素晴らしい点だ。

 つまり使い勝手によっては、最強クラスの能力になり得る。

 が生死を分ける戦いの中、態々わざわざ魔獣の身体に触れる機会があるだろうか。

 三百メートル以内に条件を満たす生物がいなければ魔力を吸い取ることも出来ず、そもそも自力で能力を発動しなければならない。

 そうなれば……過度の魔力枯渇により死に至るのは明白である。

 そして忘れてはならない。

 チャオが触れた生き物……即ちロスト達の魔力は、全てチャオに吸い取られてしまう。しかも吸収量は、チャオ自身でコントロールする事は出来ない。

 つまり……戦闘部隊全員が魔力枯渇に陥り、一定時間戦闘不可になるのだ。

 まさに諸刃の剣ような魔術。

 これで敵を倒せなかったら、ロスト達の敗北は一目瞭然である。

 だから【魔術 破天路】は滅多に使わないとチャオも決めていたが、相手が強すぎるのでここは賭けに出るしかない。

「うわぁぁぁぁ!!」

 チャオがその深赤の炎を纏いながら右手を前に突き出し、蒼の光線を自縛魔に向けて放った。

 たとえ命の炎が全て燃え尽きたとしても譲れない事がある。

 限界のその先を踏み出してまで勝たなければならない敵が、彼女にはいるのだ。


【ギャャャャャャャャャ】


 水浅葱のビームは空気を揺らしながら自縛魔を包み込んだ。

 凄まじい火柱が殺戮領域を赤々と照らし、轟音と共に自縛魔は後方の大岩に飛ばされた。

 全身から煙を上げて倒れており、身体はビクリとも動かない。

 流石は最大火力の魔術だ。

「みんなー大丈夫?」

 チャオは炎の大地を四つん這いになりながら声を出す。

「うーーだ、だいじょ……」

 ところがロスト含め、戦闘部員としてチャオの魔術範囲に入っていた人達は地面に蹲っていた。

 魔力枯渇が起こり目眩や吐き気が起きているのだ。

 やはりこの魔術は代償が多すぎる。

 改めてチャオは自分の魔術の利点と欠点を自覚した。

 さて自縛魔の方に目を向けてみる。

 自縛魔は指一本動かさない。

 チャオはとても安堵した。

 だから彼女は勝利を確信して、遠方にいたミル達にこちらに来るように声を促した。


「みんな! 終わったよ……もう出て」


 しかしそれは……刹那の事。


——イタい。イタい。


「………?」


 ドブのような声が聞こえた。

 それは絶対に聞こえてはならない声だった。

 死を意味する声だった。


「みん…な、にげて」


 絶望に打ちひしがれるチャオ。

 全てを乗せた魔力の大道を持ってしても、自縛魔という化け物の息は絶えないのか。

 炎の隙間から現れた自縛魔の身体は確かに弱っていた。

 全身は焼け落ち、黒い骨が露骨に見えている。

 がそれと同時に全身から湯気が上がり、急速に傷口が回復している。

 自縛魔は勝ち誇ったみたいに微笑を浮かべた。


「……そんな」


 ロストは地面を這いずり回りながら泥に埋まる剣に手を伸ばす。

 だが激しい魔力枯渇と酷く傷ついた身体が彼の足を止める。

 どうにしかして加戦しなければ。他のみんなも疲れ切ってる。

 でもチャオの圧巻とも言える魔術に耐え切ったという絶望的な現実と、回復の湯気が放つ異様な威圧感を前に、ロストの身体は石みたいに固まってしまった。

 そしてリボンもレクも、そして強気だったロックですらそんな事を思っていた。

 だがそれに対して自縛魔は緩やかな表情を浮かべながら、遠方の大岩に目を向ける。

「……まさか」

 ロストは背中がゾッとした……。

 何せ、奴が向かっている方向は——ミル達がいる場所だから。

「オ、お前! オレ様に近づくな」

 コブラの顔が蛇らしからぬ怯えた顔をしている。いついかなる時(ミルのこちょこちょを除いて)も、常に威厳とプライドを守ってきた彼の態度が、脆くにも崩れ去っていく。

 ここで倒さないとロスト達に勝ち目はない。

 完全復活する前に殺さなければ。

 瞬時にそう感じとったコブラはシャーと唸り声を上げて、自縛魔に飛びかかった。

 それはとても速く力強い攻撃で……強力な筈なのだが。


「ーーッ!」


 自縛魔は軽々と、光速に近い彼の飛びつきを、右手でガシッと掴み取った。

 そしてボールを投げるみたいに、面倒臭そうに蛇の身体を後方へ吹き飛ばす。

 それを間近で見ていたミルとジェブ。

 そして彼女の後ろで眠るサツキ。

 そんな二人の息の根を止めるべく、自縛魔は蛇などお構いなしに足を進める。

 もはや絶体絶命。自爆魔の勝利は確実。

 そんな事を思っていた時、”長身の影”が既に奴の背後をとっていた。


「サ、サツキさん?!」


 意識が朦朧とする中、サツキ・ルーズベルトが決死の思いで立ち上がったのだ。

 彼女の鋭い双剣が、自縛魔の硬い皮膚を細かく削り取ってゆく。

 サツキの動きは【瞬間移動】で行われる究極の移動方法であり、自縛魔は彼女の速さに反応出来ない。

 彼女の意地と、そして仲間の命を護りたいという強い信念が、自爆魔の脅威的な力をも超越するのだ。

 自縛魔の周囲を竜巻のように縦横無尽に駆け回りに、奴の身体を削いでいく。

「サツキ! 大丈夫なのか?」

「サ、サツキ先輩?!」

 驚くレクとリボン。

 しかしそんな二人を差し終えて、彼女は一心不乱に刃を振り続ける。右目は完全に潰れ、彼女の能力が使えるのは左目に限られた小さな視界のみ。そんな不利な状況の中、サツキは自縛魔と戦い続けている。

 身体を激しく動かす程、頭部の出血が酷くなり身体が硬直していく。

 意識が遠ざかっていく。

 でもサツキはその全てを受け入れて、最期の命の炎を燃やす。

 全ては全員の命のために……。

「みんな……! 勝って、全員で帰るよ!!」

 サツキの高らかなファンファーレが響く。

 彼女のスピードが更に上がっていく

 自縛魔の攻撃とサツキの双剣がぶつかり合って、周囲に火花が飛び散る。

 自縛魔の怒りに乗せた拳が、サツキの身体を貫くべく、飛び込んできた。寸前のところで顔を横にずらし避けると、続いて左足の強烈な蹴りが刃のように彼女の首を狙う。それすらも刹那の間に地面を蹴って後ろに飛び、回避してみせた。

 速さにおいてはサツキの方が一歩上だ。チャオたちが自縛魔の硬い皮膚をそぎ、サツキが俊足の連撃でとどめを刺す。まさに最高の連携プレー。鍛え上げられた人間の集団は、孤高の怪物に勝るのかもしれない。

「はああああ!!」

 両者の戦いにラストスパートがかかる。

 自縛魔は自身を絶対的な強者と自負していたため、自分の攻撃を攻略されて憤りを感じていた。

 瞬間、怒りに任せた破壊力のある拳を真っ直ぐに突き立ててきた。サツキはすぐに左に回避する。そしてその直後、隙だらけとなった奴の脇腹から右肩にかけてを抉り取るように刀を斬り上げた。自縛魔は驚くように瞼を上げたが、お構いなしに彼女は全身全霊でその一撃を叩き込む。


「うああああああ!!」


 ザク! という柔らかい肉の切り裂ける音が大きく鳴り響き、瞬間、彼女の視界に奴の鮮血が横切った。腹部から首回りを深く斬られた自縛魔は大きく狼狽え、後ろに足を進める。

 あと、もう少しだ。

 サツキは最後のとどめを刺すべく、もう一度刀を強く握り返し奴の顔面目掛けて刃を横一文字に振り切ろうとした。



——勝った!




 ロストがそう確信した時、




「ーーッ!……イヤァァァァァ!!!」


………サツキさん?……え? 何、何が起きたの……。



 突然、サツキが悲鳴を上げた。


「嫌だ! ヤメテェェェ!!! 目が…目がぁぁぁぁぁぁ!!!」

 サツキが最後の一撃を繰り出そうとした時、彼女の身体は既に限界を超えていたのだ。一斉に降りかかった代償がサツキの意識に一瞬の隙を生み、それが仇となってしまった。奴の左手はサツキの腕を掴み、傷ついた右腕で彼女のもう一つの眼球を抉り取ったのだ。目が顔面から離れた瞬間、大量の血しぶきが噴射した。

「ヤダぁぁぁぁぁぁァァァァ」

【アハハハハハハ。カワイィィィィィィ】

 その場に正座するサツキ。彼女の両目からビームみたいに鮮血が噴き出る。

 彼女の双剣は持ち主の血で染まり、『アーーーー』というサツキの叫び声が辺りにこだまする。痛みを誤魔化すために、水のように美しい曲線の腰や美脚をのらりくらりと反らせるけれど、供給される苦痛が大きすぎて脳みそが処理できていない。顔周りが熱で包まれ、一方で全身は凍えるように冷たく、遠ざかってく意識と巨大すぎる痛みが彼女の意識全体にごちゃ混ぜになっている。叫ぶ体力なんてないのに、声が勝手にででしまう。声を出さないと、痛みで気が狂いそうになるのだ。

【タノシかッタぞ……】

 自縛魔はそう呟いてサツキの胸倉を掴んだ。そして右手を自身の顔の右上に高く突き上げ、ビンタをすると思いきや、忽ちパーの字になっていた手のひらを鋭利な刃物へと変貌させた。

 自縛魔はサツキの息の根を止める気だ。

 そう思ったロストはズタズタになった全身を、決死の思いで立ち上がらせる。

 今度こそ……自分が……助けないと。

 だがそんな彼の覚悟を踏みにじるみたいに、奴のナイフが振り下ろされる。


 もう駄目だ……終わりだ。


 サツキが死を覚悟したとき、


――バシャバシャと鮮血の音が迸った。


 しかし、その血液はサツキのものではなくて…………。


「ロ、ロストちゃ……ん」


 ロストがサツキの盾となり、彼の左胸に刃物が刺さっていた。瞬間、その場を目撃していた全員の心に電撃が司り、時が止まりそうな感じがした。ポタポタと彼の血痕が地に滴る。そして止まっていた時間を加速させるように、バシャッと口から鮮血が噴き出た。すぅーと胸を刃が抜けると、ロストは魂が抜かれたみたいにその場に倒れこんだ。

 刹那、サツキが倒れゆくロストの頭部を自身の膝の上に乗せる。サツキは双剣の付与魔法のお陰でわずかに視界を把握できるのだ。

 ロストとサツキの目が合った。互いの顔は血で染まっていて、戦場で死を目前と待つ兵士のようだ。ロストは彼女の桜髪に手を伸ばす。サツキも彼の黒髪に手をやる。暖かな一瞬のきらめいた世界。まるで全ての外的要因が排除され、時が歩みを止めた束の間の空間。生暖かく極楽のようで、まさか目の前に自縛魔がいるなんて忘れてしまう程だった。

 がそんな世界は、瞬く間に崩れ去る。

 サツキの胸の奥層がゾワッと揺れ動いた。

 目の痛みなどかき消してしまう程の恐怖を、から感じたのだ。

 ロストが不気味な笑みを浮かべる。

 と思ったら、彼女の頭に触れていたロストの左手にグイッと力が入り…………。



 サツキの頭を潰した。

 



*     *     *


 力の籠ったロストの左手が、彼女の頭を林檎みたいに握り潰したのだ。ビール缶を潰すみたいに徹底的に、残虐に。

 それをすぐ近くで見ていた自縛魔は、ロストの急な雰囲気の変化に危険な匂いを感じ、直ちに手剣をロストの首筋に振り下ろした。

 が……。

【ーーッ!!】

 ロストは振り下ろされる自縛魔の手剣をでつかみ取り、まるでハエをあしらうように、軽々と奴を遠方へと吹き飛ばしてしまった。

 邪魔者を追い払ったロストは、気色の悪い笑みを浮かべながら、傍にあったサツキの顔に目を向ける。そして首を押さえながら頭部がすっぽり開いた彼女の顔を首から抜き取り、そしてパンを口に入れるみたいにその顔をモグモグと食べ始めた。

 頬についたを親指と人差し指で摘み取り、舌でベロベロと舐める。とても満足そうな顔をしている。


「「あ……いやああああああ!!」」

 鳴り響くリボンとミルの叫び声。

 レクをはじめする殲滅隊一行は、この凄まじい彼の狂気的な行動に平常心を失っていた。もはや目に映るこの状況をどんな風に解釈すればいいか分からなくて、心と頭が完全に回転を止めている。ただ怯えて目を瞑るか、無心にロストを見つめるか、そんなことしか出来なかった。


——何が起きたのだろうか……。何から……考えれば……。


 ところがそんな中、状況を受け止め先陣を切ったのは他ならぬロックだった。

「お前! やっぱり……糞野郎だったんだ!」

 ロックは鋭い殺意でそう答えた。

 彼は最初からロストを怪しんでいたし、信用していなかった。それは死刑囚としてではなくて、ロストの全身から滲み出る‘不気味な雰囲気‘からだった。ロックは昔、人に裏切られた経験から人間の悪意に敏感なのである。ロストの潜在領域で眠っていた邪悪な存在に、うっすらと気づいていたのだ。

「お前……」

 瞬間、ロックが姿を消す。

 ふと見ると、彼を支えていた地面が大きく抉られている。

――刹那。


「ーーッ!?」


 ロックはロストの背後をとった。

 まさに異次元の俊足。

 ロックは勢いそのままに、その仰々しいハンマーをロストに振りかざした。

 瞬間、凄まじい轟音ともに爆発が起こる。

 彼の圧倒的な破壊力にロストの身体は破裂したのだ。

 ロックはそう思った。

 だが……破壊されたのはロストではなく、ロック自身だったのだ。

 


「……え?」

 

 正確にはロックのハンマーだった。

 彼のハンマーがロストの背筋に激突したとき、巨大な衝撃がハンマーの内部を貫通しハンマーは砕け散った。

 何が起きたのか理解できなった。全ての質量を込めた彼のハンマーは、ロストの身体に、傷一つ付けられずに壊れてしまったのだ。さっきまでのヘタレ姿とは、天と地ほどの差があるロストの佇まい。

 間違えた……判断を見誤っていた。これは……ロストじゃない。こんなの、

 刹那、ロックの心にこのような後悔の電撃が駆け廻った。自分だけでもいいからこの場を去るべきだったと。回復した魔力を攻撃に使うのではなく、逃亡に使用すべきだったと。

 しかし――もう遅い。

「貴様、弱いな」

「!?」

 ロストがそう言った途端、ロックの腹部に強烈な痛みが迸った。ロストの拳が彼の腹に入ったのだ。

 と同時にその衝撃はロックの意識よりも速く全身に伝わり、気づく頃には後方の大岩に飛ばされていた。

 力自慢のロックが、こんなにもあっさり負けてしまった。

 何が起きてるんだ。

 いつも明るい笑顔を咲かせていたサツキも、ロストだったあいつに殺されてしまった。

「……やめて、くれ。もう誰も……殺さないで、くれ」

 絶望を目の当たりにしたレクが呟いた。彼の脳裏にかつての光景が蘇る。

 レクだけじゃない。他のみんなも、唖然としている。

 そんな状況の中、まるで彼らを嘲笑うみたいロストが両手を広げて叫んだ。


「アハハハハハハハハ! 我は現世に戻ってきたぞ! さあ! 食いつくしてやるぞ!! さっきから美味そうな女の匂いがプンプンしてるぜ」


――ガチャン!


 突如、遠方にある壊れかけた大岩から土砂崩れのような音が鳴った。そして音が鳴り止まったと思ったら一斉にその大岩は崩れ去り、瓦礫となったその場から自縛魔が立ち上がった。怒りのような表情を出す自縛魔。無敵だと思っていた自分に突然現れた生意気な参入者ロスト。そんなロストを殺すべく自縛魔は憤怒に燃えているのだ。

「ほう。貴様がこの結界を生み出したあるじだな。悪くねえーツラだ」

【オマエ、ころス】

 殺意に高ぶる自縛魔。

 怒りの拳を地面に叩きつけた。瞬間、殺戮領域の大地全体にヒビが広がり、奴の魔法によって領域内全ての炎が消え去った。

 まさに怪物のなせる業。

「グハハハハハ! 我の肩慣らしに付き合ってくれるのか。良いだろう、全力でかかってこい」

 余裕な表情から打ち出された開幕宣言。

 自縛魔はそれに吸い寄せられるように、弾け飛んだのだった。



 

 


 

 


 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


 



 

 






 

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