第6話 殺戮領域

……ピカーーーン………ドドン……………。

 ロストが重たい目を擦りながら目を覚ました時、窓の外から弾けた轟音が、彼の耳に強い衝撃を与えた。

 はたまたウトウトしてるうちに、太陽の光がカーテンの隙間から差し込んできて……もう朝か……と思いを馳せる。乱れたシーツを少し握って目を瞑ってみると、再び彼の頭にドッと眠気が襲ってきた。もう少しだけ寝ようか——そう思って寝ぼけた上半身を横にするや否や、股間辺りに寒気が走った。外からやって来たあの爆発音は、いつの間にか姿を消している。

 タイミングの悪いこと……。

 ロストは立ち上がって、部屋を出た。

 トイレは一階にあるから、階段を降りなければならない。

 茶色のペンキで塗られた木製の手すりをぎゅっと握って、一段一段足を伸ばしていく。高い天井には、明かりのついていない豪華なシャンデリアがダラっとぶら下がっている。

 やけに静かだ。三人はまだ寝ているのだろうか。

 下に降りると、テーブルには昨日の分の小皿や缶ビールなどが無造作に並べられていた。リビングの大窓から差し込む陽の光が、テーブルの床に敷かれた潔白な絨毯を照らしている。

……何か変だ……。

 身体が紐で括られたみたいに重たい。

 大窓の前まで歩いて、硝子の表面に映る自分を見つめた。反射する自分と睨めっこしてみるが……おかしい点は何もない。。そのチューブはギューと伸びて階段まで続いて、先程ロストが寝ていたあの部屋に繋がっている。

……あれ? な、なにか……おかしい………………。

 ロストはもう一度リビングを見渡す。誰もいない。静かすぎる。

 怖くなったロストは全身を触ってみる。

 鼻は潰れていて……顎はひん曲がっていて……左胸には大きな切り傷があって……。

 ロストは跳び跳ねた。

 いよいよ鼓動がドクトクと動き始めて来た。

 軽いパニックを起こして息苦しくなる。空気が……水の中みたいに……苦しい。ここは……どこなのだ。自分は誰なんだ。

 考えれば考えるほど呼吸が荒くなる。歯車が徐々に加速していくみたいに……頭の中がぐちゃぐちゃになる。何もかも……ぶち壊して……獣みたいに喘いだ。死ぬ気で叫んだ。

 でも……その声は……壁や家具に吸い取られていく。呆気なく……消えていく。

 頭を……くしゃくしゃにして、必死に記憶を呼び起こす。自分は……誰で……どうしてここに来たのか。

 でも……何も思い出せない。

 けたたましい轟音と、前方に物寂しく座る机以外、記憶がブチっと切れているのだ。どうやってここに来たのか思い出せない。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 ロストはもう一度、泣き叫ぶ。思い出せないもどかしさが頭を狂わせる。

 怖くなって、苦しくなって、ロストは奈落の底を一直線に突き進む罪人のような気分になった。

 ここは……地獄か……。

 そう思えば思うほど、全身にうじ虫が這い回ってるような感じがして居ても立ってもいられなくなった。意識が針糸できゅっと後方に引き摺られる感覚がしてすぅーーと視界が薄くなる。下半身の力が抜け……膝をつき、頭が異常に重たくなって重心が前に移動する。

 それに伴い、晴れていた天気が途端に顔を変え雨が降り始めた。

 意識を失いかけたところでロストは遂に諦めて目を瞑った——筈だったのだが、霧が晴れるみたいに、ピキッと頭を持ち直した。細かった目はぱっちり開いて、反射的に前側の廊下を直視した。

 ロストの"第七感"が、廊下に立っていた一人の男の存在に気付いたからだ。それは地味な丸型の眼鏡をかけている冴えない男だった。その男はロストに怒っているのか、少し棘のある口調で声を出した。

「お前…‥ここにいたのか」

 見た目に反して、憎しみこもった低い声色である。

 ゾッとしたロストは直ちに背骨を縮ませ、視線を下げる。なるべく目を合わせないように。

 ところがそんなロストの抵抗も虚しく

「何度言ったら分かるんだ!!! お前のせいで研究が失敗したんだ!!」

 男の怒鳴り声が、雷と重なった。

 ロストは愕然として全身を凍らせた。背中を壁につけて両足をお腹と両腕の間に隠し、頭をガクガクと震わせる。

 この男は誰で……何を言ってるのか……意味も分からず怒鳴り散らかす男が凄まじくて、ロストは畏怖した。

「お前はあの日僕達の実験に参加する事を同意した。お前の身体は僕達のものだったんだ。なのにお前は全然期待に沿った成果を出さなかった!!!」

 男は荒れ狂う大海のような表情だった。顔面を飛び出す勢いで浮かび上がる首筋が、悪魔の形相そのものだ。

「お前は罪深い男だ。自分の妹を失い、沢山の人間の命を奪った。あなたは死ぬべき人だ。そんなお前に僕達は名誉ある死を与えてやったのに!!! この人でなし!!」

「…………」

「なぁ! お前もう……死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ死ねよ……社会の役立たず。社会のお荷物。社会の不適合者」

 ロストは耳を両手で塞いだ。彼の口から発せられる罵詈雑言がこの世の何よりも恐ろしいものに思えた。今すぐにでも耳を切りたい……目を潰したい……この世から自分の存在をかき消したい——という強いショウドウが全身を駆け巡る。

「お前は一体何なんだ?! お前にはどんな価値がある!! せっかくこの僕がお前に価値を与えてやったというのに!!! ほら見ろ!! お前が葬って来た亡者達だぁぁぁぁぁぁ!!!」

 男がその汚らしい声で叫ぶと、彼の後ろに隠れていた沢山の人間達がロストの前に姿を現した。皆、地獄の炎に全身を焼かれたみたいに焦げて弛んだ皮膚をしていて、目は潰れ、鼻も削げ落ち、舌も黒に染まっている。彼らは聞くに耐えない恐ろしい喘ぎ声をギャーギャー叫びながら、苦しそうに口から血を流してる。

「お前がやすやすと眠っている間、僕の患者がこんなにも苦しんでいたんだ!! お前が正義のヒーロー?! 馬鹿馬鹿しい!!! お前は僕が与えたチャンスを逃したんだ! もういい。用済みだ! お前をラディオンに戻す! 一生刑務所暮らしをするんだ!!」

 ら、ラディオン?!!

 な、何だっけそれ…………

 ロストは男の言葉を聞いて、遠のいていた記憶が少しばかり戻ってきた。岸から離れた船を一本の細い糸で手繰り寄せるが如く、頭の最果てに眠るものを引きずり落としていく。

「そ、そうだ……僕はマーキュリー博士の実験を受けてたんだ。そ、それで……あなたはレ、レントさんだ」

「お前の実験は失敗したんだ! 僕達の見込み違いだった!! もうお前は要らない!!! さっさとラディオンに戻れよ!!」

「マ、マッて……クダサイませ。ぼ、ぼくはまだ……ツカエます……ナンデモします………」

 ロストは涙と鼻水を滝のように流しながら、男のズボンにすがりついた。全てを失った敗北者の喧騒で男の慈悲に訴えているのだ。綺麗だった紺青色のズボンはロストの手によってくしゃくしゃになり、それを見下ろす男の目は溝鼠を見るが如く冷徹で恐ろしく、憎悪に満ちている。

「誰が! お前なんかを使うと思う?!! お前なんて誰も要らないんだよ!!!」

「ヤ、ヤデス!! ツカッてくだサイ!! ムカン心はコワいです……だ、だれかボクを見て…………だ、ダレカ……ぼくにチュウモくしてよ……あぁぁぁぁぁぁぁッッッ」

 彼は肉を欲するゾンビのように仰々しく泣き叫び、指の肉が裂けても構わない勢いで床を手で叩き続ける。ロストの血は辺りに飛び散り、男の顔や男の後ろにいた人間達にも届いた。

 もしここで彼に見捨てられたらロストは再びラディオンに戻ってしまう。

 それは……どうしてもイヤだ…………。

 無意味な存在に……なりたくない………。

 ロストは注意を自分に向けるために、食卓に置いてあったお椀型の白い皿を手に取った。

 そしてそれを……

「ホ、ほら…‥すごいでしょ?! 割らなくても、ボク食べレマス……」

 ロストは皿を一枚口に含んだ。ボロボロの歯で皿を噛み砕いていく。皿の破片が舌を抉り、そこから鮮血から噴き出ているというのに、ロストは満面の笑みである。

 しかしロストのアピールも意味を成さず……

「ラ、ラディオンだけは……嫌だ…………だ、ダレか……ボクを……必要トしてくれ」

「……………

 男はそう言って、冷酷にもその小さな背中を後ろに向け、それに続いて他の者達もロストの元から去っていく。ロストは枯れ散る桜の花びらを掴むみたいに、彼らに向かって手を伸ばすが、誰も振り返る者はいない……筈だった…………のだがその中からただ一人、フケのある金髪を背中に垂れ流す少女が、ロストの声に応えた。

「き、きみは………い、いやあり得ない………し、死んだはズだ…………」

 ロストは驚いた。

 驚き過ぎて、自分の目を疑いたくなった。こんなのあり得ないと。もしこれが嘘なのに、本当だと信じてしまったらショックで立ち直れないと思ったからだ。

 ロストの目に映るのは、彼がこの世界で一番愛しやまない人であり、彼の希望であり、かつての生きる意味だった人だ。

 そう、彼女の名は………死んだ筈の…………リリン・アルベルトギフテッドである…………。

「な、ナンで………リリン、生きてたのか!!!」

「…………」

 ロストはあまりの驚きに身動きが取れなくなった。夢と現実との差がつかなくなって、目の前の光景が信用できない。本当にリリンなのか……それとも違うのか……。

「リ、リリン……? た、体調は大丈夫なの、か?!! 咳は? 喘息は?? ク、クスリはちゃんと飲んでるか?! どうし」

「………ウワーーーアラァァーー」

 リリンと思われるその女性は、彼の声を遮ってロストの方を見て嗤った。そして高らかに嗤い終わったと思ったら、今度はその小柄な指で、ゴリゴリと鮮血を飛び散らせながら床を引っ掻き始めた。びっくりしたロストは慌てて彼女の体を掴む。

「………うわハハハハハァァ……アラァァーースゴォォォォイ……」

「や、やめるんだ!! リリン……もう、やめろ………」

「ウワァぁぁぁぁぁぁ……アラアラアラアラアラアラ」

「リリン!! どうしちゃったんだ?! も、もしかしてリリンもあの人に何かされたのか?! リ、リリン………」

………突然、声が止んだ……。

 終わったのか……そう思った途端、彼の腕からリリンはスッポリ抜け、男達と同様に廊下の方に足を靡かせていった。ロストは追いかけようとしたが、見るに耐えない悍ましいものを見てしまったが故に、もはや立つ気力さえ無くしてしまった。

「な、なにが……どうして……」

 ロストは固まった。


 それから数分経ったぐらいだろうか。

 張り詰めていた力が一斉に溶け始め、彼は魂の抜け殻みたいにその場に倒れ込んだ。そして木製床に頭をボンとぶつけた瞬間、脳みそを貪っていた知識や悩みが全て外に逃げ出していき、頭の中が軽くなったと思えば、今度は嫌なこと全部放り投げたせいか、無償の喜びや幸福感や微笑いがふつふつと込み上がって来て、もはや髪の毛の生え際から足のつま先までもが、嗤う亡者のように荒れ狂い、途端腹の奥底から可笑しさという異物が吐き出された。赤子を宿した女みたいに腹を突き出し、遂に抑えきれなくなったロストは、骨を捻じ曲げるように床をグルグルと回転しながら笑い始める。

 ここまで来たら我慢など出来る筈もない。

……アハハハハハハハハハハハハハ。もうどうでもいいや。無価値? 役立たず? 不適合者? 発達障害者? ぜーんぶどうでもいいや。オレの価値なんて無くていいもん。誰かに貢献する?………アハハハハハハハ。馬鹿馬鹿しいな………アハハハハハハハハ。魔術が使えなくて何が悪い? 勉強ができなくて何が悪い? 友達を匿って何が悪いんだ?

 ロストは足や手を床に叩きつけて、生まれたての赤ちゃんみたいに涙を流しながら、大笑いした。笑って……笑って……笑って。楽しくて仕方がないのである。

………アハハハハハハハハ。


「し…あわせは……アルいて……コない。さーんぽ進んで…‥一歩サがる」


 最初こそ飛ぶ鳥を落とす勢いで笑っていたけれど、力尽きたのか、やがて彼は笑うのをやめてダラっと上半身だけ起こした。ほぼ無意識に正座をして、じっと自分の膝を眺めている。

 ふと外に目を向けると、黒い空が窓越しに見えた。雨が無数に降り注ぎ、天は怒りを雷として大地に振り翳している。窓の外にある家の庭の更に奥にある家々の隙間から姿を覗かせる地平線は、赤々と太陽の光を浴びており、全ての力を使い切ったロストはただその地平線を凝視した。

 丁度その時だった。地平線の反対側。即ち、廊下の奥にある家の扉がキシーと音を立てた。

 誰だろ? ロストがそう思った瞬間、白衣を来た一人の女性が扉を力強くドカン! と開けた。

 この人物には見覚えがある。

 ロストは失いかけていた力を取り戻したみたいに、目を大きく見開いて声を出した。

「マ、マーキュリー博士?!!」

「ロスト君!!!」

 ロストは反射的にその場を立った。別に立つ必要もなかったのに、勝手に身体が奮い起こされたのである。魔力がロストの身体を覆っている。

「大丈夫?! その傷、酷いわね」

 マーキュリー博士は廊下を猛スピード走り、彼の元へ来た。

「マーキュリー博士、ど、どうしてここに?」

 狼狽えるロスト。しかしマーキュリーは返事などせずに、怪我がないか全身をくまなく調べる。少し…‥恥ずかしい。

「うん。大丈夫わね。まぁ別にここで死んでもいいか」

 ? 

 ロストの首が曲がる。

「いい? 時間がないから時短するけど、あなたには危険が迫ってる! 早く遠くに逃げないと大変なことになるの! 私が間違いだった!! とにかく逃げて! 本当にごめんなさい!! 私の……」

「? マーキュリー博士? え? ちょ何言ってるんですか?」

 突然、ロストの視界がぼやける。まるで世界の輪郭がキャンパスに彩られた絵の具のように不完全なものになってゆく。それに伴って彼女の声にもノイズがかかるようになり、上手く声を聞き取れない。


…………はかせ?!



…………はかせ?!



…………はかせぇぇぇぇぇ!!!



 ロストが渾身の叫び声を放つ。

 ところがそれも虚しく歪んだ世界に吸い取られていってしまう。

 ロストは途轍もない焦りを感じ、必死に足を前に進める。

 が、もはや輪郭を失ったこの世界に足場などない。


——そうか、ここで終わりなんだ。


 その時だった。ロストはようやくこの世界の正体を知り、心の底から安堵した。

 いつもと同じ、この感覚。

 地獄が終わるこの瞬間。

 それでもロストは、心の溝で残した一つの感情を言葉に秘めて最後、ありったけの力を込めて、このヘンテコな世界に大声で叫ぶ。

「マーキュリー博士」

 その声は大きく反響する。そして少しづつ虚構と共に消えていく。

 あぁ、おわりか。



*   *   *


「ロストちゃん! ロストちゃん!!!」

「マ、マーキュリー博士!!」

 サツキ・ルーズベルトの呼び掛けと共に、ロストは目を覚ました。汗のせいで、服が着衣水泳みたいに濡れている。呼吸も荒れていて、心臓が破裂するんじゃないかと思うぐらい、鼓動が激しくなっていた。

「大丈夫? うなされてなかった?」

 サツキはロストの肩をポンと叩いて、彼の顔を見つめた。

「は、はい。ごめんなさい。大丈夫です」

 彼女の顔を見て、ロストは反射的に窓の外や半開きなったドアの谷間から見える廊下を直視する。

…‥大丈夫だ……悪魔はいない。あの忌々しい地獄の亡者は幻だったんだ。

 そう思ったロストは、ようやく全身の力が抜けたのか、額に手を当てて再び後頭部を枕の上に落とした。途端、ドッと眠気が襲ってくる。

「うーん? 寝ちゃダメだよ。今日は大事な任務があるんだから」

「え? 任務ですか?」

 ロストが身を乗り出して興味を示すと、それを察してか、レクが部屋の中に入っていきた。

「あぁ‥…本部から直々に依頼状が届いた」

 レクは左手に薄茶色の手紙袋を持っていた。それは殲滅隊本部が特殊対魔三軍に手紙送信機を使って届いたものであり、フタに貼られた赤色のシールには大きく『緊急』と書かれてあった。どうやら重要な任務らしくて、レクは部屋のドアにもたれながら、腕を組んで右手の人差し指で腕をトントンと叩いている。

「今回の任務はかなり危険だ。正直お前を連れて行きたくないが、アップさんが全員で出動しろと言ってる」

「アップが?」

「あぁ真意は分からんが、とにかく今日は生き残る事だけを考えろ。あまりにも危険すぎる」

 レクはそう言って、淡々と去っていった。彼程の実力を持つ人間が、少し緊張してるように見える。

「今日の任務ってそんなに危ないんですか?」

「うん、それもかなりね。今日私達が行くところは殺戮領域と呼ばれてる場所なの」

「殺戮領域?」

 ロストは首を傾げてサツキに聞いた。彼女は少し瞼を下げて、ロストの汗ばんだ手をギュッと握る。

「殺戮領域っていうのは、魔獣の家よ。なぜそんなものが現れるのか詳しい事は解明出来てないんだけど、瀕死状態に陥った魔獣……特に魔人は、稀に周囲の空間を歪ませて異空間を生み出すの。それを私たちは殺戮領域って呼んでる。殺戮領域を生んだ魔獣——自縛魔は、殺戮領域から出る事はないけど、その代わり殺戮領域内では驚異的な能力を発揮する。だから私達は滅多に殺戮領域へは足を運ばない」

「じゃあ何で僕達は殺戮領域に行くんですか?」

「実は四日前に私達の姉妹軍にあたる特殊対魔二軍が殺戮領域に入っちゃったのよ。連絡一つ取れてない。そこで私達が彼らの救出を任されたわけ」

「なる……ほど」

 ロストは内心複雑な気持ちになった。

 正直こんなひ弱な自分が参加しても、皆の足手まといになるんじゃないかと。

 もし自分のせいで……誰かが死んだら…………。

 刹那、ロストの頭に昨日見た悪夢が蘇ってくる。

 ところがそんな風に悩むロストを、サツキは柔らかい笑顔で見つめて

「大丈夫よ。言ったでしょ! 私が護るって! それに充分、ロストちゃんは強いよ」

 それを聞いたロストは、再び彼女に励まされたようで、首を力強く縦に振った。ベットから起き上がり、ベットの反対側の壁に付けられた茶色のクローゼットを開ける。

 そこには軍から支給された洋服が幾つか置かれてあって……。

「あっ! 私は一階に行くね?」

「あ、は、はい……」

 ロストは赤っ恥をかきながら、急いでパジャマを脱いだ。



*    *    *


 ブナト郊外に位置するデスフラー山。多数の魔物が生息してることから、周辺に結界が張られており、人の気配は殆どない。山の中は穏やかで、人が足を運ばないからこそ平和が保たれている。

 ところがほんの一週間前。デスフラー山に魔人が侵入した。殲滅隊は魔人の抹殺を遂行するため特殊対魔二軍を派遣したが、交戦中に魔人が自縛魔へと変貌。四日前、自縛魔の誕生を伝えたのを最後に、交信が完全に切れた。

 そこで、レク率いる特殊対魔三軍による二軍の救出作戦が決定したのだった。



「ねぇーリボンちゃんだったら好きな男の子にどうやって告白する?」

「何ですか? 急に」

 山に入ってから一時間。四人は殺戮領域を探していた。木々が生い茂り、風は花を揺らし、至る所から動物の鳴き声が聞こえてくる。そんな長閑な山道をロスト達は歩いていた。

「別に良いじゃーん。気晴らしにさ」

 サツキはゆっくりと伸びをした。

 腰にまで伸びる桜色の髪が、ザワザワと揺れている。それはまるで春に散りゆく桜のようだ。

「きゅ、急に言われ……ましても」

 顔を赤くしながら、リボンは親指と人差し指で唇を摘んだ。

「まぁそうね……私だったらやっぱり、ですね! 最近流行ってますもん」

「あらッ! リボンちゃんって結構強引なんだね」


 お姫様抱っこって男の人がやるもんじゃないのか?

 僕、人生でされた事ないんだけど……。


 ロストは、自分の恋愛センスを疑いたくなった。

 けれど決してその事を二人に悟られないようにするため、二人の横を歩きながら首を下に向け、絶対に二人の会話には入らないようにした。あくまでも聞いてないふり。聞こえてないふり。

 女子の恋愛話に躊躇なく参加できるほど、ロストという男は手慣れていないのである。

「おい二人とも。任務中だぞ! 気を引き締めろ」

 ロストの隣にいたレクが指摘した。その長細い眼をサツキに向ける。レクは彼女達の恋愛事情に興味がないのだろうか。

「え〜? そんなお堅い事言わなくても。どうせ領域に入ったらスイッチ入るんだから。今のうちよォッ! あ、そうだそうだ! ロストちゃんはどんな風に告白するの?!」

「ぼ、ぼくですか?……そうだな……」

 急に質問されたロストは顔を曇らせた。

 突然質問されたもんだから、彼の声はいつも以上に高くなっている。


『草食系男子たるもの男べからず』


 これは太古より伝わる有名な諺。

 草食系男子——この言葉については言語学者によって諸説あるものの、好きな女性がいながら全く行動をしない臆病男のことを形容してるらしい。

 そしてロストは正に草食系男子だった。学生の頃、アップという素晴らしい女性に恋をしていたのに、告白はおろか自分から話しかける事すら躊躇っていた。もしアップが話しかけなかったら、ロストとアップはここまで仲良くならなかったのかもしれない。

「そうですね……僕だったら"花"をプレゼントするとか?」

「「………」」

「な、何ですか? その反応!」

「い、いや何でもないよー」

 ニヤけるサツキ。リボンも珍しく、変な顔をする。

「そ、そういうサツキさんはどうやって告白すんですか?!」

 ロストは食い入るように質問した。

「わ、私だったら……愛のメッセージを書いたビール缶をプレゼントするね」

 サツキがテヘンと胸を張って答えた。

「いや、サツキさんだって充分変な感じじゃないですか?」

「アハハハハハハ」

「おい、静かにしろ!」

 レクが喝を入れた。

「前を見ろ……あれが、"殺戮領域"だ」

 ロスト達の山道に現れた真っ暗な黒い霧。その霧は大きな円を描くように空気中に広がっており、強力な闇の魔法をかけられている。

 レクの毛が……逆立つ。

 この……ゾッとする感じ。

 ロスト含め三軍の全員が"恐れ"を感じた。

「いいか。もし自縛魔に遭遇したら。絶対に手を出すな。今回の任務は救出作戦。二軍を見つけたら、直ぐに撤退するぞ」

 レクの指示と共に、それぞれが準備を始めた。

 リボンは腰の後ろに装着していた金属製の棒を取り出した。棒を横にして前に突き出すと、棒の両端から水色と黄色の装飾が施された三角形型の大きな鎬が現れた。

 リボンの武器は、両端に刃が付けられた長い魔法の槍である。

 その他、ロストやサツキやレクも其々武器を取り出し、これにて全員の準備が整う。

「——行くぞ」

 これより、特殊対魔三軍による殺戮領域侵入作戦及び二軍救出作戦が、幕を開けたのだった。

 



 

 

 

 



 

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る