第3話 初任務

「ここは殲滅隊の本部。殲滅隊は全国にその支部を置き活動してるけど、ここが一番活気付いてるの。ロスト君は色々と特例だから基本的には本部で活動してもらうからね」

「僕は何をすれば良いですか?」

「まずは他の殲滅隊員と同じように、任務をこなしてもらうわ。正確な事は分からないけど、マーキュリー博士達と戦うのはまだまだ先だと思う。ただ殲滅隊に入る以上、ロスト君にも戦って貰わないといけないの。だから訓練はしないとだね」

「そ、そうですね」

「そんな怖がらないで。私も手解きするから同級生としてね」

「は、はい!」

「あと敬語はやめてよ、同級生なんだし」

「でも」

 ロストがそう言いかけると

「!!」

 ふわぁとした人差し指で、彼女はロストの下唇をそっと撫でた。それはまるで彼のお口をチャックするようで。

 凄く、可愛い……。

「わ、分かりまし……分かった」

 堪らず、そっぽを向く。頭が、煩悩で満たされる。

 自分の事を部下や犯罪者としてではなくて、同級生として認識されている事に胸が温かくなる。

「ねぇロスト君、あの事覚えてる? 夏服にしたってロスト君が自慢してスベった話」

「え? いやーなんの事だっけ?」

 ロストは知らないふりをしているが、しっかり覚えている。

 あれは、とある夏の日の休み時間。

 ロストの席の後ろで喋っていたアップとアップの友達であるモッコに向かって、彼は少しカッコつけて自分が夏服に変えた事を報告した。よくよく考えれば馬鹿な話だけど、ちょっとお喋りが出来たぐらいで、男は『オレっていけてる? もしかしてこの子俺のこと好き?』と勘違いしてしまう生き物なのである。

「えぇ〜覚えてないの?! あの後モッコが大笑いしてたよ!」

「そ、そうなんだ」

 赤くなるロストの耳。

 大笑いするアップ。

 穴があったら入りたい。

 やはり男は女の子の前ではカッコつけたくなるものだ。

 よく妹に注意されていた。

「そういえばリリンちゃんは元気にしてる?」

 アップは少し掠れた声で、石橋を叩くように言った。

「うん、げん……」

 ロストは一瞬、答えようか迷った。

 嘘をついてしまおうか。

 それとも知らないふりをしようか。

 そう思ってロストが口を開けようとした時、後ろから突然、風が吹いた。それは思った以上に強くて、風で揺れる前髪が目にかかりそうになる。

 やがて風が戯れるのをやめ、ロストはゆっくりと瞼を開き、そしてもう一度アップの方を見た。

 ほんの少しの時間。たったの数秒。

 だけどそのに彼は、例えようのない強い衝動に襲われた。

 今まで自分に構ってくれて、また命の恩人になってくれたアップに対して嘘をつくのは、あまりにも不誠実だと。

 たとえ自分にとって不都合だったとしても、真実を告げるべきだと。

 だから彼は少し瞼を下げて

「……死んだんだ」

 リリンとはロストの妹で、彼がラディオンに服役する際に離れ離れになってしまった。

 そして彼が刑務所にいる間、リリンは病死した。

「そう、なんだ」

「僕が守ってるべきだったのに」

 リリンは昔から体が弱かった。喘息を患っており、雨の日は特に酷かった。でも妹を入院させるのは不可能なこと。なぜならアルベルトギフテッド家は借金まみれの貧乏一家だったので、妹を病院に連れて行ける程のお金がなかったからだ。ロストは妹の医療費と生活費のために必死に働いたが、思うような金額は得られなかった。

 カタスフザ帝国は高校まで通う事が義務化されている。国家の安全に関わる魔獣対策と他国との軍事競争に勝つ為に、様々な事を勉強する必要があるのだ。

 だから学校を辞めて四六時中働く訳にはいかなかった。

 朝四時起きて新聞配達。まだ陽が昇らない、北風が空を覆う暗闇の中で、自転車を漕ぎながら毎日新聞を配達していた。新聞配達が終われば妹の分の朝ご飯を作り身支度を済ませ、朝六時ぐらいに家を出発。リリンは体が弱かったから、学校に屡々休んでいた。

 学校に行けば、剣術や体術を始めとする戦闘術を実践し、また算術や歴史といった多種多様な学問を学ばなければならなかった。ロストはあまり器用な人間ではなかったから、成績はいつも悪く、魔術が使えなかったから魔法学の成績はいつも最下位だった。また、生まれつき魔術が使えないのは発達障害として認識されているものの、魔獣や他国との争いが激化する中、そのような、所謂劣等種とされる人間は屡々いじめの対象となっていた。そしてそれはロストも例外ではなかった。話しかけても変な顔をされてグループの輪に入れてもらえなかったり、剣術の授業で二人組を組む時はいつも一人残ってたりしていた。

 果たして放課後は、鉄道駅の近くにある酒場に直行し、働いた。

 酒場の仕事に魔術は関係ないのに、魔術を使えないロストの給料は異常な程に少なかった。


 そんな時だった。"彼女"が現れたのは。

 それは目を疑うような高度な魔法を駆使し、妹の喘息や栄養失調の改善に大きく貢献したのだ。

 この世界で妹と彼女とアップだけが、ロストの存在を肯定してくれた。

「……ありがとう、アップ」

「え? 急にどうしたの?」

「ううん、何でもない」

 ロストの心臓は落ち着きのない幼児のようにバクバクと動いていた。


 




 殲滅隊の本部はカタスフザ帝国の都市ブナトに位置している。王の城があり、その周りには沢山の家や酒場や役所や病院が設置されている。人口の流動性が高いため、街の至る所に鉄道が走っており、家と職場を繋いでいる。そんな大都市ブナトの中心に建てられた殲滅隊本部は、城のように大きな建物だった。沢山の人が忙しそうに、あちこち歩き回っている。

 ロストとアップは小さな部屋の中に入った。部屋に入ると同時に、ロストは首輪を外された。その部屋は窓の下に大きな椅子と机があって、部屋の中心には黒のフカフカなソファが置かれている。両壁には本棚がずっしりと立っており、見慣れない言語で書かれた分厚い本が本棚を占めていた。ロストはアップに促されるがまま、そのソファに座った。アップは向こう側の椅子に座る。どうやらここは彼女の部屋みたいだ。

 ロストがソファに座り、陽光に照らされたアップの顔をチラ見していると、部屋の扉がキシーと音を立てて、そこから一人の男が現れた。男は背中に刀とショットガンを一つずつ装着しており、身長はロストよりも高かった。右手にはサイコロとそれを囲む円形の紋章が描かれていて、とても不気味だった。漆黒のコートに身を包むガタイの良いイケメン。目は細いが形はよく、マッシュの黒髪が彼の顔面に程よい落ち着きを与えている。

「彼の名前はレク君。これからはレク君がロスト君の面倒を見るからね」

「え? アップは?」

「私は色々と忙しくて大変なんだ。でも時間を見つけたら、ロスト君の所に来るからね」

「ほら、さっさと行くぞ」

 男の荒々しい声に促されるまま、二人は部屋を後にした。


「これからは俺がお前の面倒を見る」

「は、はい。よろしくお願いします」

「俺はお前と馴れ合うつもりはない。分かったか?」

「はい」

 レクは黒髪を靡かせながら、淡々と歩いている。ロストは彼の背中を隠れるように着いていく。

「お前は俺の家に住んでもらう。俺とお前以外にもう二人いるが、あいつらは少し扱いが難しい。仲良くしようとは思わなくて良い。ただ殺し合いはするな」

「はい、分かりました」

 レクはロストに顔を向けず、魔法人形みたいだった。まさに業務対応。運命の再会を果たしたと思ったら、まさかの塩対応人間との仕事。ロストは落胆した。

「あと……お前、アップさんとどんな関係だ?」

 レクが少し咳払いをした。

「アップですか? まぁ一応、高校の同級生って感じですかね」

「同級生か。お前とアップさんがね……想像つかねぇな」

 ロストの胸がひんやりと凍える。反論は出来ないけど、明らかに今の発言には悪意がある。だけど認めるしか無い。

「お前、魔術は何が使える?」

 魔術とは、個人が生まれながらにして持つ超能力みたいなものだ。右手に描かれた紋章が、その能力を示す。

「実は、使えないんです」

「は?! お前使えないの?! ちょっと右手見せろ」

 ロストは言われるがまま、レクに右手を差し出す。

「お前……マジで何しに来た?」

 レクは貶すようにロストを見つめた。流石に今の発言には、ロストも怒りを覚える。確かに魔獣と戦う人間が、魔術を使えないのは致命的だけど、別に望んで生まれた訳ではない。偶然能力を授からなかっただけなのに。

「面倒臭せぇ奴連れてきやがって」

 レクがボソッと吐く。

「ごめんなさい……」

「お前さ、この仕事舐めてんの?」

「いや、そう言うわけでは。あと名前、ロストです」

 控えめな自己紹介。

 ロストは伺うように物腰を低くした。

「チィ。いちいち人の名前なんて覚えてない。すぐに死ぬ奴の名前なんてな」

「どういう事ですか?」

「俺は今まで百人以上の人間の死に目にあってきた。蛆虫に寄生されて内臓食われちまったり、頭吹き飛ばされたり、みんな散々な死に方だった。でも決してあいつらが弱い訳じゃない。強い魔術を体に宿してるし、毎日訓練も怠らなかった。幾つもの死線を乗り越えた奴らだった。でもそんな奴ですら、ある日突然つまらねぇ死に方するんだ」

 レクは気を紛らわせるように、ポケットからタバコを一本取り出して吸い始めた。本部の中だっていうのに、お構い無しにタバコを口に咥える。

「だからお前、殲滅隊から抜けろ。覚悟も魔術もないお前は一ヶ月ともたねぇよ」

 そう言ってレクは背を向けた。ロストは反論する術がなくて、その場に立ち尽くす事しか出来ない。


 この世界は生まれながらにして、人生の大枠が決まる。

 魔法の源となる魔力。その魔力は空気中の魔素と呼ばれる特殊な空気によって生み出される。人間は魔素を固体化液体化させながら、沢山の魔法道具や設備を作り出してきた。この世界は魔法の有無によって成り立っている。故に、人は先天的に持つ魔術の種類によって、その進路を決定する事が殆どである。例えば回復系の魔術を体内に宿していれば、その能力は医療系に生かされる。回復魔法は貴重だから、勿論給料は良い。このようにこの世界は、個人が持つ才能に依存する。だから、その才能を何も持たなかったロストの人生は誰よりも過酷である。


 でもそんな事、彼が一番理解している。

 今更、才能とか環境とかで心が折れちまうほど、ロストの信念は弱くない。

 だから……。

「確かに僕は魔法を使えません。戦闘経験も殆どありません。でも、ここしか無いんです。もし殲滅隊に入らなければ、僕は処刑されます」

「はぁ……。なら殲滅隊に入れば生き残れるって言うのか?」

「いえ、多分僕は死にます。でもどうせ死ぬなら、何か人に貢献して死にたいんです。真っ当な死に方がしたいとは言いません。贅沢な事は望まないです。でも、それでも、自分は生きてて良いって思える残り時間を過ごしたいです!」

 今度はレクが黙った。ロストの鋭い瞳から反論する隙が見えない。

「だからってお前、殲滅隊はそんな良い所じゃ……」

 と、その時。

 急にレクの言葉が途切れた。

 間の抜けた顔をしながら、彼はロストの後ろにいる"何か"に問いかける。

「お前って奴は……ホント、酒癖の悪い奴め」

「え? 何言ってるんです……え? うわぁ!」

 突然、背後から誰かがロストに抱きついて来た。酒の匂いが仄かに香り、彼の背中に柔らかい何かが密着してくる。

 誰だよ!

 ロストは慌てて振り向く。

「ははは! それいけ! それいけ! サイコー! サイコー!」

「……え?」

 そこには、見知らぬ女性がいた。

 腰にまで伸びた桜色の髪に、紅色の瞳を持つ、背の高い綺麗な女性だった。端正な顔立ちでスタイルがとても良く、背も高い。そんな魅力的な女性なのだが、右手にガッツリとビール缶を握っていて、頬はピンクに染まっている。

 この人、酔ってる。

「サツキ、外で酒は飲むなって言ってるだろ?!」

「え〜だって飲んだ方がはかどるじゃん!」

「あ、あの……離してください!!」

 耐えられなくなったロストは、思わず彼女を投げ飛ばしてしまった。

「もう〜酷いわね。ロストちゃん」

「こ、この人誰ですか?!」

 生命の危機を感じるロスト。

「へぇ? ワタシ? アタシの名前はサツキ。君の世話係の一人だよ。これからヒョロシクネ」

 サツキ。行動に反して綺麗な名前だ。

「も、もしかしてこの人も一緒に住むんですか?」

「あぁ」

 頷くレク。涎を垂らし、地面に胡座をかくサツキ。

 助けて、アップさん。

 このカオスな状況に戸惑う中、レクは手を顎に添えて、注意深く二人を見つめた。

「取り敢えずお前の意志は分かった。ただ迷惑はかけるな。後、お前は魔術を持たないから魔法道具を使え。分かったな」

 魔法道具は魔術と違って、魔力さえあれば誰でも使える。

「はい」

「もしかしてロストちゃん、魔術使えないの?」

「……はい」

 お腹の辺りがキューと冷たくなる。

「……そう、なんだ」

 広がる沈黙の空間。

「…………」

 気まずいと思ったから、辺りを見渡た。周囲には背の高い男や眼帯の女が、綺麗な襟で首を包み歩いている。

 みんな、強そうだ。

 この空間にいる人間の中で、一番背が低い感じがした。重い氷山が背中にずっしりと乗り掛かり、歩くのすら億劫になりそうだった。

「じゃあさ」

 近くにあったゴミ箱にビール缶を投げ込んて、サツキが言った。力強い眼光でロストを見つめる。

「お互い死なないように頑張ろうねぇ。私護るからさ」

「え?」

 ロストは思わずサツキの方に顔を向けた。たるんだ耳から唇までに広がる薄紅の頬が、燦々と陽光に照らされている。それを見たロストは、膨らんだパンのように、胸の辺りが温まった。

「ありがとう、ございます」

と少し照れたようにロストが言うと、レクが割って入って

「早速だが今日はこの三人で現場に入る。依頼が来たんだ。お前、剣術はいけるか?」

「授業で少しやったぐらいです……」

 納得したようにレクが頷いた。

「魔剣の使い方は?」

「昔、授業でやったので……」

「そうか」

「え〜まだロストちゃんは一日目だよ? 今日はいっぱい飲もうよー」

「ふざけるな、行くぞ」

 三人は再び歩き出した。



 ブナトから鉄道で二時間。

 馬車で一時間。

 更に別の馬車で一時間半。

 それから山を登って一時間。

 目的地は人里離れた山の中にあった。

「お酒! お酒! おしゃけ!」

「黙れ!」

 三人がやって来たのは、山の中にひっそりと佇む廃墟だった。寂れた巨大な大聖堂。大理石で作られた精密な白亜の外壁が特徴的。建物の周りには庭園と思われる荒れた溜池や雑草地帯が見られ、三人は隠れるように草むらの中にいた。

「目撃情報によれば、ここには"魔人"がいるらしい」

 レクがボソッと吐いた。

「あの、魔人と魔獣の違いって何ですか?」

「魔物は知性をもたなくて、魔人は知性を持つ。そして魔人は魔物をコントロール出来る。だからこの建物に魔人がいるって事は」

「この建物は一種の要塞って事よ! 魔人が魔物を操って、人を捕まえたり警備させたりしてるんだよ」

「なる、ほど……」

「俺達は魔獣達が人の村に降りてくる前に、魔人含め全滅させなきゃならない。この山の下にある村では最近行方不明者が増えている。もしかしたら何か関わってるかもしれない」

 ロストの肩が強張る。

 ロストはアイコンタクトをするように握られた刃を見つめた。この刀には魔力が込められているので、容易に魔獣の皮膚を切り裂ける。また使用者に高い身体能力や付与魔法を与える事も出来る。

 ロストはその魔剣を、強く握り返す。

「じゃあ行こっか!」

 ビールを一気飲みし、缶を投げ飛ばすサツキ。

「おい! 勝手に行くな」

 サツキはレクに目もくれず、草むらの中に入っていく。

 常軌を逸した速さ。殲滅隊員は一般人よりも圧倒的に身体能力が優れているのだ。

「俺たちも行くぞ」

「あ、はい」

 ロスト達も走り出した。

 久しぶりに走ったからなのか、体が妙に重たい。

「はぁ……はぁ」

 薮が広がる道なき道。魔獣と戦う以前に、ここを抜ける事すら大変だ。ロストは懸命に足先を地面に付けて、土を蹴り上げるように走り、そして右手に握られた魔剣で薮を切り裂いていく。かなりの重労働だ。それに対しレクは、渋い顔をしながらも慣れた様子でサクサクと進んでいる。

 その時だった。ロストは右腕辺りに針のような痛みを感じたのだ。何だろう? と思った彼は、頭部に疑問符を立てて腕に視線を向けた。

「蚊か……」

 蚊のような小さな虫が、ロストの腕に引っ付いていた。そういえばラディオンには虫一匹すらいなかった。久しぶりに虫を見たから、ロストは神妙な気持ちになった。

 そんな事を思っていると、ロストの隣にいたレクが眉を顰めて

「どうした? さっさと行くぞ」

「あ、ごめんなさい」

 再び足を動かし始めた。

 必死に藪の中を抜けると、例の教会が見えてきた。そしてそこには沢山のゾンビの死体が……。

「先にやってたか」

「こいつらに噛まれないように気をつけてねー」

 サツキは血で染まった双剣を持っていた。庭の奥にある廃墟の大聖堂を見つめている。

 サツキの双剣はアンモナイトみたいに反っていて、かつ曲線の接線方向に広がっているギザギザが特徴的だった。

 酔い潰れていたとは思えないぐらいの気迫だ。

 そんな事を思っていると、大聖堂の後ろ側にある森の中から、ゾンビ軍団がやって来た。目の焦点があっておらず、腐ったような灰色の皮膚と不気味に浮かび上がった血管は正に異形の印。爪は鋭く長く頑丈で、まるで一本の刀である。

 そのような気味の悪いゾンビ達が、何十体といる。

 この人達は元々は人間だったのだろうか。もしそうなら、どこからこれ程までの数を調達したのだろうか。

 ロストが考えていると、サツキが声を上げた。

「ここは私がやるねー」

「え、でもあの数は多すぎ」

 しかしそれは刹那のこと。

 ロストが言い終わる前に、彼女は森の中に移動していた。

「なんかあの人、空気が変わってません?」

「あぁ。あいつはやる時はやる」

 サツキは縦横無尽に駆け回り、ゾンビの首を的確に切り落としていく。

 血飛沫が森中に駆け巡る。

 前、後ろ、横、斜め。決して遅く無い彼らの爪と噛みつき攻撃を、彼女は涼しい顔で受け止めた。と思ったら、瞬く間に彼らの背後に移動し剣を振る。

 何だろ、強すぎて負ける気がしない。

「おい、感心してる場合じゃないぞ。俺達もやるぞ」

「はい!」

 レクに促され走り出したロスト。

 だがその時、背後から不覚にもゾンビが飛び込んできてしまった。

「あぁ……」

 振り下ろされる爪の刃。

 スローモションのように映るそれは、自分を死に追いやる武器だとロストは理解していた。けれど、体が間に合わない。

 しかし、今まさに爪が彼の頭部を真一文字の如く切り裂こうとした時、それは突然彼の前で止まった。

「……え」

 首がげっそり落ちるゾンビ。

「油断しちゃ駄目だよ、ロストちゃん」

 ゾンビがロストに手をかける前に、サツキが奴の首を切断していたのだ。

 異次元の瞬足。

 ほんの一秒前は数十メートルも離れた森の中でゾンビ軍団と戦闘していたのに、いつの間にかロストの元に戻っていた。

「ほら、突っ立ってないで行くよー!」

「ごめんなさい」

 ロストは改めて魔獣の恐ろしさを知った。昨夜は運良く生き残れたのかもしれないけど、今回は分からない。もしサツキが助けてくれなかったら、彼は確実に真っ二つに切り裂かれていた。

「気を引き締めろ!」

「はい!」

 ロストは再び大きな返事をする。

 そして今度こそはゾンビに巻き込まれる事なく、聖堂の中に入った。

「す、すごい」

 室内空間は外装とは打って変わって、とても綺麗に舗装されていた。

 ロスト達が扉を開けた瞬間、ドミノのように並べられたピアが支えるアーチ状の天井が彼らの視線を奪い、身廊のファザード部分に作られた大きなバラ窓が、この室内空間に異様な雰囲気と格式高い空気感を与えている。

 視線の奥にある内陣には、との一騎討ちを表現した、力強い漆黒の彫刻が飾られている。

 ロストはこの精巧な構想建築物に釘付けになった。

 でも、いつ魔獣が現れるか分からない。

 『油断しちゃ駄目だよ』とサツキに注意されたロストだったので、すぐに神経を脳裏に集めた。

 そしてその判断は、大いに正しかった。

 ロスト達が再び歩き始めようとした時、天井に擬態していた巨大なカメレオンが、ロスト達を潰そうと落下してきたのだ。

 ロストは瞬時に地面を蹴り、攻撃を回避する。

 視界に広がる砂埃。

 カメレオンの不気味な影。

「死んでねぇーよな?」

「はい」

 レクは背中に装備していた黒刀の鞘を抜く。

 厳重体制に入った二人。

 仕掛けよう、そう思った時、聞き慣れない汚い人間の声が、砂埃の向こう側から聞こえてきた。

「惜しかったな〜ガイル」

「アイツラ、はヤイ」

 埃が天井に舞い、徐々に視界が鮮明になっていく。

「よぉ〜殲滅隊のクソどもが」

 ロスト達を狙ってきたのは、ゾンビのような姿をした灰色の巨大カメレオン通称"ガイル"と、布雑巾のような灰色のシャツ一枚と半ズボンを着た一人の男だった。彼の頬や腕、両足といった至る所にニキビや痣が膨れ上がっている。両手には微かに紋章のような円形の刺青が入れられており、彼の姿はまさに不潔の権化。右手には白銀に身を包んだ斧が握られている。

「馬鹿だな〜お前らぁ。まんまと罠に引っかかってここに来ちまったなぁ〜」

「どういう事だ?」

「俺はなぁ、村のゴミ共とテイムを結んでるからな〜。お前らに依頼を頼んだ人間は、俺の手下なんだよ〜。お前らをここに誘き寄せるためのなぁ〜」

「なぜ俺達をここに来させた? お前が殺される可能性だってあるんじゃないのか?」

「ヒヒヒ。お前、ムカつくなぁ〜。まさか、俺に勝てると思ってんのか? 確かに殲滅隊はそこらへんの雑魚共よりは強い。でも俺はお前らみたいな奴〜数え切れねぇーほど殺してきたぜ〜。だからよ〜お前らをゾンビにして、俺はもっと強くなるぜ。ヒヒヒ」

 不愉快な笑い声。

 ロストはその不気味な笑い方に、寒気を感じる。

 昨日の巨大ミミズや今日のゾンビといい、どうして魔獣はこんなにもみにくい生き物なのか。アップみたいに綺麗な容姿だったら良いのに。

 ロストは魔剣を、レクは黒刀とショットガンを手に持って、構える。

 ロストは剣を両手で握って、相手を睨みつけた。ドラムのように高鳴る心臓。その心音を聞きながら、魔獣二人とレクの方に視線を向ける。

 レクが動いたら自分も走り出そう。

 ロストはレクがいつ攻撃を開始しても良いように、今度はよそ見をしない。サツキの言われた通り油断は禁物。ロストは柄頭を自分の丹田の位置まで上げる。

 少し動くレクを見て、ニヤニヤと笑う魔獣達を見て、ロストは足に重心をかけ、地面を蹴る。走り、出そうとしたその時だった。

 突然、先程まで視線の奥にいた清潔感ゼロ魔人が姿を消したのだ。それは刹那の事。ロストは血の気が引いた気分になる。

 どこだ。どこにいるのだ。

 ロストは目を右に左に上にと、四方にそのレンズを合わせるが、結局奴の姿は見当たらない。

 どうしよう……殺される。

 そう思った時だった。前にいたレクが、鬼の形相でロストの方を振り返り、ありったけのパワーで彼の胸ぐらを掴んで、こう言ったのだ。


——危ない!!


 え? 危ない? 何が?

 っと口にする前に、ロストの体は宙に浮かんでいた。

 ロストは咄嗟に視線のその先を見る。

「あ〜よく反応しやがったなぁ〜」

 もしレクがロストを引っ張ってくれなかったら、今頃ロストはバツ印のように体をバラバラにされていただろう。

 なぜならたった今、さっきまでロストがいた場所に、大きな斬撃が刻み込まれたからだ。

「お前は向こうのカメレオンをやれ。俺はこいつを相手する!」

「は、はい」

 ロストは慌てて立った。剣先をカメレオンの方に向ける。

 やれるだろうか。

 ロストは口をギュッと閉めて相手を睨みつけた。

 彼が魔獣と対峙するのは二回目。

 多いように思うが、決して数をこなした訳ではない。ロストは酷いことに特別な訓練を受けてない。卓出すべき魔術も、彼は先天的に持ち合わせていない。

 そんな人間がいきなり実践の場。まるでロストに死ねっと言っているみたいだ。

 でもしょうがない。

 ここで死ぬか。それとも生きるか。

 もうロストには、たったの二つしか選択肢が残されていないんだ!

 ロストは力強く一歩を踏み出した。

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 付随反射的に地面をスライディングして、相手の懐に入った。

 ロストは寸前のところで避けるが、一瞬、尻尾が髪の毛をふわぁと浮かせる。

「ーー!」

 滑り続けるロスト。

 スライディングしながらその魔剣で、横一文字のようにガイルの分厚い足を切り裂いた。  

【ギャャャャャャャャャ】

 ガイルが鳴き叫ぶ。

 チャンス! と思ったロストは、急いで体を起き上がらせて相手の後方を取る。

「決まった!」

 ロストは剣を強く握って、ガイルの背中を斬りつけようとした。

 が、

「ーーッ!」

 直前、腹に激痛が走る。

「……え?」

 避けた、と思っていた白黒の縦縞模様の図太い尻尾。

 それがロストの腹部を叩きつけたのだ。

 なす術なく飛ばされるロストの体。

 ドン!

 教会の壁に人型の穴ができる。

 ロストは口から溢れる血液を袖で拭く。

「……くそ」

 勝てると思っていたのに。

 討ち取ったと思ったのに。

 重い体を休ませるロストに対して、ガイルは一歩一歩踏み締めるように歩いてくる。


——魔法も使えない自分に何ができるんだ。


 ロストは悔し拳をドスンと叩いた。

 が、その時!



「早く立て!! 魔剣を使え!!」


 レクの汚れた声が聞こえた。

 彼は綺麗な黒刀を握りながら、魔人と対峙していた。

 まるで白紙にペンを走らせるような速さで動き回りながら、鋭利な斬撃を教会の地面やら壁やら天井やらに次々と発生させていた。瞬き一つする間に、彼らは入り口から一番奥までを移動している。

「……凄い」

 思わず見惚れるロスト。

 レクは縦横無尽に駆け回る。

 自分も戦わねば!

 ロストはもう一度立ち上がった。

 が突然、レクの動きが止まる。

「……え?」

 ロストの体は氷漬けにされたみたいに固まってしまう。

 もしかしてあいつに何かやられたのか?

 どこか負傷したのか?

 もしかして……

 もしかして……

 死ん……

 しかしそんなロストの心配とは裏腹に、彼は何やら指と指を複雑に絡ませて忍術のような構えをした。

「……何をする気だ?」

 ロストが呟いた時、レクがずっしりとした声で詠唱を始めた。

【召喚魔術 出でよ"黒雷鳥こくらいちょう"】

 レクが言った途端、ロストは不覚にも腰を抜いてしまった。あまりの驚きに体が硬直してしまったのだ。

 レクの影の中から扉のようなものが浮かび上がってきて、その扉から巨大なカラスが出てきたから。

 ロストは一瞬、新しい敵が現れたのかと、崖から身を投げた気持ちになった。

 だけどそのような貧弱な推測は、瞬く間に掻き消される。

【チュルルルルルルルル】

「はは。かわいいな」

 満面の笑みで頬ずりをする二人。

 レクの左手の甲には黒く光る紋章が浮かび上がっていて、その紋章には鳥の横顔が描かれている。

「行けるか? ライチョウ」

【チュルルルルルルルル】

 レクがそう言うと、彼はライチョウと名付けた黒雷鳥に乗って教会を飛び回り始めた。

 どうやら空中戦に持ち込むようだ。

 レクの相手をしていた魔人も気色悪い魔法を発動させたみたいで、大量の人面蛾を耳や鼻の穴から発生させると、その虫達は竜巻を描くように群れを成し、やがて魔人が竜巻の目となって空中浮遊するようになった。

 流石は先輩。多種多様な戦略と魔法を使いこなしている。

 ロストはレクの勇姿を見て、再び立ち上がった。

 殲滅隊の戦い方は人それぞれ。

 自身の魔術に合わせて、使用する武器も変わってくる。

 しかしロストは残念ながら魔術を持たない。

 ならば……

「徹底的に魔具に頼る! それだけだ!」

 ロストは深く息を吸った。

 そして体内に流れる魔力をイメージし、この魔剣に流していく。

 魔術は使えないけど、魔力は普通にある。だから魔力を動力源とする魔具は、ロストも使用できるのだ。

【ギャャャャャャャャャ】

 雄叫びと共に、相手の鉤爪にバチバチと紫色の電流が流れる。どうやら敵も魔法を使い始めるようだ。

 これからが総力戦!

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

【ギャャャャャャャャャ】

 二者は、運命の糸に引き寄せられたみたいに走り出した。

 刹那、ロストの魔剣が紅蓮の炎に染まる。

 付与魔法の発動だ。

 バリバリバチバチ

 瞬間、炎の刀身に暗紫色の雷が迸る。教会に轟音を鳴らしながら、天地を揺らす鍔迫り合いが始まった。

「オマエ、テゴワイナ」

 そう言ってガイルは、尻尾に電流を流してロストに畳み掛けてきた。ロストも反射的に相手の爪を弾き返して、攻撃を避ける。そして続け様に刀を切り上げた。

「ーーッ!」

 周囲に飛び散る火の粉。

 二人は教会を舐め回すようにアクロバッティックな展開を発動する。

 目に止まらぬ速さ。

 空飛ぶドラゴンのように、横に、斜めに、上下に、視界を反転させながら、彼はその刀をガイルに向けて振る。

 魔剣が正常に発動した事で、ロストの運動が常人を超え始めたのだ。

 迸る火災旋風。

 それを掻き消すように流れる黒紫の電雷。教会の地面が東西にパッツンとひび割れた時、二者の強大な魔力が激突した。

「オマエノマリョク、ナンナンダ……」

 ガイルは見開いて、鍔迫り合いの奥にいるロストを見つめる。

「そんなの知らない!!」

 ロストはガイルの攻撃を弾き返した。

 狼狽えるガイル。今がチャンス!

「オラぁぁぁぁぁぁ!」

 一瞬の隙間。その間に炎の斬撃が、ガイルの腹部を横一文字に流れ出た。

「クソがぁぁ!」

 すぐさまガイルは、焼け切れた腹部を押さえて身廊に後退した。

 ロストも敵に合わせて少し距離を取り、魔力を消費した体を休ませる。

 魔力は水分と同じように使えば消費するが、身体を休めれば勝手に回復する。

 勿論、薬を飲んで急速に回復させたり、生まれながらにして回復速度が速かったりする人もいるが。

「はぁ……はぁ」

 ロストは刀を杖代わりにして中腰になる。魔力を大量消費したせいで、体が鉄のように重くなっているのだ。

「ハハハ、オマエ、過信シタナ」

 ガイルは高らかに笑った。わざわざ致命傷を負った腹部を見せびらかすようにして。

 こいつはロストが燃料切れなのを良い事に、勝ちを確信しているのだ。

「うぅ……お前」

 ロストは立っているのですら限界だった。さっきまで、超人的な動きをしていたのが嘘みたいだ。

 ロストは目紛しく起こる吐き気と頭痛に耐えられなくなっている。

 でも負ける訳にはいかない。

 再度、力強く刀を握り返す。


 戦え





 戦え











 戦えェェェ!!!




「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 ロストは精一杯の力を込めて走り出した。

 が……





「……え?」







「馬鹿ガ」

 ロストはその場に倒れた。 

 もはや彼に闘う力はなかった。

 どれだけ闘志を燃やしても、身体が言う事を聞かない。

「な、なんでェェェ!!!」

 ロストは硬い拳で、意識を失った両足をぶっ叩いた。

 何度も何度も。

 ところがロストの足はまるでやる気を失ったみたいに、痺れて動かない。

 しかも足だけじゃなくて、腕、肩、お腹、などあらゆる部位の感覚が遠ざかってくる。

 魔剣は使用者に異常な身体能力をもたらすが、限度を超えると多大な副作用も与えてしまう。

 魔力が回復すればまた普通に戻るが、時間がかかる。


「ハハ 死ネ!」

 

 瞬間、背筋に寒気が走る。

 稲妻蔓延る鋭利な鉤爪。

 感覚的に分かるのだ、あれは人を豆腐のように切断してしまう。

 早く立って戦わないと、殺されてしまう。

 ロストはもう一度腕に力を入れる。

 だが……


「だ、だめだ……」


 ロストの腕は上がらなかった。


 折角ここからやり直そうと思ったのに、結局何も貢献出来ずに終わってしまう。

 人間の大半は物語の主人公になれない。その辺の人として死んでゆく。無価値のまま、代わりがいるような存在のまま朽ちていく。

 そんなの当たり前だ。

 小さい時は自分が特別だと思っていたのかもしれない。

 自分は何にでもなれると。

 たとえ環境が厳しくても、歴史上の偉大な人物に自身の境遇を重ね合わせて、いつか見返してやると頑張ってきた。

 今は、英雄の無名時代なんだと言い聞かせてきた。

 だからロストはどれだけ馬鹿にされても、自分を諦めなかった。

 でも

 でも……

 でも…………








——どうやら勘違いしてたらしい。





「助け……」

 






 ロストの頬に涙が伝った。





「遅くなってごめんっ!!」



 刹那、斬撃の暴風が立ち込めた。



*   *   *


 まさにミラクル。ジャストタイミング。

 まるで全てを洗い流すような、それほど透き通った涼しい風が二人を包み込んだのだ。

 ロストは目を大きく開けて愕然とした。

 目紛しく駆け巡る斬撃の応酬。

 並みならぬ彼女の魔力。

 ガイルは今日一番の大きな叫び声を上げてその場に倒れた。


「凄……すぎる」


 救世主だからだろうか?

 ロストは揺れる前髪を退かす。

 救世主のような、頼もしい背中が目に映る。

 その凛とした真っ直ぐな後ろ姿は、正義のヒーローそのもので、ロストの眼光が輝く。

 彼女が振り向いた。


「ロストちゃん! 大丈夫かい?」


「ど、どうして……」


 サツキ・ルーズベルトがロストのピンチを凌いだのだ。

 流石は先輩。

 風で揺れる髪先から足の指先まで、その全てが完璧に思えてしまった。

「オマエ、ナゼ? ココニいる? アイツらが殺っタ筈じャ」

 苦しそうにガイルは起き上がってサツキに質問した。ガイルはその憎しみに溢れた目を彼女に向ける。

 ロストもそれが気になって目を輝かせて、サツキを見つめた。

「それゃあこの私が」

 二人に関心を寄せられたサツキは少し誇らしくなったようで、ほぼ無意識に鼻を掻く。そして大きく胸を張って

「ははは! 私が倒したのよ! 全部ね!」

 双剣を持ちながら腕組みをした。

「バカな!! 百体イジョウイタぞ!」

 ガイルは顔を真っ赤する。だけどサツキは全く動じてないみたいで

「あぁ楽勝だったね!」

 すぐさま構えのポーズをとった。

 まさかこのまま倒してしまうのではないか。

 自分が倒すべき相手なのに。

 迷惑かけてばかりだ。

 ロストは焦る体をバネにして立ちあがろうとした。


「ーーッ」


 やっぱり、動かない。

 魔力ではなく筋肉が、いや体全体が、そもそも運動する事を拒否している。まるでロックがかかったみたいに。

 お腹が凄く痛い時に出る、あの冷たい汗が顔を覆った。

 戦いに参加したいのに出来ない。

 しかしそんなロストに対してサツキは

「ロストちゃんはよく時間を稼いでくれた。あとは任せてね」

 とだけ言って微笑む。


「ーーッ!」


 ロストは底知れない包容力を彼女の笑顔から感じた。

 何だろう……戦わなきゃいけないのに、この人に任せてれば安泰だと思ってしまう彼が、心の中にいる。


「ハハハ、女がアイテか。手加減シナイぞ」

 ガイルはサツキをとても警戒してるようで、ロスト戦では爪だけに放電していた紫雷が、今度は全身に流れるようになった。目の色が黒から白に変わり、大きかったカメレオンの胴体がどんどん縮んでいき、やがて尻尾が姿を消すようになって、最終的に人型に変身した。全身に雷を宿す筋肉質な男の姿。皮膚の色は虹色。目と同様に髪の毛も白色で、先程よりも魔力が全身から滲み出ている。

 ただでさえ強そうな形態になったガイル。

 だがそれだけでは終わらなかった。

「ハハハ 透明ノ恐怖をアジワエ!」

 ガイルの電流がバチバチと周囲に飛び散る。と同時にビリビリとした大きな音が奴の体が放たれて……

「……サツキさん ど、どうすれば」

 この形容し難い化け物が、教会よりも大きな存在に思えた。

 ガイルは、完全な透明魔獣となってしまったのだ。

 勝てるのだろうか……

 そんな疑問がロストの心を埋め尽く。

 がその時だった。



「ハハハ、オマエら全員ヤキころしてやる。俺の透明化はオマエラのヒンジャクな視覚では感知でき……」


 と減らず口をたたくガイルを……

 サツキは、静かに通り過ぎた。

 二人が気付かないほど速く、正確に、丁寧に。

 まるで川の流れのように、最初からそうであるべきと言わんばかりの必然さで。



「……はっ?!」




——刹那、



 ガイルの首が落ちた。



「……え? 何が起きて……」

 首を切られたガイルの透明化は、一瞬にして解けた。

 あれ程迸っていた電雷が、小さな放物線を描いて消えていく。

「ははは。こいつにとって私は相性最悪だったろうね」

 サツキは満足そうに、双剣を肩に装着された鞘にしまった。

「ど、どうやったんですか?」

 ロストは飛び込むみたいにサツキに聞いた。体は寝込んだままだけど。

 ガイルの方に目を向けると、体が急速に腐敗してるのが分かる。

 サツキはどんな魔術を持っているのだろうか。

「見てよ、これ」

 と言ってサツキが見せたのは、右手の甲に示された紋章だった。

 そこにはブーツが描かれていた。何ともなさそうな普通の靴。甲を占領するみたいに大きく、水色の丸線と茶色のブーツが入り混じった、鮮やかな紋章であった。

「私の魔術は【瞬間移動】。目視できる場所ならどこでも瞬時に移動できる」

 サツキは誇らしげに言った。

「だ、だからあんなに速く動けたんですね?」

「そういうことー!」

「あーあ」

 彼女の話を聞いて、胸のモヤモヤが晴れた。

 なぜロストがゾンビに襲われた時、あれほど速く彼女は反応出来たのか。

 その答えが【瞬間移動】だったのだ。

 興奮したロストは、続け様にサツキに問う。

「じゃあ何でアイツの透明化を見抜けたんですか?」

「それはね、私の剣よ!」

「剣?」

 ロストはポカンと首を傾げた。

 剣?

 魔剣ってただ火を吹くだけの武器じゃないのか?

 ロストは再度、魔剣に見る。

「私の能力は見える範囲でしか使えないの。だから視力は高くないといけないし、物体を透けて見る魔法がないと建物内では使い物にならないでしょう? 今回の擬態化は偶然愛剣の付与魔法が効いたんだよ」

 ロストは食い入るように感心した。

 人にはそれぞれ戦い方がある。まさかこんな使い方があったなんて。

 剣によって付与効果が変わるのも、ロストは初めて知った。

「あ! あっちもそろそろ潮時かな?」

 天井を視線を向けるサツキ。

 彼女に続いてロストも顔を上げた。

「……レクさん」

 レクはライチョウの背に乗って魔人と戦っていた。黒刀を振りかざし、ショットガンで相手の動きを鈍らせている。

「お前〜ピョンピョン飛びやがって!」

「悪いな」

 レクは涼しい声でそう言うと、ショットガンを背中にしまった。

 これから何をする気なんだろうか。

 ロストがそんな事を思っていると、レクは急に立ち始めた。

 鳥の背中に乗りながら上手くバランスを保っている。

「チクショメがぁ〜綺麗なツラやがって〜さぞかしメスにモテたんだろうなぁぁ! クソが! 清潔な奴、イケメンな奴、可愛い奴は、みんな死にやがれェェェェェェ!! 全員不潔になっちまぇぇぇぇよ」

 声を荒げる魔人。

「俺はイケメンでもなければ、女に好かれた事なんて一度もないぞ」

「は?! オマエ、舐めテンノカ? お前普通に可愛い女の同僚がいるじゃねぇかよ!!!」

「別に舐めてなんかない」

 レクは澄ました顔で魔人の質問に答えた。

 するとサツキが砕けたみたいに大笑いをする。

「ははははは。やっぱレクって可愛ーい」

 呑気な彼女に反して、魔人の顔に湯気が立つ。

 反発するように奴は、空中を散々に舞っていた人面蛾を一箇所に集めさせて、龍の形をした群れを作らせる。

 ロストは頭上に広がる禍々しい光景に、思わず目を瞑りたくなった。これが魔人の力であり、殲滅隊が戦う相手。もはや加勢出来る隙など全くなかった。

「ロストちゃん、心配しなくて大丈夫だよ! レクは物凄く強いから」

 サツキは勝ち誇った目で言ってみせた。

 仲間を信じる力強い表情。

「サツキさん……」

 そんな彼女の顔面を見て、心の震えが嘘みたいに消え去る。

 そしてこのような彼らの思いは確信へと変貌を遂げる。

 レクは背中に装着していた鞘を取り出すと、今度は左腰辺りに装備した。続いて彼は右手に握った黒刀を左腰の鞘に収めて、柄を握り静止する。

「……来たね」

「?!」

 サツキがポロッと声を漏らした。

「……どうしたんですか?」

「ふふ。見てれば分かるよ」

 ロストとサツキが会話するや否や、レクは突然、漆黒のコートを綺麗に靡かせて極限まで体の重心を前にした。

「……?」

 ロストは彼の妙な体勢に、名状し難い胸の高鳴りを覚える。

「糞ガッ! お前みたいな塩対応イケメンモテ男が一番、嫌いなんだよ!! メスに応援されてさぞかし嬉しんだろッッ!!」

 怒り狂う魔人。

「俺は」

 レクがボソッと声を漏らした。

 ロストとその魔人は、少しばかり首を横に曲げる。


「……一人の人に愛されればそれでいい」


 と言った瞬間、凄まじい波動と轟音を残してレクは姿を消した。

 その直後、彼の黒刀から炎の龍が現れ……。


「ーーッ!!」




——全てが、赤に染まる。

 

「うわぁぁぁぁぁぁ!! クソァォォがァァ!!」

 一匹残らず焼き払われる魔人の害虫。

 鮮血と炎に身を包む魔人の体。

 魔人は全身を焼かれ悶えながら、浮遊効果を失った。

 その姿を見たサツキは、誇らしい笑顔を咲かせる。

「ねぇ? 凄いでしょレクは」

「は、はい。凄すぎます」

 ロストはレクとサツキの圧倒的な戦闘力を見て心を打たれた。

 自分もこうなりたいと密かに願望を秘める。

「二人とも大丈夫か?」

 空中で刀を鞘に収めたレクは、再びライチョウの背に着陸し、無事にロスト達の元へ戻ってきた。

「ええ、絶好調よ!! あいつに可愛いって言われたしね!!」

「ぼ、ぼくも大丈夫です」

 安心したように柔らかな表情でライチョウの背からレクは降りる。

「はぁ……やっと終わった」

 二人の明るい声を聞いて、レクの顔に力が抜けたようだ。

 レクは魂が抜けたみたいに、その場に座り込んだ。

「あの魔人強かったね」

 サツキが満面の笑みで語った。

 色白のぷっくらとした手のひらで、彼の肩を揉み始める。

 レクは気持ちよさそうに目を瞑った。

「あぁ。特に虫が厄介だった。刺されてたらヤバかったかもな。ありがとうな、ライチョウ」

 レクは優しいまなこをライチョウに向けた。

 それはロストやサツキと会話する時に見せる鋭いものではなくて、とてもフワフワした目だった。

 レクは基本、人には塩対応である。初対面でも『消えろ』と冷酷な目で伝えるし、相手に非があったら容赦なく責め立てる。

 しかしレクは自分が信用した生物に関しては、似つかわしくない程にフレンドリーになる。レクと長年ペットとして寄り添いあってきた魔物の黒雷鳥は、そんな親友の一人だ。

「ありがとうサツキ。もういいよ」

 そう言われたサツキは、彼の肩から手を外した。

 それからレクとライチョウは恋人のように見つめ合い、何をするかと思いきや、今度は互いに頬ずりを始めた。レクもライチョウも、丸いを目をキュッと閉じて幸せそうな顔をしている。その時の彼の頬と言ったら、それはそれはマシュマロみたいに柔らかくて白かった。

 そんなレクの一連の行動はとても愛らしくて、レクを恐怖の塊だと思っていたロストでさえ、彼を何となく見直してしまった。人の意外な一面を見て、さっきから目をパチパチさせる。

 そしてあのロストがレクに対してそんな感情を抱いていたのだから、勿論サツキは黙りやしない。キラキラと目を輝かせて……。

「なに笑ったんだ?」

 レクが渋い声を出した。

「いや〜なんか可愛いなって思ってな〜」

「あのな。男に対して可愛いってどういうことだよ?!」

 レクは慌てて声を荒げるけど、サツキは楽しそうに鼻歌を歌いながら背を向ける。

「実はね、女の子が男の子に言う可愛いって最強なんだよ?」

 人差し指を口に当てるサツキ。

 レクは少し照れたように下を向いて

「うっさいな」

「あのレクさん……」

「ッッ! そんな目で見んな。そんな目で」

 この一部始終をものすごーく微妙な顔で眺めていたロスト。目が合ってしまったから、レクの耳はリンゴのように赤くなってしまい、次の瞬間、恥ずかしそうにライチョウを自身の影に沈めた。

 彼の虚勢は一瞬にして剥がれたのである。

「あの、それは何の魔法ですか?」

 これがレクの魔術なのだろうか。

 ロストが頭に疑問符を立てていると、レクは自分の影が映った床を撫でて答えた。

「テイムだ。テイムを結んだもの同士は、互いの影に入ることが出来るんだ」

 テイム……。

 ロストはテイムという言葉を何度か聞いたことはあるが、実際はどんなものか知らなかった。

 もしかして自分も出来るのだろうか。

 そんな事をロストは胸の中で期待した。

 ちゃんと義務教育を受けていれば、テイムの方法なんて常識の範疇なのに。

「よし。とりあえず討伐は終わったし、報告行くぞ」

 レクが声を出した。

「はい」

「うん」

 ロストはあの魔剣を鞘に収めた。

 いよいよ帰宅の時間だ。

 さあてアップに今日のことを報告しよう。

 そう思ったときだった。

 ロストは口を手で押さえた。

 何かが凄い勢いで、口から外に出ようとしたのだ。

 なに、これ。

 まるでロストが昔読んだ小説のような出来事が起こった。

 それは真っ赤な液体だった。腐った鉄のような粘り気のある液体。びっくりした途端、ロストの全身を電流みたいな悪寒が駆け巡った。ロストは魂が抜けたみたいに、その場に倒れてしまった。

「おい、どうした?!」

「えっ?! 大丈夫?!」

 レクもサツキも焦った様子で駆け寄る。

「何だ……何が起きてる……」

「これは……多分毒だ」

 まるで悪魔に憑依されたみたいに、ロストの身体が痙攣を起こす。

「サツキ、を連れて瞬間移動しろ。一刻も早く病院に連れて行くんだ!」

 この世界の命運がかかったみたいに、必死な顔つきでサツキに命令した。

「うんっ!!」

 サツキもかつてないほど荒げた声で答える。

 が、そんな真剣な二人を嘲笑うように……


「ははははははは。無駄だぜェェェ!! ゴミ共」


 突然、教会に卑しい声が響いた。

 全身を無様に焼かれたあの魔人が、勝利を確信したみたいに叫んだのである。魔人は炎に身を包みながら二人を見つめる。

「お前……こいつに何しやがった?!」

「ははは。こいつはな〜愚かにも俺の毒針に刺されてんだよ。ここに来るとき草むらを通っただろ? あん時に刺しといたんだよな〜ヒヒヒ。馬鹿だぜこいつ!!」

「笑うのはあんたの方よ。もうあんたの体消滅しかけてるじゃない?」

「ヒヒヒ。あぁ〜もう俺は死ぬ。だがなその男も絶対に死ぬぜ」

 魔人はロストの死を確信してるようだ。

「なぁお前ら。反償縛与はんしょばくよって知ってるだろ?」

「「!!」」

 二人は胸をビクッとさせた。

「お前……まさか」

 サツキが狂気の目で魔人を見つめる。

「ヒヒヒ。俺の毒は確率で決まるんだぜぇ〜致死率は五割ぐらいでぇな、殺傷能力としては心許ない。でもなぁ〜その"代償"を払う代わりに、俺の毒は世界中のどんな薬や抗菌を使っても解毒できねぇ〜だからよ、お前らが病院に連れて行ったところで意味ねぇんだよ〜ヒヒヒ」

「だったらその五割を引き当てるしかないわね」

「いや……多分こいつは」

「ヒヒヒ、その通りさ。こいつの体は魔剣に使われたせいで魔力が不足してる。要は免疫がないんだ。馬鹿な奴だぜ〜。五割? 馬鹿馬鹿しいな。こいつの致死率はきっと八割ぐらいだぜ」

 二人の顔が青ざめる。

「ヒヒヒハハ。そいつが死んだらそいつの体はどんどん汚くなって最終的にゾンビになるぜェェェ〜ヒヒヒ。最高だな〜やっぱ不潔サイコー不潔サイコー」

 魔人の体は目まぐるしい速度で分解されていく。足と胴体は殆どなくなり、炎に包まれた顔だけが地面に細っそりと残っている。その顔面も徐々に溶けてきた。

「ヒヒヒ……。みんな……この世界の生物みんなが……ブスになっちまえば……オレも……」

 ようやく魔人の力が底を尽きた。魔人は一人食べ残されたトマトのように、寂しい赤色を纏って灰になっていく。

 どうやら魔人の復活はなさそうだ。

 そう思った二人は、関心を魔人からロストの方に移す。

 ロストの体は痩せ細った病人のように筋肉が萎み、血管が外から見えるようになっていた。口からは泡がぷくぷくと出てきて、指の爪が急速に伸びていく。

 このままだとロストが死んでしまう。

 魔人は二人の苦悩する顔を見て最高の笑顔を作った。二人の綺麗な顔面が、汚い感情で染まってゆく様を最期に見れたのが、とても嬉しかったのだ。

 魔人は満足に目を細め目を瞑ろうとした。 

 が、その時だった。




「……はっ?!」




 レクが、背伸びをしながら立ち上がったのだ。

 そして彼は、それこそ勝利を約束されたみたいに退屈そうに首を回し、今度は口笛までしてみせた。

 魔人は理解が追いつかない。

 仲間を殺されて悔しくないのか。悲しくないのか。

 魔人は呆気に取られる。

 しかしそんな事を考える魔人と対照的にレクは、サイコロを囲む円形型の紋章が描かれた右手をロストに翳した。

 そしてレクは、魔人に対してこう言う。



——確率に勝敗を委ねたのは悪手だったな。



「え?」

 魔人は眉を顰めてジッと凝視する。


「【魔運選幸術まうんせんこうじゅつ】」


 レクが低い声でそう唱えると、彼の紋章が突如光を放った。そして放たれた光はロストの体を包み込み、やがて彼の体から画面のようなものが空中に散々し始めた。沢山のフレームがありその画面を一つ一つ覗いてみると、全く違う光景が映し出されている事が分かる。

 ロストがゾンビになって二人を攻撃する映像。

 はたまた、ゾンビにならず元の姿へと戻る映像。

 挙げればキリがない。

 勿論、全く別の結末が描かれたものもあった。

 レクはその中から、まるで恋人の誕生日プレゼントを探す健気な彼氏のように、顔の音色をコロコロとサイコロみたいに変えながら画面を選んでいく。

「うーん」

 レクの小さな唸り声が、教会全体に大きく響いた。

 彼の独り言や呼吸音や、体を動かした際の衣擦れの音ですら、はっきりと聞こえるようになる。

 別にそれらの音が異様に大きくなった訳ではない。

 周りが静かすぎるのだ。

 レクとレクが生み出した画面を除いて、全てが……全てが、静止した。

 鉄道も鳥も通行人も、サツキも魔人も全て、止まっている。

 世界が、そして時間が、歩みを止めたのだ……。

「これだな」

 レクがふと漏らした。どうやら彼は、お望みの世界を見つけたようだ。

 彼はたった一つの画面を、ほっそりとした人差し指でタッチした。

 タップした瞬間、まるでその映像は自分が選ばれた事を喜ぶみたいに空中をぴょんぴょんと跳ねた。レクの周りをグルグルと回り、ロストの体の中に勢いよく入って行った。

 では他の映像はどうなるのだろうか。

 空中に取り残されていた他の映像は、まるで好きな人に振られて崩れ落ちる人間の心みたいに、パキパキとガラスのように割れていき、やがて黄色の灰となり消滅していく。

 そして最後の一粒が涙のように切なく空気に溶け込んだ時、世界はその喧騒を再び取り戻した。


*   *   *



「ん……あ、マ、マーキュリー博士!!」

 ロストは跳び上がるように目を覚ました。ロストは慌てて上半身を起き上がらせる。

「サツキさん、レクさん……」

 まずロストの目に入ったのは、両手を顎に当てながらしゃがみ込む、サツキの小悪魔的笑顔だった。

「もう! 死んじゃったと思っちゃったよ!! よかったぁ〜」

 サツキは満面の笑みでロストに抱き着いた。

 彼は何が起きたのか分からなくて、瞬きを何度も繰り返す。

 ロストは事の状況を理解出来なくて、何から質問すれば良いか分からなかった。が、取り敢えず声を出そうとした時、けたたましい魔人の声がロストを遮った。

「ど、どうしてだ……? 何が起きたんだぁぁぁぁぁぁ!!」

 魔人は悔しそうに三人を見つめた。

 そんな魔人を諭すようにレクが声を出す。

「俺の能力【魔運選幸術まうんせんこうじゅつ】は世界を自由に選ぶ事が出来る、確率で構築された世界をな」

「……どういう事だ?」

「例えばサイコロを振るとして、全ての目が同様に確からしいならば、その瞬間、この世界には六つの分岐点ができる。一の目が出る世界と、ニの目が出る世界と……みたいな感じでね」

 サツキはニヤニヤと誇らしい顔つきで彼の話を聞いていた。それに対してロストと魔人は、頭をポカンとさせてレクを眺めている。

「俺は起こりうる全ての事象を見る事ができ、そして自由に選べる。勿論、必然的に起こる物事を変革する力はないけどね」

 魔人は歯軋りをしながらレクを睨みつける。

「お前がロストの結末を確率に託した時点で、負けだったんだよ。この能力は使える場面が限られている。能力が発動出来る条件下になると、俺の紋章が光り出すんだ」

 話を聞いて諦めがついたのだろうか。

 魔人は言い返す事もせず、ただ沈黙を貫くことにしたようだ。

 そのまま目を瞑り、顔の殆どが焼け落ちていく。

 ロスト達は憐れむように魔人を見つめた。

「ふぅ〜やっと終わった……」

 サツキが大きく腕を上げて伸びをし、『よかったね』と言ってロストの肩を叩く。


「二人ともありがとうございます」


 ロストは深々と二人に御礼した。

 もしサツキがいなかったら、魔人に食べられていたかもしれない。

 もしレクがいなかったら、あの忌々しいゾンビに変わり果てていたかもしれない。

 そんな事を考えると、死への恐怖と二人に対する感謝で胸がいっぱいになりそうだ。

「まさかこれ程までに弱いとはな」

「ふふふ。全然気にしないで」

 死闘を終えた三人。

 思わず笑ってしまうロスト。

 そんな三人を包むボロボロの大聖堂と死体だらけの森。

 ロスト達はそれらをほんの少しだけ一瞥した後、再び来た道を戻り、今度は何のアクシデントもなく本部へと辿り着いた。

 

 

 



《殲滅隊本部 特殊対魔部三軍 報告場》


「ご苦労だった」

 生き物をゾンビに変える魔人と、多様な魔法を使いこなすカメレオン型の魔人がいた事を報告し、三人の任務の遂行が認められた。その他、魔人が従えていたゾンビの正体が村の住人であることが分かったり、ロスト達が退治したカメレオンの魔人が実は知能を持たない魔物である事が判明したりして、今回の事件に対するマーキュリー博士の関与が疑われ始めた。魔物に知性を与えるなんて、そう簡単には出来ないのだ。

「は〜早くお酒飲みたーい」

「もう少し我慢しろ!」

 殲滅隊本部のとある廊下。

「ねぇ? ロストちゃんってお酒飲める?」

「え? まぁ成人なので……。でも飲んだことないです」

 ロストは控えめな感じで答えた。

「お前、酒飲んだことないのか……」

「じゃあー! 今日の夜は乾杯だね!!」

「は、はい!」

 ロストは勢いよく返事をした。お酒は飲んだ事ないけど、興味は抜群にある。初任務遂行を心の中で祝って、ロストは二人の背中について行きながら殲滅隊本部を出たのだった。




 





 

 


 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 


 



 



 


 

 


 



 


 


 








 



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