第2話 戦闘・死刑・初恋

 凍える風と冷徹な雨が、ロストの体を襲っていた。死体から盗んだ服を着るも、体の震えは止まらない。

「誰かーいますか?」

 声と共に出る白い吐息。

 雨音のせいで、声が闇の中に消えてしまう。それでもロストは、手で肩を摩りながら何度も声を上げる。辺りを見渡せば、無数の死体が広がっている。

 頭から血を流し、倒れる男。口から血を吐く黒の大蛇。折れた刀。死体に埋まる機関銃。

 何が起きたのだろうか?

 その時だった……。 

「誰かー助けてください!」

 少女の声が聞こえた。

 それは雀のように小さな声だった。

 まるで捨てられた子猫みたいだった。

 けれどもロストは、しっかりと彼女の声を捉えることができた。

「誰かいますかぁぁ!!」

 またもや声がする。

 ロストは藁にもすがる思いで走り出す。決死の思いで走っているせいか、不思議と体が軽い感じがした。

 降り注ぐ雨。漂う死体臭。

 これらの現実離れした状況が、彼の疲労を吹き飛ばしたのかもしれない。

 走ること数分。

 死体の森を抜けると。

「誰か……助けてください」

 そこには少女がいた。

 泥だらけのワンピースに、飛行艇のおもちゃを抱えた小さな女の子が。

「大丈夫?」

 ロストはすぐさま駆け寄る。

 死体だらけの土地に女の子一人。

 迷子でもしたのだろうか、そんな事を考えながらロストは彼女と視線を合わせるために、しゃがみ込んだ。

「お父さん、お母さんはどこ?」

 頬に伝わる涙。

 血と泥が混ざったワンピース。

 雨に濡れた金髪は艶を失い、細い脚には沢山の傷が見られる。

 両親らしき人を見つけるため、ロストは周囲に目を配った。が、右を見ても左を見ても死体ばかり。

「ごめんね、僕もさっき目が覚めたところで。何が起きてるか分からないんだ」

「お兄ちゃん……助けて」

 少女はロストの手を握った。

 その双眸は涙で溢れ、表情は崩れかけている。

 見過ごす訳にはいかない。

 まだ小学生ぐらいと思われるこの少女を、この不気味な土地で独りぼっちにさせるなど、それこそ彼の良心が痛む。

「でも僕には……何も出来ないよ」

 彼女の手を離そうとした。

 覇気のない声。縮む背骨。下がる瞼。

 ロストの中で無力感が募っていく。

 けれども少女は、その小さな掌をギュッと握って、彼の手を絶対に離さない。それどころか、手を離そうとするほど、その握力は強くなっていく。

 まるで恨みでもあるみたいに。

「あの……ちょっと痛いよ」

 彼女の握力が徐々に強くなってきた。思わず、ロストはもう一方の手で彼女の手を退けようとする。

 しかしどうしたものか、どれだけ力を入れても少女は彼の手を離さない。

 遂に我慢できなくなったロストは、防衛本能的に彼女の頭をガシっ!と握った。

 と、その時。

 

——かかったな


「え?!」

 突然、少女とは思えない野太い男の声が、彼女の口から発せられる。

 そして次の瞬間、彼女は少女らしからぬ巨大な化け物へと変貌を遂げていくではないか。

 顔は年老いたおばさん。体は大きな灰色のミミズ。蛇のような鱗を纏った腕に、四本の巨人の足。つま先はラプトルみたいな鋭い鉤爪。

【ギャゃゃゃゃゃゃゃゃ】

 凄まじい金切り声をあげると、胴体から無数の女性の顔が浮かび上がってきた。

「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ロストも化け物に負けず劣らず、人間離れした気持ち悪い黄色の声を鳴らす。

 ロストは決死の思いで足を動かした。

 背中に感じる殺気。

 震える鼓動。

 心許ない細い足。

 雨が降り頻る中、懸命に手と足を振る。

【ギャゃゃゃゃゃゃゃゃ】

 後ろの方で怪物の声がする。あんな化け物に殺されたくない。食べられたくない。絶対にまいてやる。

 ところが、巨大蜘蛛のお尻を登った先は、ドラゴンの死体ばかりが広がっていて、逃げ道が絶望的に少なかった。急いで来た道を戻り、別の道を探す。ピラミッドみたいに積み重なった人間死体群を掻い潜り、怪物の死角をとってみる事にする。なるべく音を立たず、でも俊敏に。首無しだ、と思ったらそこには首の無い死体達が寄り添うようにピラミッドを形成していた。もし怪物に捕まったらこんな風になってしまうのか、そんな恐怖を抱きながら走り続ける。そこを通り過ぎると、広がる地平線が見えてきた。どうやら行き止まりではないようだ。更に進み続けると、そこは刀や銃が乱雑に置かれたゴミ箱みたいな場所だった。振り向くと、怪物らしき生き物は見当たらない。きっと撒いたんだ。

 しかし安心するには早すぎた。

「ーーッ!」

 途端、背中に猛烈な寒気を感じたのだ。

 横転する視界。

 夜空と大地がひっくり返り、雨が重力に逆らう。

 そして後頭部に強烈な痛みが走った時、初めて自分が吹き飛ばされた事に気づいた。

「……」

 頭を打ったせいで平衡感覚を失う。耳鳴りが雨音をかき消す。朦朧とする視界の中、その奥には、先程撒いたと思っていたあの巨大ミミズの姿があった。

 逃げなきゃ。

 震える足が意思に反する。

「クゥ……」

 首に図太い触手が巻き付く。気道を締め付けられ、息がうまく出来ない。地面から足が離れる。

 遠のく意識の中、ロストは地面に刺さった剣を見つけた。彼は必死に手を伸ばす。あと、もう少し……。

「……!!」

 指が柄頭に触れた。血管が浮かび上がるほど腕に力を入れると、指先でグリップを撫でるように摩り、そして掴む。右腕を大きく振り下ろして

【ギャゃゃゃゃゃゃゃゃ】

 怪物の触手を切り落とした。

「は、やく逃げなきゃ」

 その怪物は触手を切られ、地面を横転する。手足を四方に、揺ら揺らと伸ばし悶えているのだ。

 逃げるなら今しかない。

 と立ち上がった瞬間、突然視界が暗闇に掻き消されそうになる。

「あぁ……」

 先程、地面に強く頭をぶつけたせいで、軽い脳震盪が起きていた。走るのは勿論、立つのですら難である。

 振り向けば切断された触手が、切り口から発する謎の湯気と共に生えてくる。怪物が復活するのも時間の問題。

 その時、死体の山に埋まりかけていた金属製の機関銃が、ロストの視界に入り込んだ。ロストは這いずりながら、その機関銃に手を伸ばす。

「オラぁぁぁぁぁぁ!!」

 首無し女の死体を蹴り飛ばすと、雨に濡れた機関銃を手にした。ロストは急いで後方につけられた安全ピンを外す。そして何十キロもあるそれを両足で固定すると、照準を怪物の方に向けた。

 が、その時。

 あちらも触手を再生させて、ロストの元に飛び込んできた!


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 降り注ぐ銃弾の雨。

 怪物の鋭い鉤爪が彼の眼球を貫く…………その前に弾薬が怪物の胴体を貫いた。

【ギャゃゃゃゃゃゃゃゃ】

 少しづつ後退しゆくそれ。機関銃の圧倒的な威力に、怪物はロストの体に近づけない。

「くたばれ!! この害虫がぁぁぁ!!」

 ロストは狂人のように引き金を引き続ける。

 カチ カチ カチ

 千発以上残っていた弾丸を使い切る頃には、怪物は全身から血を流して倒れていた。頭部に綺麗な穴が空いていて、再生の印である湯気は出てこない。

「や、やったのか……。はは。ははははは。どうだ、化け物!!!」

 緊張の糸が切れて、爆笑する。雨の中、はしゃぐ幼児みたいに。ロストは一息ついて、手を機関銃から離した。

「はぁ……」

 見上げると、無数の雨粒が闇の中からやってきて、この汚い大地や自分の顔を洗い流してくれている。ロストは、体の中にある不純物が全て、雨によって流れ出てる感じがして気持ち良くなっていた。

「疲れた」

 そうして目を瞑り雨を全身に感じて、高まった鼓動を落ち着かせながら、ロストは何となく、先程の怪物の死体の向こう側にある瓦礫や死体の山あたりに、不気味な者が動く気配を感じ取っていた。ただ、頭を強く打って幻覚を見ているだけだろう、と勝手に思い込んでいたので特に注目しなかった。ところが、やっと温まった体が冷え込んで来た頃、機関銃を手に添えて体を正面に起こした時、ロストの心臓は凍りそうになった。なぜなら、何者かが、瓦礫や死体を動かす音が辺りに響いたからだ。

「……」

 向こう側の瓦礫や死体の山々が、一斉に盛り上がって四方八方に飛ばされてゆく。

 元々はゴミの山の下敷きとして眠っていた大蛇や巨大虎やゾンビなどの異形な生物が、ロストの発砲によって目を覚ましてしまったのだ。

 ロストは急いであの機関銃の引き金を引いた。ところが機関銃の弾は底を尽きており、幾ら引き金を引いたって弾は出やしない。しかも周囲には壊れた銃や錆び付いた刀しかなく、あの大群に対抗出来そうな武器は一つもなかった。

 突然、大蛇と目があった。

 それから、ゾンビや巨大蜘蛛や巨虎とも目があって、其々涎を垂らしながらこちらに近づいてくる。

「ボク……死ぬのか。ははははははははは」

 ロストは笑った。

 けれども彼の叫びは、彼らにとっては挑発行為そのものであり、怪物達は一斉に咆哮を上げて、ロストのところへ飛び込んで来る。

 もう終わりだ、そう思った時だった。

 突然、辺りがサーチライトの様に照らされた。

——なんと闇に染まっていた上空に、が現れたのだ。

 その圧倒的な迫力と優雅さに、思わず息を呑む。

【ギャゃゃゃゃゃゃゃゃ】

 ロストを狙っていた魔獣達は、空からやって来た飛行艇に恐れているようで、一目散に散らばってゆく。しかしその飛行艇はすぐさま船体から幾つかの大砲を地上に向けると、その銃口から複雑な魔法陣を展開し、キーンとした不気味な音を立てたと思ったら、次の瞬間、赤や紫と言った多種多様な色を纏った槍の様な弾丸をその魔獣達に放った。被弾すると一瞬にして灰と化し、あれだけ殺すのに苦労した巨大ミミズでさえ、なす術なく殺されてしまうのである。飛行艇のその圧倒的な戦闘力にロストは畏怖と安堵感を感じ、思わず意識を失いそうになる。

 上空から誰かが降りてきた。

 果たしてロストは、意識を暗闇に落とした。



*    *    *


 意識を失いそうになった時、ロストは走馬灯を見るようにこれまでの人生を振り返っていた。親に捨てられ妹と二人暮らしを始めてから、国に命を狙われるまで。刑務所に来てから断片的に途切れている彼の記憶を縫うように、ロストはその画面に夢中になった。

 だから目を覚ました時、自分の前に仁王立ちしているこの中年太りした軍服を着た男が、閻魔大王に見えた。そして自分は今から地獄に落とされるのだろうと勝手に解釈した。

 しかし意識が徐々に戻り、手足の感覚や平衡感覚が復活すると、部屋の最果てに飾られた女神の像が目に留まり、その周りで何やら偉そうな男達が互いにヒソヒソと小言を漏らしながらこちらを見ているのが分かった。

 刹那、ロストはここが見知らぬ裁判所である事を理解した。

「目を覚ましたか、レベル百の生き残りよ」

 前方にいた男がそう言った。

 無造作に伸びた髭に、ワックスのかかった少ない髪の毛。お腹辺りが少しふっくらしていて体は大きい。

 男は思慮深そうに鋭い目でロストを見つめる。

「あの、ここはどこですか?」

「ここは殲滅隊本部省だ。君の処分について考えているのだ」

「処分って?」

「お前を処刑するんだ!」

 ロストが質問すると、傍聴席に居た眼鏡をかけ黄土色の軍服を着たインテリ顔の男が、ドン! と椅子を叩いて話に入って来た。

 ロストは眉を顰めて

「すみません、何が何だか本当に分からなくて……」

 ロストは首を横に縦に振り回す。

 体を起こそうとすると、ガチャ! と音が鳴って体が動かなくなる。後ろを見ると両手が手錠で柱と繋がられていて身動きが取れない。

 ドギマギするロストを、彼の前にいた男は沈んだ目で見つめる。

「君について調べさせて貰ったよ、アルベルトギフテッド君」

 男はロストを見下すように、そして馬鹿にするように、その太った腹を全面に突き出して声を上げた。ロストは見開いて男の顔を凝視する。

「君は十二年前、ここカタスフザ帝国南部に位置する大都市ラタブを壊滅させた。当時高校生だった君は知ってる筈だ。テイムを用いずに魔人を飼ってはならない事を」

 ロストは『はぁ〜』とため息を一口吐いて顔を下に向けた。

「それなのに君は違法に魔人を飼ってた。それが冒険者にバレてしまい、君は妹とその魔人を連れて逃走劇を開幕。君が魔人とはぐれた後、奴は巨大爆破魔法を用いて街を全滅させた。その罪で君はアマゾニア大陸にある中立国家が管理するラディオンに服役した。しかもレベル百の囚人として。これで合ってるかな?」

 男は一通りの説明をした後、タバコを一口吸った。

「そいつは即死刑です! 化け物を匿っていた奴ですよ」

「化け物なんかじゃない!!!」

 滅多に怒らないロスト

 そんな彼が獣のような声で訴えた。

 ロストが声を荒げた瞬間、場内にざわめきが起こった。男達が睨みつけるような目でロストを見下ろしながら、互いに耳打ちをするのである。それを見たロストは弁解の余地すらない事に気づき、目を瞑って声を閉ざし、再び首を下げた。

「待て待て。私も最初、こいつを死刑にすべきだと思っていた。ただ、一つ気になる事があったねぇ」

 男は頭をかいた。

 その図太い茶色の指で、フケのある薄い髪の毛をゴシゴシと掻き回す。

「君、マーキュリー博士を覚えているかね?」

 そう言って男は、ズボンのポケットの中に丸めてしまってあった新聞紙を、バンと音を立てて地面に叩きつけた。



『イカれた科学者マーキュリー・スクワット。シロ帝と結託して違法な人体実験?!』


「あの……これは」

「厄介な奴だ……」

 男はポケットからタバコをもう一本取り出すと、呆れたようにその記事の詳細を話し始めた。

「マーキュリー・スクワット。イカれた天才科学者さ。彼女は"譲渡主義"を掲げるシロロリア帝国、通称シロ帝から違法に莫大な研究資金を手に入れて、様々な非人道的な実験や研究を行ってきた。魔獣の心臓を人間の体に移植したり、人間の遺伝情報に魔獣のものを書か加えたりね。君もその被害者の一人さ。私達は長年彼女を追ってきた。でも見つけられなかった。そんな時、私達は君を偶然拾った。ここまで理解出来たかな?」

 男は少し笑みを浮かべた。

「まぁ、何となく」

「よろしい。では次行こうか。どうやら君は彼女に好かれてるらしい」

「え?」

「マーキュリー博士はマフィアと繋がりがある。私たちの調査によれば、そのマフィアはこの数週間アマゾニア大陸に何度も上陸していたらしいのだ。死の大地アマゾニア大陸にな。なぜだと思う?」

「すみません、全然分かりません」

「ははは、気にするな。先に答えを言うが、答えは君自身だ。理由は分からんが、君の体が必要らしいのだ。きっと君は彼女のお気に入りなんだろう。もしくは研究が途中なのかもしれない。何せ、マーキュリー博士がロスト君と接触した年に、"あの戦争"は開幕したからね。戦争に巻き込まれて研究が中途半端に終わったのかもしれないな」

「あの……おじさん」

「ダクトだ。そう呼べ」

「すみませんダクトさん。戦争って何ですか?」

 ロストが質問した瞬間、騒めきが起こった。

「そうか、君はあの戦争を知らないのか」

 ダクトは注意深くロストを直視した。ロストは彼らの反応を見て、自分の質問が的外れな事に気づき、恥ずかしさで死にたくなった。

 どうやら彼らにとってそれは、常識の範疇らしい。

「君が眠ってる間に、世界は大きく変わったんだ。全人類の十分の一を投下した魔獣大戦争。それが十年前、アマゾニア大陸で起こった。丁度君が人体実験を受けた年さ。この世界を牛耳る二つの先進国と共同体が一同に手を組み挑んだ大戦争。我々は勝てると思っていた。だが結果は敗北。今や、アマゾニア大陸の大半は魔獣に奪われてしまった! この戦争によって人類は譲渡主義と敵対主義の二つに分断した。譲渡主義とはこの世界の支配権を魔獣に委ね、人類が彼らの下として生活を営む考え方のこと。戦争の敗北によって生まれた諦めの思想さ。魔獣を人間よりもより高度で神に近しい存在として崇めたてる。それに対し敵対主義とは魔獣を倒し、人間が世界の支配権を手に入れようとする考え方のことだ。勿論!」

 ダクトが声を大にして『勿論』と言うと、傍聴席で聞いていた男達も一斉に


「「「運命は我らの手によって決まります。手綱を他人に委ねず、信念と魂を貫く人生にこそ我らの幸福は築かれるのです! 故に我らは崇高なる大善の為に敵対主義を掲げ、手と足が食われても剣を振るい、首が曲げても死後、彼らを呪い続けると今、我らの魂に固く刻むのであります!!!」」」


と敬礼をしながら暗唱した。

 圧倒されたロストをよそに、ダクトは話を進める。

「このように我等は今も、奴らを殲滅する為に働いているのだ。そして! あの忌々しいイカれた科学者はシロ帝に加担している。あの女の研究が進むことは人類の敗北に繋がる。だから、絶対にあの女を捕まえなくてはならない。そしてそんな時、君が現れた。おぉ〜救世主メシアよ。あぁ〜我らの手がかり」

 ダストは溌剌とした顔で天井を向き、それから腕を左右に広げると、まるで自身に酔いしれるように言ってみせた。この男は自分の世界に入っているのである。

 この人たち、頭おかしいんだ。

 ロストはそんな目で彼を見た。

「だから私は考えたのだ!! 君を囮にすると……」

 途端、ロストは嫌な予感を察知する。

「安心せい。君を彼女達に差し出すつもりはない。今、君には二つの選択肢がある!」

 そう言うとダクトは、人差しを一本立てて……。

「一つ! ここで死ぬ、今すぐに」

 刹那、頬に擦り傷が入った。

 震えるロスト。思わず息を呑む。

「二つ! 殲滅隊に入り魔獣と戦う。そしてマーキュリーの追手を捕まえ、彼女の居場所を突き止め彼女も捕まえる」

 ダクトは人差し指に続いて中指も立てた。

 彼の言う通り、ロストには二つの選択肢がある。生きるか死ぬか。戦うか戦わないか。司法の空間で選択を迫られる中、彼は"とある約束"を思い出した。ある親友との約束を。


『どうか、幸せになって欲しい』


 この約束を交わした日から、ロストには一つ疑問が残った。

 幸せってなんだろう?

 彼には幸せが何か分からなかった。冒険者に捕まってラディオンに収容されている間。あの疑問がグルグルと頭の中を掻き回していた。何をする事が幸せで、何を味わう事が幸せなのか。

 ここで死ぬ事を選ぶのが幸せなのか。

 それとも生きる事を選ぶのが幸せなのか。


——人は何の為に生きるのか。


 時々ロストはこんな事を思った。

 自分は生きてて良いのかと。

 彼は刑務所に連行される前、普通の高校生だった。普通と言っても、妹と魔人の三人暮らしだったので、周りの学生よりは苦労してる事が多かった。放課後は真っ先に酒屋に行って、懸命に働いた。ロストは元々魔術を使えなかったから、給料も安かった。だけど母は妹を産んで他界。父は借金を残して自殺。父が残した借金を返さなければならなかった。まだ高校生だったのに。

 ロストにはとても優秀な同級生がいた。’彼女’は容姿端麗で成績優秀、かつ高度な魔術を会得していた。噂によれば、小学生の時には高校数術を終わらせ、四か国語もの言語を操る事が出来たらしい。中学の時、剣術と魔法で全国優勝し、数々の魔法学院に飛び級する事すら可能だったのだ。

 ロストはそんな’彼女’に、一種の特別な感情を抱いていた。廊下で’彼女’とすれ違うだけで、彼の鼓動は高鳴り頬は赤に染まる。挨拶を交わしただけで、その日の仕事は頑張れそうだった。

 ところが、そのような明るい感情に加え、彼は心苦しい感情を抱いていた。

 ’彼女’はとても人気があった。信頼があった。彼女はいつもクラスの中心であり、学校行事のまとめ役であり、舵取りだった。

 だけどロストは違う。クラスで孤立し、誰とも喋らず一日を終え、酒場で働く。家に帰れば世の中の出来事や凄い人のインタビュー記事を載せた毎日新聞を読みながら、ボロボロの家で夜ご飯を食べる。

 時々彼は思う。自分のような役立たずが生きてて良いのかと。凡人が生きる意味って何だろう。彼女のように優秀で立派な人間のみがこの世界に広がれば良いのにって。毎日新聞で、同い年の子の成功インタビュー記事を見るたびに、彼らの完璧な人生を見せつけられて死にたくなった。何者でもない自分の不甲斐なさに、吐き気を感じた。そしてこんな醜い感情を抱いている自分に腹が立った。

 しかしただ一人。’彼女’だけはロストを肯定してくれた。勿論そこに特別な感情がない事は分かっていた。勘違いしてはならない事ぐらい自覚していた。だけど、ロストは嬉しかった。クラスの中でただ一人、’彼女’だけはロストが働いている事を知って励ましてくれていたのだ。透明人間のような自分を認知してくれる、たった一人の女性だった。ロストは’彼女’の完璧とも言える表面的な魅力に加え、そういう小さな気配りや嫌なことがあっても決して表舞台では暗い顔を見せず、笑顔であり続ける’彼女’の心の強さに惹かれていた。

 そしてだからこそ、彼は悔しかった。ロストは’彼女’の裏舞台になりたかった。だけど’彼女’の苦しみを取り除いてあげられるほど、自分が優秀でないことは本人が一番理解していた。それに加え、自分よりも明るくて話が上手で成績優秀で、何もかも三歩先を行く男が’彼女’と仲良くしてる姿を見て、ロストは自己の無力さに打ちのめされそうだった。他人によって作られた’彼女’の笑顔でさえ、可愛いと思ってしまう自分が悔しすぎた。

 しかしそんな日々も、時が経てば愛しくなる。ロストの学生時代は最悪な形で終わりを告げてしまった。ありったけの後悔を胸に宿して。



 だから彼は今、生きる事を選んだ。



「やります! ここで働かせてください!!」

 ロストはダクトに向かってそのこうべを垂れた。今の自分に出来る精一杯の情熱と覚悟を持って。

 彼の人生は十年前、一度幕を閉じた。

 けれどもこうしてロストは生きている。

 だから自分の出来る最大限のことをやりたいと思ったのだ。

 勿論、マーキュリー博士のことは分からない。

 ただロストと会った時の、あの表情と吐いた言葉は、ダクトの言うマッドサイエンティストとは大違いな、とても人間味溢れるものだと、ロストは感じていた。

 けれども、もう一度彼女に会わなければ何も分からないのも事実。

 マーキュリー博士がロストの体に何をしたのか。

 マーキュリー博士の真意はどこへ。

 

 二度目のチャンスがあるのなら。








 ………僕も、何者かになりたい。





………………………………。




………………。




………。





「よかろう、ロスト・アルベルトギフテッド君。君を殲滅隊の一員としてカタスフザ帝国に招き入れよう」

 胸にスゥーと透き通るような声で、ダクトは言った。手には燃えかけのタバコを添えて。

「しかしこいつは、レベル百の囚人ですよ。中立国家が怒りますよ」

 反論する青白インテリ。

「その中立国家は世界大戦で滅んだ。今更レベル百も糞もないさ」

「しかし! 誰があいつを管理するんですか?!」

 氾濫の波は室内空間全体に広がる。

「んーたしかにな……」

 客席で響めきが起こり、賛否は二分化しそうであった。彼らの横暴な意見のぶつかり合いにロストも割って話をしようかと思ったけど、もはや統制を失ったこの空間にまともな議論など出来そうもなかった。

 だから後ろの出入り口がガタッと開いてあの人が姿を現した時、場内の空気は一変して静まり返ったから、ロストは何事だろうかと呑気に疑問符を立てて後ろを振り返ってみると、神の悪戯を形容したような存在がそこにはいて、思わず目を盗まれたように’彼女’をじっと見つめてしまった。


「私が管理する特殊対魔殲滅隊の三軍に彼を配属させます」


 ’彼女’の声はとても魅惑的で、それでいて落ち着いていた。甲高い訳でもなく低音でもない。鼻に篭ったような可愛い声でありながら、少しハスキーでセクシー。髪色は赤みの強いピンクで、髪型は綺麗な一つ結び。目は薄紫が特徴的なアーモンド型。

 端正な顔でありながら、どこか不気味で威圧的な雰囲気を纏う’彼女’。ダクトとロストを除いて、その場にいた全ての男達の背筋に寒気が走った。

「彼女の名はアップ・バニッシュプロペリア。殲滅隊最高戦力の一人であり、ユースティック王直属の身辺警護人も務めたことがある。彼の事はアップに任せようと思うが、異論はあるか?」

 ダクトの提案に反論する者は誰もいなかった。あの色白インテリすら、汗を垂らして黙っている。

 日に照らされた大樹の膝で育つ木陰のような、はたまた芳醇な終始の香りを織り混ぜながら舞う花風のような、そんな繊細で不完全な感情の種を、ロストは心の土に宿す。そんなどっちつかずの感情を胸に乗せたまま、ロストは彼女に話しかけた。

「え、あ、ひ、久しぶり〜。ご、ごめん。覚えてないよね〜」

「ううん。ちゃんと覚えてるよ。久しぶり、ロスト君。十二年ぶりだね」

「そうだね。もう十年以上経つんだね。元気に、してた?」

 頬が爆弾みたいに熱くなって、彼女と目を合わせられなかった。それでもアップは生温く微笑みながら、彼の質問に丁寧に答えていく。

「ええ。見ての通り、私は大出世したの」

「う、うん。そうみたいだね。びっくりしたよ。いきなり君が入って来たから」

「あはは、そうだよね。私も昨日、ロスト君を見つけて驚いちゃったよ」

「え? 君が見つけたの?」

「うん。あの飛行艇に私も乗ってたんだ」

「そう、なんだ。凄いなアップは。昔から凄かったもんね」

「ううん。まだまだだよ。ロスト君こそ生きてて本当に良かった」

「そう言って貰えて嬉しいよ」

「そろそろ良いかな?」

 ダクトは咳払いをしながら、二人の話に入り込んできた。

「「すみません」」

「うむ。アップ、彼を頼んだ」

「はい」

 アップはロストの手錠を外し、彼の首輪に付けられた鎖をギュッと握った。アップとロストのシルエットはまるで飼い主とペット。

「これからよろしくね、ロスト君」

「うん」

 まさかの初恋の人と再会。それも上司と部下として。ロストは予想も付かなかった急展開に驚いてはいるけれど、それ以上に下品な事を考えていた。


 間違いなく、この仕事は面白くなる。





 

 

 

 

 




 

 

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