第4話 彼のいた島と、
島に着いても特別な気持ちはなかった。着いたな、というだけだった。
車で船から降りると、彼の言うことが分かった。何があると聞かれて初めに、スーパーが、などと言うわけだ。要は何もなくて、三階建て以上の建物が一切見えなくて、海と山とくすんだ色の民家、決して新しくはなく、かといってわらぶき屋根のような価値ある古さもない建ち並ぶ民家。いつから開けていないのか埃まみれのシャッターが下りた個人商店、錆びついた遊具がグラウンドに並ぶ、廃校らしきがらんどうの小学校、そして海岸に沿ってずっと続く道。それらが見えるばかりで、車を走らせながらさっそく私はため息をつく。
彼はこんな所で暮らしていたのか――そう考えて不意に気づく。彼が住んでいたのはどこだろうか? 島で生まれ育ったとは聞いていたが、どの辺りだったのかは聞いていない。
そう気づくと同時。車内の空気に、重みを感じた。誰かもう一人車に乗り込んでいるかのような、温度と気配を持った空気を。
速度を落とし、路肩で車を止めた。
その後で考える。どこに住んでいたか分からないということは、たとえば。このすぐそばに住んでいたかもしれないということだった。ここでなかったとしても、もう少し先かも知れない。でなければ、その先かも知れない。島中どこへ行ってもそう感じることになる、そういうことだった。
助手席にまるで彼がいるような感覚を覚えて――彼はいつも助手席だった、免許なんて持っていなかったから――そこに置いていたバッグを後ろの席へ移した。空けておかないといけない気がした。
それはそれで、空っぽの胸には歓迎すべき感覚のはずなのに。振り払うようにアクセルを踏んだ。
海沿いに外周を巡る道を走ったが、一時間半程度で島を一周できてしまった。ドライブにはいいが、住むには狭そうな島だった。
昨日までの仕事疲れもあって、あまり長くうろつきたくはなかった。来た所とは別の港の近く、比較的家や店の多い辺りでビジネスホテルの部屋を取る。
部屋で休み、夜になって外へ出、近くの店で食事をして、飲んで。ぶらぶらと海岸沿いの道を歩く。静かに繰り返す波の音と緩く吹く潮風が、胸の空白にほんのわずかだけしみた。
そうするうち、案内板が目に入った。『天使の降りる小道』を示す看板だった。すぐ近くにあるらしい。
天使はどこにでもいる――そんな、子供みたいなことを語った彼を思い出して小さく笑った。それなら行ってあげようか、いるわけはないけれど。軽く酔いの回った頭でそう考える。
いくつも並ぶ窓に灯りの灯った、大きめのホテル――こんな田舎で『国際』ホテルなんて名乗る必要性は分からなかった――の横を通る。やがてまた案内板があり、それにしたがって階段を下りる。板張りのデッキにテーブルと椅子が並ぶホテルのオープンカフェの下、砂浜が続いていた。人は誰もいない。辺りに灯りはごく少なく、月明かりの下で砂は白く輝いていた。もっとも潮はすっかり満ちて、小道とやらは見えなかった。言うまでもなく、天使も。
わざわざそんなことを考えた自分を鼻で笑い、帰ろうとして気づいた。遠く向こうから砂浜を歩いてくる人がいる。夜に遠目でよく分からないが、黒っぽい帽子にスーツを着た男。
やがて男は近づいてきた。シルクハットのひさしに手をやり、小さく会釈すると言う。
「光栄ですな、貴女とお会いできまして」
何と答えていいか分からず、とりあえず私は言ったのだ、男の格好を見て、話をそらそうと思って。
「手品師か何かの方ですか、それとも大道芸のような?」
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