プライベート・アイズ

踊る猫

ジーク・擬音

ぼくはグループホームというところで福祉のお世話になりながら生活しているのだけれど、先日そこの施設長の方と話をする機会があった。その方がぼくの生活ぶりに関して「どう? パソコンの方はまだサクサク動いてる?」と問いかけて下さって、その「サクサク」という擬音が印象的に聞こえた。「サクサク動く」……実に日本語らしいユニークな言葉で、英語に直せば「Does your personal computer work smoothly?」となると思う。つまり「スムーズ」という言葉を副詞的に使えばいいわけだ。でも、「スムーズ」と「サクサク」の間には超えがたい溝があるようにも思う。あまりぼくは擬音を使うのは好きではない。いや、別に強いポリシーがあるわけではなくてただなんとなくの話にすぎないのだけれど、それでも思いがけず自分の口から「チャラチャラ」「ダラダラ」「イケイケ」(これは死語かな?)という言葉が出てくるのを感じると面白く思えてくる。


ぼくが尊敬している作家のひとりである片岡義男は、とあるインタビューで日本語の真髄について彼ならではのユニークな意見を提示している。ぼくたちは「よぼよぼ」という言葉を知っている(ぼく自身はこれはあまり好きな言葉ではないのだけれど)。この言葉はすぐにそうして「よぼよぼ」と形容された人の様子・姿をぼくたちに伝える。ひと目ですぐにわかるほどの老人なのだろうな、というように。片岡は「言葉の音だけですぐにその人の様子が分かるでしょう?」「日本語は曖昧だといわれるけれど全然そうじゃない。端的で鮮やかなんですよ」と彼の持論を示す。ぼく自身、「サクサク」という言葉ひとつだけで「鮮やか」にパソコンならパソコンが処理速度を駆使して何でも効率的にかつ順調に処理してしまうところを思い描いてしまった。そういうことを片岡は言っているのだと受け取る。


ぼく自身はこれまでの48年間の人生を基本的にネイティブの日本人として過ごしてきた。そして、その人生の中で英語を学び始めて大学では英文学を学び、その後いろいろあって最近また英語を学び直しているところだ。英語を学び直し始めた当初は日本語をどこかでナメていたところがあって、なにせずっと日本語圏で暮らしてきたのだから日本語のことはすべて頭の中に叩き込まれていると思っていた。だけど英語を学んだ頭で日本語を見直し、その見直した日本語を改めて体得し直した頭で英語学習に戻り……といった日本語と英語の世界の往還を日々繰り返すようになるにつれて「日本語も英語も、これは一生かかっても極められない恐ろしく深遠なものなのだな」と思うようになった。今はぼくは日本語と英語で日記を書く試みを続けているのだけれど、書けば書くほどその謎に吸い込まれていきそうになる。ニーチェではないけれどあまりこの深淵を見つめすぎないように自分を戒めないといけない。


英語を流暢に喋る人のことを、人は「ペラペラ」と語る。これも擬音ではないだろうか。ネイティブスピーカーが流暢に言葉を繰り出すあのマシンガン的な言葉の羅列は確かに縮めてしまえば「ペラペラ」としか言いようがないものだ。これは決して英語の「fluent」という言葉を使って英訳したのでは決定的に表現できない事柄だろうと思う。文章を「スラスラ」読む、キーボードを「カタカタ」叩く、エビアンを「ゴクゴク」飲む、「ウダウダ」時間を過ごす……そういえば「ポロポロ」という擬音もあった。田中小実昌がこの「ポロポロ」という言葉を効果的に使って極めて印象深い短編小説を1編残していたっけ。擬音の世界は一見子どもっぽいようで、でもこうして突き詰めていくとなかなか奥が深い。ぼくは日々、日本語と英語を行き来しながらこんなことを考えて暮らしている。


https://www.sankei.com/article/20211010-FGW2ZOUX5VPQNAGQBBUHEGKOSE/

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