第25話 それは恋というもの

 本を読む時間はあっという間に過ぎ去り、ディナーの時間になっていた。

 テレーゼがいつものようにコルネリアを呼びに来ると、今行きますと一言ドア越しに伝えて向かう。

 すっかりと読みふけってしまった童話の本を閉じてそっと本棚に戻すと、姿見の前に向かって手櫛で髪を整えた。


「あ……」


 そこで彼女はまた気づいてしまった。

 いつ頃からだろうか、この屋敷に来た当初とは違って食事の前に必ず髪を整えて、身だしなみを意識するようになったのは。

 レオンハルトと会う、そんな些細な事でさえも彼女にとっては大きなことで、そして少しでも可愛く見られたいという乙女心が彼女を支配していた。


 そんなことに気づいたのも全て、自分が『恋』をしているのかもしれないと気づいたから──

 彼女はその気持ちを確かめるためにも、いつもより緊張した面持ちでディナーへと向かった。



 ダイニングに入るとレオンハルトはすでに席についていたようで、軽く会釈をして急ぎめに席に着く。

 急がなくていいよ、と一言コルネリアに声をかけるレオンハルトは、食事の準備をするテレーゼたちメイドが運んでくる前菜にちらりと目をやる。

 前菜を目にした途端、少し苦々しい表情を浮かべたレオンハルトの様子を見逃さず、テレーゼは言う。


「レオンハルト様、今日はにんじんは残してはなりませんからねっ!」

「わざわざ大きな声で言わなくてもいいからっ!」


 そんな会話はもちろんコルネリアの耳にも届き、彼女はレオンハルトに尋ねる。


「にんじん……お嫌いですか?」

「んぐっ……ああ、少し」

「少しじゃないですよね?!」

「テレーゼっ! いいから次の準備してっ!!」


 去ろうとした足を止めながらでもツッコむテレーゼに、レオンハルトは照れた表情を浮かべながら反論する。

 今まであまり意識していなかったが、確かににんじんがそのまま皿に盛り付けられることがなかった気がして、それが彼の好き嫌いを考慮してのことだったのかと気づく。

 だが、今になってなぜ?といったように感じたのだが、その答えはすぐにわかった。


「ハッピーバースデイ、レオンハルト様っ!」

「……え?」

「ああ、ありがとう」


 使用人たちは示し合わせたかのように皆厨房や部屋から出て来ると、拍手をして彼の誕生日を祝う。

 目をパチクリさせて驚くコルネリア。


「ふふふ、誕生日を迎えられてさらに大きくなったレオンハルト様は、にんじん、食べられますよね?」

「そんな子供みたいな扱いをして出すなっ!!」


 そんなやり取りをしなが、テレーゼはコルネリアに近づく。


「こちらをご用意しておきました、よかったらコルネリア様の手からお渡しください」

「いいのですか? 皆様からでは」

「いいのです。コルネリア様からお渡ししたら、一番喜んでくださいますのでっ!」


 笑みを浮かべて綺麗な袋に入れられたプレゼントを受け取ると、コルネリアは席を立ってレオンハルトの元へと向かう。

 袋は大きいとは言えないサイズではあったものの、優しい色合いのリボンで袋の口が結ばれている。

 その袋にコルネリアは想いを込めると、屋敷を代表してレオンハルトにそのプレゼントを渡した。


「お誕生日おめでとうございます、レオンハルト様」

「ありがとう、とても嬉しいよ」


 早速開けてもいいかいと皆に問い、許可を得ると、ゆっくりとリボンを解いて中身を確認する。

 するとレオンハルトの表情が一気に驚きへと変化し、そして今度はその中身を優しく見守るようなそんな表情で見つめる。


(何が入っているのでしょうか)


 コルネリアはその中身を知らなかったため、レオンハルトの目をじっと見つめていたのだが、彼は途端に彼女の目に視線を合わせると、まばゆいほどの笑顔を浮かべた。

 そして、レオンハルトは袋からプレゼントを取り出すと、そのうちの一つをコルネリアに差し出した。


「え?」

「お揃いのグラスだよ、しかもこれはおそらくこの街一番の職人の手で作られたもの」


 レオンハルトはテレーゼのほうへ顔を向けると、彼女はその通りといったように深く頷く。


「素敵ですね……」


 コルネリアがそう思うのも無理はなく、この職人の手によってつくられたグラスは、細かいガラス細工が施されており、なかなか手に入るものではない。

 数日単位で待つような品ではないため、おそらく使用人たちがこの日の為にだいぶ前から注文してあったのだろう。

 雪の結晶を思わせるような、そんな繊細で美しい模様に思わず二人とも見惚れる。


「ありがとう、コルネリア。それから、みんな」


 使用人たちは皆笑顔で頷いたりするものや、遠慮がちに首を振ったりするものもいる。

 そしてテレーゼは二人に向かって、今日はよかったら二人きりで食事を楽しんでください、と言い残すと、皆ダイニングから去って行った。



「二人きり、というのは初めてかもしれないね」

「はい、少し緊張します」

「僕もだよ、でも、特別な誕生日になった。ありがとう」

「私は何も……、皆さんのおかげです」


 すでにフルコース並べられた食事をゆっくりと楽しみながら、二人は先程もらったグラスでドリンクを飲む。

 まだ酒が飲めないコルネリアに合わせて、レオンハルトもノンアルコールカクテルを楽しんだ。


「いつか、このグラスでお酒を飲んでみたいです」

「ああ、僕は酒が好きだから、ぜひ一緒に飲みたいよ」


 ゆっくり晩酌を楽しむ様子を想像してコルネリアは嬉しくなる。

 そして同時に突然あの童話の本で見た言葉を思い出して、心臓が飛び跳ねる。


「どうかした?」

「いえ、その……」


 コルネリアはどうしていいか迷い、グラスの縁を指でなぞっては目を泳がせる。

 そう、今日は彼の誕生日。

 好きな人の誕生日という絶好の機会を逃すわけにはいかない、そう思ってコルネリアは自分の中に眠っていた気持ちを打ち明けた。


「恋をしました」

「……え?」


 あまりに予想外の言葉がコルネリアから出てきたため、目を丸くして食事をする手が止まった。

 レオンハルトがコルネリアに目を向けると、もう彼女は顔が真っ赤どころの騒ぎではない、耳も真っ赤になり、瞬きは速く、そして膝にちょこんと置かれた両手も小刻みに震えていた。

 そのあとすぐに間に耐えられないといった様子で目をぎゅっと閉じる彼女を見て、レオンハルトはカトラリーを置いて彼女の元へと向かう。


「──っ!!」


 コルネリアは気づくとレオンハルトに後ろから抱きしめられていた。

 首元に回された逞しい腕、そして伝わってくるあたたかさの中に少し彼の緊張が混じっているような気がした。


「ようやく気づいてくれた」

「え?」

「僕はずっと前から恋をしていたのに」


 レオンハルトはコルネリアの首元に顔をうずめて耳元で囁く。


「僕の可愛い奥さん、ようやく僕を見てくれた」

「──っ!!」

「最高の誕生日、君から一番嬉しいプレゼントをもらえた」


 そう言って、彼はゆっくりと唇をコルネリアの首に触れさせる。


 『恋』をした二人は、想いを少しずつ伝え合って微笑んだ──



*************

小説家になろうにて、一足先に第一部が完結しました。

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