第17話 テレーゼの過去

 ああ、どうしてこんなことになってしまったのだろう──


 テレーゼ・フィードルはお茶会用におめかしをしたドレスを床につけながら、そして膝から崩れ落ちる。

 自邸に着いたすぐ後、そのまま何か騒がしい様子に気づいてメイドに声をかけるが、慌てた様子で彼女はテレーゼの背中を押して近くの応接室へと向かわせる。


「どうしたの? ミア」

「テレーゼ様、落ち着いて聞いてください」

「ええ、なに?」

「旦那様と奥様が……亡くなりました」

「…………え?」



 彼女が両親の死を伝えられたのは18歳の時。

 もうメイドや執事たち使用人にもわずかに残った給金だけを渡して雇用契約を解除し、皆それぞれの場所へと散っていった。


 古参の執事や一部の使用人だけがテレーゼの両親とテレーゼの世話をするために屋敷に残っていたが、もう皆次の日に解散というところであった。

 そんな前日にテレーゼの両親は自殺し、そしてテレーゼはショックのあまり自室で一晩うずくまって過ごした。


(いけないわ、私が皆を守らなければ)


 両親から場所を密かに聞いていた地下室へと向かうと、何か金目になるものはないかと手当たり次第に探す。


「ないっ! これも、これもお金にならないわっ!」


 皆両親が財政難に陥った今年の春に屋敷のほとんどの骨董品や美術品などを売り払っており、今更空っぽの屋敷で金になるようなものが見つかるはずもない。


「ん……?」


 そんな時、ワインセラーの奥のほうに一本だけいかにも高級そうなワインが置かれており、テレーゼは不思議に思ってそれを手に取る。

 特に何の変哲もない、いや、売れば非常に高価そうなワインなのだが、なぜこれだけが残されていたのか。


「──っ!!」


 深い色をした赤ワインをしばらく眺めていると、テレーゼはあることに気づいた。


「私の……誕生日……」


 そう、何もないこの地下室でただ一つだけ残されたそのワインのラベルには、テレーゼの誕生日が刻印されていた。

 愛する娘の生まれた瞬間を忘れないように、そしてもしかしたらそれはテレーゼの20歳の時の贈り物として渡される予定だったのかもしれない。


「ふぇ……んぐ……ふっ……」


 テレーゼの小さな涙声が地下室に響き渡り、わずかに頬を流れた雫がワインへとポタリと落ちる。

 彼女は少しの間涙を流したあと、ドレスの袖で目をこすると、ワインを大事に胸の前に抱えて走り出した。




「テレーゼ様っ?!」


 メイドのミアがテレーゼを見つけた時には、彼女は雨の降りしきる外から走って帰ってきたところであり、その綺麗なドレスは泥にまみれていた。

 その手には何かを握り締めており、息をはぁはぁと大きく吐きながら肩を揺らす。

 いつの間にかミアの声を聞きつけて屋敷にいた使用人が集まってきており、テレーゼを取り囲み、各々心配の声を寄せる。


 テレーゼは息を整えて背筋を伸ばすと、残っていた使用人三人の手に握り締めていた”それ”を三等分して手渡す。


「テレーゼ様、これは……?」

「ごめんなさい。本当はみんなの生活を保障できるだけのお給金を渡したいのだけれど、今私に渡せるのはそれだけなの」


 渡された給金を眺めながら、ミアは彼女がこの給金のために売り払ってきたであろうもの、そしてそれが地下室にあって屋敷の主人たちがテレーゼの20歳の誕生日に渡してほしいと遺言書で書いていたものだと気づいた。

 亡くなった主人たちと、そしてそれを近くでワインを好んで飲む年配の男性に売ってきたテレーゼの思いを受け取り、唇を噛みしめる。


「本当はみんなと一緒にいたいけど、でも、私はみんなのことを雇うお金がない」

「私は、私はテレーゼ様と一緒ならお金がなくてもっ!」


 ミアがそう叫ぶが、テレーゼは首を静かに振って微笑んだ。


「あなたたちにまで死んでほしくない」

「──っ!!」

「だから、ここでお別れ。私は大丈夫だから、必ず生きるから。だから、お願い、みんなもどうか生きて」


 そう言い残してテレーゼはゆっくりと夜の闇に消えていった──



◇◆◇




 テレーゼはふとヴァイス公爵で与えられている自室で窓の外に輝く月を眺めながら昔を思い出す。


「あれから、もう7年ですね……」


 没落して一人となったテレーゼは屋敷を後にしたのち、何も食べるものも飲むものもなくひたすらに数日彷徨い続けた。

 自分がどちらに向かっているのか、これからどうするのか、何もわからずあてもなく。


 そんな時に偶々社交パーティーの帰りだったレオンハルトの乗る馬車に見つけられ、彼に拾われた。

 テレーゼは数日で動けるようになったが、また迷惑をかけてしまうと思い、テレーゼはヴァイス家を去ろうとした。


 だが、レオンハルトはそれを止めた。


『君の奥底からは生きたいという思いが伝わってくる。本当は生きたい、そうじゃないのか?』


 そう言われてテレーゼはドキリとした。

 両親の死を知り、後を追って死のうとしていた時もあったが、彼女の中に眠る生きたいという欲望が消えなかった。

 それは死んだ家族のためにかもしれないし、最後まで残っていたあの三人の使用人たちのためかもしれない。


「あの時のレオンハルト様の言葉がなければ、私は屋敷を出て野垂れ死んでいたでしょうね」


 月に手をかざして掴もうとするが、当然それは掴めはしない。


(あの時から私は生きると決めました。生きて、生きて、そしてこの屋敷のために働く。私の新しい居場所、今度こそ守りたい)


 ふとテレーゼの脳内にコルネリアの顔が思い浮かんだ。

 自分の過去を打ち明けた時の慈愛に満ちたあの表情が忘れられない。

 そう、彼女もきっと私と同じ、いえ、私以上に辛い経験をしてきた。


 だからこそ幸せになってほしい。


 窓の横にあるテーブルに目を移すと、そこには古い手紙が置かれていた。

 テレーゼはそれをゆっくり手に取ると、悔しそうに唇を噛みしめた。


「あいつさえ、いなければ、いなければっ!」


 テレーゼは、自分の家業を乗っ取り、そして両親を死に追いやった”ある貴族”の名前が書かれた手紙を見つめて、そしてぐしゃりと潰して部屋を後にした──





『親愛なる フィードル伯爵

 

 あなたのその貿易における才は見事でございます。

 今晩のディナーも非常に有意義で楽しい時間が過ごせました。

 またぜひ、今度は娘のテレーゼ様もご一緒に……。

 

 

             あなたの友人 ビスト・ルセック』

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