第8話 一難去ってまた一難

 レオンハルトとコルネリアの離婚危機が過ぎ去り、再びヴァイス公爵家に平穏が訪れた。

 コルネリアはあれからというもの自分の感情の回復に一種の戸惑いを覚えており、それは彼女の中でむず痒く、彼女から落ち着きというものを奪った。

 今日はレオンハルトの仕事が珍しく休みなこともあって、二人はランチの後にアフタヌーンティーを楽しんでいる。


「ここの暮らしにはもう慣れたかい?」

「はい、おかげさまで」

「そうか、何か不自由なことがあればいつでも言ってほしい」

「かしこまりました」


 まだどこかかたい印象を受けるコルネリアの返事だが、着実に以前よりは表情も声色も柔らかくなっており、それを見てレオンハルトは少し安心した。

 返事をしながらサンドウィッチを食べたそうに彼女の手が宙をうろうろしている様子をみたレオンハルトは、自らの手でサンドウィッチを取ってそのまま手渡す。

 遠慮もしなくていいし、そのままこうして食べれば大丈夫だよ、といったように、自分の口元に入れる素振りを見せてコルネリアに伝える。

 それを見た彼女は安心したようにサンドウィッチを自らの口に運ぶと、ふんわりしたパンに柔らかいくちどけの卵サラダ、そして新鮮なレタスが口の中で混ざる。


「──っ!」

「美味しいかい?」

「(ふんふん)」


 彼女は口にたまごサンドを含みながら、うんうんとレオンハルトに美味しいという意思を伝えるために何度も頷く。

 たまごが口元についたのをペロリと舐めると、レオンハルトは彼女の色気にドキリとする。

 コルネリアはどちらかといえば童顔といわれる部類で可愛らしい印象を与える顔立ちのため、余計に今回の動作はギャップがあったようで彼はなんとも容易く見惚れてしまった。

 コルネリアの可愛さに隠れた『色気』にやられ、レオンハルトは益々彼女を好きになる。


「君はいつも僕を魅了して離さない。素敵な女性だよ」

「そうでしょうか……自分ではあまりよくわかりません。私は聖女の力も失ってしまいましたし、公爵様のお役に立てるかどうか」

「コルネリア、僕は君に役に立ってほしくて妻にしたんじゃないんだ。ただ傍にいて幸せになってほしい、楽しんで生きてほしい。それだけなんだ」


 楽しんで生きるという当たり前なことでも、コルネリアはしばらくそういう生き方をしたことがなかった。

 孤児院でいた時は比較的幸せに生活をしていた。

 シスターにご飯を食べさせてもらい、育ててもらって、そして他の子供たちとも触れ合って生きてきた。

 ルセック伯爵家に引き取られたすぐは、なんて美味しご飯なんだろうかと感激するほどの食事を出されたり、メイド達が甲斐甲斐しく世話をしてくれたりした。

 しかし、それも長くは続かず、結局は聖女としての力を失ったコルネリアをルセック伯爵は地下牢に閉じ込めて冷遇してしまった。


 でも、レオンハルトとなら楽しく生きることができるかもしれない。

 先日の離婚を申し出た時に彼に言われた言葉がコルネリアの頭の中をよぎる。



『君だから良い。僕は、君だから好きになった。僕の隣にいるのは君しか考えられない』



 そんな風に言われたのは初めてだったが、コルネリアが自分自身を愛する以上の愛をレオンハルトが彼女に向けていることをその言葉からひしひしと伝わった。

 コルネリアは少し考えてレオンハルトのサファイアブルーの瞳を見つめて告げる。


「私も公爵様と楽しく生きてみたいと思いました」


 彼女にとっては今はこれを伝えるのが精いっぱい。

 これから先、少しずつ歩み寄っていけたらいいな、とそんな風に感情を取り戻してきたコルネリアは思っていた。

 すると、今度はレオンハルトが少し不満そうな表情を浮かべているのに気づき、自分が何か不快な思いをさせてしまったのではないかと考え込む。

 しかし、彼から返ってきた言葉は意外な言葉だった──


「レオンハルト」

「え?」

「名前で呼んでほしい」


 少し拗ねたような、どこか恥ずかしさを隠すような素振りを見せながら目を逸らしてコルネリアに告げるレオンハルト。

 コルネリアは恐れ多いという理由からずっと『公爵様』と呼んでいたが、どうやらそれが彼にとっては気にくわなかったらしい。


「本当にそのように恐れ多い事、よろしいのですか?」

「ああ、もしよかったら呼んでほしい」


 コルネリアは自分の手元にある紅茶の水面に映る自分の姿を見つめると、顔を上げて言った。


「レオン……ハルト、様」

「──っ!」


 それは破壊力抜群だったようで、レオンハルトは顔を赤らめると「心臓に悪いな」と小さな声で呟いた。

 よかったのか、悪かったのかとコルネリアが不安そうにするのを見て、焦って釈明したのは言うまでもない──




◇◆◇




 その日の夜にコルネリアはある用事のためにレオンハルトの部屋を訪れていた。


(公爵様……じゃなかった、レオンハルト様に庭園で渡そうと思っていたのに忘れてしまってた)


 コルネリアが執事からレオンハルトに渡すように、と依頼をされていた手紙を渡すのをすっかり忘れて部屋に戻ってしまっていたのだ。

 少し経った後でそれを思い出し、急いで執務室の前へと来ていた。


「レオンハルト様、いらっしゃいますか?」


 ドアをノックしてレオンハルトからの返答を待ってみるも、なかなか返って来ない。

 しばらく待っても返事がないため、そーっと中を伺うように扉を開けてみる。


「失礼いたします」


 しかし執務机のほうに目を遣ってもレオンハルトは座っていない。

 何処かに出かけてしまったのだろうか、と思いながら部屋を見渡すとソファで何かがもぞっと動いたのが視線に入ってそちらを向く。


 毛布か何かの下で動いた「それ」は、さらにくるりとこちらを向いた。


(男……の子……?)


 コルネリアの視線の先にいた「それ」は5歳ほどの幼い子供で、すやすやと眠っており、その顔はどこか見覚えのある面影をしている。

 毛布をぎゅっと握り締めるようにして気持ちよさそうに眠っている子供は、コルネリアの視線にも気づかずに寝ていた。

 そのソファで眠る子供が、レオンハルトに似ている気がする、と気づいたコルネリアに一つの考えが浮かんだ。


(公爵様のご子息……?)


 そんな考えが頭をよぎったコルネリアは、どうしていいかわからず、その場に思わず立ち尽くしてしまっていた──

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