第7話 感情の回復と愛情
「離婚」という言葉が思わず口を突いて出たことに一番驚いたのはコルネリア自身だった。
今までであればこうしたい、ああしたいという意思すらも持つことが少なかった彼女が、アスマン公爵の嫌味に気づき、そして自分の夫であるレオンハルトの悪口を言われていることに腹を立てた。
そして、何よりそう言わせてしまった原因が自分にあると気づいて、自分から離れようとしたのだ。
「なぜ、と聞いてもいいかい?」
今までに聞いたことのないほど低い声色で話すレオンハルトを見上げると、そこには怒っているわけでもコルネリアを非難するわけでもない、ただひたすらに悲痛そうな表情をした彼がいた。
そんな顔をさせているのも自分で、自らの感情の回復による戸惑いが、とんでもない速度でぐるぐると回り、そしてそれを咀嚼できないほどに大きく成長をしている。
思い起こせば朝食を一緒に食べた時にも、ドクンと心臓が鳴ったような気がしていた。
ただの鼓動かと思っていたが、自分に感情が戻ってきている証だとは思わず、コルネリアは無自覚そのものだった。
「──っ!」
ふとレオンハルトは淡い色の髪に隠れた大きくつぶらな瞳から、涙が零れ落ちているのを見て目を丸くする。
「私、どうして、でも、公爵様にご迷惑をかけたくないと、それだけを、思って」
その一言でレオンハルトは全てを悟り、コルネリアの腕を強く引き寄せて自分の胸に彼女をしまい込んだ。
抱きしめられた──
そんな風にコルネリアが気づいたのは少し間が空いた頃で、優しくも力強いレオンハルトの腕の中にいた。
「公爵様──」
「私の自惚れだろうか。君は僕を思ってくれた、僕のためを思って身を引こうとしてくれた、違うかい?」
その問いかけに対してコルネリアは声を発することができずに、こくりと小さく頷く。
顔はうっすらと赤らんでおり、しかしそんな様子は抱きしめているレオンハルトには見えていない──
「なんてバカなことを……なんて失礼だね。まずはありがとうと伝えるべきかな。僕のことを案じてくれて」
そう言いながら大きく角ばった手を淡いピンク色の髪で彩られた頭に乗せてなぞり、愛しい思いをぶつけるようにふんわりとした髪を撫でる。
コルネリアの中でも確かに『感情』が動き始めており、そしてそれは目の前にいる彼によって少しずつ動かされていく。
(この人のために何かしたい)
心で思うほど易くはないがただそれでも、聖女の一人としてもてはやされた時期の後の地下牢での生活を強いられたことで感情が欠けてしまった心に比べると大きな回復でもあった。
レオンハルトは自分の記憶の中にある2歳の時に出会ったコルネリアをふと思い出して語り掛ける。
「君はもっと自由に生きていて、そしてそんな君が羨ましくてどこか眩しくて、そして僕は恋に落ちた」
「公爵様のような素敵な方が私を好いてくださっていいのですか?」
レオンハルトはそんな控え目で遠慮がちに問いかけるコルネリアの頬を撫でると、そっと指で涙をふき取って言う。
「君だから良い。僕は、君だから好きになった。僕の隣にいるのは君しか考えられない」
「公爵様……」
彼女は初めてはっきりと「嬉しい」という感情を実感することができたが、まだその感情が彼と同じ「恋」という愛情であることに気づくことはない。
それでもコルネリアの中で何か『感情』の歯車が回り始め、彼を思う気持ちが芽生えたのは確かだった。
「コルネリア」
「はい」
「もう一度聞くね。僕と離婚をしたいかい?」
コルネリアは顔をあげてじっとサファイアブルーの瞳を見つめると、ゆっくりとその口を開いた。
「いいえ、あなたの妻でいさせてください……妻でいたいです」
彼女の表情はもう何年も忘れかけていた「笑顔」というものを映し出していた──
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