第2話 公爵様はサファイアブルーの瞳で少女を見つめる

「おかえり、コルネリア」



 首をかしげるコルネリアの様子を見てそっと頭を撫でると、彼は言う。


「覚えていないのも無理ないね。あの時君は2歳になったばかりだったから」

「2歳……」

「ああ、ゆっくり話すよ。まずはこちらにおいで」


 そう言って優しく手を差し伸べる彼の手に自らの手を添えようとするが、幽閉されて体力のないコルネリアは身体を支えられずにふらりと倒れる。

 地面に叩きつけられるかと覚悟したコルネリアだったが、いつまでも経ってもその時は訪れない。

 ようやく自分が手を差し伸べてくれた彼に支えられる形で、抱き留められているということに気づくと、申し訳なさからすくりと立って謝罪してしまう。


「公爵様、申し訳ございません」

「大丈夫かい? ひとまず中で一度ゆっくり寝るといい。それにそんなに怖がらなくていい」


 公爵はコルネリアの顔を少し覗き込みながら彼女の顔色を窺い、そんな彼女が安心するようにと微笑みかけた。

 ふわっと柔らかなシルバーの髪が揺らめき、そして一際輝く一級品のサファイアのような瞳が、コルネリアの胸を打つ。

 と同時に、毎日父親であるルセック伯爵に殴られ蹴られ、そして冷たい床で転がったことでできた傷や痣が、自分の自尊心を傷つけて負い目を感じさせる。

 そんな思いからもう癖になっていた俯くという行動をする彼女を見て、公爵はコルネリアの複雑な気持ちをくみ取った。


「さあ、お風呂に入ってゆっくりお休み」


 自分はそんなことをしていい身なのだろうか、お世話になっていいのだろうか、と虚ろな目を彼に向けると彼はそのままゆっくりと頷いた。




◇◆◇




 体力的にも精神的にも相当疲労を重ねてしまっていたコルネリアは、ヴァイス公爵家に来てから丸三日眠り続けた。

 その間じっと回復して目が覚めるのを待つ公爵は、仕事の合間に彼女の部屋を訪れてはその綺麗なピンク色の髪を撫でた──


 彼女の目が覚めた、との報告を側近から聞くと、仕事を片付けて急いで彼女の部屋へと向かう。


「具合はどうだい?」

「公爵様……」


 公爵がおもむろにコルネリアの傍にある椅子に腰かけると、メイドは彼に向かってお辞儀をして部屋を後にする。

 ドアがわずかな音を立てて閉まると、そういえば、といった様子で彼は彼女に名を名乗った。


「名乗りが遅れてしまったね、私はこの屋敷の当主であるレオンハルト・ヴァイス。好きに呼んでくれて構わないから」

「はい、かしこまりました」


 そこらのひとよりもゆっくりとした返事をするコルネリア。

 寝起きでぼうっとしているわけではなく、活発に動くだけの精神力が今の彼女にはなかったのだ。

 どこかゆっくりとしたそんな動きで彼女は「公爵様」と呟くと、少しだけ寂しそうにコルネリアの頭を撫でながらふっと笑うレオンハルト。


 丸三日寝ている間、コルネリアは高熱にうなされて何度も死の間際を彷徨っていた。

 劣悪な環境下で過ごす毎日を当たり前のように感じてしまっていたコルネリアだったが、もう身体は悲鳴を上げており死を迎えるぎりぎりのところでレオンハルトが彼女を引き取ったのだ。

 メイドがつきっきりで看病をして、そして先程ようやくスープのみ口に出来たという状態。

 まともな食事──パンや野菜の入ったスープでさえも伯爵家で出されることがなかった彼女の胃にはきつかったようで、一口ほどしか入らなかったとレオンハルトはメイドから報告を聞いている。

 そんな様子だからいつ急変してまた体調が悪くなってもおかしくない、と彼女の具合に最大限気を遣いながら話を進める。


「コルネリア、話はできそうかい」

「はい、もちろんです」


 そう言いながらベッドの上で身体を起こして座るコルネリアだったが、その時にわずかな痛みからか顔が歪むのをレオンハルトは見逃しはしなかった。


「無理はしなくていい、横になったままでいいから」

「ですが」

「大丈夫だよ、叱ったりしない」


 わざと「叱る」という言葉で彼女の恐怖心を打ち消そうとするレオンハルトであったが、その思いが通じたのかコルネリアはおとなしく彼の言葉にしたがってもう一度シーツに入る。

 さあ、といった感じでレオンハルトは話を始めながら、前のめりになり膝の上に肘をおいてコルネリアに近づき、彼女の病状を気にして囁くほどの小声で話しかける。


「君は僕と会った時に、おかえりといったことを不思議そうにしてこちらを見つめていたね」

「はい、公爵様と会ったことがあるのでしょうか」

「ああ、あの時の君はまだ2歳で、僕は7歳だった。その日は春の日差しが暖かかったのを覚えているよ」


 自らの指と指を絡ませるようにして親指をわずかに動かすと、昔を懐かしむようにレオンハルトは語り始めた──

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