70secのリズムから
スギモトトオル
本文
講義室に響く音で、目が覚めた。
二限の講義中、大学で授業を受けていた僕は、いつのまにか机に突っ伏して居眠りをしてしまっていたらしく、突然聞き馴染みのあるメロディで叩き起こされた。がば、と顔を上げたまま、しばらく訳も分からずにぼうっとしてしまう。
(僕のスマホじゃ……無い)
メロディは、自分のポケットから鳴っていたわけではない。でも、じゃあ、どこから?だって、あれは僕の……
「ごめんなさいっ」
慌てて謝る女子の声が部屋に響く。振り返れば、僕からやや後ろの席に座っていた鹿島香織が、慌ててカバンからスマホを取り出して音を停めたところだった。どうやら、着信音かアラーム音が間違えてなってしまったようだ。顔を真っ赤にしてぺこぺこと頭を下げている。普段はクールで大人びた雰囲気の子だから、なんとなくギャップがある。
周囲を見回したが、誰も居眠りから突然起き上がった僕の事など、気にも留めていなかった。
先生が、「鹿島、スマホは授業中に鳴らすんじゃないぞ」と笑って振り返っただけで、そのまま授業へと戻る。くすくすと鹿島さんの周囲で彼女の友達が笑う声を残して、講義室は元の授業へと戻っていった。
僕は、改めて後ろの鹿島さんをこっそり振り返った。恥ずかしそうに耳まで染めて、板書の書き写している。
(何だろう、この違和感……)
「おい、良かったな、鹿島ちゃんが身代わりになってくれてよ」
横から小突かれる。友達が、居眠りした僕をからかって、いたずらっぽくニヤニヤ笑っていた。
「気づいてたんなら、起こしてよ」
小声で文句を言いながら、小突き返す。友達はヘラヘラ笑いながら、黒板に視線を戻す。
(なんだろう……)
頭の中に言いようのない違和感を感じる。何かが、記憶の引き出しの奥に見えたんだけど、引っ掛かって上手く引っ張り出せないみたいだ。思い出せそうで、それが気持ち悪い。
それでも僕も授業を受ける学生に戻るほか無かった。居眠りをしていた分、授業は進んでいて、消されないうちに板書をノートに書き写さなければいけない。
(どっかで昔、何度も聞いてたと思うんだけどなあ)
首をひねりながら、やっぱり何も思い出せなかった。
****
昼休み、僕は一人で食堂から講義室へと急ぎ足で戻っていた。
(ったく、落したペン、講義室にあればいいけど……)
どうやら、さっきの授業中、居眠りしたときにボールペンを一本落としたみたいだった。
友達は、ボールペンくらい、購買で新しいのを買えよ、と言ってきたが、そういうわけにもいかない。あのペンはもう手に入らないグッズで、簡単に失くしたくはないのだ。よりによって、そんなペンを落とすなんて、僕も運が無い。
(あっ)
階段の途中で、立ち止まる。いま、何かが思い出せそうだった。
そうだ、自分の足音。階段を鳴らすリズムが、なにか、記憶の扉を開きそうだった。
(タン、タタン、タタタタ、タタタタ、タンタン、タタン)
このリズム。足の動き、いや、足じゃなくて、指だ。
だんだんと思い出していきながら、僕は誰もいない講義室の床を這い、落としたペンを探す。机の脚に触れている指先は、記憶の中のリズムを叩く。
「そうだ思い出した!」
僕は、目当てのペンを拾い上げながら、頭の中ですべてが繋がるのを感じ、思わず声を上げていた。
「きゃっ!誰かいるの?」
高い声の悲鳴が上がった。振り返ると、講義室の入り口に鹿島さんが立っている。
「なんだ、立嶋君か」
僕の顔を見て、鹿島さんはため息を吐く。安心したようだ。
「何をしているの?」
訊ねると、鹿島さんは肩をすくめた。
「それは私のセリフじゃないかと思うけど。私は、さっきの授業で忘れ物をしたみたいだから、探しに来たの。多分、慌ててスマホを出した時に一緒にカバンからこぼれたのね」
「ああ、じゃあ、僕と同じだ。僕もこのペンを授業中に落としたみたいで」
「そう」
そっけない、鹿島さんの返事。特別、僕には興味が無いようだ。まあ、それはそうだろう。
と思ったとき、僕が肩の高さまで持ち上げていたそのペンをちら、と目にした鹿島さんの目が見開いた。
「あ、そのペン」
「あれ、鹿島さんのだった?そんなはずは無いと思うけど……」
「いや、違うわ。ううん、なんでもない……」
僕は、手の中のペンを見返して、あることにピンと来た。
「鹿島さん、もしかして、音ゲー好きじゃない?」
鹿島さんの肩がびく、と固まる。
そう、今日の授業中になったあの曲は、大分前にガラケー向けに配信されていた音ゲーアプリの中のオリジナル楽曲だったのだ。ダウンロード出来る音源があったなんて知らなかったけど、確かにそう、ノーツの並びや背景の映像、キーを叩く指の動きまで憶えていた。偶然にも、僕が一番得意な曲だったのだ。懐かしい。中学生の頃のはずだから、五年近くが経っている。あまりプレイしている人は多くなかったけど、シンプルで中々良いアプリだった。
その楽曲が、鹿島さんのスマホから流れた、ということだ。それに、僕がいま手にしている、このペン。これは、一昨年の音ゲーのイベントで会場限定グッズとして出ていたもので、その件のアプリを開発したところが当時新しくリリースしたタイトルのロゴとキャラクタのイラストがついたものだ。これに反応した、ということは、音ゲー、それも、僕と同じメーカのゲームをプレイしているに違いない。
かくして、数秒の沈黙のあと、鹿島さんは、いつもキッパリしている彼女とは思えないような小さな声で、「立島君も、なの……?」と訊ね返してきた。
僕は頷く。
「今日の授業中、あの曲鳴らしただろう。あの、昔のアプリのやつ。あれ、僕も好きだったんだ」
「わ、私も、あの曲が一番好きで、ゲームはあまり上手くないんだけど、あの曲だけは沢山練習したの。でも、どうしてもランクインは出来なかったわ」
鹿島さんが、控えめな声のトーンで語った。
ランクインというのは、曲ごとにスコアが上位三十位以内だと名前が載るシステムのことだ。僕は、いちおう、そのアプリでは複数の曲でランクインの常連だった。
「あの曲は特に人気があったからね。僕も、頑張っても十位以内には入れなかった」
「え、すごい。そんなに上手かったの!」
鹿島さんが声を弾ませる。
「いや、そうは言っても、総プレイヤー人口が少なかったからね。所詮、ガラケーのアプリだし」
「じゃあ、その中で全然ランクイン出来なかった私は下手くそってこと?」
「そんな風には言ってないけど……その、大事なのは楽しかった、という思い出だと思うし、それは、その、腕前とかは全然関係ないと思うよ」
まずいかもしれない。機嫌を損ねてしまっただろうか。女子たちの中心に近いところに常にいる彼女のことだ。まずい接し方をすれば、僕の立場が変なことになるかもしれない。実験などはクラス単位で動くことが多いため、その中に居づらくなると、ちょっと困る。大学生とはいえ、結局は、やっていることは高校生の延長みたいなところがある。
しばらく黙って僕を睨んでいた鹿島さんが、ふっと吹き出して、笑った。
「あはは、立島くんでもそんな風に狼狽えるんだ。珍しいものを見たわ。君、いつも落ち着いてて何事にも全然動じない様に見えるんだもの」
「あれ、なんだ、怒ってないの」
「そんな聞き方をされれば、ちょっと怒っておこうかとも思っちゃうけど」
「いや、いいよいいよ。鹿島さんは、クールで怒ったりしないほうが、素敵だと思う」
「はは、立島君に褒められた。変なの」
鹿島さんはけらけら笑う。どうやら、怒っているわけでは無さそうだし、なんとなく、普段よりもリラックスしてくれているような気も、思い違いでなければ、してくる。勘違いだと恥ずかしいから、そんなことは聞いたりしないけれど。
「ねね、最近もやってるの?音ゲー」
鹿島さんが、少し身を乗り出して訊ねてきた。
「うん。授業とバイトが忙しいから、あまりやり込んではいないけど、多分、鹿島さんがやってるのと同じアプリを」
「あら、私が今でも音ゲーをやってるって、どうして決めつけるの?」
「これに反応する人は、やってるでしょ」
手に持ったボールペンを示す。そのペンが記念しているアプリは、今でもずっと更新が続けられている。メーカのファンなら、アプリの存在を知っていれば、大抵プレイしているだろう。
「ふうん。ま、その通りだけど」
あっさりと認めた鹿島さんは、自分のスマホを取り出して、僕に向けて突きつけてきた。
「え、なに?」
「フレンド交換」
「あ、する?」
「しようよ。せっかくだし」
彼女のフレンドコードを入力して、アプリ内でフレンドになる。
「っていうか、プレイするところ、見せてよ。あ、今はもう時間無いから、また今度さ。そうだ、じゃあ、ラインも交換しとこうよ」
あれよと言う間に、鹿島さんは僕のスマホをもぎ取って、サクサクと友だち追加を済ませてしまった。これって、下手したら犯罪では?とも思ったけど、別に言わない。彼女と思いがけない繋がりを持てたことに、驚いているだけでなく、喜んでもいる。
「じゃあ、私そろそろバイトだから」
「うん、僕も、次の授業行かなきゃ」
バイバイ、と手を軽く振って、鹿島さんは講義室を出ていった。あとには、僕と、ボールペンと、友達登録が完了した僕のスマホ。
画面の中の、「鹿島香織」の名前。友達登録するときに送られたスタンプが、貼り付けられている。彼女はクラスのグループにも入っていなかったみたいだから(友達がそう言って嘆いていた)、もしかしたら、個人ラインを知っている人間は少ないんじゃないか。
もしかしたら、これは何かのきっかけになるんだろうか。
仄かな梅の香りが窓から入ってくるのを感じながら、「そういえば、あの曲をどうやってダウンロードしたのか、今度聞いてみよう」と思い出した。
<了>
70secのリズムから スギモトトオル @tall_sgmt
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