月よ、この声は届いているか

poti@カクヨム

第1話 夜の底で


 ──夢。夢を見ていた。

 それは英雄になった夢。魔法の剣と奇麗なお姫様。

 勇ましく戦い悪い敵をやっつけて、かっこよく一件落着。

 そんな解り易くて他愛ない夢。


 そうでなければ、愉快で面白い夢。

 新たな仲間と二本の足で、見知らぬ美しい世界を旅して回る。

 南国のエキゾチックな海辺の街で、小麦色の肌をした女の子と

 思い出なんかを作ったりして──


 勿論ロマンスだけじゃない。例えば空を飛ぶ島。

 誰が作ったかも解らない古の遺跡や魔法使いの塔。

 襲い来る魔物たちをばったばったとなぎ倒す。


 ある時は闇に巣くう悪党どもから美少女を守り抜き、

 またある時は大国の戦士たちを向こうに回して大戦争を頑張り抜く。

 正に波乱万丈。これこそが正におとぎ話の主人公たる冒険者。

 運命に召し出されたウォル=ピットベッカーの名前が世界に轟く。


 ──そこで夢が途切れる。


 

 /



 目覚めるや飛び込んで来たのは薄暗い天井。

 蓄積された疲労がずきずきとした頭の痛みになって残っている。

 記憶を呼び起こし意識が発火するまで、僅かの時間。


「……夢、か」


 ベッドから体を起こすと慣れ親しんだ貸間だった。

 ウォル=ピットベッカーは頭を振るや、のそのそとベッドから這い出る。

 月明かり差し込む部屋はまだ薄暗い。夜明け前に目が覚めたようだった。


 肌着のままの少年は窓辺に辿り着き、ぼんやり空を見上げる。

 無感動な三つ子月は既に傾いており、眼下の街並みでは

 ぽつりぽつりと早起きの連中が明かり片手に動いている様子。

 寝ぼけた眼に、自分が愚にもつかない夢を見ていた事ぐらいは理解できた。


 直後、すぐに現実が追い付いてくる。

 財布を引っ掴み中身を確認。固くなったパンと水差しがぽつんとある。

 金はあとどれ位で、何日食い繋げて、次の仕事のアテはどうか。

 思考が具体的になるにつれ、日常の不安どもも亡者めいて蘇って来る。


「あー、くそっ。変に早く起きて。今日は仕事も無いのに」


 夢はただの夢だ。僻地からのお上りさんである所の少年は、

 すぐに次のパンの心配をし始める。ウォルはいわゆる冒険者であった。

 この時代の皇都におけて、日々食う為に働いている人間の別称だ。

 なんでも屋であり、便利屋であり、労働者でもあり、ゴロツキでもある。


 そんな武装した半端者である所の冒険者たちの例に漏れず、

 ウォル=ピットベッカーの生活と言うのも労働に始まり睡眠に終わる。

 夢に見たようなロマンも無ければ、明日の見通しも立たぬ。

 つまりは精々がこの安宿の二階からの眺めが世界の全て。

 そこから行き交う人々や景色を眺めてはまだ見ぬ場所を空想する。


「こんな筈じゃないんだ。まだやれる事は幾らでもある。頑張れ、僕」


 望むのは今ではない何時か、ここではない何処かへと。

 ただの冒険者(ハンパモノ)は夜明け前の空想に翼をつけようとし、

 パンの外にも財布の中身の事を思い出して現実に引き戻された。


 働かねば食えない。食わねば死ぬ。故に永久に自由になれない。

 目の前の現実は圧倒的で、しかも無慈悲であった。

 縛り付けられた鎖は余りにも重く、どうにも飛び立てそうもない。

 飛び立てぬ明けの空はただ遠く、ほの暗く青い。


「……寝よう」


 少年っぽい幼顔のくせ、十歳ほども年をとったようにぼやく。

 ぼさぼさのままの赤髪を搔き乱すと大あくびを一つ。

 ウォルは暗い部屋をずるずると動いて寝床へ帰る決意をする。

 何より呆けているとそのまま朝まで立ち尽くしそうだったからだ。


「……ん?」


 ──しゅうん。がたん。がたっ。どさっ。

 その時、背後からの物音を聞いた。鼠か何かだろうか。

 がたたっ、ごとっ。どさっ。それにしては妙にうるさい。

 おまけに何か焦げたような臭いすらしてくる。おかしな様子だ。

 嫌な予感を覚え、ウォルは振り向かず手探りで粗末な得物を探し当てる。


 さては物取りか、気狂いか。酔っ払いや単なる阿呆か。

 なにせ労働者地区の安宿。防犯もへったくれもあったものではない。

 鞘を付けたままの剣を慎重に肩に担ぐと恐る恐るに近づく。

 先程まで平らだった薄布団が人一人分ほども膨らんでいた。


「誰だッ!」


 ウォルは声を張り上げた。返事は無く、塊が身を起こす。

 めくられたヴェールの下から現れたのは見知らぬ影だった。

 少年は呆然として現れた姿に目を奪われる。

 何処から迷い込んだ小さな何者がベッドの上に座り込んでいた。


「……だ、誰だ?」


 誰何はすぐに戸惑いを帯びる。

 余りにも前触れが無い。この部屋には物入れなど無かった筈だ。

 恐る恐る近づく。呆けたように座り込んだそいつは動かない。

 焼き付けられた幾何学模様の真ん中に座り込んだままだ。

 焦げた匂いの原因は間違いなく、刻まれたその印に違いあるまい。


「お前、僕の部屋に勝手に上がり込んで──うわぁっ!?」


 足早に近づきつつ虚勢で張り上げた声は、持ち上がった影の動きに遮られる。

 襲い掛かって来るつもりか。止めろ僕は金なんて持って無いぞと喚きながら、

 ウォル=ピットベッカーは後退り、何ともみっともない姿で尻もちをつく。


 一方でするりと立ち上がった影は少年めがけて軽やかに進む。

 窓際まで追い詰められた格好のウォル=ピットベッカーはそれを見上げた。


 恐ろしいほどに美しい少女だった。亜麻色の髪にはチリ一つない。

 薄い色の頬は陶磁器のように滑らか。瞳と来たら夜闇でさえエメラルドのようだ。

 挿絵の妖精がそのままうつし世に迷い出てればこのような姿だろう。

 言い換えると、ウォル=ピットベッカーの理解を越えた存在がそこにあった。


「……誰、だ?」


 尋常な理解を一切拒む異常現象を前に、少年はそう呟くのが背一杯だった。

 一方、蒼い月のような少女は小首を傾げ、きゅうと小さく鳴く。

 彼と彼女はこのようにして出会った。



 Next.



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