破滅の魔女と人形姫

白石しろ

第1話 人形師エレノア

「よし、できた……」

 私の手には一体の人形がある。

 それは先日、親子連れのお客さんがこの工房に持ち込み、修理を依頼したものだった。

「ロンダ親方。修理、終わったよ」

「よし、見せてみろ。エレノア」

 ここはベルフィードの侯爵が治める街にあるロンダ人形工房。

 そこで私はお客さんが持ち込んだ人形を直したり、こういう人形がほしいとお客さんから頼まれて新しい人形を作ったりしている。

「ふむ……。見事な出来だな。良くやったな、エレノア」

 ロンダ親方は私が修理した人形を見て、満足げに頷いた。

「お前がここに来てもう五年になるのか。まだ十四の子供だってのに、ここまで腕を持つ人形師に育つとはな。もう店はお前に任せて、俺は引退した方がいいかもしれんな」

「またそうやってさぼろうとするんだから……。隠居なんて駄目だよ。まだまだ親方には教えてもらいたいことが山ほどあるんだから」

「……仕方ねえな。人形師の技を全部お前に教えたら本当に引退するからな。覚えてろよ」

「はいはい。覚えてるよ」

 私が生返事を返すとロンダ親方は「隠居したら何をするかな……サーカスにでも入って、旅回りの人形師になるのも悪くねえな……」なんてことを言い出す始末だった。

 親方にため息をつきながら返す。

「何言ってるの。親方に旅なんて出来っこないよ。ずっとこの街で人形師をしてきたのに今になって旅回りのサーカスでやっていけるわけないじゃない」

「馬鹿を言うな。俺だって若い頃は各地を回って見聞を広めてきたんだ。お前にもその時の武勇伝は何度も話してやったはずだぞ」

「武勇伝なんて言ってるけど、あんなの悪ガキの自慢話と一緒じゃない……。親方だってもう若くないんだし、無理しない方がいいよ。怪我してからじゃ遅いんだからね」

「心配なんていらねえよ。確かに歳は取ったが、心はまだまだ若いつもりだ」

「どこが若いんだか……。十四の子供に店を任せて自分は隠居するなんて言ってる癖に……」

 ロンダ親方はいつもこんな調子だ。

 子供の私が相手でも好き勝手なことを言うし、すぐに調子に乗る。

 この工房にはもう五年もいるけれど、私が大人で親方が子供というみたいにお互いの立場が正反対に思えることなんて何度もあった。

 だけどロンダ親方の人形師としての腕はどんな人にも負けやしないし、面倒見だって凄く良い。

 両親が亡くなった後、私を工房に雇ってくれただけでなく、自身の持つ人形師の技を惜しみなく教えてくれた。ちょっとだらしない所もあるけれど、とても優しくて、頼りになる人なのだ。

 そんな親方が私は大好きで……この人に人形師として育てて貰えたことは私にとって何よりの誇りだった。


* * * * *


 お客さんに頼まれていた人形の修理が終わった。これで私は午前の仕事はお終いだ。

 ロンダ人形工房では、午前中はお店を開けない。午前は人形の修理や作成に専念し、午後からお客さんを受け入れるというのが店の方針だった。

 工房の開店準備を終えた後、一番最初にお店を訪れたのは私よりも小さな女の子とその両親だった。

 女の子は私が修理した人形を見るなり、きらきらと目を輝かせた。

「うわぁ! これ、お姉ちゃんが直してくれたの?」

「うん。そうだよ」

 この女の子は人形がとても好きな子だ。

 店を訪れたばかりの時は「お姉ちゃんじゃやだ! もっと大人の人がいい!」なんて言ってたけど、私が人形師の技を見せると「ねえねえ今のどうやったの!?」と言って今のように目を輝かせ、「お姉ちゃんが作った人形を見せて!」とせがんできたほどだ。

 私だってまだ子供だけど、もう何年も人形師をしている。

 お客さんから人形師として頼りにされて、嬉しくないはずがない。

 もしお客さんの態度が悪かったとしてもそれを理由に仕事の手を抜いたりなんかしないけど……それでもこんな風に人形を見て目を輝かせる子を相手にするといつも以上に気合いが入ってしまい、私は自分の持てる技の全てを振り絞って、この子の人形を修理した。

 そして――その努力は見事に実を結んだ。

「凄いや! まるで新品になったみたい!」 

 女の子はお日様のように明るい笑顔を見せて、私が修理した人形をぎゅっと抱きしめた。

「そんなことないよ。右腕は新しいのに付け替えたし、左足に空いた穴も直したりして、他にも色々と手を加えなきゃいけなかったんだから。なるべく跡が残らないように修理したけど、それでも一度修理した所は前とは違うの。新品になるわけじゃないんだよ」

 はしゃぐ女の子に私は人形の修理した箇所を指さして、説明する。

「……そうなんだ。それじゃあ、今度は壊れないように優しくしてあげなきゃ……」

 女の子はまじまじと人形を見つめ、頷いた。

 人形が直ったのは嬉しいけど、また壊してしまわないかちょっと不安――そう思っているんだろう。

 だから私はその子に優しく声をかけた。

「うん。大切にしてあげて。でもね、出来ればその子と前と同じように遊んであげてほしいな。そうした方がその子も喜ぶと思うから」

「私もそうしてあげたいけど……でも、それでこの人形が壊れちゃったらどうするの?」

「心配しなくていいよ。その時はまた私が直してあげるから」

「うん! ありがとうお姉ちゃん!」

 女の子は可愛らしい顔に再び笑みが戻った。

 そんな彼女の姿を見て、私も笑った。

 昔、まだ小さかった私にロンダ親方は人形師の心得を教えてくれた。

人形師の心得――その三。「お客さんの最高の笑顔には、こちらも最高の笑顔で返さなければいけない」 

 ロンダ親方が教えてくれた人形師の心得は私の中に根を張り、何があっても決して失われることはない。

 だけど、もし人形師の教えがなかったとしても私は笑ったと思う。

 人形のことを心から大切に思ってくれる人が相手なら、私はいつだって私は笑えるのだから。


* * * * *

 

 その後も私は工房で働き続けた。

 工房の仕事はまだまだあるし、子供の私が働ける時間は夕方までだから、できるだけのことはやっておきたかった。

 人形師の時間の流れはとても速い。

 それは人形師の心得その二に「人形師は人形を前にしたら、その人形に全ての力を注がなければいけない」という教えがあるからだ。

 というわけで、私がその教えに従って、一生懸命仕事をこなしているとあっと言う間に時間が過ぎてしまうのだった。

 今日もそうだった。

 まだ大丈夫だと思っていたのに時刻は既に夕方になっていた。

「今日はこれでお終いかな……」

 まだ作業の途中だけど、今日の所はここまでで終わりにしないといけない。

 十五歳未満の子供が夕方の五時以降に働くことは、この土地を治めるベルフィード侯爵様が定めた法律で禁止されている。

 とは言ってもみんながその法律は守っているわけじゃない。

 例えば小さな酒場では私と同じ歳くらいの子供が夜遅くまで働いている。他にも倉庫街では子供が荷車から荷物を降ろしたりしている。そういった事は街中の至る所で見られるから、役人もよっぽど悪質な場合を除けば、法律違反を咎めることはない。

 でも、ロンダ親方は違う。

 この工房だって常に人手不足だと言うのに、親方はきちんと法律を守り、まだ子供の私が体を壊さないように気を遣ってくれている。

 私が九歳の時に両親を亡くして以来、大きな怪我も病気もすることなく、これまで無事に生きて来られたのは、間違いなくロンダ親方のおかげだった。

「……さてと。そろそろ親方の所に行こうかな」

 私は自分の作業部屋の道具の整理と片付けをし、次の日も気持ち良く仕事ができるよう掃除を始めた。

 掃除を終え、私はロンダ親方の部屋に今日の仕事の報告をしに足を向けた。

「親方――」と声をかけようとしたその時、私はまるで魔法をかけられたかのように動きを止めてしまった。

 本当に魔法にかけられたわけじゃない。

 私はただロンダ親方が部屋の中で人形の修理をしているのを見ただけだ。

 ただ、それだけなのに私の目は親方の手に吸い寄せられてしまう。

 ロンダ親方の手が動く度に小さな部品が組み合わされ、針と糸がまるで生き物のように動く。そうするだけでみるみるうちに人形が見事な形を成していく。

(……親方、ほんとに凄いなぁ。もう何度も見てきたはずなのに、いつ見ても魔法みたいだって思っちゃう……」

 もちろんのことだけど、親方のそれは魔法ではなく、あくまでも人形師の技でしかない。

 魔法とは魔力を使って、何もない所に水を沸き立たせ、水の柱を立たせたり、大きな大木を揺らすほどの大きな風が吹かせたりするような力だ。人形師の技と魔法にはこれっぽっちも交わる所はなかった。

 魔法がとても便利な力なのも知っている。

 水を自在に操ることができれば、火事が起きた時、素早く火を消すことができるし、大きな風を吹かせれば、風が吹かない日でも風車小屋の人たちが困ることはない。

 そう魔法はとても便利な力だ。

 だけど、そんな魔法でも出来ないことがある。

 それは人を笑わせることだ。

 ロンダ親方が作った人形は多くのお客さんを笑顔にしてきた。

 人形はただそこにいるだけで話もしてくれないし、魔法みたいに人の役に立つこともないけれど……それでも人を笑顔にすることが出来るロンダ親方の人形作りの技の方が魔法よりもよっぽど凄くて、素敵な力だと私は思っていた。

「ああ、誰かいるかと思えば、エレノアか。そうか、もうそんな時間になったのか。ちょっと待ってくれ。今、こいつを済ませちまうからな」

「うん」

 私は親方の作業が終わるまで待った。

 待つことはまったく苦にならなかった。

 むしろその逆だ。

 親方の作業を見ていると胸がわくわくしてきて、私自身も人形に触りたくなってくる。

 五年もロンダ親方のそばで人形師として修行を積んでいるけれど、私の腕なんて親方の足下にも及ばない。

 昼間はあんなことを言っていたけど、私が親方の技を全て修得して、親方を越えるような人形師になれる日が来るなんて想像も出来なかった。

「こいつでよし……と。さて、この人形はこいつで完成だ。待たせちまってすまなかったな、エレノア」

「ううん。大丈夫。私なら全然平気だよ」

 心の中で「いつもありがとう、親方」と付け加えて、私はロンダ親方に今日の仕事の報告を始めた。


* * * * *


「三番の部品がなくなってきてるから注文しておいたよ。6号の針の方はまだ大丈夫だけど、あの針は折れやすいからちょっと心配かな」

「確かにな。あの針は去年の夏に品薄になったこともあるから今のうちに多めに仕入れておくのも有りかもしれんな」

「そうだね。それじゃあ私の方から問屋にお願いしておくけど、それでいい?」

「ああ、よろしく頼む」

 特に人形を作るのに必要な部品の在庫やお客さんからの注文については詳細に話をした。親方はまだ子供の私のことを一人前の人形師として扱い、信頼してくれている。その信頼に応えるためには、人形を触る以外のこともきっちりこなさないといけない。

「……私の方からは以上かな。親方からは何か言っておきたいことある?」

「いや、特にないな。さっき言ったことで全部だ」 

私はメモを見返して、ロンダ親方の言ったことをもう一度チェックし直した。

(……うん。特に問題はなさそうだね)

 私がチェックを終えたのを見て、親方が声をかけてきた。 

「おい、エレノア。お前も耳にしてるかもしれないが、最近、このあたりに変な格好をした奴がうろついてるって噂がある。くれぐれも気をつけて帰れよ」

「心配しなくても大丈夫だよ。私みたいな貧乏人の子供なんて誰も相手にしないだろうし――」

 私がそう返すとロンダ親方は額に眉を寄せ、厳しい顔つきになった。

「……よく聞け、エレノア。本当に悪い奴は貧乏人だろうが子供だろうが、そんなことお構いなしだ。世の中には人の命なんてなんとも思ってねえろくでなしは腐るほどいる。貴族も平民も命は一つしかねえ。死んじまったらそれでおしまいなんだ。教会の奴らは死後の世界があるとか言うが、俺は死んじまった奴の声なんて一度も聞いたことはねえ」

 厳しいのは顔つきだけじゃなかった。昼間ふざけていた時には比べものにならないほど真剣な声に自然と姿勢が正しくなる。

「お前がいなくなったら悲しむ奴らがいる。お前の命はお前だけのものじゃないんだ。俺の元で人形師をやってきたお前なら、それくらいのことはわかってるはずだろ」

「……うん」 

「それならそいつらのことを考えて、くれぐれも自分の身は大切にしろ。いいな?」

「……わかった。危険なことはしないし、そういう所に近寄ったりもしない。自分の身の安全を第一に考えて行動する。これでいい?」

「ああ、それでいい」

「だけど気をつけた方がいいのは、私だけじゃないでしょ」

「……なんだと?」

「親方の理屈だと悪い人は男の人にだって容赦しないんだから、親方だって危険な目に遭うかもしれないじゃない。だったら私だけじゃなくて、親方にも気をつけてもらわなきゃ。私にはまだまだ親方が必要なんだから。勝手にいなくならないでよね」

「ああ。もちろんだ。お前が一人前になって、俺の目に適うような旦那をもらって教会で立派な式をあげる日までは、死んでも死にきれるもんじゃないからな」

「何言ってるんだか……。そんな人、私にはいないよ」

「そいつはどうかな。俺の勘だと、お前はあと何年もすりゃとんでもねえ美人になるぞ。男なんて呼んでもないのに向こうから勝手に寄ってくるほどのな」

 親方はそう言って、冗談めかして笑った。

 でも、その目は明るく輝いていて、私の言うことをきちんと受け止めてくれたことがわかった。

 まだ私は親方と一緒にいたい。

 もっと人形師としての技を教えてほしい。

 もっと色々な話をしたい。

 そんな時が来るとは思えないけど、もし、私が結婚式を挙げる時が来たら、一番に見てもらいたい。

 心の底からそう思えるほど、私にとってロンダ親方は大切な人だった。

「それじゃあ、親方。また明日ね」

「ああ、また明日な」

 私は親方に頭を下げて、工房を後にした。

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