第四章 四


 西対の一角が、阿久留の主な居住空間だった。

 漆塗りの立派な調度品が並ぶ中、居心地が悪そうにそれらを隅に寄せ、屏風に畳、それから火桶の置かれた場所に縮こまるようにして阿久留は座る。二枚並べていたうちの一枚を阿嵐に譲り、彼もそこに座った。

「今日はもう予定はないのですか?」

「早めに宴会を抜けてきてしまったから時間に余裕ができた。日が暮れるまで話してもいいぞ」

 阿久留はあっと口元を覆った。

「朝廷の行事だというのになんてことを……僕は兄上が罰せられないか心配でなりません」

 事前に断っておけば問題ない、と阿嵐は先の出来事をさらりと流す。

「それよりお前が分家から爪弾きにされていないようで安心した。俺がいない間に不当な扱いを受けていたらどうしようかと、戻る前は気がかりだったからな」

「そんなことありませんよ。あの方々はとてもよくしてくださったのですよ。僕を引き取ってからずっと面倒を見てくださいましたし、弓だって、名手を紹介してもらって習い始めました。おかげでたくさのことを身につけられました」

 阿嵐は複雑な気持ちで相槌を打つ。

「……なるほど。それはよかった」

「なにより兄上が鳩代くしろという女房をつけてくださったから、とても心強かったのです」

 言ってから、阿久留は思い出したように手を打った。

「鳩代と言えば、兄上と婚姻なさる姫さま……白露の君の専属の女房になると、つい先日、本人から聞きました」

「ああ。やはり信用できる者につかせた方が安全だからな。阿久留には悪いが、鳩代がいれば少しは過ごしやすくなると思うのだ」

「構いません。しかし中央の姫君ではなく山奥にいた巫を連れてくるなんて誰も想像していなかったものですから、みな度肝を抜かれておりました。経緯は理解していますが、まだ飲み込めていない者も多いようですよ」

 阿嵐は屋敷に戻る前に、阿久留に事の成り行きを手紙で伝えていた。欠片云々の話は人々が理解できる境地ではないため、それを除いてのことだったが、なんの利益にもならない婚姻に、反対している者がいることも阿嵐は何となく察していた。

「だが白露は目先の利益よりももっと大きな価値を秘めている。この時代に必要なのは兵力ではなく祓い清める力だ。物怪に勝てなければ領地を守るのは難しい。それをこれから知ってもらわなければならないな」

 阿久留は大きく頷く。

「姫さまは兄上とよく似ていらっしゃいます。この間ご挨拶に来てくださった時は、兄上がなぜあの方を選んだのか何となくわかるような気がしました。同じ志を持った者同士が出会ったことで、心が通じ合ったのだろうと」

 それはどうだろうか。阿嵐は肯定する代わりに薄く笑みを返した。浪漫あふれる甘美な物語は空想上でしか描かれないものだ。もしそんな出来事が現実で起こったとしても、自分は非合理的な選択をすることはないだろう。周りから何を言われようと、彼女を傍に置くことは戦略的な意図があったからに他ならない。彼女自身に残った課題もまだあるが、欠片が機能するようになれば今世にとどまらず、来世以降の世界へ益をもたらすことが叶うのだから。もちろん今世にとっても良い結果に繋がると彼は確信していた。自分の欠片なのだから、何の役に立たないことなどありえない。

「巫として崇拝されていただけあって、とてもお淑やかで優しそうなお方でした。少ししかお目見えできなかったのは残念ですが」

「会いに行けばいいじゃないか。すぐそこにいるのだから」

 とんでもない、と阿久留は全力で首を振った。

「兄上の婚姻相手だというのに、そんなことをしたらどんな噂が立てられるか!元服してないとはいえ、姫さまに気軽に会いに行くなどはしたないことはできません」

「どこでその気遣いを覚えたんだ?俺と違ってこうも立派に育つとは」

「兄上が礼儀作法に無頓着すぎるだけです。いつか咎められたって僕は庇うことはできませんからね?本当に気をつけてください」

 まさか弟に注意されるとは、と新鮮な気持ちで阿嵐は手を振った。

「わかったわかった。それで、白露に会ったということはその兄妹はどうだった」

「お二人とも田舎の出とは思えないほどいろんな知識や技術を持っていらっしゃいました。中央よりかは情報は古いようでしたが、それでも見込みはあると思います。とりあえず一通りのことをやらせてからそれぞれに合うものを選ばせて伸ばしましょう」

「では、忙しいだろうがお前に任せてもいいか」

「はい。寧ろ一緒に学んでいける仲間が増えて嬉しいくらいですよ」

 士優と賢優との関係は良好なようだった。彼らが会ったのは兄妹が屋敷に来てすぐのことだったが、滝之雪は歪んでこそいたものの中央貴族の文化をふんだんに取り入れていたからか、阿久留に対してきちんと弁えた態度で接していた。元々二人は傲慢でも粗雑でもなく、上の者に対して素直に敬える性格をしていたため、柔らかな人間である阿久留と相性がよかった。

「あ、そうです兄上、時間があるのでしたら姫さまにも会われてください。僕にも会いに来られなかったのですから、姫さまのことも放ったらかしにしているのでしょう?」

「八日前には会ったがな」

「お可哀想に……寂しがっているに決まっています」

 同情の視線が阿嵐に容赦なく突き刺さる。

「……そうだな。そろそろ会いに行かねば」

 弟に押されながら阿嵐は部屋を出ていった。

 まったくこの兄は、と阿久留は大きな仕事をした気持ちでため息をついた。自分とは違い過酷な環境で育ったせいか、いまいち人としての常識や配慮に欠けている部分があるが、ここは唯一弟として補えるものであるから、自分がしっかりしてあげなければならない。

 せめてこれまでの苦労が報われ、自ら選んだ相手と幸せになってもらいたいものだ。

「おやっ、若君は……」

 そこで湯呑みを二つ乗せてやって来た鶴真は、一人で座っている阿久留を見てぽかんと口を開けた。

「もう行かれてしまいました。よかったら一緒にくつろぎませんか」

「……はい」

 間の悪さに鶴真は密かに落ち込んだ。



 透廊を渡り東対へ向かおうとすると、道場の方から威勢のいい声が聞こえた。この時間であればおそらく彼らが稽古しているのだろう。

 少し考えて、阿嵐はついでに寄っていこうと決め踵を返した。

 士優と賢優は、東浪見の屋敷に来てからも変わらず剣の鍛錬に勤しんでいた。

 汗を滲ませ、きりりとした表情で木刀を振るう。綺麗な太刀筋に阿嵐はほう、と感心した。凪白亀が師匠となり指導するようになってからというもの、彼らは著しい成長を見せている。士優の場合、真面目な性分がそれを手伝って、以前よりも目つきが剣士らしい鋭さを宿している。賢優は自分が得意だと言っていただけあって、小柄であるにも関わらず腕や腰がよく鍛えられているため、刀に振り回されない締りのある動きが出来ている。これはなかなか見込みがある。としばらく見ているうちに、士優がはっと気づいて目を瞬かせた。

「阿嵐さま」

 ややぎこちない様子で、彼らは木刀を下げて黙礼する。

「なんだ、急によそよそしいな。前のように気安く接してくれればいいものを」

「そういうわけには……俺たちはこれまで無礼な態度ばかりを取ってしまっていたので、改めてさせていただいたまでです」

「気持ちはわかるが、人前でなければいつも通りでいてくれて構わん。お前たちまで行儀よくなってしまえば居心地が悪い」

 そういうわけには、と躊躇う士優に、賢優はひそひそと耳打ちする。

「ほらやっぱり。阿嵐さまはこっちの方が好みなんだよ」

 そう小突かれた士優は不本意そうだったが、本人にそう言われてしまえば従う他なかった。咳払いをし、切り替えて肩の力を抜く。

「それで、こんなところまでどうされましたか」

 満足そうに阿嵐は口角を上げる。

「お前たちの声が聞こえたものだから、つい気になって様子を見に来た。さっそく道場に通い詰めているようだが、こんな真昼間から精が出るな」

「休んでしまえばその分腕がなまるので。村にいた時とは違い、ここで剣が役に立つことはあまりないようですが、やらないよりましだろうと」

 東浪見のような上級貴族になると、配下の家や僧兵、神人などの兵を束ねて率いることができる。各家門の基本的な戦力であり、規模も大きく選りすぐりの精鋭部隊が既にいくつも存在するため、大きな戦がない限り人員不足になることはない。

「お前たちのような若者を戦に連れ出すわけにはいかないからな。世の中が平和でない以上、自分で身を守れるようにしておくのが得策だ」

 賢優は隅に置いていた手ぬぐいで汗を拭った。

「ええ、でもおれたちくらいの年齢で兵隊に所属するのは普通なのでは?」

「それは家によりけりだ。どちらにせよここに来たばかりの者を軍事力として働かせる気はない。白露と婚儀を終えれば兄妹であるお前たちの身分は大きく跳ね上がる。兵士よりも、それ相応の役職に就けるようこれから多くのことを学んでもらわなければ」

「うわぁ、想像できないや。勉強なんてできないのに、中央貴族みたいに賢くなれる気がしない」

 二本の木刀を回収し、士優は元の場所に戻しに行く。

「なるようになるさ。今すぐにそうなれと言われているわけじゃない。白露もきっと同じ気持ちだろうから、焦らずやって行こう」

「兄上だけが頼りだよ〜おれのこといっぱい助けてね」

「ちゃんと汗を拭け」

 士優が手ぬぐいを取り上げ、縋りついてきた賢優の顔を強く撫で回した。

「お前たちには苦労かけるな」

「……別に、構いません。白露が納得してここにいるというなら、それで満足ですから」

 弟を解放すると、士優は床に目を落とした。

「けど俺は、志や野望を持った人たちとは違って、何かを成し遂げようという気持ちはないんです。一つ不安があるとすれば、これでは東浪見の力にはなれないというところでしょうか」

 














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