第8話

 それでも誰も廊下には出てこない。女性が呟く。


誰も出てこないなんて、おまけに読んでる本まで見られて


 呆然と、女性は、ずっと硬そうなベッドの上で寒い空気の中、涙の跡がもっと冷えるまで待って、やがては涙筋になるのを心得たように。何かを諦めている。

「あの、本はいくらですか?」絶対に通貨が違う。そう確信していた。言葉は通じているけれど、夢の中、前にも思ったが異国の人なのだ。そこで、自分のお腹がやっぱりご飯いっぱい分幸せ者なのに気づくのだが、現実だとすれば、帰るべし。

 前と同じだ。もしくはこの廊下のドアのどれかが私のアパートの1Rとつながっている。その可能性もある。


本のことはいいわ


女性が力なくも諦めだけは表すというな声音で言う。


わたしが、なげつけたんだもの


またちょっと泣きそうになってまた真顔になって。

まるで貧しさを感じる自分の心の波と似ていた。

「ありがとうございます。弁償しろと言われても、どこで買える本か、」


それはいわないでよ!


女性がこちらに顔を向け静かに怒る。

なぜ怒られるのか分からない。見たところ。

なんの本だ。


笑ってるんでしょう、


女性が寝巻き姿で続ける。

よく見れば。何歳くらいだろう、十代後半とも、二十代とも。綺麗に金色の髪がロールパンのように纏められて、あとはナイトキャップをつけてもつけなくても眠るだけというかんじで。・・・・・・無邪気に、本に感動したんですか?なんて言えないなよあ。違うなあ、これ。私は前に出るタイプではない。これが夢だから訊ねるだけだ。

「どうして泣いていたんですか」


そんなことを今更聞くの?


……聞きますよ。わかりませんもん。あと、いまが何時か気になる。午前4時半とかかなあ、と思いながら。いや、時間が違う可能性もある。夢だけど、夢だから、寝坊しているかもしれない。私は焦った。


「思ってること、いますぐ教えてください」

寒いんだよこの部屋。私の部屋より。暖房つけられるけど使ってないし、ここなんて私の部屋より狭そうなのにもっと凍える。


あなた、どこのひと?


俯きながら言われる。どこの人?どこ。

「日本人です」


そうじゃなくてっ、日本人?

なにそれ?


なにそれ?が可愛かったが、この夢では日本人、あまり知られていないよう。それともさして関係ないのかもしれない。


どこの担当なの?


担当?品出しでもないし、そんな大それた役割。担っていない。私は学校でもろくに何かの委員になったことがない。そうだ。

「家から追い出されて、その、担当とかそういうのは」

まだ、というか永遠に


たいへんじゃない


女性が急に親身になってきた。

「いえ、職と、家があるので」

アパートと、いまは実家と。そして、忘れそうだった、スーパーと。3つ居所がある。居場所というほどまだ定着や独立もしていない。スーパーも、自分はいつまでレジをするんだろう。女性がまた俯いて。


私は仕事ができないでしょう


 仕事のことで悩んでいたのか。よく見れば。壁に掛けられたメイド服。これはしっかりした、スカートの長い洗練された、本物のメイド服、かも。

「あまり知らないので、あの、そもそも私、ここにいてもいいんでしょうか?1人で仕事に悩んで泣いてたのでしょう?」


そういうと涙をまた目に溜めるが、もうこぼれさせるほどの価値もない、というように涙ぐむ。


いいわ。よければ、はなしも聞いてちょうだい。どうにもならないことなの。


どうにもならないなら私が聞いてもどうにもならない。







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