第4話

 その日は休みで、晴天。生まれて初めてのアパートで初めての洗濯をしてみてもいいけれど。なんか変なのだ。

 外の景色は変わらない他にも外観の違うアパートが立ち並び、車が往来し、裏手は駐車場。日当たりは良好。

 だっていうのに。


 外から聞こえてくる会話や雑音が妙なのだ。細かく聞き取れはしないが、なんというか、夏祭りの日でもお囃子の稽古でもないのに、あの祭囃子とやらが聞こえるような。二月の、違和感。


 家から服は全部持ってきた。なるべくマシなブラウスは汎用性が高い。ベストもニットも、下はジーンズでも無地のスカートでもいい。ニットにスカートにしよう。

そして、ピンク。私の名前、桜色のお気に入りのカーディガン。同じ色で大きなボタンが3つ付いてゆったり大きめだ。ダボったく見えるかもしれないが、身体に羽織ってボタンを留めれば、結構清楚で可憐に見えると、私は思っている。


 外に出た。扉を開ける時は、男性に気をつけて、母の達者な言葉だけ。

そう言葉だけの支援が、私を少し警戒させる、と。


 外が、おかしかった。

 土壁に、申し訳程度の煉瓦が組まれた、家?

 家。痩せた攻撃性のない細い犬。霞んだ緑色に私よりずっと薄地の長いワンピースを着た30代くらいの、洗濯物がいっぱいに入った籠を持った女性。頬がこけて痩せている。

 なんで、駐車場は?近隣のアパート。私が生まれ育った街が一瞬にして。何になったの?

 夢だ。夢。洗濯物の夢。


ちょいと、アンタ。


 呼ばれた。と、ドアノブを閉めようとすると、ガッと掴まれて。


(怖い。怖い!)


逃げようとしてもムダだよ、あんた、その、トビラとこの大きな板はなんだい、夢かい、これは。


 見ると

「え?!」

 張りぼて。豊臣秀吉。そんな言葉が浮かんだ。私のアパートは安さ重視で女の子入居でも一階。おかげで家具や荷物は運びやすかったが。

あの安アパートの玄関とその周りの壁だけ空間に現れて。

 私の周りまで。背後まで、土壁の村、落?

 閉めよう!いますぐ閉めよう。たとえこの人の指を挟んだとしても!


アンタ、なんてきれいなかっこうなんだい、おまけにふくらんで、どうしてそんな服になる?


 疲れた気な女性がもう、パートの人達や母に似て見えてもう、恐ろしくて、でも親しみも湧いて、

「ハンガーで、吊るして干してる、からですよ?」

答えるしかなかった。


ハンガー?はんがぁー。


 まだ一回もアパートに入って洗濯機回してないけれど、答えれば夢は、醒めよう。が、女性はハンガーを知らないようだった。これ以上知らない人と話していいのか。今だ。扉を、ドアを閉め、


まちな。


 力は弱まった。だが言葉が力強い。


そいつは服の、服に、いやなんだ、服を吊るすってのはどうやる


 ここにハンガーがあればいいのに!

部屋に戻ってクローゼットから一個?一体?持ってきたいけれど、扉と壁以外、何もないの!

私は扉から出た。戻れるのか不安だけど、夢だ夢。

「木の棒か何かありませんか」

 女性は周りを見回して、松明みたいなのを寄越してきた。松明?!ドアは開けっぱなしにしてある。夢じゃなければ、帰れなくなったら困るし張りぼてだし、どこでもドアみたいに消えたらやだし。


 三角を描くようにして、最後の結びを猫の長い尻尾が曲がったような、とっかかり?ひっかかり?にして。


 女性が考え込んでいる。


これをどうする。


「木か、プラスチックとかで作ります」

 なるべく細く。細くなくてもカタチになっていればいい。太くても。私も今の形のものしか知らない。


もってきな。


 「無理ですよ」なぜか!夢だからだ!


どうやって、つ、吊るす。


吊るすのは伝わっているのが不思議だ。女性の洗濯物籠を見る。とことん、聞いてみるか。

「いつもどうやって干してます?」


ほす?しぜんにかわくのを待つだけだよ


「え」それじゃあ、しめっぽくてしわしわで、あ、でも量が少ない。乾くのか。ならいいじゃないか。

「ならいいじゃないですか」


いや、知りたいね。


 しつこい。なぜ。

 正直に説明した。動作をまじえながら。こういう形のくり抜かれた引っ掛けられる木の細工を想像、え?想像?んーと、思い浮かべて、考えて。で、この角の部分を襟に通して。書いた絵と交えながら。


それじゃ、破けちまうだろう。襟元が!


 あ、そういう服というかデザインというか、Tシャツをズボラに干すのとはちがう系。シャツの干し方とか知らないし、この人の持っている服なのかシーツなのかも、見ちゃいけない気もするし。


「使い方、伝え方を変えます。服を輪っかにして下から通す、襟の輪っかから、さらに曲がった部分を出します」


 女性は黙って聞いている。想像してくれているのだ。わかりづらいだろうなあ。

そして。

……紐をどこかとどこかに結んで、曲がった部分を掛ける。すると、


「風によく当たり、洗濯物がよく乾き、干す前にシワを伸ばせば、よりまっすぐ、たいらに、ふっくらとした服が、」


それだと盗まれたり風に飛ばされちまうだろう。


 がーん、という言葉がしっくりきた。

バカか私は。言われて気づいた。しかし。洗濯物が盗まれてしまうなんて。……一階に住む自分も気をつけた方がいい。天気のいい日に部屋の中、内側になんとか干そう。


「帰ります」


 私はとぼとぼとドアへ向かい、無言の女性の前を通り過ぎて、張りぼてのドアを閉めた。






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