馬鹿者の恋
野村絽麻子
第1話
入学式の日の朝のことを、ずっと忘れられずにいる。他の人よりも頭ひとつぶん背の高いあなたは、すぐに私の視界に飛び込んできた。
きれいな顔。そう思った。
それからあなたは悉く私の視界に入り、いえ、正しくは私があなたを視界に入れてしまうようになった。恋だった。
「知らなかった、私がこんなに惚れっぽいとは」
「いいじゃんいいじゃん、きっと彼もまんざらでもないよ」
新しくできた友人は無責任に私の背中を押し、私もそれを心地良く受け止めた。恋の駆け引きどころか手順も分からないまま、私の恋心はメラメラと燃えあがった。
それを知ってか知らずか、あなたは私を側に置いてくれた。遊園地に行くことになれば必ず私もメンバーに入り、ゴーカートで最速理論をぶつけ合い、一緒の観覧車に乗って景色を眺めた。休日の朝には電話がきて呼び出しを受ける。
「何もないだろ、予定」
今思えば失礼極まりない発言だったが、とびきりのオシャレをした私は弾む足取りで家を出る。春先の海辺。夏の森林公園。秋の植物園。冬のライブハウス。私たちはどこからどう見てもカップルで、私はまさに物語のヒロインだった。
その均衡が崩れたのは真冬のバレンタインの時のこと。私は精一杯の手作りチョコを可愛らしく包んであなたの前に立った。
あなたはそれを受け取ると、少し顔をしかめた。
「なーんか本気っぽいぞ?」
「え? あ、そうでしょ」
まーたお前は! 笑って私の肩を柔らかく押す。その時の私は上手く笑えていたか、わからない。
「俺らも受験あるし、遊んでばっかいねーでそろそろ本腰入れなきゃだな」
「……あー、それだわ!」
あはは、あは。口から溢れる乾いた笑い。真冬だというのに服の下に変な汗が流れる。受け入れてはくれたがそれは友達としての場所で、私はこの一年間ずっと、どうやら思い違いをしていたらしい。
翌月にあなたがくれたお菓子はコンビニの市販品で、他の子たちとまったく同じものだった。現実を受け入れよう。そう思った。
その冬はとにかく机に齧り付いて、勉強ばかりして過ごした。窓の外に雪が舞い始めても、あなたに電話をかけたりはしなかった。初詣もひとりで出かけた。それで良いのだと、そう思った。
春。クラス替えであなたの友達と机を並べることになった。
彼は誠実で、勤勉で、将来は総理大臣になるのだと自己紹介で言い切った。笑ってしまったけれど、でも、彼の生真面目さからは違和感なくやり通せそうな気すらした。
私たちはすぐに意気投合し、二人でクラス委員をすることになった。
時々、休日になるとあなたは以前のように電話をかけてきて私を呼び出した。
休日のショッピングモールでお互いに似合う服を選んだり、カラオケに出かけて最新曲を熱唱したり、古くて趣のある喫茶店でケーキセットを食べたりした。
あなたが電話をかけてくるたび、目の前であなたが笑うたび、私の胸は軋むような音を立てて痛んだ。
私はわざと、あなたの好みではなさそうな服を着てあなたから微妙な反応を引き出したり、あなたが望む回答とは違う受け答えをしていた。
あなたから遠ざかる努力をしていたのだ。
思い切って約束をすっぽかしたりもした。夕方の公園であなたからの電話を受けた時、一日中待ったと告げるあなたの声は悲しそうに震えているようだった。私の胸は痛んだけれど、これで良いのだと思った。
私は新しい恋をすることにした。
彼はあなたの友達だけれど、私をまっすぐに見てくれる。不器用で、誠実すぎるくらい真っ直ぐで、動揺すると声が裏返るところはとても愛らしく、思わず笑顔になってしまう。
きっと、あなたのことを忘れられると思った。
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