第10話 どちらも、必要な人材だった 3

 大宮氏の話を黙って聞いていた伊藤氏は、しばらく黙っていたが、重くなっていた口をやがて開いた。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 そういう視点から見ますと、確かに、おばちゃんがよつ葉園を定年をもとに大槻先生から退職を余儀なくされたのも、仕方ないことかもしれません。

 ですが、しつこいですけど、私は山上保母さんの、義理でも息子ですよ。

 そのことは差引いて頂くとしましても、あれはあまりではないかと。

 嘱託として少しでも、週3日なんて言いません。週1日でもいいですよこの際のことですから。職掌は何でもいい。山上先生をいい意味で、活かせる道があったのではないかと、私は、そこは声を大にして、言いたいです。

 それは、義母だからという親族の身びいきではありません。

 大槻さんに言いたいのは、この、一言です。


 義母でもある山上敬子保母に、もう2年、嘱託として時間をいただけなかったものかと。あの紅白のアナウンサーのおじさんでもないですけど、ほんと、義母に2年間、週何日かでいいので、時間を下さいと。

 私が同席していたら、間違いなく言っていますね。


 しかしながら、後々考えてみれば、義母はよつ葉園で定年を迎える昭和60年3月末日という日を、その前からかなり意識していたのではないかと思えました。

 職場では、吉村先生。親族間では、私。

 この二人に、山上先生御自身のされてきたことを、何としても伝えておきたかったのではないかと、そんなことに気づかされました。


 子どもの頃は当たり前にあったものでも、いつか、消えていくものです。

 ぼくらが子どもの頃にあったいろいろなモノや場所、もちろん今もあるものもありますけど、なくなってしまったものも、たくさんありますよね。

 例えば、エスエルっていうのですか、蒸気機関車なんかもそうでしょう。

 別にぼくは鉄道が好きというわけではありませんが、子どもの頃、岡山駅の線路沿いのどこかに出向けば、どこからか、蒸気機関車も来ていました。物心ついた頃にはさすがに山陽本線や宇野線は電化していましたけど、その代わり、茶色の電気機関車がたくさん来るようになりました。

 同級生で鉄道の好きなやつがいましたから、そいつがいろいろ、教えてくれましたから、少しはわかりますので、これで、例えさせてもらっています。

 今は、どうでしょう?

 その頃岡山駅に来ていた列車や車両で、今も来ているものって、ほとんどはなくなって新しいものに変わってしまいましたよね。


 よつ葉園という「養護施設」という種類の「職場」には、確かに、このおばちゃんは、若い頃からずっと、勤めていました。

 今ぼくらや、話に出ている大槻園長さんと同年齢で、幸か不幸かよつ葉園で暮らすことになった人たちは皆さん、どこかで「山上先生」と接触があったはず。

 あえて「お世話になった」とは、言いません。

 それは、相手が決めることですからね。

 ですが、保母として仕事している「山上先生」と、入所児童として、そこで暮らす「子ども」として接した人の間には、今でも、何かが残っているはずです。

 それがいい思い出なのか、思い出したくもない過去なのかについては、あるいはそれ以外の何かとして評されるものなのかは、ここでは、あえて問いません。


 さっきの鉄道の話と、よつ葉園の話を組合わせてみますね。

 おばちゃん、義母でもありますけど、「山上先生」も、今園長をされている「大槻先生」も、よつ葉園という場所に、森川一郎先生という方によって導かれてやって来た。その時期と仕事内容の違いがあるけど、子どもたちの「先生」であることには違いない。この二人を例えるなら、蒸気機関車の引っ張る客車の普通列車か、さっそうと高架の上を走りゆく新幹線かの違いみたいなものです。

 どちらも、同じ鉄道という世界の列車というものですよね、これらは。

 それと、同じ関係だってことです。

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