第8話 どちらも、必要な人材だった 1

 よつ葉園の保母としての最後の2年間ですけど、義母は、吉村先生とお話する機会を相当増やしていました。その頃ともなれば、実の娘の恵美ちゃんではなくて、その夫の私に話が振られてくることが、ますます、増えました。

 山上敬子という保母の最後の2年間は、なんだかんだでいろいろお話を聞かされて、対処法までどうしたものかと、よく聞かれました。

 さすがに、他当ってくれとか、そんなこと言えるわけないじゃないですか。


 ですから、吉村先生とは違った立ち位置からですが、あの2年間は、実はぼくにとっても、山上敬子というベテラン保母さんに鍛えられた期間でした。

 その点は、義母に感謝していますよ。

 その頃話してくれた物事の一つ一つが、確かに、今の私の仕事や私生活にも、大きく活きています。


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「そうでしたか・・・。実は、正義君と同じ時期、山上敬子先生とよくお話していた人がもう一人、こちらは純粋に仕事での話ですけど、おられた。御指摘の吉村静香さんというよつ葉園の保母さんだ。2か月ほど前、私は久々に丘の上のよつ葉園に言って来まして、そこで、大槻園長が吉村保母さんを呼んでくださって、いろいろ、お話していただきました」

 大宮氏は、目の前のグラスの水を飲んで、その時のことを併せて語った。


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 今、正義君からお聞きした御家族の前での山上さんのお姿と、よつ葉園で保母として吉村さんと話している山上先生のお姿が、ダブって見えて仕方ない。もうお気づきと思いますが、私自身は大槻君と山上さんの間については、どちらとも御付合いがありますから、完全に中立、是々非々で臨んできました。


 山上先生はまだ独身のお若い頃から存じていますが、あの頃も結婚されて保母として津島町のよつ葉園で勤めておられた頃も度々伺って、その折にいろいろ、お話いただいております。

 当時園長だった森川先生は、ぼくに対してはよつ葉園の子らや山上先生のような若い保母さんたちとは違う形で、厳しい人でした。

 あの時代ですからげんこつの一つもいただいておかしくもない話でしょうが、少なくともぼくに対しては、一度もありませんでしたね。

 そのかわり、ものの見方や考え方、表現力については、ものすごく厳しかった。

 医者(父親は津島町時代のよつ葉園の元嘱託医も務めていた)の馬鹿息子と言われたくなければ勉強しろと、そこまで言われてこそないですけど、それ以上のことを言われているようなオーラが、常にありましたね。


 森川先生の考えておられたことは、本当にスケールが大きかった。

 よつ葉園の近未来、少なくとも半世紀程度先までを見越しているとしか思えないような、そんなところが多いに見受けられた。

 でなければ、山上さんに結婚後も長く勤めて頂くこともなかったろうし、大槻君なんか、そもそもよつ葉園に呼ばれることもなかったでしょう。


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 中学生の頃だったか、ある時呼ばれていくと、園長室の横の廊下に5分間立ってみなさいと言われた。何か悪いことでもしたのかと思ったら、そうではなかった。

 とにかく、窓から見える光景をじっくり見て、あとで質問に答えなさいと。

 その場より後が厳しいことは、もうわかっていた。


 とにかく5分間、立ちました。

 丁度8月の下旬だったから、トンボが飛んでいた。

 まずはそんな話から始まって、トンボや向日葵、それに朝顔の季語などが聞かれました。そこから、旧暦の季節感について、じっくりお話を伺いました。

 次に、いつも見える光景を丁寧に説明させられた後、この光景は何十年先にどうなるだろうかと、聞かれました。田んぼが住宅地になって家は立ち並ぶだろうが、東京の都心のようなビルが林立するような場所にはならないと、理由をしっかりつけて答えた。あの時はなぜか、ものすごく褒められましたよ。


 森川先生は先のことが見えていた人だからこそ、ぼくに対してこういう質問もしてきたのだと、今も思っています。

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