第5話 義母の状況にたまりかねた娘婿 1

「それじゃあ、この際だ。正義さん、その状況、ぜひ、お聞かせ願えないかな?」

 娘婿の思いを受けた大宮氏が、話を促す。

 紅茶はすでに、2杯目。

 ミルクで覆われた口中を、グラスの水で体内に流し込み、若い男性がここで問題となっている件について、話し始めた。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 私は、山上敬子の娘の恵美の夫で、伊藤正義と申します。妻とは幼馴染でして、小学校から一緒でした。私の方が1学年下です。

 そうですね、恵美を女性として意識したのは、中学生の頃からでした。中学校の生徒会で、彼女が生徒会長で、私が書記をしましてね。その頃から、それまで以上に親密になりました。

 途中いろいろありましたけど、私が22歳になった昭和51年に結婚しました。

 お恥ずかしい話ですが、若くして、子ども、できてしまいまして。ええ。

 今は子どもが3人おりまして、上が女の子で、下2人が男の子です。


 私は、義母とは中1の終り頃、恵美に連れられて印鑑屋さんの自宅に伺って初めて会いました。特にきつく当たられたことはありませんし、かといって特別よくしていただいたということもなく、ああ、娘の中学校で一緒に生徒会活動をしている子だなと、そんな程度の認識を持たれていたと思います。

 義母は当時、よつ葉園という養護施設に保母として勤めていましたが、私自身はその当時のよつ葉園には、行ったことはありません。大体、学区も違いますし、特によつ葉園の子らと出会う機会は、ありませんでしたからね。

 最初の頃は、恵美のことを「山上さん」と呼んでいましたけど、いつの間にやら、どういうわけか、「恵美ちゃん」と呼ぶようになっていました。年下が馴れ馴れしいと思われるかと思いきや、そんなことはまったくなかったですね。

 あ、別に、その頃から不純な関係になっていたわけじゃないですよ(苦笑)。


 それはいいとしまして、恵美ちゃんのお母さんのお仕事はどんなのかと、学校で聞いたことがありました。なんでも、よつ葉園という養護施設の保母さんで、たくさんの小さな子の相手をしたり、そこにいる子どもたちのためにいろいろな行事を企画して実施したり、そういうお仕事だって、言われましてね。

 前者は、いわゆる保育の話で、まあ、わかりました。幼稚園や保育園の先生みたいなものか、と。ですが、後者の「行事」って、何なのやら。

 聞けば、誕生日会だとか創立記念日のすき焼きを食べる会とか、クリスマス会とか餅つきとか、夏は海水浴とか、ソフトボール大会とか、何とか、かんとか。

 恵美ちゃんの言うには、たくさんの恵まれない子どもたちの「お母さん」役をするのが、母の仕事だと。

 はあ、そうですかとしか思えませんでしたね、最初聞いたときは。


 で、恵美ちゃんにある時、聞かれましたよ。

「マサ君は、そういうお仕事、どう思う?」

って。ぼく自身はそんな、子ども相手の仕事は大変そうで、勘弁してほしいなと。

 恵美ちゃんは、その時は特に何も言いませんでした。

 現に、私の今の仕事は子ども相手じゃまったくないですしね(苦笑)。


 そうですね、義母の仕事について最初に詳しく聞かされたのは、私らが結婚する前のことでした。その時もまだ、確かこのおばさん、そういう仕事をされていたっけ、程度の認識しか持っていませんでした。

 しかしね、ぼくらが結婚して子どももさらに生まれて、よつ葉園が郊外の丘の上への移転がほぼ決まった頃から、義母はよく、職場の話をするようになりました。よつ葉園が移転してしばらくして、ぼくら、とりわけ娘婿のぼくのほうに職場の話をしてくる機会が激増しましたね。

 どうやら、いろいろ思うところがあったようです。

 

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