習作三題噺集

木下ふぐすけ

北極星・盆・掛け軸

誤算だった。

おばあちゃんの家にはWi-Fiがなかった。

一学期の通知表がオールAだったご褒美に買ってもらった、ゲーム機と最新ソフト。夏休みなのをいいことに、オフラインでもできるストーリーモードをあっという間に終わらせてしまったのが裏目に出た。

ネット環境がないこの家では、オンライン対戦はできない。

ソフトはこれしかないから、ゲーム機もただの板。

僕が赤ちゃんの頃に遊んでいたらしいおもちゃはあるけど、四年生にもなるとそれで遊ぶ気にはならなかった。アンパンマンのガラガラとかだもん。流石に、ねえ?


お墓参りが終わった後、早めにお昼のソーメン食べて、しばらくは暇つぶしに宿題してたけど、それも持ってきた分はすぐに終わってしまった。

もう完全にやることがない。

そんなわけで、僕は畳の上で大の字になっていた。

「ひまだぁ……」

本当に暇だ。意味もなく手足をバタバタさせる。

実を言えば、夜になればやることはあるのだけど、あいにくまだ昼の2時だ。

太陽はさんさんと照っている。これでは天体観測はできない。


僕があまりに暇だ暇だと連呼するのをうるさく思ったのか。

お母さんが「そのへん探検でもしてきたらどう?」と提案してきた。

なるほど。

うちと違って、おばあちゃんの家はとても広い。

僕がまだ知らない部屋の一つや二つあるかもしれない。

居間の引き戸を開けて、僕は冒険への第一歩を「暑い!」

信じられないくらい暑かった。

そういえば今朝天気予報で言っていた。猛暑日になるかもしれないらしい。

「うちわある?」

「おばあちゃんに聞いて~」

トイレにでも行っているのか、おばあちゃんは見当たらなかった。

ふと思いついて、宿題やゲーム機を入れてきた自分のリュックをごそごそ漁る。

目当ては天体観測に使う星座早見盤。うちわの代わりにはなるだろう。


早見盤改めうちわを片手に探検していると、クーラーもないのに一回り涼しい部屋があった。

床の間に、掛け軸が吊るしてあった。

一瞬で目を奪われた。

描かれていたのは白い着物のきれいな女の人。足がないから、幽霊の絵だなと思った。

昔の絵だから、何歳くらいかはよくわからない。

けどなんとなく、僕よりは上のような気がした。

鼓動が高まる。

気づけば僕は、幽霊のお姉さんから目が離せなくなっていた。


「ゆうくんどこー?お夕飯作るの手伝ってー!」

僕を現実に引き戻したのは、お母さんの声だった。

「はーい!」

もう一瞬だけ掛け軸を眺めてから、早見盤を掴んでキッチンへ向かった。


カレーを作って、みんなで食べて、テレビを見たりしていたら日もすっかり沈んでいた。

今日は新月。雲もない。風はまだ生ぬるい。

「早見盤と、双眼鏡と、懐中電灯と……あっ、腕時計」

「変な人がいたら逃げてくること。なにもなくても10時には戻ってくること。わかった?」

「わかってる。もう10歳だよ?二桁なんだからお母さんとも変わらないって」

「まーた屁理屈言って。でも、ま、行ってらっしゃい」

「うん」

サンダルを履いて、僕は夜に駆け出した。


とはいえ、そんな大したことではない。

天体観測する場所まではせいぜい徒歩1分。

おばあちゃんちの目と鼻の先にある公園だ。


すぐに公園に着いた。

空を見上げた。

星。星。星。

町の中にある僕の家の近所では、絶対に見えない数の星があった。

見えすぎて、かえってどれがどれだかわからない。

「えーっと……?あの建物がだいたい北って言ってたから……?」

おおよそ方角の見当をつけて、双眼鏡を覗く。

「あれがたぶん北斗七星で……そのひしゃくの持ち手と反対側を伸ばしていくと……」

「ねえ」

「わあああっ」

変な声が出てしまった。慌てて双眼鏡を下ろす。

振り向くと、知らないお姉さんがいた。白いワンピースを着ている。

足音がしなかったから全然気づかなかった。

「ふふっ、びっくりさせちゃったかな」

「いえ、全然」

見栄だ。ほんとはめちゃくちゃびっくりした。

「そっかそっか。何してたの?」

「天体観測、です」

「お星さま、好きなんだ?」

「好きっていうか……少し興味があるだけで」

「ふうん」

「……」

「……」

会話が途切れてしまった。

お姉さんの視線を感じる。

一瞬見た感じでもかなり美人だったので、どきどきしてしまって目を見ることができない。

このお姉さんはお母さんが言っていた変な人に当たるんだろうか。

だとしたら逃げたほうがいいのかな……とか考えてるうちに、

「そうだ!」

お姉さんが再び口を開いた。

「知ってるだけでいいから、お星さまの話、してくれないかな?」

お姉さんは笑顔だった。悪い人ではなさそうだ。僕は頷いた。


織姫と彦星が夏の大三角のデネブとベガであること。

さっき僕が見ようとしていた北極星は一年中北から動かないこと。

その他、僕が知っている限りの天文知識を話した。

ほとんどは科学館のプラネタリウムの受け売りだ。

お姉さんは真剣に聞いてくれているようだった。


そうこうしているうちに腕時計は9時55分を指していた

「そろそろ帰らないと」

僕が言うと、

「そっか、いろいろ教えてくれてありがとね」

お姉さんは言った。

「あの、お姉さんはこの辺の人なんですか?」

「うーん、近くて遠いところの人、かな」

そう言っていたずらっぽく笑ったお姉さんは思い出したように

「そうだ、お願いなんだけど。私と会ったことは秘密にしてもらえるかな?」

「いいですけど、どうして?」

「ごめんなさい。理由は言えないの」

「そうですか……」

「でも、またきっと、すぐに会えるよ」

「はい!」

気づけば、お姉さんはいなくなっていた。


おばあちゃんの家に戻った。

お風呂の順番待ちの間に、ふと思い立って掛け軸の部屋へ向かった。

掛け軸の幽霊が親しげに笑いかけてくれているような気がした。



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