線が一本あったとさ

太刀川るい

第1話

 ラグは線が引けて、それが何よりも自慢だった。


 ラグが線を引くと、両親も友達も一斉に彼を褒め称えた。ラグの引く線は、誰よりもまっすぐで、美しかったからだ。ラグはそのたびに気分を良くして、毎日、毎日線を引き続けた。気がつけば、ラグほど綺麗な線を引くことのできる人間は周りにいなくなっていた。


 ある日、村の長がラグを呼びつけて言った。

「ラグ、お前はとても綺麗な線が引ける。その能力を活かしなさい」

 長の隣には、オムニジェン社の役員がいた。ラグが挨拶するとそいつは

「ラグくん、早速、君の線を見せてくれ」と言い、紙と、それからとても貴重な鉛筆を渡した。


 初めて触る鉛筆の感触にドキドキしながらラグは、紙の上に線を書いた。

 シューッと軽い音を立てて、黒い直線が紙の上に生まれる。迷いのない、見事な直線だった。


 ほう、と役員は満足げな声を上げた。

「いいねぇ、実に良いねぇ、ラグ君。君の線は美しい。それは君には価値があるってことだ。

 いいかい、昔は、文字というものを書いていた。美しい文字をかけるやつは、それだけ価値があったというわけだ。文字の綺麗さは人格を表すからね。

 でもそれから時代が下って、文字はどんどんと簡単になっていった。ねじれが取れ、丸みを失い、省略できるところはどんどんと省略していった。

 しまいには文字なんて誰も書かなくなって、最後には線が一本だけ残った。ラグ君、君には我々の仲間になる権利がある。さあ、試験を受けてくれ」


 ラグは喜びを隠せなかった。自分の線が、ついに認められたのだ。


 オムニジェン社は、小高い丘の上にあった。太古のごちゃごちゃとした遺跡を見下ろす建物は、周辺の人間に威圧感を与えるような形状をしていた。

 オムニジェン社の事業は存在することだった。ただ存在するだけで、なんだか凄い。という尊敬を皆から集めていた。それ以外の何もしていなかった。

 人間の生活に必要なすべての品が、テクノロジーの不思議な力で簡単に供給される時代では、それだけで良かった。

 ただ、人々は会社という今では名前だけが残っている組織に信頼を寄せていたし、意味は分からないがイチブジョウジョウとかオオテとかそういう言葉が好きだった。

 ラグもその言葉が好きだった。口に出すととても力強く聞こえたからだ。


 オムニジェン社につくと、役員たちが椅子に座って横一列に並んでいるのが見えた。

 自分もあの末席に加わるのか。と考えると、ラグはその輝かしい未来の姿を想像して、胸を膨らませた。


 ラグ以外にも別の子がきていて、今まさに試験を行おうとしている時だった。

 ラグと同じ年頃の子だった。そいつは、ペコリとお辞儀をすると、渡された鉛筆を片手に、紙に向き直った。


 その時だった。

 そいつは奇妙なものを取り出した。手のひらほどの大きさの金属製の板だった。


「何だねそれは」役員たちは聞いた。

「定規ってやつです」そう、涼しい顔でそいつは応えた。「僕の村の遺跡の中で見つけたんです。昔の人はこれで線を描いていたみたいですね。ほら、こんな簡単に線が引けるんですよ」

 そう言うと、そいつはその定規というものに鉛筆を押し当て、スッと動かした。


 たちまち、紙の上に美しい線が現れた。

 ラグは驚いた。自分の調子の良い時と同じぐらい、いやもっと美しい線が現れたからだ。

 それは完璧な直線だった。刃物のように鋭く、迷いがない。流れる水のような滑らかさで、何一つ矛盾を許さぬ厳格さでそこにあった。


 役員たちは激怒した。


「馬鹿者! 一体お前はなにを考えているんだ! そんなものが認められるか! これは線を引く試験なのだぞ!」

「でも……線を引く試験なら、こっちの方が良いでしょう? ほら、こんなに簡単に線が引ける」

 そう言いながら、そいつは、スッ、スッと紙の上に定規を当てて鉛筆を動かした。

 そのたびにまた美しい直線が紙の上に生まれ、ラグは息を呑んだ。


「お前は道具に頼っているだけだ。線を引いているのは定規であってお前ではない」

「全ての線に対する侮辱だ!」

「お前の線には心がない」

 役員たちは口々に定規使いを罵った。定規使いはなぜ罵られているのか、理解できない顔で、突っ立っていた。


 役員たちは、試験の一旦の中断を申しつけると、定規使いに対する懲罰を話し合うために、足音も荒く、その場を去ってしまった。


「あの……」

 気がつくと、ラグは定規使いに話しかけていた。

「それ、すごいですね。始めてみました」

本心からの言葉だった。定規使いはつかれた顔で笑って応えた。

「あ、ああ……ありがとう。皆、解ってくれると思ったんだけどな。仕方がないよ。今日はもう帰る」

 定規使いはそういうと、悔しそうな顔をした。

「そうだ。これ、君にあげるよ」

「いいんですか?」

「ああ、村にはまだあるし。どこかで使ってみると良い」

 そう言い残すと、定規使いは去っていった。


 その日、ラグは試験に合格し、オムニジェン社の一員になった。

 祝の宴は夜まで続いた。みんながラグを祝福した。幸せの中で、ラグはふと、定規使いのことを思い出した。

 ラグは会場をそっと抜け出した。オムニジェン社の階段を登り、紙と鉛筆が閉まってある引き出しを開けて、机の上に広げた。

 ポケットに手をつっこみ、ラグは定規を取り出した。


 青白い照明の下でそれはナイフみたいに怪しく光った。

 ラグは紙に定規を当てがうと、鉛筆を動かした。


 たちまち、紙の上に直線が生まれた。あの定規使いが見せてくれた直線とほぼ同じものだ。冷たく、まっすぐで、すべてのものを寄せ付けない完璧な直線だ。


 理想の直線がそこにあった。


 ラグはその隣に、いつものようにフリーハンドで直線を引いた。なんどもなんども練習してきた直線を引いた。自分という存在の価値を証明してくれる直線を引いた。

 全神経を集中させ、指を動かす。やがて、ラグは顔を上げて紙を見下ろした。


 線は、昨日と同じ様に引けていた。いつも通りの美しい線だ。

 だが、昨日までの輝きはなかった。

 あれほど誇らしかった自分の線は、今や色あせ、ただの紙の上にこびりついた黒い粉だった。


 その瞬間、ラグは猛烈な衝動に駆られ、紙を乱暴に破り取り、両手でくしゃくしゃにした。声にならない唸り声がラグの喉から漏れた。

 そして、そのまま紙を細かくちぎると、ラグは会社の窓からそれを投げ捨てた。


 白い紙片は、雪のように、宙を舞い、そしてすぐに闇夜へと消えていった。

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