腑に落ちる

朱珠

一話目

 俺は選ばれた人間だ。間違いなくこの世界の主人公で、俺が為すことは全て思い通り。友達も女も選び放題、生まれ持った顔の良さだけでばかな奴らがゾロゾロ寄ってきやがる。


 家は裕福で親に叱られたことなんて一度もない。求めれば手に入らないものなんてなかった。

 気に入らない奴は人を使ってサンドバッグ


「飽きたわ。そろそろやめてやれよ? 可哀想だろ?」

「よく言うわ」


 うるせーな。俺の代わりに汚れたその手ごと一緒に切り捨てた。だってそんな奴らとつるんでるなんて思われたくないじゃん。な?


 ただ生まれ持ったものを行使し、謳歌し、貪るだけのイージーな人生だ。

 これを幸せと呼ばずしてなにが幸せなものか。


 道徳の教科書なんか貰ったときに破り捨てた。注意する教師の言葉も聞く耳なんて持たなかった。


 いつかバチが当たる? なんだよ、負け犬の遠吠えか?

 したいことして、やりたいことやって死ねたら本望だろうよ。


「お前なんか……お前なんか、お前なんかお前なんかお前なんか死ねばいいんだ!」

「え……」


 一瞬の出来事だった。全身アザだらけの男が俺を線路に突き飛ばしたのだ。

 それも電車が目視できる程近付いたタイミングで。


「■■くん……っ!?」


 誰かが俺を呼ぶ声がした。次の瞬間激痛と共に意識が完全に途切れた。


 本来なら俺の意識が再接続されることなんてありえなかった。

 だって確実にカラダはぐちゃぐちゃに轢き潰されたはずなんだから。

 なにがどうなってんだ。ここはどこだよ。

 誰か早く説明しろ。ちくしょう。


「よしよし、どうしたんだ?」

「あなたも抱っこしてあげて」


 なんだこいつら。なんで俺を軽々持ち上げられるんだ。

 言葉も上手く喋れないしどうなってんだ。重症で喋れないって感じでもないし。

 おい! お前らいつまで人をガキ扱いしてんだよ!


「おぎゃああ」


 やっと声が……いや、なんだこの声。おいおい俺は夢でも見てんのか?


「夢ではないよ。ここはそうだな……来世、というか君の償いの場だ」


 男が突然取り憑かれたように喋り始めた。来世だ? お前何者だよ。まあなんでもいいけど俺は死んだのか?


「死んだとも。だが君はここで死ぬより辛い体験をすることになる」


 ふざけんな、カラダが動くならまた一からやり直してやる。

 そんであのふざけた屑を殺し返してやる。


 因果応報だ? 死後の世界だ? 馬鹿らしいんだよ。だいたい前世で悪いことしたとか知らねぇよ。見に覚えがありませーんって。

 そんなんで来世の俺が責任取らされてたまるかよ。


 男は暫くすると元通りになって再び俺をあやし始めた。

 おかしな世界だ。どうやら俺はガキになってて、さっきのあいつは全部知ってるようだった。こんなの受け入れる方がおかしい。


 償いの場がここだとか、死ぬより辛い体験だとかふざけんなよ。

 拳を握りしめたところでこんなガキの姿じゃ振り下ろすことも叶わないと悟り目を閉じた。


「本当におめでとう。親として嬉しく思うよ」

「ありがとう。二人のおかげだよ」


 そのまま俺は幼少期からこの世界での成人を迎えた。

 父親に変わった様子はなく、俺もまた普通の子供を演じてきた。


 両親はいつも俺のことを第一に考えてくれて、それが鬱陶しかった。

 俺はいつまであんた達のガキの振りしてればいいんだ。


「なあ、そろそろ家の外に出てもいい?」

「だめよ。家の外には魔物が住んでいるんだから」

「戦う術も教えない癖にいつまでこんなとこに居させんだよ!」


 俺は大人になったらこの家を出れると思い込んでいたのかもしれない。

 堰を切ったように溜め込んでいた気持ちが溢れた。


 どうやら魔物が住んでいるのだって嘘をついている様子はない。

 それなら幼いうちはこいつらの元で過ごさなければ死ぬだけだと我慢してきた。


 本来の俺はこんないい子ちゃんじゃない。それだけでも耐え難い苦痛だった。


「母さん、ちゃんと話をした方がいい」

「な、なんだよ急に改まって」

「お前は自分の姿を見たことがなかったな」


 父親の渡した鏡らしきものを覗いた。込み上げる衝動のまま吐瀉物を吐きだした。それでも胸の不快感は治まらない。


 理由は、目の前の鏡に映った゛それ゛があまりにも醜悪だったからだ。


 色なんかとても肌の色とは言えなくて、耳も豚のそれのようで、鼻もひん曲がってる。目つきは悪くて目玉はでかくて、おおよそ人間のものとは思えない。


「大丈夫か、■■」


 座り込む俺に駆け寄って背中をさする父親の指が気持ち悪くて払い除ける。


「これが俺? 容姿だけで女も男もうじゃうじゃ寄ってきたような奴だぞ。これが鏡? なんか違うものなんだろ? なあ悪ふざけが過ぎんだろ!?」

「……それは、自分を映す道具だ」

「あぁそうか。家族ごっこはお互い様ってことか……。お前らどこかおかしいよ」


 こいつらはこんな化け物相手に、まるで俺が普通の人間のように接してたなんて、おかしいじゃないか。顔を見るだけで吐き気を催すような俺を一体どんな気持ちで面倒見てきたって言うんだよ。


「私たちとこんなにも見た目が違うのはおかしいってはじめは疑ったわ。それでも、そんなはずないって。絶対に私たちの子なんだって……っ」

「だけど僕たちは」

「「それでもあなたを愛そうって」」


「ふざけんなよ……っああ気持ち悪い気持ち悪い! 気持ち悪いって軽蔑して突き放せよ。それは愛情じゃなくて同情だ」


 そう言い放って俺は初めて外に出た。外には雪がたんまり積もっていて木々に囲まれていた。俺は夢中で走った。気が狂いそうだった。産んだ責任だかなんだか知らねぇけどさ、こんな奴を子供だって言って愛す方がおかしな話だぜ。なあ? これが罰って奴か?この先どうすりゃいい? ああ、また死ねばいいのか?


 息が切れて力尽きてその場にしゃがみこむ。


 俺は俺に比べりゃ数億倍マシな容姿の奴らをいじめてた。だって気持ち悪いものは気持ち悪いじゃんか。一緒になんか居られないだろ。それが普通だと思うだろ。


 なんなんだよあいつらは。こんな俺とこの十数年ずっと嫌な顔せず育ててきたとか気でも狂ってんのか。否定してくれた方がよっぽど楽だったな。


 お前があいつらが言ってた魔物か。ほら、好きに食らえよ。お前らと同じ類の化け物だぜ。


「食えよ、食えってば!」

「おらっ」


 雪を掬って投げつけた。

 こちらの存在に気付いたものの、一瞥して森の奥に消えていく。


「そうかよ……。共食いは趣味じゃねぇか」


 頭や肩に積もった雪がずっしりと重みを増した頃俺は眠気に耐え切れず目を閉じた。


 嫌なことに目が開いた。嫌な夢はまだ続いていた。

 今度は檻の中にいた。奴隷商人に捕まったらしい。煮るなり焼くなり好きにしろよ。


 あの両親と暮らすよりも奴隷として生きる方が幾ばくかましだ。

 商人は俺の頭に紙袋を被せた。醜悪な顔を見られては売れないと分かっているからだろう。


 それから何日が経ったんだろう。排泄物の異臭が漂う檻の中で売れ残っていた。空腹感だけを埋めるために三日おきに渡されるかびたパンと水を惰性で貪る。


 あるとき俺を買いたいという男が現れた。少しはましな生活が送れるのだろうか。それとも使い潰されて死ぬだけだろうか。どっちだって大差はないさ。もうこの先に期待なんてしてない。願った死なんて望めない。


 買われた先での暮らしは飯こそ出るものの、体罰が当たり前だった。


 ガラス張りの部屋を掃除した際に映った自分の姿を見て吐いたときは酷かった。部屋を汚したことに怒り、俺を半殺しにした後で家の外に放りだされた。


 この世界ではどこも吹雪いていて異常な寒さをしている。

 そんな中薄い布一枚の姿で放り出された俺の体力はどんどん消耗していく。


 人としての尊厳とかあの家を出てから失いっぱなしだ。それでも、それでも俺のことを愛そうとしてくれたあの人達の為に、こんな醜悪な自分を十数年かけて育ててくれたのだから死んではいけない。


 人として扱ってくれたのなら人として死ななければならない。こんな家畜のような死に方は許してはいけない。


 ここのところ愛情についてばかり考えている。未だに答えは見つからない。

 俺は誰かを愛したことがあったんだろうか。今まで傷付けるばかりで、誰かを愛した覚えがない。愛された覚えもおそらくはない。そういう生き方をしてこなかったから。それが今になって悲しい。また恋しく思う。


『それでもあなたを愛そう』


 嬉しかった。今思えばあれは嬉しかったんだと思う。同時に恐ろしくもあったけどたしかに嬉しかったんだ。

 こんな醜悪な姿になった俺でも愛してくれたことがとても。


 二人は俺が居なくてせいせいしてるかな。ようやく自由になれたかな。

 ちょっとだけ寂しいな。俺も一緒が良かったな。


 感覚の麻痺した腕で這って這い続けて最後に何かにぶつかった。


 半開きになった瞳で見上げるとそこには雪を被った両親がいた。


「おかえり。家に帰ろう」


 ああ、ようやく、腑に落ちた。


「うん……ただいま……」

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