第15話 覚悟
告白錠の無効化薬は香菜のアドバイスのもと、無事作成することに成功した。夏帆はリサを中谷さんに見つからないよう、寝室へと連れてきた。リサがお祝いをしてくれるというのだ。
「書き出してから提出するまで早かったね」とリサは言った。
「アクセプトされるかわからないけどね」
「とりあえずこれお祝い」
リサはワインを取り出した。
「ワイン?」
「ええそうよ」
「ありがとう。でも、日本では20歳からしか飲めないの」
「あらそうなの。まぁでもどうせばれないしよくない?」
「私マランドールだし」
「大丈夫だって」
「じゃあ、いただこうかな」
リサはグラスに、ワインを注いだ。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
コツンという乾杯の音がした。脳裏に響いて揺れる音色だった。恐る恐るその赤い液体を口に運んだ。思いのほか渋い味に夏帆は驚愕した。まるで葡萄の皮を煮詰めた煮汁のようだ。
「お酒って大人の味っていうけど」
「どう?」
「苦い」
おつまみにブリーを夏帆は買った。大きな扇方をしたブリーを、一口大に切って、お皿に添えた。それを一口つまむと、再び一口ワインを飲んだ。
「でも、飲み続けるとハマるね」
「そう、そうなの!」とリサは笑顔で言った。
「ディオニソスというギリシア神話の神がいるのだけど知ってる?」と夏帆。
「何それ」リサは興味津々だった。
「人間界の神話で」
「夏帆ってさ、ほんと人間大好きだよね」
リサはワインを自分のグラスに注ぎ、夏帆のグラスにも注いだ。しばらくすると、リサも酔いが回ったようだった。饒舌になり、笑顔が増えた。夏帆は酔うというものがどういうものなのかわからず、酔わないように意識を保ちながら飲むよう心がけていた。
「そう、それでね、私の本名は、クロサキ・オーヴァラル・アリス・リサなの。母がイギリス人で……」
リサが部屋に来てから、この話をするのは3回目だった。
「それでね!」
「あの、私の両親はね」と夏帆は耐えきれず言葉を遮った。
「殺されたの。公式には病死になっているけど」
「えそれって隠されているってこと?」
リサはさらりと言った。他の人なら、一度そこで反応が止まる。ただリサは違った。
「そうだね」
「え、犯人は?」
「わからない」
「わからない!?」リサは大声で叫んだ。
「シッ、中谷さんが起きてくるかも」
「探さないの?」
「うん」
「なんで?」
「なんでって、探すつもりもないし」
「探すべきよ!」とリサ。「探さなきゃ!親の敵を討ちたいって思わないの?犯人はのうのうと生きているのよ!あなた許せるの!」
お願い静かにして、と夏帆は思い続けた。
翌日、中谷さんが居室へと尋ねてきた。夏帆は急いでワイン瓶を隠し、リサを魔法で透明にした。
「確かに昨夜、あなた以外の誰かの声が聞こえました」中谷さんは怒った形相で言った。
「空耳では?」
「ええなら私の記憶をあなたにお見せしましょうか!」
「どうぞそうしてください」
「もう!これだから孤児院育ちは教育がなっていないのよ!」
次の瞬間、中谷さんがふっとんでいき、扉にがんとぶつかった。
「あんたこそ、いつまで嫌み言えば気が済むの。ここの主人は夏帆なのよ、ルールは夏帆にあんの」とリサはものすごい形相で言った。そのことについて考えてみたが、やはり夏帆は自分が悪いことをしたように感じた。
「ほら、やはり、高橋さんあなた嘘をついていたわね!」
「すい……」と夏帆。
「謝る必要ないわ!」リサは叫んだ。
「ちょっとリサ……。」しかし、リサはとまら
なかった。
「この学校に進学できなかったことへの逆恨み?たかだか学校のメイドしかできなかったうえにこの態度?親もたいしたことないんでしょうね!」とリサ。
「なんですって、私の親はツジガミの役員なのよ!」
「ほらでた本性!たいしたことない奴は親の自慢をするのよ!」とリサは鼻で笑った。
「そういう態度をしない方がいいですよ。私は魔術師資格も持つのよ!」
リサは中谷さんの髪をつかみ、杖を向け、忘却呪文をかけると、部屋の外へとつき飛ばした。
「大丈夫記憶全部消えた」
「お、おみごと……」
夏帆はなんともいえない感情になった。
春の茶会がやってきた。今回出した抹茶は宇治抹茶。和菓子は五月、という練り菓子。
やはり道、というものはいい。茶道をしていると、どこか心が晴れやかな気持ちになる。リサとお酒を飲んで以来、心の中でどこかモヤモヤとした感情が、澄んでいくように思う。それは直人も同じであるようだった。どこか陰鬱としていた最近の表情から意を決したかのように、軽やかになっているようだ。
茶会の後、夏帆は直人を引き留めた。
「竹内さん少しお話が」
「何か?」
「ついてきてほしいところがあります」
直人はとまどいの表情を浮かべた。
夏帆は直人の腕をつかむと瞬間移動をした。向かった先は、桜並木だった。川が流れ、土手となり、道が続く。桜はまだ咲いてはいなかったが、しっかりと咲く準備をしているようだった。
「論文がアクセプトされたらしいな」と直人は微笑んだ。
「うん。おかげさまで。本当にありがとう」
「魔術師資格は取れそう?」
「投稿中の論文がアクセプトされれば、取れるはず」夏帆は笑った。
「先に進まないの?」と直人は言った。妙な緊張感が流れる中、風が何かを告げるように2人の間を通っていった。
夏帆は桜の木を見るばかりで、前へ進もうとしなかった。
「最近よくここに来る。神社からまっすぐ歩いた先にこの道を見つけた」
「お気に入りの場所ってわけか」
「いいえ違う。この場所は嫌な感じがする。私は吸い寄せられるようにここに来た。ずっとここに何があるのか考えていたけれど、もしかしたら、ここは3交点なのではないかって、最近思うようになった。あるいは、人間界との境界になっているんじゃないかって」
「……」
「私の両親は、病気で亡くなった。戸籍にはたしかにそう書いてある。両親が亡くなり、私は孤児院に預けられることになった。親切にも、浅木先生が私を孤児院に連れて行った」
夏帆は家族写真を取り出すと眺めた。直人も写真を見た。しばらく見つめると、夏帆は再びポケットへと写真をしまった。
「浅木……」
「母と親友だったの」
まだ冷え込んだ風がすっと通っていった。
「私の両親は殺された。浅木が言ったわけではない。記憶が少しだけ残っている。桜が綺麗に咲く季節。並木道を3人で散歩をしていたら、目の前に成人した男性と、その人に手を引かれた小さな男の子が現われた。男性はハットに、黒いコート、革靴を履いていた。その男性は、男の子の父親にしては少し若い気がした。男の子は、小さな白いコートを着ていた。両親は、その男性としばらく話をしていた。そして、次の瞬間、桜の花びらは真っ赤に染まった。この学校に入学してから知ったことだけど、肉を引き裂く呪文などない。血を伴う魔法もない。でも、両親は血だらけになって死んだ。そしてそこには魔法があった。私は魔法を感じ取る能力を神より授かった。だからわかる。あれは魔法だった」
夏帆はじっと直人の目を見た。
「犯人はわからない。顔も覚えていない。なんで殺されたかもわからない。だから検討もつかない。謎でいっぱい。私は、謎は好き。いつもなら解きたいと思ってしまう。でも私は両親の死の真相にだけは迫りたいとは思わない。怖いからじゃない。興味がないの。何で興味がわかないのか考えたけど、わからない。一緒に暮らした記憶もない両親のことなど知りたいとも思えないからかもしれない。そんな私は薄情な人間かな?」
直人はしばらく黙り込んだあと「見方によっては」と答えた。
夏帆はなんとも言えないモヤモヤとした気持ちに包まれた。それがなぜなのかは夏帆には分からなかった。そうだ、と言って欲しかった気もするし、君は悪くない、と言って欲しかったのかもしれない。つまるところ夏帆はその答えにとてつもない居心地の悪さのようなものを感じた。
「でも見方は人の数だけある」と直人は続けた。「だから君自身がその考え方を許容できるのであれば、それでいいんだ」
「そうだね」と夏帆は言った。
「君は自由で羨ましいと思う時がある」
「自由?私の?どこが」夏帆は少しばかりムキになって答えた。
「精神的なうえでだよ。僕は、僕の役割から逃れられない。どこに行っても竹内家のご子息だ。そして、その役割を持つことに少しばかりの優越感がある。そんな自分が僕は嫌いだ。君は確かに不自由かもしれないけど、そんな現実から、自分の意識だけでも乖離させようと努力をしている。今この話をしたことがその証拠だ。それが僕は羨ましい。君はどうして僕に家族の話をしようと思ったんだ?」
夏帆は首を横に振った
「わからない、でもなぜかあなたになら話せる気がした」
「なら僕も君になら話せるような気がする。僕は自由になりたいんだ。君のようにね。そのために成し得なくてはならないことがある」
「あなたの考えは手にとるようにわかる。でもあなたがしようとしていることは自然の摂理に反すること」
直人はあえて夏帆に自分の考えを脳内に語りかけていた。夏帆もわざと見させていることがわかった。
「自然の摂理に反することなんて、もう十分してきたじゃないか」
「それとは訳が違う。次元が違う。何が起きるかわからない」
「何が起きるかわからない?何が起きたっていいさ、僕に失うものはもはやないんだ」
「それなら私はあなたに手を貸す。策を練る。私にも失うものはもはや何もない。いえ違う。昔から何もない」
ー父親殺し
直人があたためてきた案だった。
それから時間がしばらくたった。直人からの音沙汰は何もなかった。夏帆はとりあえず、新聞記事を切り抜くなどして過ごした。
マランドールに就任して半年、夏帆にはすっかり新聞を読む癖がついていた。そこでやっとわかったことだが、どうやら議会には派閥というものがあるらしく、その派閥勢力によって様々な政治決定がなされているとのことだった。首相は最大派閥を味方につけたものがなれる仕組みになっている。
今日は、国際魔法使い連盟に関しての記事が大々的に載っていた。ロビン・ウッドに対する国際魔法使い連盟軍派兵に関してだ。常任理事国のイギリスの反対によって、またも決定が遅れているらしい。イギリスの主張によると、国内で解決可能、とのことだ。根回しが足りない、との論評がついている。
それに比べてマランドールは実力主義。だが、実際に学校運営に関われるわけではないし、全権が与えられているというのは逆に多くの人の顔色をうかがう結果となる。その上に各寮長は全員J.M.C.。調整の仕事が多く、自分の意志が本当に自分の意志なのかわからなくなる瞬間がある。だれにでもできる仕事というのは本当にそうだ、と夏帆は皮肉にも思った。風がどっと吹き、頑丈であるはずのマランドールの館も揺れた。
同時にノックの音が鳴った。中谷さんだ。ドアを開けなくてもわかる。そういう音がするのだ。
「どうぞ」
中谷は部屋入ると、夏帆の前で一礼した。
「今月末の金曜に理事長が学校へ訪問されるそうです。その案内役と、昼食会への参加を、校長より指示です」
「わかりました」夏帆に拒否権がないことはよくわかっていた。めんどくさい、という気持ちが本音だ。
「では」
「待ってください。理事長って、竹内義人さん?」
「ええそうです」
「竹内直人のお父様?」
「そうです」
「わかりました」
中谷は部屋を出て行った。
夏帆は大きくのびをすると、庭へと散歩に出た。庭には季節外れの藤の花が咲いていた。
「僕が品種改良をしたんだ」と海斗が声をかけた。
「綺麗」
「品種改良した花は本来の美しさを失っているよ」
「またなんでそんなことしようとしたの?」
「いや別に意味なんて無い。面白そうだなって思っただけさ」と海斗。
「でも例えばこれを他の植物に生かせば、大きな産業になる」と夏帆。
「それをしようとした人が昔いたらしい」海斗はそう言うと、とある種を夏帆に渡した。
「倉庫中で見つけたんだ」
「これは何?」
「さあね、ただ」
「嫌な感じがする。魔力がこもっている」夏帆は言った。
「確かめてくれてありがとう」
そういうと海斗は夏帆から種を奪い取った。
「僕らみたいな人からすると、闇市では高値で取引できる代物だよ。それがここにある。マランドールの館ができる前、ここがなんだったのか知ってる?」
「知らない」
「僕もだ。調べられない?」
「どうやって」
「J.M.C.の人たちと親しそうじゃ無いか」
「そんな風に見える?」
「うん」
「そんなことはない。ごめんいかなきゃ」
そういうと夏帆はJ.M.C.の居室へと向かった。海斗とは長い時間話したくなかった。また、クーデターへの協力を持ちかけてくるかもしれない。あれ以降、海斗からの協力要請はない。夏帆はそっとしておいた。
面倒だな、とはじめは思った。しかし、クーデターのことを聞いてから、夏帆も政治について少しばかり思いを寄せてみた。夏帆はあまりに何も知らなかった。倒したところで良い政治とは何か、誰ならできるか検討もつかない。
一方で、義人は排除しなければならない、と思った。これ以上、政治会に鎮座させるわけにはいかない。それもまた、確かな夏帆の本心だった。
会長室に行くと、直人が幹部室の中へと案内してくれた。
通されたのは、壁一面が青い光で覆われている部屋だった。部屋には美咲もいた。
「これは何?」と夏帆。
「モニターっていうんだ。コンピューターっていう機械だよ」と直人。
「コンピューター?」
「機械が勝手に計算してくれるんだ。この装置を使えば、誰がどこで何をしているのかがわかる。一人人の魔法の技術を解析したり、動きを分析したり、とにかくなんでもできる」
「そういえば、私の杖の動きが変わったって、城ヶ崎さんが……」
「それもこれを使って分析した結果だ」
「すごすぎる……」
「全部城ヶ崎さんが作った」
あまりのことに夏帆は何も言うことはできなかった。
「これをうまく活用したいんだ。君に良い案があったら教えてほしい」と直人。
「あなたはどう思っているの?」と美咲。
「それは……」
美咲はあきれた顔をして、部屋を出て行った。
「すまない、美咲があんな調子で」
「かまわないよ」
「みんな心配している」と直人。「実は案はある。このモニターで、1人1人の魔力の数値化がしたいんだ。そうすれば、人々の魔力の量の変化がわかる。同人を配置すれば相手に勝てるか、あるいは魔法を構築できるかがわかる」
そういうと直人と夏帆は幹部室を出た。
「夏帆さん?」
「香菜さ……」
「たしかに夏帆さんのおかげで私は論文を出せたし、院卒資格を得た。でも、さすがに公私混同では?」と香菜は言った。「幹部室に部外者を入れるなんて」
「何のことかな?と直人は言った。
「今、夏帆さんが、幹部室から……」
「幻覚では?」
そう言ったのは美咲だった。
「美咲!」と香菜は叫んだ。
「幻覚だろう。夏帆が幹部室にいるわけない」と直人はそう言うと、夏帆に魔法をかけ、会長室へと押し込んだ。
しばらくすると、直人と美咲が部屋へとやってきた。
「J.M.C.も色々大変だね」と夏帆。
「ごめん」と直人は言った。
「そんなことより本題よ。直人本気なの?」と美咲。
「ああ。父親は殺さない。正気じゃないよ」
「正気じゃない?正気じゃないなんて元からよ。それがわかっているうえで、これだけ長い間検討して、夏帆にも協力してもらうことになったの。それを今更?」
「武田信玄も、父親を殺さずに、追い出しただけだった」
「誰?」
「武士だよ」
「また人間の話」美咲はあきれていた。
「竹内義人を完全に排除するなら殺さないといけない。生きている限り権力ははびこる。明智光秀が負けたのも、織田信長が確実に死んだと証明できなかったから」と夏帆は言った。美咲はため息をついた。
「ただやることは人殺しよ?」と夏帆は言った。「正気じゃない。それはそう。でもそれを理解したうえでだと思っていた」
「父親を殺せない」と直人。
「あなたがそういうなら、そうするしかない。」と夏帆。「でも追い出すだけって、どうやって追い出すの?権力って簡単には消えない」
「そうよ、生きているというのに、影響を排除するなんて無理。そもそもJ.M.C.だって、そうする必要があるから、竹内家の政敵を殺し続けているのでしょう」
「だから、追い出す方法を一緒に考えてほしいんだ」
「あなたがぶれていてはだめよ」と美咲。
「方法はある」と夏帆。「ただ、できるのか、できても何年かかるのかわからないけど」
「教えてくれ」と直人。
「領域から追い出す」夏帆は淡々と言った。
直人と美咲は顔を見合わせた。
「父は部屋からほとんどでない。領域から追い出すには、まず外に出さなくてはならない。しかしそれはとても難しい」
「領域の入り口を、部屋の中に作る」と夏帆。
「そんな、どうやって。思いついている方法があるの?」と美咲。
「できるよね、直人」
「ああ、でもやり方はわからない」
「私たち領域とは何か、そもそも知らなさすぎる。西園寺先生に聞いてみるのはどうかな。確かあの人、領域研究の家系出身でしょ?少なくとも私たちよりも知っているはず」と夏帆。
「確かに……確かにそれはありだな!」
直人の顔が突然笑顔になった。3人は、西園寺先生の居室へと向かった。
講師には1人1人居室が与えられていた。いつでも質問がしやすいように、ドアが無く、開かれていた。灰色のむき出しのコンクリート床に、壁。そこに机があり、先生が座っている。その後ろにはドアがあり、住居である個室となっていた。
「また、不思議な3人組だね」
西園寺先生はかぼちゃのようなもじゃもじゃとした頭をかいた。
「そう、ですかね」と直人は言った。
「君たち敵対してるんじゃないの?」西園寺先生は大声で楽しそうに言った。
「敵対?」
「だってほら、J.M.C.会長と非会員のマランドールでしょ」
「そんな、子供のお遊びにつきあっている時間なんてありませんよ」と夏帆は困惑して言った。
「まあまあ、とにかくどうしたの」
「領域について教えていただきたいんです」と夏帆。「領域とは何か、どうやって発生して、拡張していくのか、あと、入り口って自由に作れるのか」
「またぁ、院生でもないのにそんなところに目が行くなんてさすが優秀な3人組だね。どんな悪だくみを考えているのかな」
「違います、たまたま議論をしていて」と直人は焦った顔で取り繕ったように言った。
「冗談だよ。はじめに、最後の質問から答えるね。まず領域に関しては、エリックアーカートが作り方を教えているはずだよね。だから、竹内君、君のおうちの方なら、領域の作り方を誰かご存じなのではないかな?」
「聞いたことありません」
「そうか、とにかく僕にはわからない。けど、作る方法はあるはずだ。新しく作れるのか、と言われたらよくわからないが、初めに作った人がいるのは確かだ。それに、入り口はいくつもあることはわかっている。でも、その発生条件はわからない。誰かが作っているのかもしれないし、自然発生なのかもしれない。でも、1つわかっていることがあるよ。まぁそのためには領域とは何か、に関して説明しないといけない」
相変わらず話の長い先生だ、と夏帆は思った。
「まず、僕らの住む世界は魔界、そして、領域の外は、人間界。つまり、界が違う。この界の違いを隔てているのが領域。本来界が違えば、たやすく行き来はできないのが普通だ。例えば、領域内に人間は入れない。そして亜人も、一度領域の外に出てしまえば、再び中に入ることはできない。そこにいてはいけない人だからだよ。神の世界には入れない。神の世界に入れば、その世界の物を食べないと存在が消えてしまう。それと一緒だよ。そんな物語もあったはず。ヒントになるんじゃないかな」
「でも、魔法使いは、人間界を行き来することができる」と美咲は言った。
「そうそう、つまり、魔法使いとは、界を横断するもの、界を作る者、界の制御者とも言うことができるよね。哲学の話になるけど。例えば高橋さんはマランドールになる際に、儀式をしたよね。あれは、神々の世界と交信している。つまり、入り口を作って、神を我々の世界に通しているんだ」
へぇと夏帆はつぶやいた。
「何か変な感じとかしなかった?」
「いいえ」と夏帆は言った。
「ほら例えば医療の世界だと、精神世界に行くだろう」と西園寺先生は美咲に言った。
「先生、それは医学生のみが知る秘匿情報です」
「あれ、そうだっけ」と西園寺先生は笑った。
「領域を作ることができるなら、消すこともできるということですか」と直人。
「そうかもしれないね」と西園寺は含みのある言葉を述べた。何か他にも言いたそうにしていたが、それ以上彼は何も言わなかった。
「そして、領域を拡張できるか、という質問だけど、わからない。人が増えたら拡張するとか、拡張させたい、と願えば拡張されるとか、色々専門家の意見があるけど、正確なことはわかっていない。僕は個人的には、領域の果て、というのはじわりじわりと広がっていて、そして沈み込むところがあるんじゃないかな、と思っている。大陸プレートのようにね」
「先生は領域の果てに行ったことがありますか」
「あるよ」
あまりの即答に3人は驚いた。
「果てにいこうって魔術院の時の親友と旅に出たんだ。ついに見つけて僕らは喜んだ。親友が果てに触った。ゼリーのようにぷるんと震えた。そして親友は、果てに取り込まれていった」
「え……」3人は思わず息を飲んだ。
「どこへ行ったのかはわからない。それから領域への出入りは、安全性の確保された指定の入り口のみ、それも許可証が必要と厳格になったんだよ!」
相変わらず先生は空元気のまま笑顔で答えた。
3人は顔を見合わせることしかできなかった。
「見るなの法則ってあるだろう。やっちゃいけないと本能で感じることって、やりたくなるんだよ!」と先生は元気よく言った。
「見るなの法則?」と夏帆。
「知らない?神話における見るなの法則。神話って展開上重大な話がたまに含まれているんだけど、だいたいこの法則が適用されている」
「それで、どんな法則なのでしょう」と美咲は言った。
「ああそれ触らないで!」と先生は直人の横にある机の上のオルゴールを指して言った。
直人は驚いて、オルゴールから離れた。
「別に触ろうだなんてしてないですけど……」直人はふてくされたように言った。
「触れるとどうなるのですか」と直人。
「それが見るなの法則だ」と先生は顔色を変えた。「後ろを振り向くな、というと振り向きたくなる。たいていの主人公は振り向いてしまう。振り向くと終わりだ」
「終わる?何が?」と美咲は言った。
「気になるだろう。神話を読んでみるといい」
「神話と言っても色々ありますが」と美咲は顔をしかめた。
「古事記が手っ取り早い。さぁ、もう時間だ。寮に戻りなさい」
気が付いたら時計は夜の9時を指していた。時空がまるでゆがんでいるかのように、一瞬で夜になったように感じた。
理事長の竹内義人がついに学園へとやってきた。門の前に黒塗りの車が止められたかと思うと、使用人が車の扉を開け、義人が下りた。黒く、光沢のあるスーツにライオンのマークをあしらった美しい黒い革靴を履いている。直人や夏海の父親に会うのはなんだか変な気持ちがした。
「ようこそお待ちしておりました」
校長はじめ、先生方は一斉に頭を下げた。夏帆も見様見真似で頭を下げた。
「楽にしてくれ」
そういうと、先生方は頭を上げた。夏帆もそれに続いて姿勢を正した。
どこかで会ったことがある。理由はない、直感だ。夏帆は顔をしかめ、探るように全身を見た。魔力はまるで感じない。しかし、何か形跡を残されたような違和感がある。夏帆は義人とほんの数秒だけ目を合わせた。その数秒で、向こうもまた夏帆の何かを調べるような目つきをした。待ってましたと言わんばかりだ。眼鏡の奥の黒い瞳からは、なんだかこちらを品定めでもしているかのようで気味が悪い。夏帆は直観で好きになれない、と感じた。
竹内義人は、髪を七三分けにしてこってりと油を塗っていた。身長は170cmくらい、体型は年相応に中背といったところだ。おいしいものを食べ、部屋からほぼ出ないのだからそうだろう。夏帆には1つ気がかりなことがあった。それは、手に杖を持っていないことだ。まるで自分は安全だと信じて疑わない。いきなり襲われたらどうするというのか、と夏帆は憤った。
校長から順に挨拶を済ませ、いよいよ夏帆の順番だった。
「マランドール、高橋夏帆です。お見知りおきを」
そういうと夏帆は深々と頭を下げた。
「うん」
その義人の声は、低く太いものだったが、どこか迷いと憂いがあるように感じた。
理事長に媚びを売る先生たちの後ろをついて夏帆は学園中を歩き回った。やはりどこかで記憶があるように感じた。歩き方、指先の動き、何より、声。しかしながらその何もかもが現実的には思えず、まるでもやがかかったようで、頭に入ってこなかった。ただ夏帆は竹内義人の様子をじっと観察していた。
昼食の時間を迎えると、貴賓室にて会食が開けれた。夏帆は入ったこともない部屋だった。
貴賓室はお城のダイニングのようだった。ペルシア絨毯が敷かれ、シャンデリア、壁には西洋画がいくつも飾ってあり、天井には天使の絵が描かれていた。真ん中に、20人は座れそうな大きな机と、椅子があった。夏帆の元に浅木が寄ってきた。
「高橋さん、お手洗いを済ませておきなさい。2時間はかかるから。そして、あなたの席はあそこよ」
浅木が指したのは、義人のすぐ隣、上座でも2番目の場所だった。
「あそこですか」
「ええそうよ。そういう決まりなの。昔は……いいえなんでもないわ」
「君は」
義人が話しかけにくると、浅木は義人に拝礼をした。
「浅木……」
「浅木遙です」
浅木先生の声が震えているのがわかった。
「遙……。はて、いつぶりかな」
「さぁ、学生の頃では」
二人が会話をしている間に、夏帆は貴賓室外にあるお手洗いへと向かった。
会食は嫌な予感がした。夏帆は、告白錠の無効化薬をそっと飲み込み、貴賓室へと戻っていった。
全員が席に着いた。机の上には、白いテーブルクロス、そしてたくさんのナイフとフォークが置かれていた。この日のために、テーブルマナーを習うのだ、と夏帆は思った。
シェフのような人が現われ、義人へと挨拶をした。何人ものメイドがそれぞれの机へ料理を運んでは下がった。
竹内義人は校長と何やら難しい話をしていた。主に学校経営に関してだった。義人は特に運営に関して不満を持っているようではなかった。それどころかまるで無関心かのようだった。時の権力者は教育を重視する人が多いのに珍しい、と夏帆は思った。それとも教育に関しては全幅の信頼をおいているのだろうか。どちらにせよ、義人が視察の目的が何か判断しかねた。
いよいよデザートへとさしかかった。マカロンと、小さなショートケーキとアイスクリームが1つの皿の上で競演している。また、紅茶も用意された。ウェイトレスは学校内で育てた茶葉だ、と説明した。竹内義人はすっと飲むと、不敵な笑みを浮かべた。
「某国の茶葉は手に入れられなくなってから久しい」と義人はつぶやいた。「君は今魔法界が抱えるのはどんな問題だと思う?」と理事長は言った。
夏帆は義人をじっと見た。
「君だよ、高橋君」
「そうですね、日本においてでいうと、やはり常任理事国の話ではないでしょうか」と夏帆は言った。竹内理事長は、すっと手を差し出した。紅茶を飲め、とのことだった。夏帆は一礼すると、カップを手に取り、紅茶を飲んだ。まるでレモンティーかのように酸っぱい味がした。
「続けて」
「はい、日本はこれだけお金も技術も投資しているのに、各国はその功績を認めようとしない。おごっているように見えます。我々の技術を使うなら、それ相応の配慮がなされるべきです。もし、そうでないなら、鎖国は致し方ないことかと」
理事長はさぞやご満悦といった表情だった。
「どうやったらなしえられると思う」
先生方は夏帆がどう答えるか心配している様子だった。「正答がほしいわけではない。私は若い人の意見を聞きたいのだよ」
「世界大戦を引き起こすのはどうですか」と夏帆は言った。高橋さん、と浅木が凍えでおびえた声で言うのがわかった。
「国際連盟を壊し、新たな連盟を作る。そうすれば、常任理事国入りはたやすいでしょう。ただ1つ問題点は、日本は勝者側にいなければならないということです」
「面白い」と義人は言った。「では話を変えよう。君は人間についてどう思っている?」
「人間?」
「人間との関係だよ」
夏帆は考えた。なぜ急にそんな質問をしたのだろう。どんな答えを求めているのか、さっぱりわからなかった。
「そうですね、確かに魔法界は人間界に多大な功績を出してきました。でも、それに見合った……」
「人間について、君がどう思っているかだ」
なぜこの人はそこまで人間のことを聞きたがるのだろうか。直人と似ている、と思ったが、それともまたどこか違うようにも感じた。
「日本人という意味では同じかと」
高橋さん、と浅木先生が再び小声でささやいた。
「同じ人間、同じ人種、そして同じ国。ただ魔法を使えるかいなかというだけで世界がわけられている。本質的には何も変わらない。ましてや人間の方が、技術力が高い。お互い、支えあっていけばいいのにと思います」と夏帆は言い切った。理事長は目線を紅茶に落としていた。
「そして、その合間をつなげる役割も大切かと。魔法使い、人間、双方を知っている人物が必要になる」
「どちらも知っている者?」
「亜人」と夏帆がつぶやくと、理事長はカップをこつんと鳴らして置いた。
「高橋さん!」と浅木先生。
「亜人という言い方は嫌いです」と夏帆は続けた。「人間という言い方も、魔法使い、という言葉も。そんな言葉取り払い、差別のない、みんな一緒の世界になればいいのに。言葉があるから差別が生まれるんです。孤児院、そう言われるたびに私が考えてきたことです」
夏帆はじっと理事長の目を見た。
「人間が魔法使いに勝とうだななんて1000年早い、というものもいる」と義人。
「勝ち負けってなんですか?」
夏帆はそういうと義人は初めてにこりと笑った。その瞳の奥は、精一杯笑おうと努力しているかのように見えた。
「君は噂通りの優秀な魔女だ」と義人は言った。「気に入ったよ」
先生方はその言葉にそっと胸をなでおろした。
夏帆には疑問が浮かんだ。義人は紅茶に告白錠を混ぜていた。コーヒーか紅茶か、聞かれずに紅茶を出された時点でおかしいとは感じていた。極めつけは飲んだ時に入っていないはずのレモンの味がしたことだ。無効化薬が作用した時の味だ。義人は確実に告白錠を混ぜている。ただ、薬を混ぜるより、魔法で夏帆の心を開かせた方が、ずっとリスクが低い。なぜだ。
夏帆は魔女と呼ばれるのが嫌いだった。女だからなんだというのだ。やはり竹内義人は好きになれない、そう思った。
義人が帰ると、真っ先にJ.M.C.の会長室へと夏帆は向かった。
「私あの人好きになれない!」と夏帆は叫んだ。直人は笑うことしかできなかった。
「僕もだよ」
「それはそうでしょうね」夏帆の怒りは収まらなかった。
「そもそも、なんで、告白錠を混ぜたの。」
「告白錠を使うと、心を読みやすくなる。何か他に読みたいことがあったのかも。もしかしたら、僕らの策がバレたとか」
「それはない。私わかるもの。魔法を使われていたら、どんなにうまくて、微細だったとしても、魔力を感じる。でも今回はそれがなかった。全く、気持ち悪いくらい、その形跡がない」
「父さんをなめない方がいい。腹の底の知れない人だ。とても強力な魔法だったのかも。その痕跡を残さないくらいに」
「ねぇ織田信長を知ってる?」
「僕が人間学専攻だということを忘れた?」
夏帆は不敵な笑みを浮かべた。
「信長の遺体はなぜ見つからなかったのかしらね?」
「何が言いたい?」
「戦国時代に既に魔法使いがいたのなら、私たちにも勝機はある。竹中半兵衛が19歳で城を乗っ取ったのなら、私は14、あなたは17でこの城を乗っ取る。いざなぎ流が攻めてくるのは、この城の自治権を生徒が奪う恰好の機会」
「どういうことかな」
「いざなぎ流が攻めてくる、そういう噂を流すの。私はマランドールとして、学校の守りを固める。そこに、理事も先生も介入させない。そして、生徒を消すのよ。モニターでの魔力数値化ができれば、勝算は高い」
「信長の遺体を消したのは魔法使いだと?」
「過去の人間がやり遂げたことを、今の人ができないわけがないでしょう」
「つまり、一時的に生徒を消すと。そうすれば、理事と我々の対立構造ができる。義人一人と交渉。それなら、殺さなくても、話し合いで済むかもしれない。でも、そんな大がかりなこと……」
「無理とは言わせない。私はできない、という言葉が嫌いなの。あなたは私のブレーンでしょ?この城の軍師よ。城主は私」
「それはプランAね」
「美咲?いつからいたんだ」と直人。
「プランB。3人で、竹内義人の居室を訪れる。案内は、直人にしてもらう。竹内義人は22時には居室の電気を消しているという確かな情報がある。おそらく就寝だろう。その前に居室へと突撃し、竹内義人を領域から追い出す。この案はずっと考えていたけど、たった一度しかチャレンジできないし、情報漏洩を防ぐためにも、明確な日程を指定できない。それに失敗したら私たち全員殺されるわね」
「もとより覚悟の上だ」と直人はつぶやいた。
「監視を切り抜けて、義人の個室に行ける?」と夏帆は言った。
「この居室と、父さんの個室がつながっている」と直人が言った。
「それはよかった。でも、領域の入り口を作れる前提の作戦でしょ?どうするの」と夏帆。
「作る方法がわかったんだ」と直人は言った。
「どうしてそんな大切なこと早く言わないの!」と夏帆は言った。
「とても複雑なんだ」と直人。「作る専門の機関が政府内にあることがわかった。そこから資料を取り寄せて、陰陽道と組み合わせて、なるべく簡略化できるようにした」
「待って、話が急展開すぎて、私の頭が追いつかない」と夏帆。
「話せることがそこまでってことよ」と美咲。
「つまり、これはJ.M.C.以外の人に話せる情報ではないのよ。こちらの情報筋で済ませたことなの。領域を作り出せるのは直人だけ。その場で、ほんの一瞬、空間を作り出す。私たちはその一瞬にかける必要がある。あなたはその場にいればいい。会長が、竹内義人が、その場から逃げ出さないように、邪魔が入らないように、そこにいてほしい」
夏帆はうなずいた。
「その日はいつ来るの?」と夏帆。
「いつかよ」と美咲は言った。
夏帆はJ.M.C.の部屋を出ると、ただ廊下を延々と歩いた。中庭の椅子に、リサが座っていた。夏帆は隣に座った。
「理事長どうだった?」とリサは言った。
「別に、仕事」と夏帆は言った。
「ねぇ旅行に行かない?」とリサ。
「旅行?いいね。どこに行く?」
「熱海」
「熱海?」
「静岡県の」
「知っている。でも、あそこは、領域外だよ」
「いけないの?」
「いけるけど……」
「なら行こうよ」
「うん」
「私宿取っておくね」
「え、いつ行く?」
「次の日、月曜は?月曜日、祝日だし」
「何の日だっけ」
「学術の日、じゃなかった?4月3日。学問を奨励する日、みたいな感じだったような」
「そうそう。よくわからない祝日。他国からもっと休ませろって圧力があって祝日を増やしたっていう噂だよ」
「そんな風に言われているんだ」とリサは怪訝そうな顔をした。「でもなんで、その日にしたんだろう。何か意味があるんじゃないの」
「さあ、気にしたこともなかった」と夏帆は言った。
「イギリスだとだいたい決まっているよ。建国記念日、とか対人間勝利記念日、とか魔女狩り反対条約制定記念日、とか。とにかく、空いてそうだし、3日はどう?」
「でも、次の月曜って、あさって?」
「うん」
「急すぎない?」
「ちょっと行きたくなったの」
「別にいいけど」と夏帆は言った。
靑木が中庭の向こうの廊下に見えた。夏帆は手を振った。靑木は夏帆の方へと歩いてきた。
「探したよ、ここにいたのか」と靑木は言った。
「探した?」
靑木は明らかに動揺していた。
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