第12話 魔術師
中間テストが終わってすぐの日曜、夏帆はリサと箒で湖の畔までかけてきた。白鳥が数羽泳ぐ、大きな湖を前に、木陰に座ると、持ってきたサンドイッチを広げた。
「こんな綺麗な場所が、こんなに近くにあったなんて」と夏帆は大きくのびをした。
「オーボエを持ってこればよかったね」とリサ。
「オーボエ吹けるの?」
「少しだけね。夏帆は?」
「私はピアノを少し。白鳥の湖とか演奏すれば良かった」と夏帆は白鳥を見ながら言った。
「はくちょうの、みずうみ?」
「え?」
「日本の曲?私、知らない」
「いや、ロシアの曲だよ。バレエ音楽」
「ばれえ?」
「踊りの1つかな。踊りによる演劇」と戸惑いながら言った。
「ミュージカル?」
「近いかも」
「今度見てみるよ」とリサは笑顔で言った。
夏帆は近くの売店で買ったサンドイッチを持ってきていた。食パンに、卵とハムとレタスの入った、いたって普通のサンドイッチだ。それを1個。それだけで夏帆は十分だった。
リサはサンドイッチ2個に加えて、りんごをまるごと1個、それにポテトチップスとチョコレートバーを持ってきていた。
リサは湖を見ながら、リンゴにかぶりついた。耳に髪をそっとかき分けると、小さな緑色のジュエリーのついたイヤリングをしていた。湖を見ながら浮かべる笑顔はとても美しかった。
「私ね、両親をこっ……」と夏帆は唐突に言った。
リサはこちらを向いた。青い瞳がじっと夏帆を見つめてくる。リサのルージュを塗った唇はじっと閉じられており、まるで夏帆を調べるかのようだった。
「こっ、この目で見たことがないの」と夏帆。
「この目で?」
「記憶の中だけでしか」
「写真とかは?」
夏帆はローブから家族写真を取り出した。
「小さい頃からなぜか持っている、たった一枚だけの写真」
「写真があるっていうのは、あなたは愛されていたのよ。そうじゃないと、撮らないでしょ?」
「そういうもの?」
「そういうものだよ」とリサは笑った。
「私ね、孤児院出身なの。奨学金で通っている」
「だからそんなに賢いのね」とリサは言った。「他の子たちって、教え方が下手だ、とかバカな先生だとか言って、自分の成績が伸びない理由を他者に押しつけている。大して勉強もしていないくせに。環境は用意されて当然と思っているのよ。自分は本来賢いはずなのに周りのせいでテストの点が取れないって自己を正当化している。日本は進んでいるって思っていたから、正直がっかりした」
「賢いって思い込まないと、自分の居場所がわからなくなるんだよ」
「あなたって、年齢不相応に大人よね。早く大人にならないといけなかったのかもね」
二人はお昼を食べ終わると、森の方へと歩きだした。
「スコットランドにもネス湖という大きな湖があった」とリサは言った。「そこで私はよくネッシーと遊んだ」
「素敵ね」
「たまに魔法を失敗して、その姿を人間に見られることがあった。私は急いで忘却呪文をかけたの。だから私、忘却呪文だけは結構得意なんだ。記憶のどこを消すのか、1mm単位、秒単位で選択できる。そして書き換えられる」
二人は山道を歩いていった。途中、大きな二本の石柱が立っている場所があった。二人はそれを背もたれにして、しばらく休憩すると、また、立ち上がって歩き出した。途中、石の上に、陶器の小さなお皿がのっていた。
「こんな場所に人が来ている」とリサは言った。その皿が夏帆にはどこかで見たことがある気がした。
石は山頂に登るのには邪魔だった。二人は力を合わせて、魔法を使って石を動かすと、さらに先へと進んでいった。
次第に息が上がっていき、頭がクラクラするのと同時に、どこかすっきりする感覚がある。奥に行けばいくほど雑草が生い茂り、自分たちがどこへ向かっているのかわからなくなる。それは、方向感覚のなくなる没入感とも言えた。
もう帰ろうか、そう考えた時、草をかき分けた先に岩があらわれた。山頂だった。
夏帆は岩の上に立った。山から見る季節は残酷にも美しかった。ところどころ赤色や黄色をした森の木々は日光を反射して輝いている。その中にぽつんと湖が浮かんでいる。風が気持ちいい。よく見ると湖は川となって細々と続いており、その先には海があった。
「領域に海があった」と夏帆は笑顔でつぶやいた。
「暗くなる前に帰ろう」とリサは言った。
二人は箒にまたがると、夕日に向かって、空へと飛び立った。
「ねぇ、夏帆は魔術師を目指してみたらどうかな」とリサは箒で飛びながら言った。
「魔術師?」
「条件を3つそろえれば取れるはず。調べてみたけどね、マランドールは条件のその1つ。それに、確か奨学金も条件のはず。魔術院を卒業すれば3つ。そうすれば、魔術師になれる」
「魔術院には行けないの」
「論文の執筆で卒業資格を得る方法もある。今のうちに先生とかにお願いして、研究して、論文を書かせてもらうっていう方法があるんじゃないかな。イギリスではよくあることだよ」
「取ると何か良いことがあるの?」正直夏帆はマランドールの仕事でいっぱいいっぱいだった。
「魔術師は、持っていなかったら持ちたくなる資格かな。イギリスではだいぶ優遇が受けれるよ。持つことへのデメリットはないし、目指してみたらどうかな。私も持ってるし」
「リサが持っているの?」夏帆は驚いた。
「うん」とだけリサは言った。
やっと街まで戻ってきた。街を箒でかけていくと、色んなものが見えてくる。
夏帆は人間界との境界の壁をじっと見つめた。十字マークの夏帆が入ってきた壁だ。
「そこ、いつも見るよね」とリサは言った。
「あそこは領域の果て、というのかな。人間界への入り口。私はそこから入ってきた」
「領域って私よくわかっていない」とリサ。
「どうやって日本にはきたの?」と夏帆。
「飛行機で」
「そのあとは?」
「空港の第一ターミナルのとある椅子に行けと言われて、指定された椅子の後ろをすり抜けたら、大きな黒い門の前に出た」
「椅子が領域への入り口か」
「領域って、空間を拡張しているってこと?」
「正直よくわからないけど、そういうことなんじゃないかな。空間と空間の間に、別の空間があるんだよ。ほら、地球だって、2つのプレートがアイスランドで盛り上がって、その2つが日本で合流して入り込んでいる。プレートとプレートの間ってよくわからないけど、でも確かにそこには世界がある」
「そうだけど……。じゃあその入り口というのは作ったり消したりできるの?」
「それはどうなんだろう……考えたこともなかった。あれ、あの人もしかして類?」
「誰?」
「孤児院で良くしてくれた先輩」
遠くに類を見かけた。類は出所していたのだ。キャップを深くかぶり、薄手のシャツにジーパンといったラフな格好をした類は、どこかへ歩いて行こうとしていた。当てもなくというよりは、目的があるように思える。夏帆には類に声をかける勇気がなかった。
しばらくして行き先がわかった。学校だ。類は昨年も現れた。またも、日本魔法魔術学校へ行こうとしているのだ。夏帆はスピードを上げた。リサもそれについていった。
しばらくすると、類の姿が消えた。そして次に表したのは校門の中だった。学校内には関係者以外瞬間移動できないように魔法がかけられているはずなのに、類はその魔法をいとも簡単に突破した。
「待って、類!」
猛スピードで校門へと入った夏帆は箒から転げ落ちた。
「大丈夫?なっちゃん?」
夏帆は土をはらって立ち上がった。後ろからはリサがついてきた。
「類、私はもうマランドールだから、部外者の学内への侵入を許すわけにはいかない」
「ごめんなっちゃん、でもどうしても会いたい人がいて」
「あらどこかで聞いたことのある声だと思ったらまた来たのね」
待っていたと言わんばかりに、またも突然夏海が現われ、クスリと笑った。
「夏海待て」
夏海は驚いて振り向いた。竹内直人がいた。
「お兄様」
「お前は下がってろ」
「でも……」
直人は夏海を睨みつけた。
「お前は竹内家の顔に泥を塗ることしかできないのか」
「私が好きでこんなこと……」
夏海は口をつぐむと不満そうな顔をしつつも一歩後ずさりをした。
「御来客様の前で妹が大変失礼をしました、マランドール様」
直人は一礼をした。
「竹内さん、あなた方のご来客ですか?」と夏帆は言った。
「ああそうさ」と類が言った。「久しぶりだな、竹内君」
「秋山が元気そうで何よりだ」と直人。「思ったりよりも早くシャバにでられたようだな。ただここは部外者立ち入り禁止なんだ。話があるなら外で話そう」
「いいや要件はもう済んだよ」
夏帆は類の持っていた杖と銃をしっかりと握っていた。
「武器を取り上げられては何もできないからね」
「類、私あなたのこと信じていたのに……。竹内さん、あとは私が。警察を呼びます」
「いいや今回は捕まるなんてへましないよ」というと類は霧のように消えていなくなった。
「影だ」と直人は言った。
「学校の中で影の滞在時間は制限されているはず」と夏海は言った。
「影?」と夏帆。
「シャドーです。陰陽道。影分身の術だ。自身の魂と肉体を切り離し、肉体だけに行動させる高難度の技術。魂が別で保管されているから影響を受けないんです」と直人。
「マランドール様」と夏海はかしこまって言った。その目は夏帆を脅迫しようとも、至って真面目なようにも見えた。「今すぐ対策を講じてください。二度も守衛を破るなど言語道断です。生徒の身の安全を守るのがあなたの仕事ですよね」
「夏海の言っていることは正しい」
えっ、と驚いたのは夏海だった。
「わかりました。調査して、その報告を必ずいたしましょう」
直人は一礼するとその場を去って行った。
「私、あなたに話があります」と夏海は夏帆は言うとリサに目線をやった。状況を察したリサは直人のあとを追っていった。
日はとっくの前に落ち、肌寒くなっていた。
「先輩方にまだ敬語を使っているの?」と夏海は言った。
「竹内さん?」
「ほら、さんって」
夏海は夏帆の周りをくるくるって回った。
「マランドールの地位をけがさないで」
次の瞬間夏海は消え、夏帆は焦って辺りを見渡した。
「ほらっ、こっち」
夏海の手には夏帆の杖が握られている。夏帆は夏海の後を必死で追った。庭を走り抜け、月夜の学校内を彷徨った。
『マランドールの無残な姿ね』
頭の中で響く夏海の声。夏帆の体力は付き、階段の途中で膝に手をついて立ち止った。夏海に杖は既に奪われていた。
「Come My Wand!」
夏帆は必死になって、学校中に響く声で叫び、杖をもう一本呼び寄せた。夏帆が杖を向けると、夏海が姿を現した。
「あなた、発音良いのね。海外に行った経験があるみたい。イギリスとか」
「心を無許可で読むことは法律で禁じられている」
「だったら心を閉じればいいのよ」
夏海は不敵に笑った。
「それにあなたのタイムキーの使用法の方が重罪よ」
夏帆は、自身の開発した1001個目の型「封印」夏海にを使った。体力を消耗する代わりに必中効果がある。
しかし、夏海はローブを翻してそれをよけた。謀略と精度には絶対的な自信を持ってきた夏帆は驚いた。
「マランドールともあろう方が気持ちのままに呪文を放つなんて」
夏海はクスクス笑った。彼女の考えが全くもってわからなかった。それどころか何手先まで読まれているのだろう?夏帆は杖を構えたまま固まった。
「ほら、こっち」
夏帆は夏海を追って階段を駆け下りながら、杖を必死に振った。あちらこちらで手すりが欠けたり、窓が割れたりする音がした。夏海の笑い声はやはり脳裏に響く。
―このままじゃ消される
夏帆は目を閉じて意識を集中させた。彼女の使っている呪文はとても複雑で個性的でいくつもの解除困難な鍵のかけられた強力なもの。でも今なら、それを1つ1つ解読することができる。これが何なのか。そして、どう解除すればよいか。イギリスで教えてもらったじゃないか。これは影分身に似ていて違う。イギリス式の隠遁術。それも彼女なりのアレンジを加えている。目の前にいる彼女は実体ではない。
「姿を現せ!」
次の瞬間目の前に夏海が息を荒げて立っていた。
―この子、相当強い
きっと夏海は直人よりずっと強いのだ。いつも見せている姿は仮の姿。J.M.C.に入れないのではなく、入らないのだ。筆記で敢えて間違えて、技術で敢えて失敗して。理由はわからないが能力を隠している。
「あなたをここから必ず追い出す」
夏海は笑って言うと、風のように飛び去って消えていった。
中庭まで戻ると、リサが座っていた。
「待っていたの?」
「あなたに伝えないといけないことが」とリサは深刻な表情をして言った。
夏帆はリサの隣に座った。
「あのね、その、落ち着いて聞いてほしいのだけど……」
「うん」
「類?だっけ、あの人、あなたとどんな関係って言っていたっけ?」
「孤児院の先輩で、勉強を教えてくれたの。この学校の受験を後押ししてくれたのも類」
「大切な人?」
「まぁ、そうともいえるかも」
「あのね、あの人、おそらく、インキュバス。それかインキュバスから生まれた子だと思うの」
「インキュバス?」夏帆はきょとんとした。
「知らないの?」思いも寄らない夏帆の返答にリサは驚いていた。
「うん」
「日本じゃ習わないのかな、インキュバスはね、結構複雑なんだけど、簡単に言えば誘惑の悪魔」
「誘惑の悪魔……つまり類は悪魔ってこと……?」
「うーんといより、インキュバスだと思うの」
「インキュバスと悪魔は何が違うの?」と夏帆は言った。
「うまくいえないな。魔法使いと亜人、カレーライスとタイカレーみたいな感じ?」
「余計わからない……」
「とにかく、インキュバスには、男のインキュバスと女のインキュバスがいて、それぞれ異性のところに現われるの。偉大な魔法使いにマーリンっているでしょう。マーリンは、親がインキュバスだったと言われている。夜中にこっそり入ってきて、睡眠中に自身の子供をヒトに授けるの。中世が一番活動的で、インキュバスに妊娠させられた女性は多かった。それである程度対策が取られるようになったの。これは仮説だけど、居場所を失ったインキュバスが日本へ来るようになったのかも」
「対策?」
「どうやらミルクが悪魔よけになるとわかって」リサはどこかぎこちなかった。
「これも仮説なのだけど、本当はただ不倫をしていただけの女性が、バレた時にインキュバスのせいにしていたのよ。その時に、本当の被害者と、インキュバスを言い訳にする人とごちゃまぜになる中で社会問題化して、対策が練られたんじゃないかな」
「それで、類はインキュバスだと」
「ええ、遠目から見たときに、雰囲気が何かおかしいとは思ったのだけど。守衛を簡単に抜けるところを見てそうだと確信した。あれだけ強いのは、悪魔の血が流れているとしか考えられない」
「類が……」
「そうだとすると対策は難しい。でも、できないとも言わない。たしか、エジンバラ魔法魔術学校でも、対策は講じられていたはず。できるけど、強力な力が、つまり、人数が必要。あなたも十分優秀だけど、一人でできることではない。あのね、夏帆、人を頼っても良いと思うの。きっと助けてくれる。竹内さんはいい人だって、あなたが教えてくれた」
「つまり、J.M.C.を頼れと」
「そう」
肌寒い風が、中庭を通り過ぎていった。満月が、夜空では怪しく光っていた。
マランドールの館に帰ると、夜更けにも関わらず海斗がまだ起きており、庭の掃除をしていた。
「類が来たんだって」
海斗は淡々と掃除をしながら言った。
「うん」
「でなんて?」
「さぁ、どこかへ消えてしまった。まるで会話が成り立たなかった」
「昔からそういうやつだ」と海斗は言った。
「ねぇ、類は、インキュバスなの?」
「インキュバスって?」
「悪魔」
「悪魔?」海斗は笑い出した。「悪魔ね」
「その笑いは何?」
「え、悪魔がほんとに存在しているって信じているの?」
「……」
海斗は落ち葉を掃いた。
「あいつはほんと、そういうところあるからな。生きているだけでラッキーなのにな。凡人は凡人らしく生きればいいのにさ」
「確かに私は恵まれている」
「そういうことを言いたかったわけではないよ。それに、僕は恵まれてないってこと?そんなことはないね。少なくとも僕自身はそう思っている」
「でも、海斗だって学校に行けば」
「勉強は好きではなかったからね、工場勤務の方が性に合ってた。世に出てもいないような、すごい箒の大型部品を目の前で見れるなんて毎日ゾクゾクしたね。日本じゃ左側通行用の箒しか見れないけど、右側通行用の箒も作っているんだ。あれは海外用だった」
「海外取引なんてしてないでしょ」
「いいや、アングラでは取引してるんだろう。注文が連日たくさん入って、大忙しだった。お上のことはわからないけど、その箒が遠い異国の戦争に使われていることくらい僕にもわかったさ」
「それ、つらくない?自分の作ったものが兵器として利用されるって」
「考えたこともなかったな。あの時は、とにかく毎日金稼げればそれでよかったからな。一応、悪魔の件、調べてみるよ、僕も一応魔術師だから」と海斗は言った。
寝室へと帰ると、夕刊が届いていた。いつもは読まない新聞が、その日はたまたま目にとまった。竹内義人議員が新法設立に反対しているという記事、死亡した外務大臣への追悼記事、各地で続く異常気象に、各国で起きている金融不安。どれも夏帆の住む首都では現実味がなく、遠く離れた地で起きていることのように思えた。
新聞記事に載っている亡くなった要人。これを抽出し、並べる作業。夏帆は外務大臣の記事を切り取って、ノートに貼り付けた。その一覧を見ていると、少しだけ世をしれた気分になる。
窓から見える月が、一瞬消えて無くなったかのように見えた。疲れているのだ、と夏帆は思った。
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