4-2
「それで今こっちに松本副隊長が来てるってわけですね」
少年たちの証言を聞いたあと、松本はしばらく支部の開放を休止したいと打診し、本部で一人、〝神〟について調べている。その様子は鬼気迫るものがあり、隊員がおいそれと声をかけてよい雰囲気ではなかった。
「科技研で元岡さんとも色々やってるらしいんすけど、重苦しい雰囲気だからなんとかしてくれって僕に苦情がくるんすよ。この件、眞島副隊長に任せることはできなかったんすか?」
「そうだな、この件についてはもしかすると眞島が担当した方がよいのかもしれぬ、とわたしも考えたが」
六条院はそこで一度言葉を切って、慎重に続ける言葉を選ぶような表情を見せた。梶と東風は二人で顔を見合わせる。このような顔を見せる六条院は珍しい。
「この件は松本に任せると判断した。どのような結果になるにせよその結果にはわたしが責任を持つ」
「そんなに深刻な話なんですか?」
「そうでもない……が、詳しくは言えない話だ。すまぬが、解決したあとに松本が話をするのであればそれを聞いてほしい」
「隊長がそう言われるなら……」
渋々引き下がった二人に、六条院も申し訳ない、と思う。しかし、言えない理由が六条院にもあった。今回の件が米澤博士に関わっている可能性があると判明したからだ。米澤博士に関わる資料を探すには元岡を経由して八条院家にアクセスする他なく、その手段を簡単に口外するわけにはいかなかった。松本が元々第五部隊に所属して【貴賓】地区にいたことと、以前八条院家の当主である志々雄と接点があったからこその手段であり、他人が簡単に真似できることではないのだが。
「あれ、じゃあ今回はまた松本副隊長は隊長の家に寝泊りしてるんですか?」
「そうだ。ただ、わたしが帰るよりも遅く帰って早く出て行っているようで家では顔を合わせることがない」
「そんな生活してたら身体壊しますよ……。あ、総務の櫻井さんに言えば改善してくれますかね?」
「せめてすべて終わってからにしてやってくれ」
無邪気に櫻井の名前を出す東風に六条院はストップをかける。悪意なく、松本の生活を心配してのことだとわかっているが、櫻井の仕事をいたずらに増やすだけになるのが目に見えていた。
「でも、前も全部が終わってから櫻井さんにバレてすごい剣幕で怒られてたじゃないですか」
「……それはそうだが、なるべく早期解決を図りたい案件ゆえ、多少は目をつむってやってほしい。代わりの休みはわたしが責任を持って取らせる」
六条院の言葉に東風は渋々納得して引き下がった。彼も彼なりに松本のことを心配していたことは六条院にもわかっていた。
「やあ松本くん、久しいね! こうやって会えて嬉しいよ」
「すみません、無理を通してしまって」
様々な手続きをして久しぶりの【貴賓】地区に足を踏み入れた松本は、八条院家を訪問して、現当主であり元岡の実兄である八条院志々雄と顔を合わせていた。以前端末越しに声を聞いたことはあったが、実際に会ってみると目元と笑った顔が妹である元岡によく似ていた。
「ボクも一度でいいから直接会ってみたかったんだ。常仁くんを筆頭に佐都子や真仁くんからたくさん話は聞いていたから」
「でもよく叶えていただけたなと」
松本の言葉に八条院はにこり、と笑った。
「まあ、先代の妨害もなくなったからね。ボクの一存で色々できるようになったってことで」
「そうですか」
「妨害するにも人手と体力が必要だからね」
先代と呼ばれる彼の母も加齢には勝てないのだと、示唆する八条院に対して松本は何も言わなかった。
「それで、なんだっけ。あ、博士のことだったね」
「はい。こちらのネットワークだけで調べるのは限界がありまして。もし我々が知らないことがあるなら教えていただければと思ってうかがいました」
頭を下げる松本に八条院は「そんなにかしこまらなくてもいいよ」と鷹揚に言い、傍に控えていた使用人に「二十分したら何か冷たいものを持ってきて」と言いつけた。使用人は慇懃に一礼すると、部屋を出て行った。それを確認して、八条院は再び口を開いた。
「悪いね。彼女のことはこの家の中であっても中々口に出すのが難しくて」
「はい。それはもう、重々承知しています」
松本の答えに、八条院はわずかに微笑んだ。
「そういうところを真仁くんは気に入ったのかな」
「……そういう話は、またあとで。それに俺たちはあくまで、お互いの利害でパートナーシップ契約をしているだけですので、誤解なきように訂正しておきます」
松本の言葉に八条院は「悪かったよ。真仁くんはそういう話をしても答えてくれるタイプじゃないからつい、ね」と謝罪した。この分では志登も義兄である彼にずいぶん振り回されているのだろうと松本は思う。
「さて、使用人が戻ってくる前に話をしてしまおう。単刀直入に言うと、こちらから開示していない情報はあるよ」
「助かります」
「彼女は医師免許を持っているから、時折【中枢】地区の中央病院の臨時職員として働いていたようだ。といっても彼女は病理医であったから表立った診察をするわけではなくて、いわゆる『優しいおばあちゃん』役で小児病棟のサポートをしていたらしい」
これはそのときの記録、と言って八条院は松本に封筒を差し出した。電子データでないのは珍しいが、これは八条院なりのリスク管理であることを松本は理解した。紙データであれば、シュレッダーにかけてしまうだけで抹消できる。
「なぜ、そんなサポートを?」
「残念ながらそこまではわからなかった。でもその中で一人、彼女が身元引受人になった女の子がいた」
八条院は松本に渡した封筒とは別に原本と思われる記録を見せた。彼女の名前は〝神在潤〟と書かれていた。資料にある神在は子供らしい屈託のない笑みを浮かべている。
「身元引受人になった理由は?」
「彼女の両親が交通事故で亡くなっていたことはもちろんだけど、彼女自身の事故の後遺症が一番大きな理由だったみたいだね」
「後遺症?」
「事故で頭部を打撲したことによって、非常に珍しい損傷が脳に生まれた。治すことは難しい上に、一般的な生活を送るのも難しい症状があったんだ。なんて表現すればいいのかボクも悩むけど、いわゆる《ギフテッド・チャイルド》に近い症状だね。彼女以外にも、交通事故での頭部打撲によって引き起こされる症例はたくさんあるよ。とある作曲家は交通事故に遭ったあとに、音符が見えるようになった、なんて証言をしているし、世界の色が違って見えるようになったと言う画家もいた。この症例の判定の難しいところは、治療をして元の生活に戻れる人もいれば戻れない人もいるということだね」
そして神在は後者だったと八条院は言った。〈〉
「そして米澤博士は彼女を引き取った。博士と彼女は、まあ、なんというか近しいものがあったんだろうね。博士もずっと自分の才能を自覚しつつも苦しんできた人だったから」
「……」
松本は以前目にした米澤のエンディングノートを思い出していた。米澤が自らの若い時に行っていた研究を悔いていたことが明記されていたそれは、今も〈アンダーライン〉の証拠保管庫に残されている。
「それで、その子は今どこに?」
「そこまではこちらでもつかめなかった。博士が彼女を引き取ったのが彼女が九歳のとき。そして、彼女が博士のもとを離れたと推定されるのが、十五歳のとき。その直後に米澤博士は亡くなっている。あ、前に松本くんたちが関わった事件ね」
「はい」
あの当時、米澤が住んでいた部屋は1DKだった。ぎりぎり二人住めなくもない広さの家ではあったが、捜査の結果、米澤の私物以外は一切出てこなかったため、同居人の存在を疑うものは皆無だった。
「そしてこの資料の生年月日を信じるなら、今、二十一歳だ。まあ、この六年どこにいてなにをしていたのかは、敢えて訊かないけどね」
「助かります。こちらとしてもまだお話しできないことがたくさんあるので」
「解決しても話せないことはたくさんあるでしょ。妹も義弟もいるんだから知ってるよ」
八条院はそう言ってカラカラと笑った。
「まあでもさ、この事件、解決したら教えてほしいことがあって」
「? なんでしょう」
「この事件を起こすに至った動機と、彼女の目的。これについては、ボクたちも責任を取らなくちゃいけないところがあるからね。将来的に、彼女が望むなら就職先としてうちを選んでもらえたらいいかもしれないと思っているんだ」
「……それは、司法の判断によるところもあるので、全力でかなえられるとは言いませんが、言える範囲ではお話するようにかけあってみます」
「ありがとう。ボクらの家のことで松本くんには、ずいぶん苦労をかけて申し訳ない」
八条院の謝罪に松本は首を横に振った。彼からの謝罪があったところで、自分を変えることはできない上、仕事がなくなるわけでもない。松本自身がやれることをやるだけだ。
「さて、ちょうど二十分だ」
八条院が部屋の時計に目をやりながら言う。その言葉と同時に、部屋のドアが再びノックされた。若い使用人が「お茶をお持ちしました」とドア越しに声をかけた。八条院は「入ってくれ」と返答をして、松本の方を見た。
「さて、じゃあさっき松本くんが『あとで』と言った話をしようか」
「……ホントにするんですか?」
もちろんだよ、と目を輝かせながら言う八条院に抗うすべを松本は持っておらず、内心で六条院に詫びながら、目の前に置かれた冷茶と水ようかんに手をつけた。
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