3-5 終

 翌日午前十時。

 各隊がそれぞれの持ち場に現着した、という連絡が六条院に入った。現場付近の監視カメラの確認は櫻井と第一部隊の日勤隊員二人、そして面通しのために同席している八代の計四人だ。八代は現在首謀者の顔を知っている唯一の人間だった。

「隊長、こちら全員の配備を確認しました」

 それぞれの現場の指揮官が準備完了のハンドサインを監視カメラに向けたことを確認した櫻井が六条院に伝える。それを合図に六条院は現場指示用の端末を手に取った。

「了解。ではこれより一斉捜査を開始する」

――総員、突入!

 六条院の声を合図に三部隊が各地点の建物に足を踏み入れた。しかし、B、C地点では建物内から人の気配は感じられず、六条院のもとへ連絡が入った。

『――こちらB地点志登。物証は抑えられますが、人は誰も見当たりません』

『C地点雷山です。こちらも同様に物証は残っているものの無人です』

 二人からの連絡に六条院は「了解。出入口を確保した上で、物証集めにかかってくれ」と指示をした。通信を一度切って、考える。

「変ですね。昨日までは人の出入りがあった場所ですけど」

「ああ。たまたま今日が突発的な休日で人の出入りがないということも考えられるが」

 どうにもおかしい、と六条院と櫻井が首を傾げていると、A地点の現地指揮を執っている松本から連絡が入った。

『こちらA地点松本、無人だと思われた倉庫内で待ち伏せされていました。この場にいる人間はひとまず全員確保します』

「わかった。場の騒ぎに乗じて離れようとする人間を逃がすな。指揮は任せる」

『了解!』

 応援の手配をしておいた方がよいだろう、と踏んで六条院は本部に待機させていた予備部隊の動員をかけた。予備部隊に指示を出し終わった六条院に櫻井が声をかける。

「こっちもなんだか変ですね。まるで他の二か所にいる人間を一か所に集めて待っていたみたいです。よほど重要なものがA地点にあるんでしょうか」

「……」

「隊長?」

 黙り込んでしまった六条院に櫻井が呼びかける。

「いや、あまり考えたいことではないが……情報が故意に漏らされた可能性を考えていた」

「まさか、と言いたいところですが、そこまで疑うのが我々の仕事ですからね」

 一応伝達をしておくか、と六条院は再び現場指示用の端末を手に取った。


 一方そのころ、A地点に足を踏み入れた松本たちは、一斉に飛び出してきた多数の人影にたじろいでいた。人がいることまでは想定していたが、相手が松本たちを待ち伏せているとは思っていなかった。六条院へ通信を入れるよりも前にこの場を打開する指示を出さなければならない。

「確保!」

 なるべく被害は最小限に! と付け加えて松本は自らも現場内部へと進む。真昼間だというのに倉庫と化した建物の中は薄暗く、加えて物が多いため非常に動きが取りづらかった。そのとき、ザザッ、と小さなノイズを松本の耳がとらえた。

『こちら本部、聞こえるか?』

「はい!」

 インカムから聞こえてきた六条院の声に返事をする。

『故意に情報を漏洩させたものがいる可能性がある。ゆえになるべく慎重に動いてほしい』

「了解です! でももう俺の指示通るかわかりませんよ!」

 現場のあちらこちらで人と人がぶつかる音がする。薄暗い倉庫において地の利は相手にあった。

『わかった。応援を外で待機させておく。無理だと判断したら即座に撤収すること』

「はい!」

 松本は倉庫内を動きながら、自らが率いてきた隊員たちを観察する。挙動のおかしい人間はいないか、と思いながら周囲を見ていると、一人の隊員が隅の壁の前で立ち止まって誰かと話をしていた。話している相手の左腕には腕章がなく、<アンダーライン>の隊員ではないことが明らかだった。

「誰だ、おまえは!」

 松本が声をかける前に、その隊員に向けて声を上げたのは梶だった。松本一人が見たのであれば、密やかに連れ帰り、その後の待遇もなるべく穏便に済ませられただろうが、一番見つかってはいけない人間に見つかった。

「そこで誰となにを話してる」

 梶に厳しい口調で問われた隊員は、梶の後輩にあたる隊員だった。最年少だった梶に初めてできた後輩であり、非常に可愛がっていたのを松本も覚えていた。

「ッ、梶さん……!」

 おそるおそる振り返った彼の胸倉を憤怒の形相の梶がつかんだ。

「お前、自分が何したのかわかってんのか! ああ⁈ どういうつもりだ!」

「ッ、」

 胸倉をつかまれたまま、渾身の力で揺さぶられては答えられるものも答えられない。彼の事情聴取と処罰に関しては撤収してからだ、と松本は仲裁に入りかけて、視界の隅に拳銃を構えた男の姿を捉えた。情報提供者である隊員が用済みになったので始末をする気だ、と気がついて全身から血の気が引いた。

「二人とも伏せろ!」

 限界まで声を張り上げながら松本は争っている二人に向かってとびかかる。強制的に地面に倒せばいい、と反射的な行動だった。

 次の瞬間、一発の銃声が鳴り響いた。

「ッ、ああああああああ!」

「チッ」

 拳銃を投げ捨てて、その場から走り去ろうとする男の背に向かって松本が吼える。

「待て! ……ッ!」

「ダメっすよ! 止血しなきゃ!」

「俺の止血の前にあいつの確保だ、お前が追え!」

 男が撃った弾丸は松本の左膝を撃ちぬいていた。大腿部の一番太い血管付近ではないが、膝を壊すことは日常生活に支障が出る可能性が大きかった。

「止血は自分でする! 早く行け!」

 松本がもう一度命令するとようやく梶は男を追った。目の前で項垂れている隊員に「止血を手伝ってくれるか」と声をかけて、松本は六条院に通信を入れた。

「こちらA地点松本。負傷者一名のため、救急の手配をお願いします」

『状態は?』

「小型拳銃で膝を撃たれました。現在止血中で、いてえ!」

 松本の悲鳴に六条院の声のトーンが一段低くなった。

『負傷者の名前は?』

「……すみません、負傷者は俺です。負傷までの詳しい経緯は後でお話します」

『わかった。意識があって命に別状がないのだな? 救急の手配をしておく』

「ありがとうございます」

 通信を切ると、先ほどまでほとんど感じていなかった痛みが急に強くなった。おそらく死に至りはしないだろう、と思ったが、痛みに目を開けていることも難しくなった。 倉庫内の喧騒が段々遠くなっていく。集められていた人間は数こそ多かったが、<アンダーライン>隊員たちの敵ではなかったのだろう。

 ――よかった、なんとかなりそうだ。

薄れる意識の中、松本が最後に見たのはまだ少年と言っても差し支えのない隊員が、涙ながらに謝罪をする姿だった。





「……今度こそ、復帰は難しいみたいです」

 六条院が松本からその告白を受けたのは、一斉捜査の日から一週間経ったときのことだった。松本は病室のベッドで身を起こし、じっと窓の外を見つめながら言った。松本にかける言葉を残念ながら六条院は持ち合わせていなかった。松本は六条院に目線を戻すと吊られた足を指さして言う。

「もうちょっと当たり所がよかったらマシだったんですけど、膝のど真ん中だったので日常生活にも少し支障が出るみたいです。リハビリを終えたら幹夫さんのところに戻って過ごそうかと考えています」

「……そうか」

膝の故障は〈アンダーライン〉のような組織に属する人間でなくとも致命的だ。今回の負傷については、松本の身体能力を持ってしても完治には至らないらしい。

「終わりがくるのって案外早いですね」

 前はあんなに終わらせたかったのに、とつぶやく松本が前回の大けが――〝ノライヌ〟事件での負傷だ――から復帰してまだ二年も経っていない。

「わたしも予想だにしていなかった」

「俺もですよ」

 もうちょっと働きたかったな、とつぶやく松本に本当に変わった、と六条院は思った。以前の松本であれば口にしなかっただろう言葉だ。

「ところで、あれから手術と入院で全然経過を聞いていなかったんですけど、一斉捜査の結果、どうなりました?」

「仕事熱心だな。あの場にいた人間は全員逮捕することができたが、残念ながら氷室という男はその中にいなかった。八代に面通しをさせたが、みな違うと言っていた」

「……嘘をついている可能性は?」

「ない。少なくとも今の彼女が嘘をついたところで何も得をしないだろう」

「それもそうか」

 松本は少し疑り深くなっていたことを反省した。続けて訊ねる。

「あと、あいつ、あー……名前が出てこないんですけど、処分は?」

「本来ならば懲戒免職だが……まだ、検討中だ。今は寮での謹慎を命じている。すぐに懲戒免職にするのは、そなたの意向に反するだろうと思ったのでな。どうする?」

「と、訊かれても。そもそもあいつはなぜ情報を漏らすような真似をしたんですか?」

 松本の問いかけに六条院は渋面を作って答える。

「そなたを撃った男だが、その男とは兄弟のように育って、幼いときは随分と世話になったらしい。兄貴分に乞われて断れなかったようだ」

「……」

 今度は松本が考えこむ羽目になった。現場で意識を失う直前に見た、涙ながらの謝罪が頭にこびりついていた。

「……とりあえず、隊にはもう置けないでしょう」

「ああ。そこについてはわたしも同意見だ」

「多久さんに相談してみるのはどうですか」

 松本の意見に六条院はぽんと膝を打った。<アンダーライン>OBであり、現在は飲食店経営者である彼ならば、何かしら働き口をくれるだろう。

「名案だな。今度店に行ったついでに訊ねてみよう」

「天下りって言われないといいんですけどね」

 そう言って松本は小さく笑った。

「話をそなたの今後の処遇に戻すが、リハビリが終わるまでは業務中の災害として、隊から給金も医療費も出る。ここまでは前回と同じだ」

「はい」

「それ以降のことだが、現在副隊長に推薦できる人間がいない。星野教官の家に帰るのは申し訳ないが、もう少し後にしてほしい」

「えっと、俺は構いませんが、いいんですか。現場に出るのは難しくなりますよ?」

「ああ。それは問題ない。現場に出る必要があるときはわたしが出よう」

「え、」

「冗談だ。本当にわたしが出た方がよいときは出るが、副隊長候補として仕込みを考えている隊員を出す」

 雷山のように副隊長としてのOJTを行うつもりだ、という六条院に今度こそ松本は納得した。

「そしてまだ構想段階だが、数年のうちに【住】地区十六番街以降に巡回に出るときの支部を立ち上げたいと思っている。〈アンダーライン〉公認の支部で、物資補給や隊員の休息が取れる場所にしたい」

 六条院の話を松本は黙って聞いていた。

「それが実現したら、管理者としてそなたを指名したい、と考えている」

 突然の提案に松本は戸惑った。六条院は松本の反応を予想していたように笑うと急ぎの話ではない、と言った。

「そなた以前、常仁様から〈アンダーライン〉を辞めることがあれば六条院家で働かないかと言われたであろう?」

「えっ、なんで知ってるんですか⁈ あれ、冗談じゃ?」

「本気だ。噂が常仁様の耳に入る前に先手を打っておきたかった」

「なるほど……じゃあ、考えておきます」

 松本の返事に六条院は満足げに微笑んだ。エゴや身勝手だと言われてもよかった。ただどうしても松本を人の少ない場所に置くことができないだけだった。光の当たる場所で堂々と生きていてほしいと願わざるを得なかった。

「なるべく動けるようにリハビリがんばりますね」

「ああ、また顔を出す」

「あ、あとみんなに差し入れはほどほどで、って伝えてください。ありがたかったんですけど、前回大変だったんで」

 松本の申し入れに、その時のことを思い出して六条院はわずかに笑った。

「わかった。伝えておこう」

 六条院はそう言って、椅子から立ちあがった。

「道中お気をつけて」

「ああ、ありがとう」

 松本に見送られて六条院は病室をあとにした。いつの間にか外はすっかり冬から春に色を変えており、ひらり、と小さな花びらが春の陽光に踊っていた。





「八代さん、これ受け取って」

 八代が保護施設を出て、更生施設に送られる日、見送りにやってきた梶は無理やり名刺を八代に握らせた。くしゃり、と彼女の手の中で名刺は形を変えた。

「受け取れないって言ったよ」

「聞いた。でも受け取って。八代さんも櫻井さんたちと一緒に監視カメラ映像、見てたよね。僕の先輩は今回の件で大けがして隊を辞めるかもしれない」

「……それって私に関係ある?」

 八代にとってはたった一度、自らの境遇を聴取で話しただけの相手だ。梶のように思い入れを持てるわけではない。

「あるよ。今回誰もが八代さんの幸せを願って動いてたんだから。罪を償ったあとまでも暗い影がついて回らないようにするために、あんな大規模な捜査までした」

「でも結局氷室は捕まらなかったじゃない」

 八代は素っ気なく言った。彼を逮捕しなければ、これからも犯罪に巻き込まれる人間は出てくるだろう。

「うん。それは僕たちの宿題。きちんと捕まえるって約束するから、八代さんもきちんと幸せになれる道を考えてほしい。それで、」

 梶は一旦言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。

「いつか、僕にもう一度ピアノ演奏してるところを見せてよ」

 梶のいつになく大きな声に、八代は驚いて目を丸くしたが、徐々にその表情を崩していった。ポロポロとこぼれる涙を手の甲で拭う。

「わかった、いつかね。ちゃんと氷室捕まえるんだよ」

「うん」

 がんばるよ、と言って梶は八代にハンカチを差し出した。アイロンがかかった真っ白なハンカチを受け取って八代は涙をふいた。

「ありがとう、この名刺の人にも連絡してみる」

 八代はそう言って握りしめてくしゃくしゃになってしまった名刺を見せた。

「うん。こちらこそありがとう。いつかまた会おうね。今度は、友達として」

 梶の言葉に八代は何度も頭を縦に振った。ハンカチと名刺を握りしめたまま、彼女は更生施設への送迎車に乗り込んだ。送迎者が見えなくなるまで見送って、梶はふぅ、と小さくため息をついた。

「よかったな」

「うわっ!」

 いつの間にか横にたたずんでいた六条院に声をかけられて梶は驚く。

「隊長いつの間にいらしてたんすか?」

「秘密だ。一つだけそなたの話に訂正をしておこうと思って」

「? 僕の話?」

「松本はこれからもしばらく第三部隊の副隊長を続けるぞ」

 さらり、と言って踵を返す六条院を梶は呆気にとられたまま見ていたが、ふと我に返る。

「最初から聞いてたなら言ってくださいよ!」

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