1-5 終
「よく考えられたもんだな」
志登が急行した現場で逮捕した少年はうなだれていた。工場で廃棄したウエスが自然発火したのだという通報だったが、工場の人間が「普段ウエスの廃棄場所は空気遮断をして、窒素充填をしている。そのため自然発火をしたところで燃焼し続けるなどありえない」と証言したため、故意の可能性が高まり、工場の周囲にいた人間に片端から職質をかけていったところ、猛烈な勢いで逃げ出した少年の逮捕に至った。
ウエスという油の染み込んだ布が空気にさらされると酸化が起きる。酸化に限らず化学反応が起きるときには必ず熱の放出(今回は違うが熱の吸収が起きるときもある)、その熱と反応して発火する。そして、燃焼を補助する酸素があれば燃焼を補助し、大きく燃え上がる──という理屈だ。
「これをお前に入れ知恵したのは誰だ」
「言わねえよ」
すっかり不貞腐れてしまった少年は「言うわけねえだろオッサンばかか?」と付け加え、志登のこめかみには青筋が浮かんだ。その志登の腕を引いたのは梶だった。ちょうど東風と一緒に車両メンテナンスに来ていたところ、火事騒動に巻き込まれたようで、顔が少しだけ煤けていた。
「志登隊長、すみません、話するのこいつに任せてやってくれないっすか」
梶が傍らに控えていた東風を示す。指名ではなく、東風本人からの希望のようだった。東風の入隊の経緯は全隊長の知るところになっており、志登も納得したようだ。
「そうだな。お前以上の適任はいないな、頼む。六条院隊長もそれでいいですね?」
志登の言葉に六条院も首を縦に振った。六条院も東風がどのような経緯で〈アンダーライン〉に入ったのかはよく知っている。忘れるはずもない。松本が第三部隊副隊長になってすぐに関わった事件に関係するのだから。
志登と六条院の許可のもと東風は、地面にあぐらをかいたまま不貞腐れて目を合わせようとしない少年と目線を合わせた。
「これは、オレが昔言ってもらったことの受け売りだから、聞きたくなかったら無視していいよ。でも、こんなことになるってわかってなかった君に、誰かが指示をしたんだとしたら、その誰かはきちんとばつを受けないといけない。君を守るためにも、誰かからの指示があったなら、オレたちに教えて」
「……こうしたら火が点くっていうのは知ってた。俺の家はそうやって工場ごと燃えたから」
自分に年が近い東風の問いかけには、渋々ながら少年は答えた。東風は続けて訊ねる。
「じゃあ、ここでボヤ騒ぎを起こしたのは、どうして?」
「それ、言う必要ある?」
挑戦的な目つきで問い返した少年に東風ははっきりと告げた。
「あるよ。だって現にここで火事が起きて困ってる人がいる。だから、どんな理由があったのかその人たちに言わなきゃだめだ」
東風の言葉に少年はぎゅっとくちびるをかみしめた。
「……帆乃夏が、〈アンダーライン〉隊員の集まる場所に残った人と話をしたいって言うから、俺がこっちで騒ぎを起こして気を引けばいいと思って」
「なるほど」
だから己の起こしたことに対して匿名で消防に通報し、この場に残っていたのだと白状した少年になるほど、とその場の全員が納得しかけ、はたと気がついた。
「志登」
「はい」
「支部の方は松本以外に誰か残っているか?」
「……!」
俺もいなくなったら良くない気がするから残る、と言った松本は既に少年の言う〝帆乃夏〟に気がついていたのだろう。
「今すぐ、カメラを確認してくれ」
「了解です」
志登は慌ててカメラを確認し、画面の向こうの様子に思わず脱力した。
「なに呑気に茶ァしばいてんだあいつ」
「……わたしから連絡しよう」
カメラの向こうでは松本と若い女――〝帆乃夏〟がにこやかに談笑している様子が写っていた。
時間は松本が帆乃夏にココアを淹れたところにまで遡る。温かいものを腹に入れてようやく少し落ち着いたのか、彼女はここまでの経緯をもう少し詳しく話した。
「なるほど。弟くんは優秀なITエンジニアか」
「そう、ずっと助けてもらってた」
「助けて?」
松本の問いに帆乃夏はうなずいた。さらに事情を訊くと、彼女たちの母は身体が弱く、近年はほぼ病院で寝たきりのような状態になっているようだ。その医療費は弟が稼いだ金で賄っているらしい。
「最近、前よりも金払いのいい人からの依頼を受けられるようになった、って言ってたんだけど、なんだかあやしくて、本当に大丈夫なのって訊いたけど答えてくれなかった」
「どういう依頼か、内容は訊いた?」
「訊いたけど、教えてくれなかった。聞いても私にはわからなかったかもしれないけど。でも、」
ひくっ、と小さなしゃくりが入った。
「こうやって、連絡も取れなくなっちゃって、やっぱりあの時に、いくら報酬がよくてもやめてって言えばよかった」
ぼろぼろと涙を零しながら後悔を口にする彼女の背を松本は撫でた。彼女の震えが小さくなってからもう一つだけ教えて、と松本は言った。
「依頼主のこと、弟くんは何か言ってた?」
「特に何も言ってなかったけど、その人のことを〝虚口〟さんって呼んでたことがあった。私が知っているのは、それだけ」
役に立たなくてごめんなさい、と彼女は謝ったが、松本は大丈夫、と言った。
「きっと弟くんがその虚口と関わっていたのは、クラウドソーシングサイトのどこかだろうから、いくらでも名前を変えてくると思う。ただ、まともな仕事の皮をかぶった違法すれすれのことをやらせる人間のことだから、すぐに足がつくはずだ」
「そうかな」
彼女の目はまだ赤かったが、しっかりと意思を宿していた。松本は「〈アンダーライン〉のこと、信じてやって」と笑って彼女を励ました。と、松本の端末が音を立てて着信を告げる。通話の主は六条院だった。そのままゆっくりしていていい、と帆乃夏に前置いて松本は通話に出る。
「もしもし? どうしたんですか?」
珍しいですねこちらに連絡されるのは、と言いかけた言葉は六条院によって遮られた。
『――無事だな?』
「無事ですけど、え? 何かありました?」
松本はちらり、と帆乃夏を見てから六条院にこれまでの状況をざっと説明した。六条院は電話の向こうで黙って話を聞いていたが、聞き終わると『まず、』と口を開いた。その声のトーンに聞き覚えのあった松本は身構えた。叱られる前触れはいつもこうだった。決して声は荒げないが、怒鳴られているのと同じくらいの怖さがある。
『第三者が侵入しているのに気がついた時点できちんとわたしもしくはその場にいる志登に報告。今回はたまたま悪意のない人間だったからよかったものの、そうでなかったらどうするつもりだ。……言いたくはないが、怪我の後遺症があるからといって、その身体の特性まですべて消えてなくなるわけではないだろう』
六条院の言う通り命の危機に際すると、身に危険を及ぼすものをすべて排除しようとする特性までは失われていない。
「申し訳ありません。俺の判断ミスです」
『大事がないため今回は不問にする。迎えをやるゆえ、彼女に準備をさせて待っていろ。一応言っておくが、逮捕ではない。拘置場にいる彼女の弟に会わせる。身の振り方、今後の人生を一緒に考える機会がある方がよいだろう?』
「わかりました」
三十分後に出られるように準備をしておきます、と言って松本は電話を切った。そして帆乃夏に向き直る。不安げに松本を見つめる彼女に微笑みかけた。
「弟くんに会えるよ。ちゃんと話してこれからの人生と、身の振り方を考えてほしいって言うのが、現場からの伝言」
「……考えられるのかな」
母も病に伏し、弟も逮捕をされてしまって、これからどうしよう、と彼女の顔には書いてあった。松本は帆乃夏に言う。
「できるできないじゃなくて、考えるしかない。そのために〈アンダーライン〉も、公共の福祉もある。これからまだ長い間、生きていかないといけないんだから」
できることなら一緒に解決策を考えるし、手伝いもする。必要な支援を受けられるように手も貸す。
「だから、生きるために考えてみて」
まだきっとたくさん楽しいことがあるよ、と言った松本の言葉に彼女は黙って静かにうなずいた。
○
一週間後、松本は支部にやってきた梶、東風、眞島から事の顛末を聞かされた。結局のところ、放火犯と帆乃夏たちは関わりがなく、まったくの別件であったことが判明した。放火犯も数日前に無事に逮捕に至ったようだ。ひと段落ついたな、と思いかけ、松本は首を傾げた。
「ってことは志登さんが言ってた『悪さしてる四人組』の残る二人はまだ捕まってないってこと?」
「そうなるっすね。今回の放火に関わった少年は単純に幼馴染だったあの姉弟をなんとか会わせてやりたかっただけだって言ってましたし」
梶の言葉に眞島が呆れたように言う。
「あの子どもの言うことを信じるのか?」
「信じるしかないじゃないすか。だって起きたこととやったことに矛盾はないですし。反省もしてたじゃないっすか」
手段は間違っていたが、そこにあるのは悪意ではなかった。志登にこそ反抗的だったが、東風と梶に諭されて項垂れていたのがいい証拠だ。最後に「次に困ったらちゃんとこういうところに連絡してね」と東風が支援団体のカードを渡したが、それも素直に受け取っていた。
「大丈夫ですよ、眞島副隊長。あの子、やり方こそ間違ってましたけど、次はきっと間違えずにやります」
「なんでお前がそんなこと言えるんだ」
眞島の言葉に怯みもせずに東風は答える。
「昔のオレに似てるからです。なにがよくてなにがだめなのか、わかってない人間って眞島副隊長の想像以上に多いんです。でも今回オレたちが取返しのつくところで止められた。怪我人、死人も出なかった。やり直すチャンスをあの子たちにあげられたから、きっと次は大丈夫です」
同じ失敗を二度はしませんよ、と言う東風に眞島は黙り込んだ。
「お前……成長したな」
「えへへ。あの時松本副隊長に信じてもらったみたいに、オレもあの子たちを信じてみたいんです」
そう言って笑った東風の頭を松本と梶がくしゃくしゃと撫でまわした。
「なにするんですか、もう!」
「ありがとな」
抗議する東風に松本は礼を言った。彼はきょとん、と松本を見つめ返した。
「? オレ、特に何もしてませんけど」
「お前がここでこうやって働いてくれてることが俺は嬉しい」
〈アンダーライン〉で働く甲斐があるよ、と笑う松本に、東風はにこり、と笑い返した。
「もっと頑張って、梶先輩を追い抜きます」
「後輩のくせに生意気だな」
「目標は高く持った方がいいって隊長も言ってましたし」
如才なく先輩も立てる東風は梶の手を引いて「そろそろ行きましょう」と立ちあがった。指令は入っていないが、彼らが巡回している地域に戻った方がよい時間だった。
「じゃあ、また来ますね。眞島副隊長はどうするんすか? 僕たちと戻りますか?」
梶の問いかけに眞島は「自分で戻る」と答えた。その答えに了解の意を伝えて梶と東風は支部を出て行った。後姿をじっと見送っていた眞島に松本は声をかける。
「あの二人、なにか気になった?」
「……どうして、あの子どもたちの未来を信じられたのかと思いまして」
私なら、多分信じられない。
そう言った彼に松本は「そうだろうね」とあっさり同意した。これは彼の性格の問題ではなく、これまでの経験の差だ。
「シュウ――あ、東風は俺が第三部隊副隊長になって初めての事件で助けて更生施設に送った少年だった。だから、うっかり犯罪に巻き込まれた子どもや、善悪の天秤を捻じ曲げられてしまった子どもたちの未来を信じようとしている」
「……」
「そういう経験をしたことは?」
松本の問いかけに眞島は黙ったままだった。松本はにこり、と微笑んで言う。
「経験がないことが良いとか悪いとかそういうことじゃない。適材適所の話で、眞島副隊長のこれまでの人生が生きる状況だってきっとある」
「そうでしょうか」
疑わしそうに松本を見つめる眞島に松本は言う。
「これは真仁さ、あ、六条院隊長の受け売りだけど、人間は一人一人違うから、きっと誰かを救う日がくる。それが明日なのか、引退直前なのかはわからない。ただ、そのときが目の前に会ったらつかんだ手を放さないようにしてほしい」
その手を放したら、きっと後悔するから。
「後悔したこと、あるんですか」
「ないよ。後悔しないように振舞った結果が今だけど、それでも俺は自分の行いをけして後悔しない」
「……」
「まあ、そんなに重たく考えなくていいよ。これは俺の生き方の話。眞島副隊長の生き方は眞島副隊長で見つけるものだから」
松本は「がんばってね」と付け加えると、立ち上がった。今日は調子もいい日で、すんなりと立ち上がれた。
「あの」
意を決したような声色で眞島は松本に声をかけた。
「ん?」
「これからは、私に敬称をつけず、普通に呼んでもらえますか」
その言葉に松本は驚いたような顔をして「眞島くん?」と呼んだ。
「はい。私にお気遣いいただかなくても、大丈夫です」
「うん。わかった。これからはそうする」
――きっとこの人に監視の目はいらないだろう。
眞島は最初に握った松本の手の感触を思い出しながら、会釈をして支部をあとにした。
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