ピュア・ペネトレイション

朝香トオル

第一話 Reproduction

1-1


 夜、街灯もない田舎道を自動車でひた走る。

 人力運転の自動車が主流だった〈アンダーライン〉においても、ずいぶんと入れ替えが進み、今や大半の自動車が自動運転技術を搭載したものに変わった。

 だが、相変わらず【住】地区二十番街〈ウプシロン〉に向かう道は舗装されずに土がむき出しのままであり、乗り心地はお世辞にもいいとは言えなかった。

「……志登隊長、どこに向かうんですか」

「〈アンダーライン〉の〈ウプシロン〉支部だ」

「〈ウプシロン〉に支部があるんですか?」

 志登は隣に座る男性――眞島薫を一瞥する。

「正確には最近できた。だからこそお前が第三部隊の二人目の副隊長になった」

「……?」

「まだ運用開始から間もないが、いずれお前も関わることだからな」

 着けばわかる、と言って志登はそれきり黙ってしまった。眞島は志登の横顔を盗み見たが、そこから見出せる感情はなかった。

 眞島はナビシステムを確認し、もう少しで目的地に着くことを視認するとシートに背中を預けて目をつむった。


「……ここですか?」

 眞島は自動車を下りて、目の前に建っている民家を眺めた。どこにでもありそうな赤い瓦の古ぼけた民家だ。表札には星野と書かれ、家の中には小さな明かりが灯っていた。

「そう、ここ。役に立つことがあるだろうから覚えておくといい」

 志登はそう言ってためらいなく呼び鈴を押した。中から男の声が答えて玄関に向かう足音がかすかに聞こえた。

「いらっしゃい」

 ガチャ、とためらいなく解錠する音が聞こえ、若い男が顔をのぞかせた。鳶色の髪とハシバミ色の目が印象的な男は志登の姿を見るとにこり、と破顔した。

「お前、警戒心が薄いんだよ。相手も確認しないうちからドアを開けんな」

「え、志登さんの声が聞こえたから開けたのに」

 男は志登からの指摘を軽く受け流し、家の中を手で示した。

「立ち話させるのも悪いから、どうぞ」

「悪いな。すぐに済む予定なのに」

 志登はそう言うと、靴を脱いで家に上がった。眞島にも家に上がるよう促す。二人は男に導かれるまま、家のリビングに通された。

「志登さん……あ、志登隊長から連絡が来たときは何事かと思ったけど」

「敬語禁止」

「いや、今もう志登隊長の方が階級上でしょう。他の隊員にも示しがつかないし、業務中だけでも敬語がいいんじゃないですか」

「いいんだよ。今は業務時間外だ」

 志登の理論に男は苦笑した。

「だんだん、言ってることが稲堂丸元隊長に似てきたな……。ま、いいか。この時間は単純に友人ってことで」

 男が呆れを滲ませた口調で志登に反論したところに、眞島はようやく割り込んだ。

「あの!」

 眞島の声に男は驚いたように視線を向けた。

「志登隊長、私にもわかるように説明をお願いします。まず、支部とはどういう場所で、この方はどなたですか?」

「志登さん、俺もこの状況が飲みこめてないんだけど、彼は何も知らされてないの?」

 男は志登を責めるように見つめた。志登は肩をすくめて言い訳を口にした。

「急な人事でな。百聞は一見に如かずを実施した方が早いと思って連れてきた」

 男は志登の言葉にやれやれ、と深いため息をつき、眞島に向き直ると、説明を始めた。

「まず一つ目の質問から。ここは【住】地区二十番街〈ウプシロン〉にある〈アンダーライン〉の隊員が利用できる拠点で、【中枢】地区から距離のある場所へ捜査へいくときの休憩地点や物資補給地点として六条院隊長が設置した場所だ。現在は試運転中。次に二つ目、俺はそこの管理人と第三部隊の副隊長を兼任している松本山次。以上、他に質問は?」

「いろいろありますが、後にしておきます」

 眞島は返事をする。ひとまず場所と男――松本がどういう存在であるかが明かされたことでこの場所への不信感はやや薄らいだ。

「じゃあ、次は俺が訊こうかな。志登さんも君の名前までは教えてくれなかったし」

「……悪かったよ。さっきも言ったが急な人事だったんだよ」

 松本は志登の言い訳を無視して、眞島に向き合う。

「所属と階級と名前を教えて」

 端的に告げられた言葉に眞島は姿勢を正して答えた。

「――〈アンダーライン〉第三部隊副隊長の眞島薫です」

 その回答に松本は目を細めた。柔和な印象を与える顔立ちが途端に鋭くなる。

「なるほど、急な人事だな。これは六条院隊長の采配が絡んでる?」

「半分な。半分は別のところからきた采配だ。だからお前への伝達も遅くなった」

「なるほど。そうだろうとは思ってたけどこうもあからさまだといっそ笑えるな」

 松本の発言の意味が眞島にはわからなかった。だが、松本は眞島をじっと見つめた。その顔は「質問はあるか」と語っており、眞島は一番彼が訊かれたくないだろう言葉を直截に投げつけることにした。

「〝六条院はノライヌを飼っている。これを見張っていろ〟――これは、私が〈中央議会所〉から〈アンダーライン〉に派遣される際に投げかけられた言葉です。これがどういう意味か、教えていただけますか」

 ピシ、とその場の空気が凍る音が聞こえた。ややあって松本が口を開く。

「…………まったく、悪趣味なことを吹き込む人間ってのはどこにでもいるな」

 松本はそう言うと、椅子から立ちあがりかけ――よろめいて思わずテーブルに手をついた。

「おい、大丈夫か」

「あー、ごめん。急に立とうとするとだめだな」

 松本はテーブルを支えにして立ちあがった。

「話も長くなりそうだし、二人とも、珈琲でいい?」

 問いかけに志登が「ああ」と答えると、松本はにこり、と笑って台所へと向かった。右足の進みに対してやや遅れて左足が追い付く。そんな非対称の足取りを眞島はじっと見つめていた。


 数分して松本はお盆に三つのカップを乗せて戻ってきた。二つには珈琲が淹れられ、もう一つは松本専用のほうじ茶だった。

 どうぞ、と言って松本は二人の前にカップを置く。自分も椅子に座った。

「じゃあ、まず志登さんの用事から、俺に見てほしいものがあるって言ってたのは?」

「これ、見てくれるか」

 志登は松本の手のひらにチャック付クリアパックに入った指輪を置いた。松本は眉をひそめてそれを見た。指輪は真っ黒になっていた。

「志登さん、銀の指輪をして温泉街行ったの? 元岡さんが泣くよ」

「いや、違う。これは俺のじゃないし、とある事件の証拠品として押収したのはいいが、誰のものか、どこで落とされたものかもわからなくて困ってるんだよ」

「科技研の成分分析は?」

「したけどあの辺一体は似たり寄ったりでお手上げだ。だから、お前のところに持ってきた」

 なんかわかることないか? と丸投げの志登に苦笑を返しつつ、松本はチャックを開けてもいいかと訊ねた。

「ああ、好きにしてくれ」

「わかった」

 松本はクリアパックに鼻を近づけくんくん、とニオイを嗅いで盛大に顔をしかめた。

「……お前には刺激が強かったか」

 目にうっすらと涙を浮かべる松本を心配して志登が言うが、松本は首を横に振った。

「いや、大丈夫。志登さん、これ押収してからどれくらいたった?」

「二日ってところだな」

「二日経ってもこのニオイか……。これは推測になるから違っても文句を言わないでほしいけど、多分【住】地区十七番街〈ロー〉にある硫黄泉のどこかで、かつかなり酸性度が高いところだと思う。そうじゃなきゃ、この状態になってまで目に沁みたりしないはずだから」

 松本はそう言って丁寧にチャックを閉めると、クリアパックを志登に返した。

「相変わらずすげえな」

「これ以上は役に立てないけど。〈ロー〉も俺にとってはしんどい場所だから」

 常人の倍以上は五感が鋭い松本にとっては硫黄泉の周りの独特のニオイは避けたいものの上位に位置する。

「あくまで俺の意見は〝参考〟として扱ってほしい。数値には表れない感覚だから」

「わかった」

 松本は刺激が強い香りをいきなり鼻に入れてしまったのを癒すように、自分のカップの中身の香りを吸い込んだ。そのまま一口茶を飲み、ふうと息を吐きだす。

「……眞島副隊長の質問に答える前に俺から一つ訊いていい?」

「なんだ?」

「なんで志登さんがわざわざ第三部隊の副隊長連れてきたの? 隊長は?」

 松本の疑問に志登は「えっ」と驚いたような声を上げた。

「六条院隊長は実家。お兄さんの結婚式だって言って数日休み取っていったけど……逆になんでお前が知らないんだよ。業務連絡……はもちろんだけど、パートナー契約もしてるだろ」

「一応してるけど、合意があった上でのビジネス契約だから、お互いに言わないこともたくさんあるよ。特に今回のことはお互いに知らなかった言わなかったで正解」

 そのやりとりに思わず眞島は「パートナー契約?」と口からこぼした。松本は首を縦に振る。

「多分、眞島副隊長が訊いた言葉の〝飼っている〟はこれだろうな。俺と六条院隊長は一応法的に認定されたパートナーだよ」

 都市国家〈ヤシヲ〉においてはパートナーシップ制度を導入しており、同性間、異性間を問わず婚姻関係を結ぶことができる。二年前に身元保証人であった星野を亡くした松本にどうにかして監視の目をつけておきたい、という〈中央議会所〉からの通達に対しなんとかひねり出した答えが〝六条院とのパートナーシップ契約〟だった。六条院自身が、六条院家からの制約により自らの意思での女性とのパートナーシップ契約ができないこともあり、双方はこの提案を受け入れて今に至る。

「……ひどい話だよな。お前が〈アンダーライン〉できちんと働いていることも知ってるはずなのに」

 監視みたいなことを大っぴらにさせて、と憤る志登は、松本が〝ノライヌ〟事件に関わったあとも変わらずに接してくれる人物だ。

「いいんだよ。志登さん、俺たちのために怒ってくれなくても」

 この件については、当事者の松本と六条院よりも周囲の方が大いに反対した。だが、当事者二人が揃って「これでいい」と言い切ったために、沈黙せざるを得なくなった。

「俺も、六条院隊長も、誰かと生きるってことに縁がないと思ってたから、多分志登さんたちが思ってる以上に、俺たちは満足してる」

 まだ何か言いたそうにしている志登を放って、松本は眞島に目を向ける。

「あとは、ああ、〝ノライヌ〟って単語の解説しておかないとわからないか」

「それこそお前がする必要ないだろうが!」

 志登の大声に眞島は思わず目を見開いて隣を見た。志登は松本に「口挟むなよ」と念を押したうえで、眞島の方に向き直った。

「いいか、世の中には言わせていいことと悪いことがある。お前が訊いたのはそういう類のことで、こいつに言わせちゃいけないんだよ」

「……志登さん」

 松本は静かに志登の名を呼んだ。

「彼、〈中央議会所〉から〈アンダーライン〉に派遣されたって言ってたっけ」

「ああ」

「じゃあ、やっぱり俺のことも知っておかないとだめだ。眞島副隊長、五年前に起きた〝ノライヌ〟事件って知ってる?」

 松本が問いかけると、眞島は首を縦に振った。

「はい。禁忌に指定されている人体強化実験に晒された……その、いわゆる〈欠陥品〉と呼ばれたひとたちが起こした事件ですね。現在は四体とも特別隔離施設にて服役中と聞いています」

「じゃあ、その事件の解決手法は知ってる?」

 眞島は今度は首を横に振った。五年前は、眞島が〈ヤシヲ〉の中央大学を卒業して〈中央議会所〉に入ったばかりの年だった。

「なるほど、このあたりは伏せられてるのか」

 一人納得する松本に志登が口をはさむ。

「そりゃそうだろ。あれだけお前らが好き勝手して組織全体が動いたんだ」

「それもそうか。ああ、平たく言うと、俺が単身で乗り込んで〈欠陥品〉を制圧した。――俺はその禁忌指定の人体強化実験の〈成功例〉だから」

 松本の特異性は常人よりも優れた五感と回復機能、そして抗老化と長寿命化である。人体の老化を防いで機能を向上させる、という実験の〈成功例〉である彼は、ヒトと大きく異なる体質を持つが、遺伝子はヒトと同様のものである。逆に〈欠陥品〉と呼ばれる理由はヒトと認識される遺伝子を持たない、という一点に尽きる。

「……」

 松本の言葉に眞島は黙り込んだ。にわかには信じがたい話だったが、先ほどの志登とのやり取りを見ていたため、頭ごなしに否定もできなかった。

「まあ、今では怪我で半分くらい〈アンダーライン〉も引退してるただの人間なんだけどな。どうも〈中央議会所〉は俺がよからぬ企てをするのではないかと疑いたいみたいだ」

 そんな実行力ねえよ、と松本は半ば自棄気味に言った。

「とはいえ、眞島副隊長は仕事として俺と六条院隊長の動向をある程度監視しないといけないわけだろうし、ここの管理人の役割もたまにするのかな?」

「一応、そういう話になっていますが」

「そっかそっか。それは心強い」

 松本はそう言ってにこり、と眞島に向けて笑いかけた。屈託のない笑みに、見ている眞島の方が毒気を抜かれる。

「そもそもここは〈アンダーライン〉の支部だから、誰がいつどんな用事で来てもいい場所だ。そしてここの管理を任される俺たちは時には隊長クラスの判断を求められる」

「はい」

「覚えていてほしいことはこれだけ。あとはやりながら要領をつかんでほしい」

「わかりました」

 眞島の返事に松本は満足げにうなずいた。そして、思い出したように告げる。

「ここを使う上で変わっている習慣は一つだけ。来る人は必ず一つ情報を置いて帰る」

「情報?」

「なんでもいい。食堂の味が変わったとか、トイレが詰まるとか。そういう些末に見える情報の一つ一つが意外と活きてくる」

「はあ、わかりました」

 なんだか釈然としない、と眞島が思っていると、松本は一冊のノートを取り出した。何度も開かれた形跡があり、これに書き込むなんて随分と前時代的だな、と思う。

「電子データはいくらでも改ざんできるから、俺のところではこれ」

 次来たときからは、これの中身の確認もよろしく、と言って松本は眞島に手を差し出した。その手を恐る恐る握れば松本はきゅっ、と力を込めて握った。なんの変哲もない、ただの人間だ、と眞島は思った。

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