尊いチャクラに魅せられて
ヤックル
プロローグ
第1話 日本に別れを
「木下くん、申し訳ないんだけど、君、明日から来なくていいから。」
俺の人生を変えた一言だ。毎日毎日、無理難題を押し付けてくる会社で、なんとか睡眠時間を削ってでもこなし続けていたのに……。
ある日、我慢の限界を迎えて上司に反論した結果がさっきの言葉だ。
唖然としたし、なんだか情けなくなった。少しだけ、話し合いになって喧々諤々しながらも今より良い環境になるのでは、と思っていたから。
「……分かりました。今まであまりお世話にならなかったですけど、ありがとうございました。」
喚き散らしたい感情を抑え込み俺は頭を下げて会社から去った。
大学を卒業してから何年この会社に勤めたんだろう。
15年か……。
なんか無駄に過ごしてしまったなぁ。
これなら中学時代からの夢だったチベットに移住しておけば良かった。
古くボロボロになった、安いというだけが取り柄のアパートに向かいながら、今までの人生を振り返った。
中学時代、秘境ブームが訪れて、人類初! とか、テレビが初めて入った! とか、そんな番組が多くやっていた頃。
とある国のとある人々にテレビ越しで出会った。
あまりの純粋さ、美しさ、懐かしさから自然に涙が溢れて母親に心配された記憶がある。
そう、さっき出てきたチベットだ。
ただただ美しかった。
風景も人も考え方も。
その中でも宗教観、というか死生観にものすごく惹かれて、その後はチベット関係の本やDVDを買い漁っていった。
初めて買った本は『チベット 死者の書』だった。
簡単にいうと死んだ人の耳元で、四十九日間かけて枕経を読み、その魂を輪廻から解き放ち解脱させる、その枕経のことを『死者の書』というのだ。
「ただいま……。」
誰もいない家に帰り、さっとシャワーを浴びてビールを片手にベットに座る。
チベットについて考えていると、自然に先ほどまでの怒りが弱まっていることに気づく。
「ははは……。やっぱり俺にはチベットしかないか……。」
大学時代、それまで真剣に打ち込んでいたテニスを引退してからチベットへ旅行した。
あまり金も時間もなかったから一週間だけの小旅行。
しかし、俺には最高の時間だった。
同年代の修行僧、ヤムリに出会えたのも大きい。
ただ、チベットの空気を吸って、向こうの人たちと同じものを食べ、少し会話をする事で満足してた当時の俺に、さらにチベット愛を深まらせてくれたのが、ヤムリだった。
あの頃、彼はまだ二十代に入ったばかり。
しかし、何か強い意志を感じる、綺麗な目をした青年だった。
彼との会話を振り返る。
あの時はあまり重要だとは思わなかったけど、今思うとかなり大事な事なのではないか、そう思うから。
「旅行で来てるのかい?」
綺麗な目をした僧侶の格好をした青年に声をかけられる。
「あ、はい! 日本という国から来ました! とてもいい体験をしています!」
俺は第二外国語で覚えた拙い中国語で答えた。
「英語で構わないよ。海外の方は英語の方が得意だろ? 」
そうヤムリが流暢な英語で答えてくれる。
考えれば初めの言葉も英語だったな。
「それよりどうしてチベットに来たんだい? やはり景観かな? 大いなる山々に囲まれているからね。素晴らしい景色だろう? 」
「はい! もちろん景色も楽しみに来ました! しかし、それより皆さんの考え方や暮らし方、宗教観にふれあいに来たという感じです。」
中国語より英語の方が楽なので、俺は会話を楽しむことができた。
「考え方、宗教観か……。ありがたいね。僕たちは仏教の輪廻が生活に常に関わってきているからね。しっかり感じて日本に帰ってほしいよ。」
「輪廻ですか……。素敵ですよね! その人の徳が来世に繋がるなんて。すごくいい時間をここで過ごせました! まぁ明日には帰らなきゃ行けないんですが……。」
「そうか……。時間があれば僕たちの生活も見せたかったな。」
「生活? 」
「ああ。僕たちはね、日々チャクラにオーラを溜めてるんだ。チャクラ、オーラは分かるかな? 」
「なんとなくですが……。それを溜めるとどうなるんですか?」
「チャクラが解放される。されると輪廻の輪から外れ解脱が出来ると言われている。」
「じゃあその為に毎日?」
「そうだ。もう十年は経つかな。まだまだ解放への取っ掛かりにも立ててないがな。」
これがヤムリとの会話の全容。この時はなんの話なのか全く理解できなかったが、今思うとすごく大事な事だったんじゃないかって思える。
……よし! 行こう! チベットへ!
もう日本には未練は無い。
貯金も殆ど無いが、行くくらいなら出来る。
行こう、チベットへ……。
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