驕る天上人は、やがて衣服垢穢となりて朽ちるなり

秋澤がここ一ヶ月ほど休学していて、連絡がとれない、と不安を隠せず奇妙に歪んだ表情を浮かべてそう言った夏野を、神崎、春宮、冬木は無言で見返した。

狭苦しい部室で、今日も今日とて何をするわけでもなく、実りのない会話をしていた時のことである。

「どこか遠いところにでも、旅に出かけたんじゃないですか?」

帰りの支度を終えて、部室の出入口付近で夏野の暗い顔を眺めていた後輩が、茶化すようにそう言った。しかし、春宮と冬木はおろか、夏野まで彼を黙殺したので、仕方なく神崎は「真面目な話してるからさ」と笑って、後輩に退出するよう促した。後輩は肩をすくめると、神崎だけに手を振って挨拶もなしに出ていった。

これは今此処にはいない秋澤にも通ずることだが、夏野たち四人はエスカレーター式で幼稚園から大学まで進学してきたためか、はたまた財力と権力のある格式高い家の生まれのためか、外部からきた学生とは余程のことがなければ話すことはない。もちろん、他の内部生全てがそうであるわけでもなく、概ね内部生は浮世離れしたところも多々あるが、多くは品性があり育ちもよく、温厚で親切な人間が大半だ。しかし、中には夏野たちのように外部生を見下す者も存在する。秋澤はその筆頭で、外部生に暴虐を行う様は既に大学内で有名な噂になっている。春宮は外部の女生徒に、冬木は己より格下と認めた外部生にその傾向が強く、夏野は四人の中で尤も親和的であるが、やはり滅多に外部生とは話そうとしない。その為、部活内でもこの四人は嫌われ、遠ざけられ、煙たがられていた。神崎は、裏でひっそりと己が猛獣係と名付けられていることを知っている。

「先輩方、誰も何も聞いてないんすか?」

不気味なほど沈黙を貫く三人を不思議そうに見回した神崎がそう訊ねると、夏野の表情にさっと緊張の色が走った。春宮はきょときょと落ち着きなく辺りへ視線をあちこち飛ばしている。冬木だけは平常と変わらぬ鉄仮面ぶりであったが、頬は青白く涼やかな瞳はひきつっていた。明らかになにかあったらしい三人の様子に焦れた神崎が、「夏野先輩、秋澤先輩になにかあったんですか」と強い口調で再度問いかけると、夏野は漸く重たく閉ざされた唇を開けた。

「……秋澤が休学届けを出した日あたりに、僕のところにURL付きのメッセージが届いた」

「URL? 何の?」

「送り主は秋澤だったから、てっきりあの意味不明な動画……。あれについて、何か分かったのかもしれないと思って、開いてみたんだ」

神崎は素早く女二人の顔を盗み見た。秋澤から送られてきたURL付きメッセージの話が出た途端、春宮と冬木の顔色が明らかに変化した。三人は、URLのリンク先を確実に見ている。そしてそこには、何か恐ろしい内容が記載されているに違いなかった。

「見せてください」と神崎が申し出ると、夏野は少し躊躇った。「かなりショッキングな映像だった」と付け加える。神崎はその言葉を受けて確信した。十中八九、『まじないマリオネット』なるあの不気味な動画に関連する内容である。しかし、それにしては三人の様子がおかしいことが、神崎は気になった。彼らの顔色は、おぞましく忌まわしい何かを見てしまったかのように、一様に青ざめて言葉も少なかった。夏野たちは、一体何を見てしまったのだろうか……。

あの日のようにテレビ画面に繋げて観るのは絶対に嫌だ、と春宮が声高に主張したため、神崎は夏野のスマートフォンからその動画を見ることになった。

「気分が悪くなったり、どうしても見れなくなったら、途中で止めるから」

夏野は蒼白い顔色のまま、言葉少なげにそう言った。神崎は頷く。彼の両隣では、春宮と冬木が怯えたような顔つきで、二人を見比べていた。

そして、漸く夏野が再生ボタンを押した。


■■■


再生が開始されると、まず最初に映ったのは秋澤であった。

秋澤の顔は此方に向いておらず、恐らくこの映像は彼の預かり知らぬところーーつまり、盗撮されているのであろうことが、神崎には直ぐ様伝わった。

秋澤はぶつぶつぶつぶつと小さな早口で何か呟きながら、二本の棒のようなモノに跨がって、ざくざくと鋭い刃物で切りつけている。粗い解像度の映像からでも判別できるほど刃渡りの長い刃物と、べちゃべちゃと飛び散る血、時折カメラの位置が変化して、鬼気迫る秋澤の横顔と、床に転がる棒のようなーー一人の人間の死体が映し出される。神崎の傍らに座っていた春宮が、キャーッと悲鳴を上げて、両手で顔を覆った。夏野の顔色は真っ青で、表情があまり出ない冬木の額にさえ、脂汗が滲んでいた。

この、送り主不明の謎の映像は、秋澤が誰かを殺害しているものだったのである。

死体の顔は元の形を判別出来ぬほど切り刻まれており、秋澤がナイフを振り上げては下ろすたびに、びく、びく、とリズミカルに揺れているのが、不気味でありつつも、どこか滑稽だった。

恐れ戦く先輩三人を他所に、神崎は耳をすませて、秋澤が何を言っているのか聞き取ろうとした。しかし、死体を毀損する音があまりに大きく、秋澤の声をかき消してしまうため、中々彼の口から溢れる言葉の端々を捉えることが出来なかった。

そして、漸く神崎がその意味を理解した時、場面は転換して、さらに狂態を帯びながら意味不明になっていく。

秋澤が何度も繰り返しながら小さく「畜生、何度殺しても生き返る」と言っているのだと気がついた神崎の視界で、死体の腕がにゅうっと伸びた。

それは存外力強く、秋澤の右手首を掴みとると、そのまま赤子の手をひねるがごとく、彼の骨をぼっきりと折った。秋澤の絶叫、カメラのブレ、血溜まり、死体の肉の破片、何もかもがめちゃくちゃになる中、カメラの視点は何故か動き出した死体の顔に向けられた。

それは誰もが思わず目を背けたくなるほど、そして一度目にしてしまえば長い間食事が喉を通らず、昼夜問わずに悪夢に魘されるであろう、グロテスクな花畑であった。切り刻まれたために皮膚が破け、内側の肉がべろりと花弁のようにめくれ上がったその顔は、ところどころ骨が透けて見えた。眼球は零れ落ち、鼻が削げ、頬骨がうっすらと赤く色づいているのが、見るもの全てにひどく気味の悪い思いを抱かせた。

唐突に、何故か起き上がった死体の年齢は判別不能であった。性別は残った肉体から察するに、辛うじて線の細い男性であろうことが分かるが、それも確かではない。血が滴り落ちることによってまだらの赤に染められた白い髪の毛から、老人を思い起こさせるが、その割には秋澤を掴む手の甲は若々しくすべらかなものである。

そうやって、夏野たちが顔を俯かせたり目をつむったりしてやり過ごす中、神崎だけがまじまじと奇怪な死体を観察していた。

すると、更にこの後不可解で奇妙な、不可思議でしかない現象を、神崎は目撃することとなる。

最初は何に対する違和感なのか、判断がつかなかった。

しかし、神崎が死体の『顔』に異常があることに気づいた時には、既に『再生』があらかた完了していたのである。

つまり、グロテスクな肉の花を咲かせていた顔が、みるみるうちにーーそれこそ、逆再生でもしているかのようにーー元通りに復元していったのだ。

削られた肉がぶくぶくと盛り上がり、剥けた皮膚が繋ぎ合わされ、目が、鼻が、唇が、瞼が、眉が、髪が、どんどん元の形に作られていく。

神崎は思わず、ゾーッと背筋を震わせた。本能的に、この定点カメラに記録された動画が本物であり、【ひっきょう】、これに映し出されている謎の死体だったモノが人間では到底有り得ないことを、知ってしまったためである。

「何だ、これ」

夏野が呆然と呟いた。

「僕たちが見たとき、こんな映像はなかった……」

いつの間にか視線を逸らしていた冬木も、春宮も、食い入るように奇妙で奇怪な死体だったモノを、見つめている。

固唾を飲んで見守る一同を他所に、秋澤に殺されていた筈のナニカは、顔面の再生の途中で何処から取り出したのか、顔をすっぽりと覆い隠してしまう仮面をそのまま取り付けた。

そのため、彼……或いは彼女がどのような顔なのか、冬木と春宮が見ることは叶わず、夏野もまた最後まで能わなかった。

そして、仮面を取り付けたナニカがゆっくりと俯けていた面を上げる。カメラの視点がまた変わり、秋澤の恐怖と苦痛に歪んだ表情が、くっきりと映し出される。

白髪の人の形をしたナニカは、獅子の顔で再生している本来のそれを隠していた。

カメラの視点が、仮面の獅子へと据えられる。神崎はよくよく観察してから、それは一見獅子に見えるが、要素として他の動物が入り雑じっていることに気がついた。

仮面全体は獅子の顔を象り、その面には羽毛を敷き詰めるようにして貼られている。また、厳めしく縁取られた目を模する穴は丸く大きく、夜闇の中獲物を見定める梟のように、神崎は感じ取れた。一方、鼻は無く、代わりに黒々としたペンギンの嘴のような口輪が取り付けられており、その端には孔雀の羽が左右に付属している。仮面の回りは流石に獅子らしく鬣がふさふさと生えていたが、耳は鋭く尖っており、蝙蝠を連想させた。

それらを一心不乱に網膜に焼き付けていた神崎は、ふと、獅子の背後から長い影が五つ伸びたことに気がついた。

大小様々な姿形をした影もまた、仮面をぴったりと付けており、誰がどのような顔をしているのか、判別は不可能であった。

それは画面内の秋澤もであったのだろう。恐怖と混乱、痛みによるものか、錯乱した様子で頻りに何か喚き散らしては身をよじらせ逃げようとしているが、蘇生したナニカである獅子によって容赦なく腹を繰り上げられたことにより、己の吐瀉物で口を封じられている。

神崎は小さく震える秋澤から一旦視線を外すと、一人一人、何処からともなく現れたーー恐らく獅子の仲間であろうーー彼らを、観察する。

神崎から見て左側から、糊のきいた中背中肉のスーツの男、大学生風の痩せた男、ロリータ服を身にまとった幼い子ども、セーラー服を着た少女、大柄で筋肉質な男が、鹿爪らしく並んでいる。

各々、皆、獅子と同じように仮面を被っており、素顔は見えない。猿、蛇、狐、豚、熊によく似たーーしかし、細部をよくよく観察すると決定的に何かが異なるーー仮面から虚ろに覗く視線の光は、人間味を全く感じ取ることが出来なかった。彼らの秋澤を見下す視線には、色もなければ温度もない。そこには何もない。地を這う虫を、転がる石ころを、動かぬ骸を眺めているような、或いはその何れでもないような不気味な瞳を、しかと秋澤へ向け続けている。

秋澤がほうほうの体で獅子たちから逃げ出そうともがいた。しかし、制服の猿が大きく脚を上げて、秋澤の背骨を砕くがごとく踏みしめたので、その目論見は失敗に終わった。

秋澤の、弱い獣が捕食者に襲われたような、長く悲痛な悲鳴が響き渡る。猿面は秋澤の背中に馬乗りになると、制服のポケットから取り出したタオルで手際よく秋澤の口を覆った。悲鳴がくぐもる。すると、蛇、狐、熊、豚の面を被った人影が、次々と秋澤へ群がった。まるで鳥葬のように、秋澤の肉を、骨を生きたまま啄むがごとく、手足を押さえ付けては開かせて、結束バンドで近くにあった鉄パイプに縛り付けていく。そして、あっという間にまな板に転がされた魚のように、秋澤ば大の字になって惨たらしく床に縫い止められていた。まるで虫の標本のようだった。虫と異なるのは、縫い付けられて固定された秋澤が、まだ生きているという点である。

獅子の面が、必死に暴れる男の上に跨がると、秋澤の恐怖は最高潮に達したようで、悲鳴と呻き声が一際大きくなる。それも無理はないだろう、と神崎は思った。

獅子は巨大なチェーンソーを携えていた。

骨のような生白い人差し指がスターターに掛かると、ブォンブォンブォンとチェーンソーが嬉しそうに唸る。獲物を目にした肉食獣のごとく、涎を垂らして大きく嘶いたチェーンソーの振動が、空気をぶるぶると震わせている。

獅子の面は静かな動作で舌なめずりをするチェーンソーの刃を、ぴたりと秋澤の右手首の付け根に当てた。

秋澤が絶叫する。神崎の周りで映像に釘付けになっている三人は、苦悶と恐怖、そして怒りに歪んでいた。

「ひどい」と、春宮は涙混じりの声で、小さく呟いた。「どうして、こんなことするの」

神崎は春宮へ向けていた視線を画面へ戻した。彼女の頬は、とめどなく溢れる涙に濡れて光っていた。

動画は、いつの間にかチェーンソーの振動音も、秋澤の悲痛な絶叫も、何もかもが消え失せていた。代わりに、軽快で小気味良い音楽にとって変わられており、それがまた視聴する人間や逃げることすら叶わない磔にされた秋澤を心底嘲っているような、不快とおぞましさを感じとることができるものだった。

秋澤は生きたまま解体されていった。手首から始まり、腕を二等分、足首、膝下、太股、胴体を二等分にされる頃には、とうに秋澤は絶命していた。それでも解体作業が止められることはなく、首を切断して漸くチェーンソーは血にまみれた涎を垂らすことを止めた。獅子の仮面を身につけた人物は、全身に血を滴らせながら、九つに分けられた秋澤の遺体を寒々しく見下ろしていた。

すると、そこでまた場面が切り替わる。神崎は最初に映った映像を目にした瞬間、うっと口を押さえた。脳がその映像を処理することを拒んだ。春宮がつんざく悲鳴をあげる。冬木の顔は恐怖でひきつり、夏野は愕然とした様子で、喉に何か詰まったような声をもらした。

それはナニカが椅子に座っている映像であった。

神崎は最初、それが何なのかさっぱり分からなかった。

しかし、徐々にズームされていくカメラの解像度が上がっていくに従って、椅子に座らされているナニカの正体を理解し、真一文字に引き結んでいた唇が弛んでいった。

それは一人の成人男性だったモノーーつまり、秋澤の遺体であった。

しかし、秋澤の遺体らしきモノは、奇妙で残酷で愚弄された、世にも恐ろしき様となって、神崎たちの眼前に晒されていたのである。

まず、秋澤は手足の位置が全て逆さまに配置され、捌かれた時に掻き出されたであろう腸で切断面を無理やり結ばれていた。

足首の位置に手首を、太股の位置に腕から二の腕の部分を、真っ二つに切断された胴体は腹部と胸部をそれぞれ逆さに反転させられている。

彼だったモノは、全身を血染めにされたためか、血が滴り落ちて床に赤黒い水溜まりを作っていた。

そして、恐怖と憎悪でぐちゃぐちゃに歪められた秋澤の首はというと、股の間に乗せられており、代わりに頭があった位置には山羊らしきそれが乗せられていた。神崎が山羊の頭であると断定できなかったのは、形こそ山羊であったものの、耳は兎のように長く伸びており、毛並みは鶏のような羽毛、さらに巻かれた大きな角には蝎の鋏の部分が、ピアスのようにくくりつけられていたからであった。

凡そ常人がーー否、人間が行うものではなかった。狂人ですら些か手心を加えるであろう死体の愚弄を、秋澤で行った人物たちからは一切合切感じ取れなかった。徹底的に人間らしい感情を殺して、秋澤の尊厳を破壊たらしめたその行為。おぞましき殺人方法に、神崎は心の底から震えた。

秋澤の死体損壊映像はまだ続いていた。その後ろからぬっと現れた、あの獅子の面を被った人物が、暫しの間秋澤を見下ろしたのち、カメラの方へゆったりとした足取りで近づいてくる。そして、映像が少し乱れると、白い絹糸のようなものが画面上から垂れ下がり、それがまた乱れると、次にパッと夜闇に翳る満月のような色が画面いっぱいに映りこんだ。

それが瞳孔を拡大してーーつまり、カメラのギリギリの位置まで近づけた瞳であることに気づいた瞬間、今度こそ映像は途切れて再生が終了した。

夏野、冬木、春宮が、死体よりも蒼白い顔でお互いを見回しているのを端から眺めたのち、神崎は黒曜石のように滑らかなスマートフォンの画面に映る、自身の顔を静かに見下ろしていた。

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