8 夏の始まり
思い出せばあの日は、夏の始まりの季節だった気がする。二人並んで、湖のそばに座り、エメラルドグリーンの透明な水の中で、泳ぐ魚をひたすら眺めていた。
「わあぁ〜! おっきい魚きたっ!」
ひと回り大きな魚の影を見て、魚が逃げないよう声を潜めて、オレの腕にポンポンと軽く触れる。
水面に反射する陽の光をそのまま瞳に映し、眩いばかりの笑顔を浮かべる姿は、可愛らしかった。
「アネラ、•••オレ、魔力をコントロールする練習をしようと思う。一緒にやってもいいか?」
肩にギュッと力が入り、何となく目の前の湖から目が離せず、唇を引き結ぶ。
初めてあんなにも強く、自分から何かをしたいと望んだ。
(でも、本当に出来る?? 果たして自分に•••? また誰かを傷つけてしまったら?? やっぱりやめようか??)
いろんな事が頭によぎった。
「もちろんだよっ•••!」と、弾けるような声に誘われ、視線を向けると、本当に嬉しそうに、顔が崩れるのも構わず、ふにゃりと笑っている。目の前の少女の笑顔を見ただけで、頭の中であれこれ考えていたことは、いとも容易く霧散してしまう。
その笑顔に勇気づけられるように、オレはポツリポツリと、自分の魔力がアネラを傷つける可能性について話す。
「ただ••••オレはまだ自分の魔力をうまく使えないっ。近くにいる人を傷つけてしまう•••かも•••。だから、練習は、湖の向こうで離れて•••やらないとダメだと思う。」
大丈夫だと思うのに、心臓がバクバクと大きな音を立て、呼吸も苦しくなる。自分の感情がジェットコースターのように変わっていく。
アネラは特に怖がる様子も見せず、無邪気に一緒に練習できることを、声を弾ませ喜んでくれた。
「いっしょにれんしゅうできるねっ!! 」と、手を叩いて喜び、ニコッと笑う。柔らかそうな葡萄色の髪が、サラサラと肩から背中へと落ちていく。
湖は向こう岸まで、ゆうに50mはあっただろう。木は殆どないから見晴らしは良かったし、あれだけ離れていれば、当時の自分の魔力なら万が一の時でもアネラを傷つける心配はなかった。
魔力を放出するには、「感情」と「意図」が大切だ。オレは父に大火傷を負わした事件以来、意識的に感情を殺し、魔力を使う意図を封印してきた。
万が一にもアネラを傷つけないように、その日以降、薄暗い自分の部屋の中でも、練習をするようになった。それこそ人が変わったように、出された食事も体力をつけるため、しっかりとるようにした。
最初のうちは、緊張し、「ほんの少し、ほんの少し•••。」と自分に言い聞かせながら、魔力を放出する意図を持ち試してみるが、とんでもないところにとんでもない魔力が放出されてしまう••。
その度に、「やっぱりこんなことやらなければ良かった? 」「やっぱりムリだ••。」と、何度も同じ考えが浮かんでくる。
けれど「失敗」して次を試すのが怖くなり、膝を抱えてしまうと、必ずと言っていいほど、アネラがわざわざ対岸にいるオレの隣まで来て、「だから、れんしゅうするんでしょ? だいじょうぶだよ!」と、小さな手でオレの冷たくなった手を握る。
「あぶないよ。」と、本当は嬉しいのに、遠ざけてしまうような言葉を吐くオレに、大きなブラウンの瞳をパチクリしながら、「それなら、その時にまた、いっしょにかんがえよっ! 今は、だいじょうぶだよ。ふふっ。」と口元を緩ませる。
練習を始めて十日もすれば、魔力を使うことについても、少しずつ自信もついてきた。アネラと交流する中で、感情が安定してきたことも大きかったのだろう。ただ、相変わらず湖の対岸にいるから、以前のように自由に話しかける事ができなくなったなと少し寂しく感じていたぐらいで•••。
彼女と会う昼の僅かな時間が、毎日の最大の楽しみだった。アネラは、相変わらず魔力はほぼない中、動植物に話しかけたり、本を読んでノートに書き写したりと、来る日も来る日も楽しそうに何事かをしていた。彼女は些細なことでも面白がり、感動し、興味は尽きる事がないようだった。また、練習の時こそ湖の対岸にお互いいたが、それ以外は隣に座って過ごす時間が多かった。
アネラの侍女は、毎日朝と夜にだけ通いで来てるらしく、時にはシュークリームのようなこの辺りでは珍しい菓子を持ってきた。そういう日は決まってアネラが、食べさせようとしてくる。甘いものが苦手だから一度は断るが、結局、一口だけを貰いパクッと食べてみせると、アネラはとても喜んでくれた。
二人で過ごす時間が日常になってきたある日、オレは自分が王子であることは隠したまま、魔力の暴走で父を傷つけてしまったことを打ち明けた。
(怖がる?? また、会ってくれるかな?? )
そう思いながら•••。
少女は最初は驚き、そして痛ましそうに顔を歪めた。でもそれは、オレに対してではなく、まだ見ぬオレの父の身を案じてのことだった。
そして、「だいすきなおとうさまを傷つけて、つらかったよね。」とだけ言うと、オレの背中に手を回した。
てっきり拒絶されるかもしれないと覚悟していたのに、それどころかどんどん抱きとめる腕の力が強まっていく。それにつれ、彼女の鼻を啜る音も高くなっていく。背中に回した腕からも震えが伝わってくる。
(泣いてる•••? どうして•••? )
小さな腕のぬくもりに身を任せているうちに、凍えて縮こまっていた自分自身の感情も溢れ出てくるようだった。
ほんとうはずっと辛かった。誰かに分かって欲しかった。自分が人を傷つけてしまったっ!! 何もできなかった!
重たい十字架のような罪悪感と、擦り切れてボロボロになった無力感に押し潰されそうな日々•••。これまでずっと封印してきた感情が押し寄せてきて、涙がとめどなく流れていく。一度こぼれ出した感情は止めることができなかった。
「うわぁああああああぁああああああああああっっぁああああぁあああ•••。」
アネラはオレが泣いていることに気づくと、自分も真っ赤な目をしたまま、小さな手でずっと背中をさする。怖がることもなく、見下すこともなく、ただ、優しくそばに寄り添い、背中を撫でる手の優しさに、こわばっていた感情が徐々に溶けていくようなそんな気がした。
これまで魔力を使いこなして自由になりたいっと思って頑張ってきたけれど、気付いてしまった。もしこんな風に将来、自分が彼女の支えになりたいと思った時に、ただ魔力を使いこなすだけではきっとダメだ!! 王子で無くなった今のオレは、ここの教師であるロビーにも、あんな風にバカにされるほど”弱い”。
(だから、”強く”なれる方法を見つけなければっ•••!)
夏も終わりに近づいていた。木枯らしが吹き始め、外の葉も赤く色づき始めた頃、いつものようにアネラに会いに部屋を出ようとした時だった。
トンットンッ
来客など来たこともないオレの部屋のドアが、突然叩かれた。
「こちらになります。ドリアーヌ様。」
機嫌良さそうなロビーの声が聞こえたかと思うと、オレが開けるより早くドアは勝手に開かれた!! 正面には、オレンジ色の派手な飾りを、金色の髪につけた吊り目のあの女がいた。
「•••ッ•••小汚い場所ね。さっさと済ませましょう。」
ドリアーヌは、ドアのすぐ前にオレがいたから、少しギョッとした表情をしたが、すぐに顔をしかめ、わざとらしくハンカチで鼻を覆う。こんな狭い場所に、大勢の大人がごろごろと入って来て、護衛だけでも3人も引き連れている。
ドリアーヌは、オレが『魔力』を暴走させないよう睨みを効かせ、
「ユーリッ、—- 。」
と、キンキン声で居丈高に叫んだ。
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