忍びの虎穴
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忍びの虎穴
昼下がりの午後。
田園が広がる風景に、家がまばらに建っている。
意外と近い所に山と河川がある。
典型的な田舎。
農道と一般道が入り混じった道を3人の男が歩いていた。
1人は中肉中背の男・A。
1人は黒髪短髪のイケメン・B。
1人は茶髪の少年・C。
本名も名前も口にしないよう、それぞれがアルファベットで呼ぶようにしている。
彼らは一様にニット帽に襟が立てられるジャケットを着ている。
その手にはボストンバッグを2つ手にしていた。無理やり詰め込んだように膨れ上がったバッグの様は、卵を飲み込んだ蛇を連想させる。
3日前、彼らは銀行から現金強奪に成功していた。
雑な計画ではあった。
しかし、計画通りに行けば問題ないはずだったのだ。
だが、計画は失敗した。
犯人達は現金を手に入れるものの、逃走中に車のエンジントラブルにより動けなくなり、逃走車を遺棄しなければならなくなった。
追っ手を撒くために徒歩で走り続けた結果、彼らは人里離れた山林地帯へと足を踏み入れた。
必死になって山を抜けて降りた先が、こんな田舎じみた場所だった。
「クソ。どうするよ」
リーダー格である中肉男・Aはイラつきながら言う。
警察が本気で捜索すればすぐに見つかるだろうし、そうでなくとも土地勘のない場所で迷えば逃げ場がない。
そうなれば追い詰められて捕まるだけだ。
それは彼らも分かっている。
だからこそ焦っていた。
黒髪短髪の青年・Bは地図を広げる。
彼は地元の人間ではない。ギャンブルで借金漬けになった大学生だ。
今回の強盗計画において最も頼りになる存在であり、唯一と言っていいほど信頼できる人物でもあった。
彼の持つ知識や判断力はリーダーのAより優れているからだ。
だからだろうか。
Aは、その行動を見て、ますます苛立ちを募らせた。
彼が持っている地図はコンビニで購入した物だ。
そして、そこには現在地が記載されていない。
そんな物を信用できるはずがなかった。
Aは舌打ちして、自分のスマートフォンを取り出す。
GPS機能を使えば現在位置の確認など簡単だ。
そう思って確認したのだが――。
画面を見ると圏外になっている。
「おいおい。どんなド田舎だよここ……」
思わず愚痴が出る。
しかし、それで状況が変わるわけでもない。
一刻も早く脱出しなければならないという事に変わりはないのだ。
だが、どこへ?
車を捨ててきたため移動手段もない。
徒歩しか選択肢はなかった。
いつまでもここにいる訳にはいかない。
いずれ飢え死にしてしまうだろう。
いや、それどころか警察か周辺住民に見つかってしまうかもしれない。
それだけは何としても避けなければならない事態であった。
さすがのリーダー格のAでも焦りの色を隠せない様子だった。
一方、茶髪の少年・Cは周囲をキョロキョロと見渡している。
その顔に不安の色は見えない。
むしろ余裕すら感じられた。
その理由はすぐに分かった。
Cはニヤリと笑う。
すると、近くにある民家を指差す。
「Aさん。あの家に隠れませんか?」
その言葉を聞いて、Aは悪くないと思った。
確かに隠れられる場所は必要だ。
車を手に入れて一気に逃走したいところだが、情報が手に入らない状況で動けば非常線に引っかかる可能性もある。
今は我慢の時だと自分に言い聞かせた。
しかし、それでもイラつく気持ちを抑える事はできなかった。自然と舌打ちが漏れてしまう。
「仕方ねえ。しばらく潜伏しよう」
こうして彼らは民家へと侵入する事にした。
一昔前、昭和の頃から建っているような古びた家だ。
窓はカーテンが開けられており、中の様子をある程度うかがうことができる。
しかし、特に変わった点は見られない。
ただの民家といった風情だ。
表から入る事も考えたが、もし住人がいた場合のリスクを考え、裏口から入る事を選んだ。
3人は慎重に家の裏口へと向かう。
手には、それぞれサバイバルナイフを手にしている。強盗の時に使った武器だ。
彼らは音を立てないようにドアノブに手をかける。
ゆっくりと扉を開ける。
音を立てないように注意する。
鍵はかかっていなかった。
「土間があるぞ」
Aは呆れたように呟いた。
都市部の現代日本に住む人間が見る事は、まずないだろう光景が広がっている事に違和感を覚える。
靴を脱いで上がり込む。
玄関に行くと靴箱があり、そこにスニーカーや婦人靴が数足ある。
どうやら家族で住んでいるようだ。
室内は畳が敷かれており、囲炉裏があった。
「囲炉裏だぜ。昔ばなしの家かよ」
Cはバカ笑いする。
するとAがぶん殴った。
「バカ野郎!静かにしろ!」
Aは小声で怒鳴るという器用な真似をした。
しかし、それも無理はないだろう。
人の気配は無いが、寝ている可能性もゼロではないのだ。こんな所に人が住んでいて、なおかつ出くわしたら面倒な事になる。
Aは緊張していた。
一方、Bは落ち着いたものだった。
まるで勝手知ったる他人の家と言わんばかりで台所に入る。
古い日本家屋ではあるが、近代的にリフォームされた所もあり、冷蔵庫や電子レンジなどが置いてあった。
食料もあるだろうし、水道も使えるだろう。
冷蔵庫を開けると、中には食材が詰まっていた。
野菜や、粗挽きソーセージがあった。袋を破くとソーセージをそのまま噛じった。
2日も山中で過ごしただけに、久しぶりの肉の味に感動を覚えつつ、仲間を呼ぶ。
「おい。食い物があるぞ」
その声に釣られて2人もBの方へと集まってきた。
全員でソーセージを掴んで喰う。
空腹だったこともあり、3人ともガツガツ食べた。
「一階は誰も居ないようだ。二階を確認して誰もいないなら後は玄関で待ち伏せだ。家族が帰って来たら一人を人質にして立て籠もる。命を保証してやりゃあ、後はこっちのモンよ」
Aはそう言うと、2人に目配せする。
2人は無言で首肯した。
それを確認するとAは階段へと向かった。
BとCもそれに続く。
彼らが二階を調べるが、誰も居ない。
「制服や教科書から判断して、高校生のガキが居るな」
Bが言うとCが残念がる。
「ガキかよ。人質にするなら小学生の女の子が良かったのに」
AはCの頭を殴りつける。
「ガタガタ騒ぐんじゃねえ」
Aの言葉に2人は素直に従う。
全ての部屋を確認した。
二階にある廊下で、3人はホッと胸を撫で下ろす。
「よし。これで誰も居ねえことが分かった。あとは玄関で待ち伏せだ」
Aは指示をすると、3人はAを先頭にB、Cが続いて一階へと降りる階段へと行く。
AはCにイライラしていた。
若輩ということもあるが、運転手役にしたことで車を衝突させたのもCだった。言うなれば彼が強盗計画における最大の戦犯である。
Aとしては、そんな彼を囮にして逃走したいくらいだった。
だが、それでは警察に捕まる可能性がある。
今は耐える時だと自分に言い聞かせた。
それにも関わらず民家に入ってからの発言は、Aの神経を逆なでした。
今すぐにでも殺したい気分だったが、それを実行すれば計画が台無しになる。
今は我慢だと自分に言い聞かせた。
「おい。C、今度ナメた口……」
Aは振り返ってCに忠告しようとした。
しかし、Aの言葉は途中で止まる。
なぜなら、最後尾に居たCの姿が無かったからだ。
Aが慌てて周囲を見渡すと、Bもそれに気づく。
「おい。Cはどこは行った?」
Aは慌て、感染したようにBも慌てる。
「……そんな。俺の真後ろに居たはずだ」
AとBが周囲を見渡すが、蒸発したように消えていた。
「おい。隠れんぼしてんならブッ殺すぞ」
AはBを押し退け、二階の廊下に出るが誰も居なかった。戸が開いている形跡も無いことから部屋に入ったとは思えなかった。
だが、現状として探す場所は部屋しか無かった。
「おいB。お前もCを探せ」
Aは命令すると、Bは青ざめた表情で頷く。
そして、二人で手分けして探す事になった。
部屋数は少ないために、すぐに見て回ることはできたがCの姿は、どこにもなかった。部屋の隅々まで見たにもかかわらず、Cの痕跡すら無い。
「どういうことだ? まさか窓から逃げたのか」
「いや。鍵は内側からかかってた」
Aの疑問にBは答える。
窓を開けるような音は聞こえていない。
窓から出たとしても、鍵をかけなければならない。逃げたなら、そんな面倒くさいことをする訳がない。
二人は状況が分からず困惑する。
しかし、答えが出るわけでもない。
とりあえずは一階を捜索する事にした。
慎重に階段を降り、人の気配が無いか確認する。
息が荒くなる。
心臓がバクバクする。
サバイバルナイフを握る手に汗が
踏みと軋む階段の音が妙に大きく聞こえる。
彼らは緊張していた。
仲間の一人が忽然と消えたのだ。
何が起こったか分からない恐怖が彼らを包んでいた。
階段を降りた先には、細い廊下が続いていた。
「おいB。いるな」
Aが後ろを振り向き確認する。
「ああ」
Bは首肯した。
廊下に降りると部屋を再び探索する。
襖を開け、部屋に入る。
押入れの中まで確認した。
しかし、やはりCはいなかった。
仏間、茶の間、座敷、台所、本座敷などを調べたが見つからない。
最後にトイレを見るが、やはり誰も居ない。
つまりは、この家の中にCは居ないという事だ。
ならば、一体どこに行ってしまったのか。
「クソ。一体どこに消えたんだ」
Aは悪態をつく。
Bの方を向くと、そこにBの姿は無かった。
一瞬、Bが隠れたと思ったが、それは違った。
足元を見ると、廊下の板の間が開き、そこにBの膝から下しか無かった。膝から上は床下に飲み込まれている。
その残った膝から下が飲み込まれるようにして落ちていく。
「おい!」
Aが足首を掴もうとするが、その前にBの脚は廊下の下。
床下へと飲み込まれた。
床板が何事も無かったように閉じる。
床下には空間があるようだ。
だが、その中を覗く度胸はAには無かった。
悲鳴一つ。
クグモッた声一つ聞こえて来ない。
その事実が、より一層Aの不安感を募らせる。
まるで家に食われてしまったかのように。
その可能性に思い至った瞬間、Aの背筋に冷たいものが走る。
慌てて囲炉裏がある部屋へと走ると金の詰まったボストンバッグ2個を手にして、裏口へと向かう。
裏口の扉に手を掛ける。
しかし、開かない。
鍵がかかっているかと思ったが、ドアノブのサムターンを回してもピクリとも動かない。押しても引いてもだ。
どうやら外から何かで固定されているようだった。
すぐに玄関へと走る。
すると玄関の扉が開くところであった。
「ただいま」
そう言って入って来たのは、一人の女性だ。
買い物帰りなのだろう。
左手にはエコバッグに大根やネギなどが見えた。
年の頃は30代後半といったところで、やや痩せ気味ではあるが美人だった。
女性は玄関の
家人の突然の帰宅に、Aは思わず後ずさる。
女性は不思議そうな顔をしたが、Aの顔を見、彼女の視線はAの持つボストンバックに向けられていた。
「あら。どちら様?」
女性の問いにAは答えられずにいたが、別の者が答えた。
「銀行強盗だよ。母さん」
突然の声にAが振り返ると、壁が扉のように開いた所から一人の少年が現れていたところであった。
年の頃は10代半ばくらい。
背は高くないが、ひょろっとした印象は無い。
短髪で細身ではあるが、引き締まった筋肉質な身体つきをしていた。
周囲に溶け込むような平凡な顔立ちをしているが、落ち着きながらもどこか自信に満ちているように見える。
服装はどこにでもいそうな普通のシャツとズボンに、パーカージャケットを羽織っていた。
少年の名前を
「て、テメエ。どっからでてきやがる!」
Aが叫ぶと、裕貴は面倒くさそうに答えた。
その態度は強盗であるAに対して怯えている様子はない。
むしろ、どこか小馬鹿にしているような感じさえした。
「知らねえの。これがいわゆる、どんでん返しってヤツだ」
裕貴は、そう言うと壁を扉のように閉じた。
【忍者屋敷】
戦国初期。
土豪(その土地の豪族。その土地の勢力者)が国内各地で自立し、土豪間でしばしば小競り合いが起きていた。
決定的な抗争には至らなかったものの、こうした小競り合いでは対立する土豪による襲撃も予想された為、主だった者は敵の襲来に備えて屋敷の内部を改造し、非常時の避難場所及び脱出経路などを確保するようになった。
それらは土豪とはいえ、農繁期には田畑で農作業に従事する半農だっ為、改造した屋敷内の空間は、平時は農耕具などを収納する物置としても使用された。
その意味では、一般に忍者屋敷と呼ばれるこうした民家には各種からくりが設けられていたものの、その実態は収納としての機能を重視していたと言った方が良いだろう。
対立する土豪、またはある勢力の襲来を受けた際は、普段は平穏そのものの屋敷は、にわかに慌ただしくなる。
戦国大名の軍団に攻め込まれた際には抵抗すべくもないが、近隣の土豪クラスの奇襲であれば、屋敷内の人間が戦闘員となって屋内ゲリラ戦を
奇襲した側の兵がからくりを知らずに屋内に攻め込めば、その結果は凄惨なものとなったと考えられる。
また、こうした、からくりは屋内に潜伏して危険が去るのを待つ、または救援が来るまでの時間稼ぎと考えた方が現実的だ。
そう考えれば、脱出経路は援軍を呼ぶ伝令が使用した可能性もあるだろう。
姿を表した息子・裕貴に、母・
「裕貴。まさか今の今まで隠れていたんじゃないでしょうね」
そんな母親の言葉に、裕貴は少し怒る。
「そんな訳ねえだろ。後の2人は絞め落として隠し扉の中で気絶してるよ。あとはそいつだけだ」
その言葉に美佐子は、ほっとした表情を浮かべた。
「安心した。てっきり部屋でエッチな本でも開いてたのかと思ったわ」
美佐子は口元に手を当て、いやらしく笑う。
その反応に、裕貴はムッとする。
「からかうな!」
母親の冗談はいつものことだ。
しかし、今は状況が状況だけに、つい苛立ってしまう。
息子の性癖を心配する母親の気持ちは分からないでもないが、この状況下では勘弁して欲しい。
だが、それを言っても仕方がない。
「それで、どうするつもりなんだ。もう逃げ場なんて無いぜ」
裕貴はAに言う。
するとAはサバイバルナイフを握りしめながら言った。
「うるせえ! お前ら動くんじゃねえ。これが見えねえのか!」
Aは必死だった。
Aにとって、この家から脱出する事は絶対条件だ。
その為には手段を選んではいられない。
だが、Aの思いとは裏腹に事態は悪化の一途を辿る。
美佐子は買い物袋を置くと、玄関の壁板を蹴る。
すると幅10cmの板が開くと、忍刀が現れた。
【刀隠し】
とっさの折、武器を取り出す、からくり。
戸板は素早く開けられるよう、羽目板の受け木に緩やかなカーブが設けられていた。
そのカーブより脚や手で隅を押せば、戸板が跳ね上がる仕組みになっている。このあたり、日常空間に秘められた緊張感を伝える構造ともいえよう。
忍者は、近隣の親しい者にもその正体を見破られてはならない。物騒な武器は、ふだんは目につかないように隠す必要があった。
美佐子は忍刀を手にし、鞘を払う。
無機質な光を反射させる刃を見て、Aは思わず悲鳴を上げた。
美佐子の眼には刃と同じ冷たい光が宿っていた。殺しをためらわない目だ。
その視線と目が合い、Aは恐怖に慄く。
予想外の展開に、Aは慌てて後ずさるが、その首筋に忍刀が背後から突きつけられた。
裕貴だった。
首筋に感じる冷たく鋭い感触に、Aは震えあがる。
Aはサバイバルナイフを捨てると、両手を挙げた。
裕貴は、その手を掴み後ろ手に縄を使って拘束する。
こうしてAはあっさりと無力化されてしまった。
その様子を見て、美佐子が裕貴に言う。
その声は先ほどとは打って変わって優しいものだった。
「さすがね裕貴」
裕貴は照れくさそうに笑う。
自分の仕事ぶりを褒められ嬉しかったようだ。
しかし、すぐに気を引き締めると、厳しい口調で言い放つ。
その顔は普段の彼からは想像できない程、凛々しいものであった。
「自分から虎穴に入るような真似をするなんて。そうとうなバカだな」
そう言って裕貴は、呆れた顔をしていた。
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