第15話 大きな背中
私は早速、彼と約束した公園へと歩きはじめる。カタンカタンと音を立てる下駄が、私を特別な気分にさせた。
「浴衣を着て花火大会に行くのなんて何年ぶりだろ……」
どきりどきりと速くなっていく心臓の音を誤魔化すように、口を大きく開けて深呼吸した。私は都会に住んだ事がないから分からないけれど、みんなが言うには、田舎の空気は美味しいらしい。いつでも夜空を見上げれば、満天の星が広がっている。そんな景色が、環境が、当たり前になってしまうのは怖い事だと思う。いや、違う……当たり前になっていい。けれど当たり前を、感謝できる大人になりたい。綺麗な星空が、私を詩人気取りにさせた。
公園に着いて、驚いた。夜の公園は、昼のそことは全く違う顔をしている。あまりの薄暗さに怯えながら、私は彼を探した。やっとひらけた場所まで進むと、公園の中央に見覚えのある時計台が見えて、ホッとする。そして私は、時計台の反対側から影が伸びていることに気が付いた。その影は切れかけの蛍光灯に照らされて、カチカチと儚くまたたいている。時計を見ると、まだ待ち合わせ時間の十分前を指していた。
「お、来たんだな」
彼も私に気付いて近付いてきた瞬間、蛍光灯がカッと光った。彼は何か話そうとしたのを止めて、私の足元から頭までを、強張った表情で見つめる。
「どう、かな……。その、私は普段着でいいって言ったんだよ?でもお母さんが無理やり……だから、ね、うん……」
「かわいいよ」
「え……」
私も彼も後から気がついたように恥ずかしくなって、手でパタパタと忙しく顔を扇いだ。そこで私は、お母さんに待たされた扇子の存在を思い出した。
「良かったら使って?」
彼はありがとうと受け取って、それを使おうとしたが、またも動きを止める。
「どうしたの?」
「これ、なにかなと思って……」
扇子を覗き込むと、そこには「彼によろしく、頑張って」という文字が書かれていた。私は慌てて彼の手から扇子を抜き取り、なんでもないから!と大きな声で訂正する。何でもないわけがない、これは絶対に母の仕業だ。ご丁寧にハートマークまで付けられていたのを思い出し、ふぅとため息を吐く。
「まぁいいか。そろそろ行こう」
彼はそう言うと、私の方に手を差し出して、何かを要求しているようだ。私がえっと狼狽えていると、彼は前を向いたまま、こちらを見ずに言った。
「もうそろそろ、いいだろ。手、つなぎたい」
私はその言葉で、彼が一体何を考えているのか分からなくなった。普通、男の人と手を繋ぐのって恋人になってからじゃないの?私が古くさい考えなだけ?第一、どうして私なんだろう?その時、母親が出掛ける前に言った台詞を思い出した。
「その男の子はね、あんたの弁当だけが目当てじゃないと思うよ」
私はごちゃつく頭をフル回転させて、もし仮に私たちが恋人だったとしたらと、今まで起きたことを振り返った。紳士があの日、怒っていたのは照れ隠しだったのだろうか?毎日弁当を作って欲しいというのは、彼なりの遠回しな告白だったのだろうか?そう考えれば考えるほど、今まで持っていた疑問が、気持ちいいほどスッと消えていく。私は大変な勘違いをしてしまっていたのだ。あの時、本当の意味も分からず、彼からの告白を了承してしまった……。けれど、私は彼にそれを伝えるどころか、目の前に差し出されている手を、ぎゅっと握って言った。
「うん、ありがとう」
努めて笑顔で言ったつもりだが、本当に笑えていたか、そんなにスラスラ言葉が出ていたかは、分からない。けれど戸惑いよりも大きかった、彼を悲しませたくない、彼の傍を離れたくない、という気持ちに正直になりたかった。好きだとか愛しているだとか、そういう恋愛の話は正直まだ分からない。ただ、今は居心地の良いこの場所を、独占していたいと思ってしまったのだ。
豪快な花火の音が鳴り響く中、私はそっと彼の方を覗き見た。同じ年齢の筈なのに、彼の背中は大きくて、がっちりとしている。肩幅が広いのは、昔野球をしていたからだと、自慢げに話していた。彼の目は真っ黒で、映った花火の彩りが映えている。彼には、ずっとこうして美しい色たちを、瞳に映し続けてほしい。私は、そう願わずにはいられなかった。
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