第8話 平和な昼下がり
「和葉さん!」
老夫婦と女性の間に、ぬるい風がゆっくりと吹き抜けた。その時、桜の花びらが一枚、紳士の膝の上に居るかずはの頭にはらりと落ちた。かずはは頭の方を見て不思議そうに首をかしげている。
「”かずは”、ほら、ご挨拶を……」
婦人はそう言いかけたところでハッとした。
「やだ、”和葉”って……私はここにいますよ!」
そう、そこにいる女性は、いつかネットカフェで出会った店員、和葉だったのだ。面白い冗談を聞いたというような顔で、和葉は手のひらをひらひらさせて笑っている。
どこから話せばいいのだろう……。老夫婦は2人ともしどろもどろになり、しまいには彼女から目を背けてなんとも気まずそうな表情をした。しかし、名前を使わせてもらっている身である。彼女には包み隠さず、これまでの経緯を話す方が良いことは確かだった。婦人はずいぶん小さな声で少しずつ、話し始めた。
「あの時助けていただいたこと、忘れもしません。かけていただいた言葉も……あれからずっと、心に残っているんです」
婦人はさらに、ぽつりぽつりと話を続ける。
「もしもこんな娘がいたらと、主人も私もそう思っていたものですから……おかしな話ですが、お名前を借りることにしたんです」
そこまで言って、婦人は途端に恥ずかしくなって、きゅうきゅう鳴いているかずはに目を移した。
「ご迷惑じゃなかったですか……?」
恐る恐る紳士は口を開き、そうとだけ言ったと思えば、ぐっと眉間に皺を寄せて悲しげな顔をする。和葉はなぜか少しの間、一点を見つめて思い詰めたようなそぶりをしたが、すぐにきゅっと細めの眉を上げて満面の笑みで答えた。
「迷惑だなんて!こんな光栄なことってないですよ」
彼女の屈託のない笑顔は、本当に人を救う力があるのではないかと老夫婦は思った。その後も彼女があまりにも聞き上手なものだから、老夫婦はたくさんのことを話した。なぜロボットを家に迎え入れたのか、そのロボット”かずは”がどんなにかわいいものか。最初は心から子供を望んでいたこと、それがどうしても叶わなかったことまで。
女性はいつかのように力強く頷きながら、その話を一生懸命聴いていた。話が続く限りじっと老夫婦の目を見て、一つの言葉さえも聞き逃すまいとしている様子は、何よりもはっきりと彼女の人柄を表していた。和葉が老夫婦と話している間、退屈をした子供達2人は遊具で遊んだり、公園内を元気に走り回っていた。
公園内には2人の子供以外にも5人ほど子供がいて、各々が精一杯の甲高い声をあげながら、砂山を作ったり、ジャングルジムを登ったり、ブランコを立ち漕ぎしたりしている。なんと平和な昼下がりだろうか。ここには幸せな家族しか、訪れていないのではないだろうかと紳士は思った。
一方、子供たちを見ながら婦人は優しく目を伏せていた。かずははそんな婦人をじぃっと見つめて抱っこをせがんでいる。婦人は思わず頬を緩ませて、かずはをそっと抱き抱え、高い高いをしてみせる。お米ほどもあるかずはの体重は婦人の腕を震わせた。それでもきゃっきゃと喜ぶかずはを見ていると、婦人は引き攣った腕の筋肉などどうでもよくなったのだった。そんな時、紳士は子供たちを目で追いながら何の気なしに彼女に問いかけた。
「そういえば……もしや、お子さんですか?」
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